めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

023 避難・2

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『馬鹿野郎!! 誰が撃てと言った!』

 警備主任の怒号が響いた。
 侵蝕者を前にした焦りか、それともこれまで使われる事がなかったがための整備不足か。
 火を噴いたのは避難エリアに装備されている小型重火器の一基だった。
 思わぬ惨事を前に避難エリア内の客の間から悲鳴と叫喚が次々と溢れ出たが、圭の耳には何一つ届かない。

「穂!」

 痙攣するように震える手を握りしめ、倒れ込んだ姿を確認する。
 弾け飛んだワイヤーが穂の右足首を掠めたようだった。
 ストッキングが無残に裂かれ、そこから覗く白い筈の肌は深紅に染まっている。
 手首ほども太いワイヤーの打撃を受けて足首が切断されなかったのは不幸中の幸いだったが、骨折は免れないだろう。穂の顔も苦悶に歪んでいる。
 どちらにしろ、穂に自力での移動は無理だろう。避難エリアの警備班も今の騒ぎで圭達の事を失念しているようだ。
 こうなれば、圭が担いででも移動するしかない。

「…! 逃げてっ!」

 その傍らに屈み込もうとした圭を、何かに気付いた穂が鋭く制した。
 激痛に身を震わせながらも必死に圭に伝えようとする。

「……っ!?」

 穂の視線が指し示す方向を見遣り、圭は一瞬言葉を失った。
 先程の誤射により半壊した施設の外壁が、今まさに剥がれ落ちようとしていた。
 圭達の頭上に直接落ちてくるものではないが、地に落ちた後は圭達の方向へと倒れ込んでくる。そう断定できるだけの細長い形状をしていた。

 満足に考える時間も与えられぬまま、付近一帯を重い振動が揺るがす。
 己が生み出した衝撃と自重によりコンクリートの塊は更に小さく砕けたが、淡い期待を覆すかのように、その殆どが圭達の頭上めがけて降り注いでくる。
 細かく砕かれたとはいえ、その個々は圭と穂の体重を合わせて倍にしてもまだ足りない程の質量を持っている。
 それが自由落下により威力を増しながら襲いかかってくるのだ。
 身体のどこを掠めただけでも致命傷は確実だ。

「早く……逃げなさいっ!」

 穂には分かっていた。
 圭一人ならば落下する瓦礫の範囲から逃れる事も可能だろうが、動けない自分を助けようとすれば二人とも命を落とすだけの結果に終わる。
 こんな形で人生の幕を引くのは不本意極まりないが、圭を騙すような真似をし、その行為を心のどこかで愉しんでいた報いだと考えればそれも仕方がないだろう。

 ともかく、圭だけは逃がさねばならない。その気持ちが穂を必死に叫ばせた。
 だが、圭は迷う素振りさえ見せなかった。
 穂の肩を引き寄せ、もう片方の手を膝の下へと差し入れて力強く抱き上げる。

「…っ!?」

 圭の突然の行動に、穂は困惑を隠せなかった。
 まさか圭は自分を抱えて走るつもりなのか。
 細身の穂であるとはいえ、人ひとりを抱きかかえて、降り注ぐ瓦礫から逃れるなど無理に決まっている。
 仮に火事場的なものを期待しているのだとしても、それはあまりに楽観過ぎるというものだ。

 しかし圭の行動は、穂の考えとは違っていた。
 ほんの数歩、移動しただけで立ち止まり、その場で穂を降ろすように腰を落とす。
 そして抱えたままの身体をさらに小さくするかのように両腕を引き絞った。

「ちょ、ちょっと圭…!」

 一体何がしたいのか。
 圭の真意を汲み取れない穂だったが、身じろぐ余裕さえ掴めないまま自らの膝頭が顎に触れるのを感じていた。
 膝を抱えるように丸くなった穂の上に圭が覆いかぶさり、そこで穂は初めて圭の行動の意味を悟る。

(圭くん、私を庇って!?)

 それほどの体格差がある訳でもなかったが、全身を強引に押さえ付けられている今、穂の全身は圭の下に隠れている。
 大きなコンクリート片が直撃しては二人とも命は無いが、掠める程度ならば大怪我で済むやもしれない。
 そして圭は、その怪我を一手に引き受けようとしているのだ。
 しかしそれは穂の本意からは大きく外れたところにある。

「圭くんっ!!」

 叫ぶ穂だったが、その声は自らの身体にぶつかるばかりで外へは伝わらず、手足を動かそうとしても完全に組み敷かれた身体は少しも動く事がなかった。

「……ら」

 圭が何かを囁いた。
 それを耳にした穂は暴れる事を止めたが、何と言ったのか聞き逃してしまった。

「大丈夫だから」

 再度、囁かれた言葉は穂の耳にしっかりと届いた。
 圭のその声は自信に溢れており、気休めだとか楽観視しているような風はない。

 不思議とその言葉を信じられるような気がした。
 圭の体温をより近くに感じ、それがまた強い安心感をもたらす。
 目を閉じ、温かな暗闇の中に溶け込みそうになった瞬間、強い振動が穂の全身を襲った。

 建物の破片が地に達したのだ。
 地を揺るがす衝撃と轟音は絶える事なく続き、その直中ただなかにある二人には地獄の旋律を全身に浴びせ掛けられているようだった。

 外気に触れていた脚に吹きつける砂礫の勢いが止み、穂は目を開く。
 当然のように視界は暗転したままだったが、先に負傷した足首以外に痛みは感じられない。どうやら穂は新しい傷を負う事なく生還を果たす事ができたようだ。
 しかしそれは圭が庇ってくれた結果であり、この体勢のままでは穂に圭の無事を確認する術はない。
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