めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

059 夢か、幻か

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 それは、緋美佳が学生服を着るようになった年だった。
 それまでは毎日のように遊び相手になってもらっていた圭だったが、家の手伝いがあるからと、ぱったりと遊んでくれなくなった緋美佳。

 実家でもある鷸宮の手伝いは以前よりしていたのだが、中学に上がった事を機に本格的に退魔師の訓練を行うようになったのだ。
 当時の圭は退魔師など漫画の中だけの存在であり、学校以外は鷸宮の敷地から一歩も出ない緋美佳が何を考えているのか理解できなかった。
 遊ぼうと誘っても寂しそうに首を振るだけの緋美佳に、楽しかった日々は終わりを告げたのだと、子供ながらに悟った。


 それでも何かを期待するかのように暇さえあれば鷸宮へと入り込んでいたある日。
 その時の緋美佳の姿を圭は忘れないだろう。

 鷸宮の敷地内、本殿の陰に隠れるようにして小さな道場が建っていた。
 剣道場、柔道場として使うには手狭で、お世辞にも立派な造りとは言えなかったが。
 強いて褒める点を挙げれば、風通しが良く夏場には快適だろうという程度か。

 道場内に人の気配を感じ、覗き込んだ先に見えたものは緋美佳の姿。
 巫女装束の緋美佳は、舞の練習をしていた。
 …少なくとも、圭の目にはそう映った。
 両腕を高く差し上げ、空を掻き、跳ぶ。

 それは緋美佳が退魔師を目指す上で得ようとする体技の一つだった。
 跳んだ後も覚えなくてはいけない動作は山とある。
 しかし、最初が肝心だと言い聞かされた緋美佳は、そればかりを繰り返し練習していた。
 本格的に退魔師の訓練に取り組む事になった緋美佳だが、若輩であるがゆえに当然のように身体はできあがっていない。
 腕を差し上げてはバランスを崩し、跳んでは着地を失敗して転ぶ。
 跳んだ勢いのままに転ぶものだから、装束の下は青痣だらけだった。

 それでも緋美佳は繰り返す。
 何もかもが半人前にすら及びもしていなかったが、決断力と意志は天性のものを備え持っていた。
 それを見ていた圭は、我知らず涙を流していた。
 圭とて更に弱輩だったのだが、緋美佳の強い意志とその姿勢とを垣間見、理解したからだ。
 やはり緋美佳の動きは稚拙なものに変わりなかったが、圭は素直に『美しい』と感じていた。

 その日を境に、圭は自分も変わろうと決めた。
 後に侵蝕者の名が世に遍く知られる時も、緋美佳の家が退魔師の家系だと聞かされる時も、圭は誰よりも緋美佳の話を理解しようと努める事になる。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 しかし。

 しかし、今まさに宙に舞おうとしているヒミカの姿からは、当時の感動の欠片すら感じられない。
 歳月を追うと共に緋美佳は己の技能に磨きをかけ、武芸でありながらも舞と見紛う程に昇華させてきたのに。
 そこに在るのは滑らかな軌跡を描く身体と、純粋なまでの暴力と殺意そのものだ。
 ここで死ぬ無念さよりも、緋美佳の身体から高潔さが喪われてしまった事が何よりも悔しい。

「くそぅ……! なんでっ! なんでなんだよっ!!」

 身体を動かせないまま、圭は叫ぶ。
 戦いは終焉を迎えようとしているのに、最初の疑問に立ち戻っている。
 どうしてこんな事になってしまったのか。

(その理由…、分かっているんでしょう?)

