めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

066 大団円……のはずが

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『ぎぃ――があああああっ!!』

 ヒミカの断末魔が、修練場を取り囲む山林の葉を揺らした。
 指先と爪先が変色し、崩れ、砂となり、果ては粒子となって大気の中へと溶け込んでゆく。
 四肢、腰、胴へとその連鎖は続き、もはや何者にも止める事は叶わなかった。

 幾多の光を煌めかせる光景は、ともすれば美しく、絶大な力を有した侵蝕者の消滅と二人の若き退魔師の勝利を祝う輝きとなった。
 胸部までも消失し、首だけとなった侵蝕者は修練場の敷地を越え、山林の奥に広がる暗がりへと消えていった。

「お…お兄ちゃ~ん……」

 修練場の大半を覆っていた侵蝕者の群れも崩れ去り、その土砂に囲まれるように月菜達が姿を見せたが、誰もが腰を抜かし動けるような状態ではなかった。
 強力な侵蝕者を討伐した二人も満身創痍で、お互いに向かい合うように座り込んでいた。
 貫通する傷を負った左脚を庇うように足を崩して座る緋美佳に対し、圭はなぜか正座で向き合っていた。
 全身は打撲や擦り傷でいっぱいだったが、緋美佳にこれ以上みっともない姿を晒す事が嫌で、半ば意地で背筋を伸ばしている。

「緋美姉…!」

 何時の間にか解けてしまっていた包帯が緋美佳の左目を露わにしており、正面から目の当たりにした圭は息を呑んだ。
 額から左目を通り耳へと抜ける形に刻まれた傷は薄皮に覆われてこそいたが、明らかに光を宿していない眼球がなんとも痛々しい。

「あ……」

 広範囲に及ぶ傷が外気に晒されている事に気付き、緋美佳は恥ずかしそうに頭を振ると長い髪で顔半分を覆い隠した。

「その傷……」

 圭は何と言って良いのか分からず、言葉に詰まった。
 退魔師という立場にあれば怪我どころか命の保証すら無いのは当然だが、うら若い女性が負うにはあまりに酷い傷ではないか。
 左腕に負ったばかりの火傷も含め、その全身は圭以上に深い傷が刻まれている。

「大丈夫。腕のいいお医者様を知っているから、視力は戻ると思うの。ただ、これだけの傷はちょっと残っちゃうかもね」

 傷自体は本当に些細な事だと考えていた緋美佳だったが、改めて口にしてみると絶望にも近い感情が圧し掛かってくるのを感じずにはいられない。

「…これだと、お婿さんの来手がないかもしれないけどね」

 力ない失笑が漏れた。
 鷸宮を継ぐ役目がある上、いつ死を迎えるとも知れぬ身ではあったが、やはり人並みに結婚への憧れというものを持っている緋美佳である。
 ただでさえ条件の厳しい立場であるのに、醜い傷を顔に負っているとなれば、相手の選り好みなどできるものではないだろう。

「だったら、俺が……!」

 反射的に緋美佳の手を取った圭だったが、途中で口をつぐむと苦そうな表情で視線を逸らしてしまう。
 かつて緋美佳の前から逃げ出してしまった記憶が蘇ったからだ。
 それに、憂い顔につけ込むようなこの状況はおよそ男らしくなく、圭の好みではない。

「圭…くん?」

 その一方で、圭が突然に顔を背けた事が不思議でならないといった表情の緋美佳。
 しかし、暫しの黙考の末に思い当たる出来事が脳裏に閃いた。

「もしかして、去年の事……?」

 おそるおそるといった感じで口にした言葉に圭の身体が小さく震え、それが如実に肯定の意を示していた。
 得心のいった緋美佳は、離れようとする圭の手を握り返す。

「……あれはね、違うの。別に圭くんを拒絶した訳ではないのよ」

 その言葉の意味を理解するために数秒を要したが、それでも圭の表情からは懐疑的な色が拭いきれなかった。
 一年間もそうだと思い込んできたのだから無理もない。

「普通の女の子とは色々と違う立場だから、なにかと迷惑を掛けちゃうだろうし……。
 それに、神社の敷地拡張の件で圭くんのご両親には嫌われているから、その…将来の事とか色々と考えちゃって……」

