めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

057 決戦の地

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 参道の先にある退魔師養成科専用の運動場は一般的な体育授業とは異なった使い方をされ、生徒らからは『修練場』と呼ばれている。

 初めて立ち入る修練場を前に、圭は努めて平静を保とうとしていた。
 一刻も早くヒミカとの決着をつけたいという気持ちに偽りはなかったが、いざ決戦の場を前に緊張が全身を圧し包み始める。

「さぁ、始めようか」

 ヒミカは冷静そのもので、圭の緊張など歯牙にもかけてはいない。
 それとも、知った上で敢えて涼しい顔を装っているのか。

「武器を構える時間くらいはくれてやるぞ。長くは待てないがな」

 圭が手にしている桐箱を顎で指し示し、ヒミカは修練場中央に向けて雑草を踏み分けてゆく。
 修練場は一般生徒用の運動場よりも狭く、見た目は荒地そのものだった。
 所々に点在する岩は人為的に置かれたものだが、あとは自然の力に任せたばかりの荒れ放題になっている。

(ここ、本当に運動場か……?)

 言ってしまえば、最初から運動場としての体裁を整えていない広場というものだった。

「整備された土地ばかりで敵が出ると思うなよ」

 わざわざヒミカが説明をして寄越した。
 雨が降れば泥濘ぬかるみが足場を阻み、岩場があればそこに身を隠す。
 常に実戦を想定した訓練である。修練場とはよく言ったものだ。

 修練場の端の樹木に桐箱を立て掛けると、思いのほか軽量の蓋を外す。
 中から現れたのは藍染地に、錦糸による意匠を凝らした刀袋。
 思った通り、刀で間違いない。

(ん…?)

 圭が取り出した刀袋を見て、ヒミカの表情に怪訝な色が浮かんだ。
 見覚えのある刀袋は間違いなく緋美佳の持ち物だった筈だが、その中身が何であったのか思い出せずに微かな苛立ちを覚える。
 苛立ち、という感情が人間の中にある事は理解していたが、実際に自身で感じてみると言い様のないほどに気持ちが落ち着かなくなる。

 しかし、刀袋を結ぶ房紐が解かれ、黒光りする鞘が陽光に晒されるに至り、ヒミカの中に沸き上がっていた感情は氷解した。

(ふん…。ただの刀ではないか)

 桐箱もさして大きなものではなかったが、その中に収められていた刀もまた短いものだった。
 刃渡り40センチ程度の、脇差わきざしに分類される刀だ。
 退魔師に武器を握らせる事は鬼に金棒なのだが、所詮は鋼の塊、ヒミカからしてみれば恐れるに値しない武器である。
 ほんの数秒前に感じた苛立ちは、知っている筈の物に関する記憶が抜け落ちていたせいなのだが、その感情を好ましくないと判断したために刀袋の中身を知った事で心の奥底に生じていた違和感をいとも簡単に拭い去ってしまった。
 この判断が少し後に勝負の明暗を分ける事になるなど、ヒミカには気付く由もない。

(ごめんな、緋美姉。ちょっと借りるよ)

 立て掛けた桐箱の上に刀袋を置くと、祈るように鞘を握り締めた。
 鷸宮に持参するまで桐箱を開けずにおきたかったが、この状況では使わぬ訳にもいかないだろう。
 もっとも、武器を得たところでヒミカに勝てる算段も薄いのだが。

「…だからって、負けるつもりもないんだよ」

 静かに深呼吸すると、不思議と気持ちが落ち着くのが分かった。
 滑るように刀を抜き放つ。曇りひとつない刀身が降り注ぐ陽を浴びて凶悪なほどの輝きを帯びた。

 幾度となく観た時代劇では、主人公の侍が振るう厚く長い刀を羨望にも近い眼差しで眺めた事もあったが、こうして実際に手にしてみれば、脇差というのは今の圭には似つかわしいものであった。
 心地良いくらい手に馴染む重さは、激しく動き回る対侵蝕者戦に適している。
 間合いが短い分、より深く踏み込まねばならないが、過度の負担にならない重量は狙った箇所を外すような失敗も軽減される。
 この長さの刀剣による実戦経験が皆無な事は不安要素として残るが、今の圭ならばすぐに慣れるだろう。

「準備は出来たようだな」

 ヒミカは特に構えを見せなかった。
 構えずとも周囲に漂う空気の変化が、臨戦態勢に入った事を告げていた。

 修練場一面を覆う雑草がそよいだ。
 葉先の不規則な振動はもちろん風によるものではなく、ヒミカが呼び覚ました者達が姿を現わそうという予兆であり――たちまち数十にも及ぶ侵蝕者が形作られ、二人の間を阻む壁となった。

「まずは小手調べといこうか。保健室で語った、力をつけたというお前の言葉が嘘ではない事を証明してみせろ」

 圭の目線よりも高い岩に陣取ったヒミカの瞳が変質し、緑色に輝く。
 どうやら興奮状態に近付くとそういった変化が起きるようだと、落ち着いて観察している自分に気付いた圭は不敵な笑みを浮かべてみせた。

「もちろん、期待は裏切らないさ」
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