 耳元に届く、囁くような緋美佳の声。
 戦っている最中だとは思えない落ち着いた声音は、かつての日常を思い起こさせる。

「分かっているさ、もちろん!」

 圭は認めたくないのだ。
 ここに至っても、まだ緋美佳を元に戻す方法があるのではないかと希望を抱いている。
 それを否定する事が……緋美佳が二度と戻ってこない事実を認める事が怖いのだ。
 侵蝕者と化したからといってそのまま切り捨ててしまえば、誰の記憶からも、緋美佳のかつての姿もすべて否定されてしまいそうな気がしてならないのだ。

(分かっているのなら、きちんと現実と向き合いなさい。
 死にそうになるほど辛くても、たとえ勝てないのだとしても、絶対に目を背けては駄目。
 自分が自分である事に誇りを持ちなさい)

 どうしてそこまで圭に語りかけてくるのか。
 今から殺そうという相手にそこまでする意味など、どこにもないのではないか。
 これは実際に鼓膜を打つ音なのか。それとも圭の願望が脳裏に響かせているだけなのか。
 その判断もつかないまでに、その身に負ったダメージは深い。

「緋美…姉……」

 もっと語りかけて欲しい。
 そう考えるも、ヒミカは今まさに圭に必殺の一撃を見舞うべく、宙を翔ける体勢を取り終えている。
 身体のどこにも力の入らない圭は、その攻撃を受ける以外の道がない。

(目を…、背けるな!)

 まだ耳に残っていた声を、自身で反復する。
 どこを見ていようと同じ結果を迎える事に違いはないが、それは人間として――否、圭としての矜持プライドだった。
 ちっぽけな自己満足と言われればそれまでだが、前線で戦う人間が意地を張る事を諦めれば、そこで全てが終わってしまう。

 宙を舞うヒミカの動きが、妙に遅く感じられた。
 五体満足であれば。二本の足で立っていれば。
 迫り来る攻撃をかいくぐり、渾身の一太刀を浴びせる事もできたのに。

 半ば朦朧と考える圭の前で、突如としてヒミカの身体が不自然に停止した。
 吸い込まれるようにして胸に突き立った矢に撃ち落とされるヒミカの姿を、圭は何が起きたのか分からずに茫然と眺めていた。

「――せいっ!」

 裂帛の気勢を発し、圭の耳元の空気が切り裂かれた。
 その身に突如として降り掛かった事態を理解できなかったのはヒミカも同じだったらしく、不用意に立ち上がったところに二本目の矢が襲い掛かった。

「せい――せいっ!」

 息を置く間もなく三本、四本、五本――次々に矢が放たれ、圭が瞬きを忘れている間に十本もの矢がヒミカの身体に撃ち込まれていた。
 消え入りそうな意識で判然としなかったが、ほんの数秒間の出来事だったように感じた。

 その全ての軌跡を、圭は己が放ったかのような位置から見ていたが、なんという腕前か。
 勝利を確信したヒミカに油断があったにせよ、矢を放った者の並々ならぬ技量が窺えるというものだった。

(一体、誰が……?)

 軋む首に鞭打ち、矢の放たれた後方へと視線を動かす。
 臨時休校となっている地へと足を運んだのは何者だろうか。

 まさか退魔師養成科の生徒だとは思えない。
 千沙都かアレイツァ。或いは応援要請を受けた新たな退魔師か。

 その人物が山林の暗がりから歩み出てくる。
 雑草を踏み分ける音は凪のように緩やかで、足運びの流麗さを窺わせる。
 どこかで激しい戦闘を経た直後なのだろうか。泥に塗れた白衣の両袖は存在せず、緋色だった筈の袴も重い色に染まり、光の差さない林の中では闇と同化してしまいそうだった。

 しかし。

「圭くん、よく頑張ったわね」

 服と同じく薄汚れてしまっていても、長い黒髪は圭の目には一際美しく映っていた。
 ぞろりと流れた髪が横顔を覆い隠してしまっていたが、顔が見えなくともそれが誰であるかを圭は理解した。

「後は任せて。少し休んでいて頂戴」

 話したい事は山ほどある筈なのに、その声にいざなわれるようにして、圭は闇の奥底へと意識を落としていった。
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