めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

024 避難・3

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「……圭、くん?」

 穂に覆いかぶさる圭の体温がみるみる下がるという最悪の結果を想起してしまい、呼び掛ける声に不安と震えが混じる。

「…大丈夫だって、言ったろ?」

 圭の上体がゆっくりと持ち上がり、穂の視界が暗闇から夕闇へと変じた。
 街灯に照らされているでもないのに、妙に眩しいと感じた。

「け、怪我はっ!?」

 穂は跳ねるように起き上がると、座り込んだままの圭の身体中に両手を這わせた。
 圭の頭や肩に被っていた砂が自分の顔に落ちてくる事に構ってはいられない。

「ちょっと砂っぽくなったけど、怪我はしてないよ」

 怪我をしていないか確認するためとはいえ、異性に全身を触られるのは恥ずかしかったらしく、穂の手を取りながら静かに笑った。
 二人とも砂まみれになってしまったが、怪我をするような質量の瓦礫は当たらずに済んでいた。
 その時の圭は気にも止めず、穂も後で気付く事になるが、二人の周囲には大小様々な瓦礫で埋め尽くされており、ほんの30センチも違う位置に居たならば死に繋がりかねない状態だったのだ。

「逃げなさい、って言ったわよね? 圭くんまで死んじゃうところだったんだから」

 斜に構えて非難の眼差しを向ける穂だったが、その声音にはどうしても嬉しさが混じってしまう微妙なものとなっている。

「……」

 穂が怒っているばかりでない事は承知の上だったが、圭はどう説明するべきかと自問していた。
 逃げろと穂が叫んだ瞬間、様々な選択肢が脳裏に浮かんだ。もちろん、穂を見捨てて逃げるという事も含めてだ。
 そんな女は見捨ててしまえと、囁く声が聞こえていたくらいだった。
 それでも圭は、目の前の少女を助けたいと強く願った。

 かつて自分が遭遇してしまった事件。
 襲いくる死の恐怖を知った圭に、穂を見捨てる事などできる筈もない。
 しかし頭上には容赦なく迫る死の影。瓦礫に圧し潰されて原形すら残さない自身の末路が容易に想像できた。

 その時、圭の脳裏に閃くものがあったのだ。
 それは天啓と呼ばれるようなものだったのかもしれないし、ただの現実逃避の願望が見せた幻想だったのかもしれない。
 それでも圭は確信をもってそれに従った。
 それが偶然に起きたものではなく、長年積み重ねた経験と知識からきた閃きのような感覚があったからだ。

 しかし、既にその感覚は希薄なものへと移ろっている。
 ほんの数秒前に自身で感じた事を上手く説明できず、そのまま口を開いてみたとしても変な顔をされるだけだろう。
 極限的な状況だっただけに、頭がおかしくなったと思われても不思議はない。
 口篭もる圭をどう見たのか、穂は肩の力を抜き、息を吐くようにして微笑んだ。

「…でも。正直、嬉しかった」

 取られていた手を逆に握り返すと、そのまま自らの左脇腹へと導いた。
 何故に脇腹? 突飛とも言えるその行為になすがままになる圭。

「ほら、こんなにドキドキしてる」

 穂は重ねた手を身体のラインをなぞるようにして上へと移動させた。
 手触りの良い生地越しに流れる、柔らかい身体の感触に圭は思わず息を呑んだ。
 そして、温かく確かな重みが圭の親指に触れたが、導く穂の手は止まる事なく柔らかくもある存在を押し上げる。
 手が埋もれてしまいそうな量感が穂のバストであると理解できた圭だったが、添えられた手を振り払う事も出来ずに事の成り行きを見守るしかできない。
 服の上からでは分からない発育ぶりを主張する存在を半分程も押し上げ、やっとその手が止まる。

「ね、分かるでしょう?」

 頬を染めた微笑を投げかけられ、圭は初めて掌の下で脈打つ鼓動を感じた。
 早鐘を打つ鼓動の意味するところなど、この状況ではどう考えても間違えようがない。

「穂……」

「あなたの事、本気になるわ」

 何かを言いかけた圭を遮るように、強く発せられた言葉が深く突き刺さった。
 そして同時に、まっすぐに向けられた視線が確かな力を帯びて心を揺さぶる。

(…俺って、こんなに気の多い奴だったのか?)

