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3章:それぞれのテイマーの道

【こぼれ話 side.リンス】不愛想な弁護士さん

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 ――……最悪だ。

 私は今、絶望のただなかに居る。先日、疎遠になっていた旧友と和解し、その旧友の可愛いお弟子さんともお話が出来てとても良い気分だったのに、今の私は大変気分が悪い。恐らく今の私は20歳ぐらい老け込んでいると思う……見た目ではなく精神的にね!

「きっと大丈夫だよ。今回、咲江に悪い所なんて何にも無いんだし、あんな言い掛かりが通るとは思えない」
「そこは心配してないのよ。もしこれで私が悪いってことになったら、そんなの法律の方が間違ってるもの」

 それは昨日の夕暮れのことだった。電車で自宅へと帰宅している途中、突然私は老人に激高されたのだ。
 その老人が激高していた理由、それは私が優先席に座っていたことだった。「俺が立っているのに、若いのが座っているのはおかしいと思わんのか!」といきなり説教をかましてきた。だが待ってほしい、私のお腹は見るからに大きく、そして優先席とは高齢者だけの優先席ではなく妊婦も優先されるのだ。

 その後はよく分からないレベルで喚き散らす老人に恐怖を覚え、この人には関わらない方がいいとすぐに席を立った。けれど、話はそこで終わらなかった。近くに居た学生達が近づいて来て、その老人を窘めたのだ。なんと勇気のある学生達。私ならこんな危険人物と関わろうとは思えない。
 老人は更に激高し、学生達以外にも周りの人が助けに入り、老人は完全に孤立して多くの者から奇異の目で見られることとなった。

 それでこの老人が観念して改心すれば終わった話なのだが、この老害は更に話をややこしくして来やがった。なんと、皆を先導して善良な老人を責め立て精神的暴力を与えたとして、私を訴えると言い出したのだ。
 駅で停まると駅員さんがすぐにやってきて老人を確保し、当事者の私とその周りの助けてくれた方々に事情聴取を行った。駅員さんは全面的に私を支持して老人を諫めてくれたのだが、私を訴えるという老人の意志は変わらなかったようで、今現在とても面倒臭いことになっている。

「今日相談する弁護士さんは、うちの会社がごたついていた時にお世話になった人で、凄く優秀な人なんだよ。……凄く不愛想でちょっと怖い人だけどね」
「へぇ、でも本当に良かったわ。私、弁護士に相談するのなんて今回が初めてだったし、誰にどう依頼すればいいのか全然分からなかったから……」

 普通の生活を送っていて、弁護士に相談することなど早々ないだろう。そう思っていた私がこんな面倒くさい事になるなんて夢にも思わなかった。
 夫(厳密にはあと2週間ほどで)に一連の出来事を話した所、以前お世話になったという弁護士に相談してみようと言う話になり、今日はその弁護士さんの個人事務所へと訪れていた。

「お待たせしました。大体の話はすでに伺っておりますので、今日は過去の事例等の話とこれからの対応についての話をして行きたいと思います」

 事務所の待合室で弁護士さんが来るのを待っていると、そこへ1人の女性が入って来た。その人は女性にしては少し長身で、スラっとしたモデルのような体形だった。しかも顔はとても美人で、これで弁護士というのだから天は選ばれし者に二物も三物も与えるのだと確信を持てる。……私にも1つぐらい分けて欲しい。

 弁護士さんは持っていた資料を広げ、過去の事例の話や今回の状況について簡潔に説明してくれた。その説明はとても分かりやすく、今回の訴えに対してなんの不安も持たなくて良いことがすぐに分かった。けれど、その弁護士さんの声色はとても冷たく一定で、話を聞いていると何だかどんどん息苦しくなっていく気がする。

 ――でも、何だかこの声にすっごい聞き覚えがあるんだよねぇ……。

 不意に見せる仕草、考え事をしている時の眉間のシワ。すっごく、すっごく見覚えがある気がする。
 話が一段落し、出されたコーヒーを飲みながらブレイクタイムをとっている時、私はちょっとその弁護士さんに話を振ってみることにした。

「そう言えば弁護士さんはご結婚されているんですか?」
「いえ、私は結婚に全く興味がありませんので、今後も結婚は考えていませんね」
「そうなんですね。でも最近はそういう方も多いですしね。……私の友人にも1人居ますよ。結婚は全く考えてなくて、その変わりに沢山のペットに囲まれた生活を送っている人が」
「それは羨ましいですね。私は今住んでいるマンションがペット不可なんですよ。それに急な仕事で家に帰れない事もありますので、ペットの事を考えるとどうしても飼えないんですよね」

 そう言ってその弁護士さんは困ったように苦笑をした。その話も昔聞いたことがる。と言うか、ほぼ確定だろう。
 私は必至に笑いを堪えて、弁護士さんと今後のことについて話し合った。そしてある程度話もまとまり、帰り際に弁護士さんへ一言物申すことにした。

「ロコ、いくらゲームの中が楽しいからって、現実でそんなつまらなそうな顔ばかりしてちゃ駄目だよ?」
「えっ? ……ち、ちょっと待つのじゃ!?」

 私はそんな弁護士さんの静止を聞くことなく、悠然と帰路についた。
 どうやら私はリアルの親友が1人増えたようだ。けれど、あんな顔ばかりして生活しているなんて許せない。私がこっちの世界での楽しみ方をレクチャーしてやろう。
 そんな事を考えながら帰る私の中では、先ほどまであった最悪の気分など綺麗さっぱり吹き飛んでいた。
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