 結婚。
 将来的にはそういった具体的な話にも至るのだろうが、圭はそこまで考えてはいなかった。
 そういった心構えの相違が、圭の失恋劇という思い込みを生んでしまったのだ。
 告白の際、ストレートに言わなければ通じないと考えた圭だったが、それはそのまま圭自身にも当て嵌まっていた。

「そ、そんな事は別に緋美姉が気にする事じゃ……!」

 もちろん、緋美佳とならばそういった具体的な話も望むところだ。
 ザナルスィバとなった今ならば退魔師として緋美佳の支えにもなれるし、両親の説得だって苦労のうちには入らない。

「……でも」

 不意に緋美佳の瞳が揺らぎ、何事かと圭の心音が乱れる。

「今は眞尋ちゃんや穂さんだって居るし、彼女たちの方が圭くんとはお似合いかも……」

 気弱そうに呟き、視線が地に落ち込んだ。
 退魔師業を最優先に生きてきた緋美佳は、同年代の趣味嗜好を知らない。
 どういった場所で遊ぶのか、何を話題に笑い合っているのか、自分達の将来をどう捉えているのか。

 緋美佳は退魔師としては一流であっても、そこから離れた時に自身を際立たせるものは何一つとして持ち得ていないのである。
 その点からすれば眞尋や穂の方がはるかに圭に近しく、誰が見ても緋美佳よりも釣り合いのとれるパートナーとなるだろう。
 圭が好意を抱いてくれていると知った時は嬉しさも大きかったものだが、それは幼少よりの体験が大きかったのではないだろうかと考えるようになっていた緋美佳である。

 物心ついた時、身近な異性に憧れを抱くというのは珍しい事ではない。
 そんな考えがいつしか奥底に根付いていた事もあり、圭が自分の前から逃げ出してしまった後もその誤解を改めて正そうとはしなかったのだ。

「ま、待ってくれ、緋美姉」

 触れていた手を強く握り直し、圭は緋美佳の視線を自分へと向けさせた。

「周りの事はどうでもいい。緋美姉は、俺の事、どう思ってるんだ。緋美姉の口から、直接聞きたい」

 今が正念場なのだと、圭は感じ取っていた。
 ここで去年のように居た堪れなくなって逃げ出してしまえば、今度こそ次は無い。
 どれだけ恥ずかしくても、目を逸らしたりしてはならない。

「わ、私は……」

 耳まで紅潮させながらも、緋美佳は圭と視線を絡ませる。

(緋美姉、こんな顔もするんだ……)

 幼い頃はともかく、凛々しい表情ばかりが記憶を占める圭からしてみれば、こうして頬を染める緋美佳は想像すらしていなかった。
 それどころか、圭以外の誰であってもこんな表情は知らないだろう。
 目の前に頼りなさげに座っているのは年相応の少女である。そう思うだけでも胸の鼓動が急激に高まるのを感じていた。

 そして緋美佳もまたこの状況に心動かされていた。
 ゆっくりと、怖じるように震えた声だったが、確かな意志を持って言葉が紡ぎ出される。

「…私は、圭くんの事が――」

 緊張に包まれた圭の喉が鳴った。
 視線は儚げに動く薄い唇から離せなかったが、視界の隅で何かが光るのを感じた。

(…何だ?)

 その疑問を深く考察するよりも先に身体が動いていた。
 緋美佳の両肩に手をかけ、強引に引き寄せ押し倒す。
 その上に自らの身体を重ねようとしたが、そこまでの時間はなかった。
 突然の行為に緋美佳は目を丸くしたが、その驚きの表情はすぐに青ざめたものへと塗り替えられる事になる。

 穏やかだった青空に、乾いた炸裂音が響き渡った。
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