めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

028 第三の者

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 浮島となった避難エリアから覗き込むと、地上までの距離は軽く眩暈を起こしそうな程だった。
 建物で言えば二階よりもやや高い。
 転落した少年は体重が軽いおかげもあって手足の骨折程度で済んでいたが、成人ともなれば下手をすれば即死の危険さえ孕んでいる。

 その高さを圭は躊躇う事なく踏み出した。
 そもそも、躊躇ったかどうか、そういった認識すら持っていなかったかもしれない。
 そう思える程に、圭の足取りは自然なものであったからだ。
 まるで、そこに落とし穴が存在すると知らずに一歩を踏み込んでしまった者のように。

 何の備えもなく落下した圭だったが、少年に迫る侵蝕者の眼前に音もなく降り立った様は見ていた者すべての言葉を奪っていた。
 ほんの僅かに膝のバネを利かせただけでこの高さの飛び下りを敢行するなど、余程の訓練を積んだ者であっても困難な事は容易に想像がつく。

 そして、群集の誰もが息を呑んでいる間の抜刀。
 圭が何をしたのか、目に捉える事が出来た者は僅かだったろう。
 それほどまでに白刃の軌跡は鋭く、気付けば侵蝕者は動かぬ土塊に変じていた。
 次いで迫ってきていた数体の侵蝕者は少年から圭へと標的を変更していたようだったが、そのいずれも目標対象へと到達する事なく瓦解する運命を辿った。

「……凄い」

 動けるようになった穂も、身を乗り出すようにして圭の動きを追っていた。
 侵蝕者出現の警報が発せられてからというもの、圭は途轍もない事をやってのけている。
 降り注ぐ瓦礫を避けた事も凄かったが、その件だけで終わっていれば強運が味方したの一言で済ませられただろう。
 しかし、今の圭は明らかに常人離れした活躍を見せている。

 実戦経験のない穂の目では判別の難しいところではあったが、離れた位置で戦っている二人の退魔師と比べたとしても、決して見劣りしていないのではないだろうか。
 周囲の者も、圭が侵蝕者を撃破している事実が神の気紛れなどではない事に思い至ったようだ。
 中には圭が第三の退魔師であると信じ、歓喜の声を上げる者まで出始めている。

 次第に騒ぎが大きくなる頭上に一瞬だけ視線を向けた圭。
 その瞳は未だに虚ろなままで、穂にはそれが気掛かりで仕方がなかったが、今し方になってやっと到着した縄梯子を手に、事の推移を見守るしかできずにいた。

「うわあっ!?」

 圭の戦いぶりを見物していた男が大きく仰け反った。
 同じように最前列に陣取っていた者達が、たたらを踏むように後退る。
 避難エリアの真下に向けられていた照明が一斉に消えたのだ。
 実際に消えたのは圭の周辺の照明だけなのだが、圭ばかりを注視していた者達は突然の暗転に驚きの声を上げていた。

 それもまた圭の行為であった事を穂は見逃さなかった。
 崩れた侵蝕者の残骸に混じっていた小石を抜き取り、自分を照らす照明を潰したのだ。
 人の目が多い事を気にしての行為と見えたが、突然に視力を奪われてしまったのは圭も同じ事であり、明かりのない中でどこまで動けるのだろうか。

 ずっと続いている少年の泣き声、断続的に響く侵蝕者の崩壊音。そして地を蹴る軽い足音。
 それらが耳に届く事から圭の奮迅が続いていると判断できるが、姿が見えないというのはこうも焦燥感を煽るものだとは思ってもみなかった。
 縄梯子を握る手に力が入るのを感じながら、穂は一秒でも早く闇に目を慣れさせようと逸る気持ちを必死に抑え付けていた。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「……ふむ」

 悲鳴と斑模様のような照明に包まれる避難エリア周辺を一望できるアトラクションビルの屋上に、ひとつの影が降り立っていた。
 高所は強風が入り乱れていたが、その影は短い髪を風に遊ばせるだけであり、己は僅かばかりも揺らぐ事なく地上へと視線を向けている。

 侵蝕者の群れをシティ内の複数箇所に見る事ができたが、現在はひとつのエリアに向けて集結しつつある事も見て取れる。
 言い換えれば、その先には侵蝕者にとって重要な場所、或いは脅威となる存在があるという事に他ならない。
 そしてその先へと視線を転じれば――案の定、優先して排除すべき敵と見做した者がいるようだった。

 群がる侵蝕者を次々と蹴散らす姿がひとつ、ふたつ……そして三人に増えた。
 火器を使用している様子はなく、その戦い方は退魔師と呼ばれる存在だろう。
 残念ながらその顔までは判別できなかった。
 気配も読みにくい距離だ、もっと近くに寄ってみなくてはなるまい。

「……面倒だな」

 その中に探している者が居るのかどうか。
 単なる退魔師であるのならば、目的としている人物ではないのかもしれない。
 そうして無駄足だった時の落胆を想像すると気は重いが、それでもどこか期する思いを抱かずにはいられない。

 自然と口元に笑みが浮かぶ。
 唇の隙間から漏れる笑いを風に流しつつ、影は奈落の底かと見紛う地上へと身を躍らせた。
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