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はじまり
065 終結
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背後で圭が動く気配を感じた緋美佳は、対峙するヒミカから大きく距離を開けるように後退した。
一時的に圭が戦線離脱したのは構わなかったが、やはり単身でこの侵蝕者を相手に渡り合うには無理がある。
防戦一辺倒とまではいかずとも、思い切った攻撃に移る事ができなかったのもまた事実だ。
一人ではもちろんだが、二人で立ち向かったところで攻勢を維持する事がせいぜいな状況である。
核を七つも有する侵蝕者相手では、もっと人数が欲しいと思ってしまうのも致し方ないところだろう。
だが、動きだした圭からは背中越しであっても強い意志を感じ取る事ができた。
覚悟だとかそういった決死的なものではなく、期待と確信に満ちているような何か。
この僅かな時間の中で何か思い付いたのか、それとも、ザナルスィバが持つ記憶が浮かんできたのか。
「緋美姉、これを」
駆け寄った圭に手渡された物は、藍染地の刀袋。
緋美佳の私物だった筈だが、どうして圭がこの場で持っているのだろうか。
「…西校舎のだよ」
湧いた疑問と、圭が見覚えのある刀を手にしていた事と、そして西校舎という単語が合致した。
圭はこれを取りに来たところを、目の前の侵蝕者と遭遇してしまったという事だ。
しかし、ここで刀袋を受け取ってみたところで何の役に立つというのか。
布地自体に攻撃力はなく、収めるべき刀も修練場に茂る雑草のどこかに埋もれてしまっている。
怪訝に思う緋美佳だったが、布越しにその中身に触れた瞬間、大きく目を見開いた。
西校舎のロッカーに預ける物を考えた過去の自分は、このような事態を予測していた訳ではないだろう。
しかし今、その判断によって緋美佳達は救われようとしている。
「……タイミングは私が取るわ。あとは核を三つずつ。いいわね?」
圭の首肯を待たずに、ヒミカが猛然と襲い掛かってきた。
この期に及んで密談を交わす二人に業を煮やしたのか、それとも焦りにも似た感情を覚えたか。
どちらにせよ、背を見せずに向かってきてくれるのならば有り難い事だった。
手探りで探していた勝利への糸口を掴んだのだ。ここで一気に引き寄せる事ができなければ、ザナルスィバも退魔師もまとめて廃業だ。
ヒミカの進路を塞ぐように圭が飛び出すのを視界に捉え、いつもより少しだけ深く息を吸って緋美佳も地を蹴った。
圭の身体で隠された踏み込みは、ヒミカからすれば突如として眼前に緋美佳の姿が現れたように見えたろうか。
圭が大きく左後方へと飛び退いた瞬間に見えた驚愕の表情は、誰に見せても侵蝕者だとは思わないに違いない。
しかし、それもこれで終わる。自らの手で終わらせるのだ。
「――くらいなさい!」
手甲の陰に隠された二つのボタンを、渾身の力で押し潰す。
そうまでしなければ発動しない『奥の手』は装備開発部から無断で拝借してきた手甲の隠し機能であり、その場で説明書を流し読んだだけの緋美佳にもどれほどの性能かは分からない。
機能は正常に作動し――左腕が炎に包まれた。
一瞬そう感じてしまう程の高熱が、手甲から発せられていた。
袖が残されていたならば、引火してもおかしくない熱量だ。
『死ぬほど熱くても、気合いで耐えろ!!』
赤のサインペンで説明書に直書きされた一文が脳裏をよぎる。
最新技術を組み込んだ道具に、開発者は大袈裟なまでの誇張を組み込みたがるものだ。