 圭は戸惑った。
 ほんの数日前までは緋美佳一筋のつもりだったのだ。
 それが昨日今日交流を始めたばかりのクラスメイト相手に、こんなにも心を揺り動かされている。
 今すぐにでも抱きしめて、その身体の柔らかさをもっと感じたいという欲求が急激に高まってくる。
 既に掌に感じる脈動が目の前の少女のものか自分のものかさえも判然とせず、目に映る光景が大きく揺れ動く。

(…お、俺……)

 穂に触れている右手は熱を帯びるばかりで少しも動こうとしない。その柔らかさから離れる事を拒否するかのように。
 自然と、空いている左手が穂に向けて伸びようとした時だった。

「こらあーーっ!!」

 物凄い怒声が鼓膜を突き抜けて脳髄を揺さぶった。
 本当に鼓膜が破れたりしなかったのが不思議だったと、後に思った程の衝撃だった。
 今日は怒鳴り声しか聞いていないのではないかと思いながら、圭は声が飛んできた方へと顔を向けた。
 見るまでもなく声の主が誰かなど分かっていたが、それでも目視をしたのは突然飛び掛かられてきた際の被害を最小限に食い止めるためである。

「二人とも、どさくさに紛れてなんて事してるのよっ!!」

 顔を真っ赤にした眞尋が飛び込むようにして、二人の間に割って入った。
 穂の身体を押し退けつつ、圭の右手を引き剥がす。

(ちぇ。もう少しだったのに、またしても邪魔が……)

 穂が露骨に眉根を寄せ、口の中で呟いた。

「ちょっとっ! 今、舌打ちしたでしょ!?」

 こういう時だけは異様に耳聡い眞尋が人差し指を突き出して抗議するが、穂は口をへの字にしてそっぽを向いただけだった。
 眞尋としては、この場での穂への追及は重要ではなかったらしい。反発の態度を隠そうともしない穂にそれ以上の言及はせず、どこか呆けているままの圭へと向き直った。

「圭ちゃんもっ! そんなに触りたければ私に言えばいいのにっ!」

 たった今まで穂に触れていた圭の右手を自分の胸へと押し当てる。
 そこまで思い切った行動に出るとは露程も考えていなかった圭は驚いた。

「……穂より、小さい」

 驚きのあまり、感じたままを素直に口走ってしまっていた。
 眞尋とて年頃の女の子である。
 身体のラインもそれなりの起伏を形作ってはいたが、そもそもの身長が小さいときている。
 全体のバランスは文句のないものだとしても、身長で負け、かつ同年代の平均以上に育っている穂と比べては酷というものだろう。

「……っ!」

 言葉に詰まり、紅潮していた顔が別の意味で更に赤く染まった。

「…ぷっ」

 その様子を見ていた穂が堪えきれずに噴き出した。
 途端、殺意に近い色を孕んだ視線が向けられるが、既にそ知らぬ顔で明後日の方を向いている穂である。

「…今、笑ったでしょう」

「気のせいじゃないかしら?」

 眞尋の凄みを利かせた詰問を穂は涼しげな声で受け流すが、その態度が雄弁に物語っている。
 それは絶望に打ちひしがれる敗者の前に立つ、強者の貫禄さえ漂わせている。

『お前らぁ。漫才はその辺にして早くこっちに来いやあ』

 もう暴れるしかないと思われた眞尋だったが、それよりも早く飛び込んでくる声があった。
 見ると、拡声器を抱えた一樹が避難エリアから呆れた表情を向けていた。
 眞尋が姿を見せたのだ、一樹も一緒で当然と言えた。
 奇遇にも圭達と同じ避難エリアに足を向けており、きちんと辿り着けていたのだ。

『早くこっちに来ないと死ぬぞお』

 余程の事、呆れられてしまったのだろう。その科白は棒読みで切迫感がまるで伴っていなかったが、今がどういう状況だったかを圭は思い出す。
 降り注ぐ瓦礫をやり過ごした達成感で気が抜けてしまっていたが、侵蝕者の脅威から脱した訳ではないのだ。

 施設の崩落に巻き込まれる形で侵蝕者の何体かは潰されたようだが、その多くは健在のままなのだ。
 非常事態の真っ直中で誰もが右往左往している状態とはいえ、一樹以外からも向けられている視線に圭はいたたまれない思いを抱く。
 自分が発端になっているとはいえ、女同士の諍いは人目につかないところでやってほしいと願わずにはいられない。

「…行こう」

 それだけ言うと、膝立ちをしていた穂を再び抱き上げる。
 勢いよく立ち上がったせいで、バランスを崩しかけた穂が慌てて圭の首に腕を回した。

「…もう少しだけでいいから、優しくお願いするわ。文句を言える立場じゃないけど、物凄く痛いのよ、足」

「わ、悪い。気をつけるよ」

 ごく自然に振舞われた圭の行動と、その後の二人のやりとりに物言いたげな眞尋だったが、穂の足の怪我を前にしては視線を外すだけだった。

「わ、私、先に行ってるからっ!」

 圭の返事も待たず、言い捨てるようにして眞尋は駆け出した。

「おい、眞尋っ?」

 圭の発した言葉は眞尋の足を止めるには至らなかった。
 その小さい背を見ながら圭は不思議そうに首を傾げ、穂はどこか寂しそうな表情をするだけだった。
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