めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

050 はじめまして

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「あなたが月菜ちゃんね。私、鬼首穂。圭くんのクラスメイトでクラス委員長をやっているの。よろしくねっ」

 圭の回復後、屋敷内へと進んだ月菜を迎えたのは、両手を取って熱っぽく自己紹介をする穂だった。
 好きではない自身のフルネームを名乗るあたり、随分と気合いが入っている。
 自分に向けられた瞳が期待の輝きに満ちているように感じたのは、決して月菜の気のせいではないのだ。

「はぁ…。よろしくお願いします…」

 月菜としてはそう答えるほかなかった。
 兄や眞尋のクラスメイトともなれば無碍にもできず、さりとてどこまで親しい態度で臨めば良いのか。
 そもそも、初対面の者を相手にここまでテンションを高くする事ができるというのは、そういった性格の人物なのだろうかと様々な可能性を考えずにはいられない。

「ちょっと! なに月菜ちゃんにアピールかましてるのよっ!」

 背後から抱き寄せ、穂の手から月菜を奪ったのは目尻を吊り上げた眞尋だった。
 まるで野良犬を追い払うかのように手首を振って穂を牽制している。

(……ははぁん)

 眞尋の様子から、穂と名乗った彼女の立ち位置がなんとなく読めてくる。
 しかし、緋美佳一筋だった筈の兄の周囲が姦しくなってくるのは、喜んで良い事なのかどうか微妙なところだ。

(まさか、こっちのお姉さん達は違う……よね?)

 たった今まで脇に抱えられていたアレイツァと、その隣でにこやかに話しかけている千沙都を盗み見る。
 一見して年上と分かる千沙都はこの集団の保護者的な立場なのだと推察できたが、圭と並んで無理がある程に年齢差があるようには見えない。
 金髪をゆらめかせるアレイツァは、驚異的な身体能力と日本人離れしている外見のためか、明らかに際立った存在感を醸し出している。
 日本人の集団の中で異彩を放っているせいか、どうにも掴みどころのない人物のように思えてしまう。

「さて……」

 おもむろに切り出したのはアレイツァだった。
 聞けばこの屋敷の主である事からも、主導権を握っているのは彼女で間違いないだろう。

「マンションのあの様子だと、暫くは帰れないだろう?
 どうせ私しか住人はいないんだ。好きなだけこの屋敷を使ってくれて構わないが、お客様でいられても困るぞ?」

 視線は圭へと向けられていたが、その言葉がこの場に居る全員に対するものだというのは誰もが理解できていた。
 居座る間は家事全般を含め、身の回りの事は自分達で賄えというお達しだ。

「それじゃあ、夕飯が用意できたら呼んでくれ。色々と話すべき事もあるだろうが、その時にな」

 早々に食事当番を押し付け、アレイツァは自室へと引っ込んでしまった。
 他人と慣れ合うのを良しとしないのか、はたまた圭を相手に気まずさを覚えているのか、落ち着き払った表情からは読み取る事ができなかった。

 考えねばならない事は時間が足りない程にあるが、それでも食事は重要だ。
 アレイツァの言うように、状況整理は夕飯の後が良いのだろう。

「夕飯か…なにか手伝うか?」

 この場における唯一の男子の視線が月菜へと向けられた。
 圭の中では料理に関しては月菜が統括するものだと、早くも結論が出てしまっているようだ。
 他の皆は自宅では保護者のある身だろうし、全員分の食事の用意を期待するのは難しい注文なのかもしれない。
 そしてそれを裏付けるかのように、安堵の色を浮かべる女性陣の様子を月菜は見逃さなかった。

「お兄ちゃんの手伝いは別にいらないけど……。私、お姉ちゃん達と一緒にお料理したいな~」

 兄のクラスメイトへ期待に満ちた視線を向けると、当の本人達の表情は明らかに堅さを帯びたものへと変化する。

「わ、私はほら、お菓子専門で……」

 眞尋が慌てふためき、手を交差するように振った。
 もちろんそれは月菜だって知っている。
 自分の好みが反映されているのか、眞尋は菓子類の調理は器用にこなすのだが、料理に関しては母親がこぼす愚痴を幾度となく聞かされた覚えがある。
 きっちりとした計量を求められる菓子類が出来て、目分量で進められる料理が苦手など不思議で仕方ないが、実際に眞尋はそうなのだから仕方がない。

「え…え~っと、私は……」

 穂は可哀想なぐらいに目が泳いでいた。
 不得手など無さそうな才女に見えたのだが、やはり誰でも苦手なものは存在するという事か。

「別に、女だから料理ができなきゃダメだとは言わないけど……」

 月菜はこれみよがしに、たっぷりと重い溜息を吐いてみせた。

「…料理ができる女の子って、ポイント高いと思うのよねぇ」

 圭に聞こえないように囁いた言葉は、穂の中にある何かを確実に刺激したらしい。
 穂は先程までとは全く違う色に瞳を輝かせ始める。

「や…やるわ! きっと頑張ってみせるからっ!」

 握り拳に力が入り過ぎて小刻みに震える様は無駄に熱く、刃物で怪我などしなければいいのだけれどと、逆に月菜を心配させてしまう。

(まぁ、やる気があるのは良い事よね。料理も出来ない人にお兄ちゃんは任せられないもの)

 たとえ動機が不純であったとしても、やる気さえあれば上達はするものだ。
 月菜は手渡されていた屋敷の見取図を手に、厨房の位置を確認する。

「それじゃあ、色々と教えてあげるから頑張りましょ」

 鼻息も荒い穂を誘導するように歩を進める月菜を見て、慌てた様子で眞尋が後を追った。

「ちょっとぉ! 私もやるってばっ!」

 俄然意欲に燃えだした穂に危機感を抱いたらしく、眞尋もやる気を出してきたようだ。
 包丁を握るという点においては眞尋に一日の長があるだろうが、穂の追い上げが未知数である以上は気を抜けない時間になるだろう。
 二人の義姉あね候補の背を押すようにして、月菜はいよいよもって面白そうに微笑む。

 そんな三人の後ろ姿を見送りながら、圭は僅かに嘆息した。
 月菜はしっかり者ではあるが、同時に年相応の少女でもあるのだ。この珍しい状況を面白がって、変な悪戯心を出したりしなければ良いのだが。

「女の子の手料理か。楽しみでしょ?」

 一人残っていた千沙都が、圭の背を軽く叩いた。
 妹の料理は慣れ親しんだ日常の事なので取り立ててどうという事でもないが、眞尋と穂、二人の手料理はたしかに魅惑的な要素を色濃く含んでいる。

「ま、私の手料理はいずれ披露してあげるから。当分は何かと忙しくてね」

 先の侵蝕者戦で隊の全滅を受けての事後処理が山ほどある上に、緋美佳の件にしても捨ておく訳にはいかない。
 どこか疲れたような笑顔を残し、千沙都は三人とは違う方向へと歩いていった。
 この場に穂が居れば『逃げたわね』と呟いたに違いないが、圭が千沙都の料理の腕の程を知るのはまた別の機会である。
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