誰もいない部室で失笑を漏らしそうになった緋美佳だったが、どうやらその言葉には一片の嘘も混じってはいなかったらしい。
震える左腕を無理矢理に抑え込んだと同時に、左腕が爆裂音を発した。
ロケットパンチと装備開発部で仮称されたその機能は、高熱を伴って手甲外殻装甲を高速で射出する。
試作段階のために使用者への負担を度外視した設計だったが、それだけに威力は想像以上のものだった。
まさにロケットの如き爆発的な推進力は、次の瞬間には手甲を森の奥へと消していた。
そして、手甲が残した一筋の白い軌跡。
その軌跡に牽引されるように、腹に穴を開けられたヒミカが宙に浮いていた。
予期せぬ一撃を受けた上、その攻撃で核を砕かれたヒミカは驚愕の表情のまま固まっている。
雑草の生い茂る修練場にありながらも、浮き上がったその全身はどこからでも丸見えだ。
「圭くんっ!」
声を掛けられるまでもなく、圭は動いていた。
ヒミカの目から隠すようにしていた物を取り出すと、矢継ぎ早に投擲する。
それは三本の鍼。釼穿鍼と呼ばれる、武器としての鍼だった。
見た目は20センチほどの竹串だが、硬く柔軟な釼穿鍼は甲高い口笛のような風切音を残しながらヒミカへと到達する。
右手首、左脛、左眼。核を一つ破壊された影響により動きが止まった他の核に釼穿鍼を命中させるのは、今の圭には難しい事ではなかった。
「く…ああああっ!!」
渾身の力を込めて叫ぶヒミカに、次いで緋美佳の投じた釼穿鍼が突き刺さる。
右大腿、左肘。
(……?)
最後の釼穿鍼が投擲されず、圭は何事かと訝しんだ。
まさか緋美佳がこのような大事な場面でしくじるなど。
弾かれたように振り向くと、雑草の中に埋もれるように緋美佳が倒れ込んでいた。
命の危機を感じたヒミカが必死に放った飛礫に、左脚を貫かれたのだ。
圭の目にも捉えきれなかった攻撃に軸足を刈られたのだ。
仮に予測できていた一撃だとしても、耐えられるものではなかっただろう。
だが、今は泣き言を口にする暇はない。
破壊した核が回復してしまうまでに残された猶予は三秒か、二秒か、それとも一秒か。
「け、圭…っ」
歯を食いしばりながら呻く緋美佳へと、圭は駆けていた。
緋美佳の手から、最後の釼穿鍼は取りこぼされてしまっている。
倒れ伏した体勢から見ても、それは手の届かない位置へと転がってしまっただろう。
繁る雑草の中から細い鍼を探し出して投擲するなど、とてもではないが現実的ではない。
だが、何もしないまま立ち尽くしてみたところで、ヒミカが確実に回復するのを呆然と眺めるだけに終わってしまう。
残された時間がほんの数秒であっても、可能性が潰えた訳ではない。こうして動いている限りは。
そして、神頼みにすら思えた状況は一縷の望みへと転じる。
緋美佳が這いながらも必死に伸ばそうとする腕の先。
釼穿鍼が転がった先だとは思えない方向を示しているのが不思議だったが、それが逆に圭を導く形となっていた。
そこにあったものは、希望。
今の二人に残された最後の牙。
雑草に囲まれて姿を隠していた刀がそこにあった。
圭が夢の世界を漂っている間に緋美佳が振るい、その手から叩き落とされたままになっていた一振り。
「う――おおおおおっ!!」
圭が吼えた。
刀を拾い上げるなどと、悠長な事はしていられなかった。
駆け抜けるように踏み込んだ勢いのまま、柄頭を蹴り出す。
硬い靴革に護られていた親指の爪が割れたが、そのまま蹴り抜いた。
念じるかのように見送る圭から猛烈な速度で遠ざかる刀は、触れる雑草を見境なく撫で斬り、黒髪の侵蝕者へと迫る。
「おのれ――おのれえええっ!!」
自らの末路を悟ったヒミカは絶叫したが、それによって未来が変わる事はなかった。
土を削る控え目な音を残し、刀は喉元へと突き立つ。
最後の核が破壊された静かな音を、その体内に響かせて。
一時的に圭が戦線離脱したのは構わなかったが、やはり単身でこの侵蝕者を相手に渡り合うには無理がある。
防戦一辺倒とまではいかずとも、思い切った攻撃に移る事ができなかったのもまた事実だ。
一人ではもちろんだが、二人で立ち向かったところで攻勢を維持する事がせいぜいな状況である。
核を七つも有する侵蝕者相手では、もっと人数が欲しいと思ってしまうのも致し方ないところだろう。
だが、動きだした圭からは背中越しであっても強い意志を感じ取る事ができた。
覚悟だとかそういった決死的なものではなく、期待と確信に満ちているような何か。
この僅かな時間の中で何か思い付いたのか、それとも、ザナルスィバが持つ記憶が浮かんできたのか。
「緋美姉、これを」
駆け寄った圭に手渡された物は、藍染地の刀袋。
緋美佳の私物だった筈だが、どうして圭がこの場で持っているのだろうか。
「…西校舎のだよ」
湧いた疑問と、圭が見覚えのある刀を手にしていた事と、そして西校舎という単語が合致した。
圭はこれを取りに来たところを、目の前の侵蝕者と遭遇してしまったという事だ。
しかし、ここで刀袋を受け取ってみたところで何の役に立つというのか。
布地自体に攻撃力はなく、収めるべき刀も修練場に茂る雑草のどこかに埋もれてしまっている。
怪訝に思う緋美佳だったが、布越しにその中身に触れた瞬間、大きく目を見開いた。
西校舎のロッカーに預ける物を考えた過去の自分は、このような事態を予測していた訳ではないだろう。
しかし今、その判断によって緋美佳達は救われようとしている。
「……タイミングは私が取るわ。あとは核を三つずつ。いいわね?」
圭の首肯を待たずに、ヒミカが猛然と襲い掛かってきた。
この期に及んで密談を交わす二人に業を煮やしたのか、それとも焦りにも似た感情を覚えたか。
どちらにせよ、背を見せずに向かってきてくれるのならば有り難い事だった。
手探りで探していた勝利への糸口を掴んだのだ。ここで一気に引き寄せる事ができなければ、ザナルスィバも退魔師もまとめて廃業だ。
ヒミカの進路を塞ぐように圭が飛び出すのを視界に捉え、いつもより少しだけ深く息を吸って緋美佳も地を蹴った。
圭の身体で隠された踏み込みは、ヒミカからすれば突如として眼前に緋美佳の姿が現れたように見えたろうか。
圭が大きく左後方へと飛び退いた瞬間に見えた驚愕の表情は、誰に見せても侵蝕者だとは思わないに違いない。
しかし、それもこれで終わる。自らの手で終わらせるのだ。
「――くらいなさい!」
手甲の陰に隠された二つのボタンを、渾身の力で押し潰す。
そうまでしなければ発動しない『奥の手』は装備開発部から無断で拝借してきた手甲の隠し機能であり、その場で説明書を流し読んだだけの緋美佳にもどれほどの性能かは分からない。
機能は正常に作動し――左腕が炎に包まれた。
一瞬そう感じてしまう程の高熱が、手甲から発せられていた。
袖が残されていたならば、引火してもおかしくない熱量だ。
『死ぬほど熱くても、気合いで耐えろ!!』
赤のサインペンで説明書に直書きされた一文が脳裏をよぎる。
最新技術を組み込んだ道具に、開発者は大袈裟なまでの誇張を組み込みたがるものだ。
誰もいない部室で失笑を漏らしそうになった緋美佳だったが、どうやらその言葉には一片の嘘も混じってはいなかったらしい。
震える左腕を無理矢理に抑え込んだと同時に、左腕が爆裂音を発した。
ロケットパンチと装備開発部で仮称されたその機能は、高熱を伴って手甲外殻装甲を高速で射出する。
試作段階のために使用者への負担を度外視した設計だったが、それだけに威力は想像以上のものだった。
まさにロケットの如き爆発的な推進力は、次の瞬間には手甲を森の奥へと消していた。
そして、手甲が残した一筋の白い軌跡。
その軌跡に牽引されるように、腹に穴を開けられたヒミカが宙に浮いていた。
予期せぬ一撃を受けた上、その攻撃で核を砕かれたヒミカは驚愕の表情のまま固まっている。
雑草の生い茂る修練場にありながらも、浮き上がったその全身はどこからでも丸見えだ。
「圭くんっ!」
声を掛けられるまでもなく、圭は動いていた。
ヒミカの目から隠すようにしていた物を取り出すと、矢継ぎ早に投擲する。
それは三本の鍼。釼穿鍼と呼ばれる、武器としての鍼だった。
見た目は20センチほどの竹串だが、硬く柔軟な釼穿鍼は甲高い口笛のような風切音を残しながらヒミカへと到達する。
右手首、左脛、左眼。核を一つ破壊された影響により動きが止まった他の核に釼穿鍼を命中させるのは、今の圭には難しい事ではなかった。
「く…ああああっ!!」
渾身の力を込めて叫ぶヒミカに、次いで緋美佳の投じた釼穿鍼が突き刺さる。
右大腿、左肘。
(……?)
最後の釼穿鍼が投擲されず、圭は何事かと訝しんだ。
まさか緋美佳がこのような大事な場面でしくじるなど。
弾かれたように振り向くと、雑草の中に埋もれるように緋美佳が倒れ込んでいた。
命の危機を感じたヒミカが必死に放った飛礫に、左脚を貫かれたのだ。
圭の目にも捉えきれなかった攻撃に軸足を刈られたのだ。
仮に予測できていた一撃だとしても、耐えられるものではなかっただろう。
だが、今は泣き言を口にする暇はない。
破壊した核が回復してしまうまでに残された猶予は三秒か、二秒か、それとも一秒か。
「け、圭…っ」
歯を食いしばりながら呻く緋美佳へと、圭は駆けていた。
緋美佳の手から、最後の釼穿鍼は取りこぼされてしまっている。
倒れ伏した体勢から見ても、それは手の届かない位置へと転がってしまっただろう。
繁る雑草の中から細い鍼を探し出して投擲するなど、とてもではないが現実的ではない。
だが、何もしないまま立ち尽くしてみたところで、ヒミカが確実に回復するのを呆然と眺めるだけに終わってしまう。
残された時間がほんの数秒であっても、可能性が潰えた訳ではない。こうして動いている限りは。
そして、神頼みにすら思えた状況は一縷の望みへと転じる。
緋美佳が這いながらも必死に伸ばそうとする腕の先。
釼穿鍼が転がった先だとは思えない方向を示しているのが不思議だったが、それが逆に圭を導く形となっていた。
そこにあったものは、希望。
今の二人に残された最後の牙。
雑草に囲まれて姿を隠していた刀がそこにあった。
圭が夢の世界を漂っている間に緋美佳が振るい、その手から叩き落とされたままになっていた一振り。
「う――おおおおおっ!!」
圭が吼えた。
刀を拾い上げるなどと、悠長な事はしていられなかった。
駆け抜けるように踏み込んだ勢いのまま、柄頭を蹴り出す。
硬い靴革に護られていた親指の爪が割れたが、そのまま蹴り抜いた。
念じるかのように見送る圭から猛烈な速度で遠ざかる刀は、触れる雑草を見境なく撫で斬り、黒髪の侵蝕者へと迫る。
「おのれ――おのれえええっ!!」
自らの末路を悟ったヒミカは絶叫したが、それによって未来が変わる事はなかった。
土を削る控え目な音を残し、刀は喉元へと突き立つ。
最後の核が破壊された静かな音を、その体内に響かせて。
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