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1. まだ平和だった頃
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爽やかな秋の風。雲ひとつない青空。
誰にも邪魔されることない学校の屋上で、志方天翔は寝転びながら秋を感じていた。
気怠くなる夏のじめじめとした暑さが終わり、家から出たくなくなる冬の厳しい寒さはまだ来ない。夏と冬の間、秋こそがもっともよい季節であると天翔は思っている。特に何かをするわけではないが、何かをするには絶好の季節だ。
しかし、現実では、放課後に空を眺めて時間を潰している。この時間に何か新しいこと、自分のためになることをすればよいとは思うものの、実行には移せなかった。そう、やる気が出ないのだ。秋の風を浴びていると、このまま眠ってしまいたくなる。
何か、面白いことでも起きればいいのに。
天翔は心の中でそう呟いた。もう何度目かもわからない。何か、自分の人生を左右するような大事件が起これば、こうして暇を潰すこともなくなるだろうに。
屋上の金属扉がきいいと音を立てて開く。誰か来たようだった。屋上は本来立ち入り禁止なので、ここにいることが教師に知られると問題である。天翔は身体を起こし、来訪者のほうを見た。
来訪者は、肩にかかる焦茶色の髪を風に揺らしながら、天翔のほうに駆けてくる。天翔は来訪者を視認すると、またその場に寝転んだ。教師でも、愛の告白をしに来た生徒でもなく、天翔がよく知っている学生だった。
「てんちゃん、こんなところにいたんだ。探したよぉ」
来訪者、美田原悠未は文句をつけるように言った。それから寝転んでいる天翔の腕を引っ張り、強引に起き上がらせようとする。やむなく、天翔は半身を起き上がらせた。
「なんだよ」
「宿題教えて。数学の宿題が全然わかんないの」
悠未はこの高校の一年生である。三年生である天翔からすれば、一年生の数学なら問題なく解くことができる。これまでもこうして悠未に頼られることは幾度となくあった。
二人はいわゆる幼馴染である。家は隣同士、幼い頃からずっと一緒に生活してきた。さすがに高校になったら離れるかと天翔は思っていたが、悠未が同じ高校に進学することを選択した。だから、二人の関係はいまだに続いている。悠未は兄のように天翔を慕っていた。天翔も、悠未を無下に扱うことはしなかった。
悠未はまだ天翔の腕を引き、立ち上がらせることに成功する。ぼんやりと空を眺める時間を邪魔された天翔は、面倒臭いという感情を前面に押し出して、言った。
「友達に聞けよ。誰かいるだろ」
「いいじゃん、てんちゃんの復習にもなるでしょ? ほら、早く帰ろ?」
「わかったよ、わかったから引っ張るな」
いつもこうやって悠未のペースに乗せられるのだ。天翔は置いてあったボストンバッグを引っ掛けながら、悠未に聞こえないように溜息を吐いた。
上機嫌の悠未に連れられて屋上を後にして、二人並んで階段を下りていく。並ぶと悠未の背の低さが際立つ。天翔は平均的な身長だが、それでも悠未とは頭一つ分の差がある。その小ささも相まって、悠未は高校一年生というよりはまだ中学生のように見えた。中身も、高校一年生というには少し幼い面があった。
「てんちゃん、受験勉強はしないの?」
悠未は耳が痛い話を振ってくる。天翔は悠未のほうを見ないで答えた。
「してるよ。お前が見てねえだけ」
「そうなんだ。どこ狙ってるの?」
「内緒」
「ええ、なんでー? 教えてよぉ、わたしも同じところ行きたい!」
「受かったら教えてやるよ。どこでもいいように勉強しとけ」
「そっか。すっごくいいところでも入れるようにしとかないとね。てんちゃん成績いいんだし、わたしは頑張らないとね」
悠未は自分に言い聞かせるように言った。天翔は何も言わなかった。
天翔の志望校は内緒なのではない。決まっていないのだ。高校三年生の秋になっても、自分は何がしたいのか、どの大学に行きたいのか、全くわからなかった。夢もなければ、やりたいこともない。ただ生きていければそれでよい。そもそも大学に行きたいとも思っておらず、親との衝突を避けるために大学に行こうとしていた。模試の志望校は適当に、家から通える範囲にある低すぎない大学の名前を書いていた。天翔の成績がよいことも、志望校の選択を難しくしている一因だった。
だからこそ、自分の人生を揺り動かすような大事件を待ち望んでいた。そんなものが起これば、きっと自分にもやりたいことが見つかるだろうと信じていた。
悠未と並んで歩き、校舎から出る。再び秋の心地よい風に包まれる。季節が巡るように、何もしなくても進路が決まればいいのに。天翔はそう思った。最近は考えるのも面倒になってきていた。
門から出たところで、悠未が目の前の虫を手で追い払うような仕草を見せた。
「なんだよ。蚊か?」
「んん、違うの。最近さあ、キラキラしたものが見えるんだよね」
「は?」
悠未が何を言いたいのかわからず、天翔は聞き返した。悠未は同じことを繰り返した。
「キラキラしたものが見えるの。世界が光ってる感じ」
「眼科行けよ。何かの病気じゃねえの」
「うぅん、そうなのかなあ」
あまり気が乗らないような返事だった。天翔も無理に勧めることはしなかった。どうせ大したことはない、一過性の症状だと思っていた。
悠未は少し黙ったかと思うと、ぱっと顔を輝かせながら言った。
「ねえねえ、余命一か月とか言われたらどうしよう?」
「はあ? 言われねえよ」
天翔が一蹴しても、悠未の昂りは治まらなかった。大きな黒瞳を煌めかせて天翔を見上げてくる。
「わかんないじゃん。てんちゃん、わたしが余命一か月になったらどうする?」
「何だよ急に。ならねえだろ」
「なったら。仮定の話じゃん。ねえ、どうする?」
天翔は目を細めた。そんな有り得ない仮定の話に乗る気はなかった。
「ドラマと漫画の見すぎだろ。そんなこと起こるわけねえ」
「でもでも、ドラマも漫画も実話をもとにしてるんだよ? じゃあわたしが急に余命一か月になることもあるってことだよ!」
「ねえよ。現実を見ろ」
天翔がばっさりと切り捨てると、悠未は不満そうに言い返した。
「つまんないなあ。ほら、このキラキラが頭の病気の予兆でさ、検査したら大変な病気が見つかりました、とかかもしれないじゃん?」
「じゃあ病院行けよ。おじさんもおばさんも心配してくれるだろ」
「そうだよねえ。お父さんたちに心配されたくないんだよなあ」
悠未はうぅんと唸る。その悩ましい気持ちは天翔にも理解できた。
悠未の家庭はごく普通の家庭で、両親と悠未の三人暮らしだ。両親は共働きで、日中は家にいないが、夕方過ぎには帰ってくる。朝食と夕食は家族揃って食べるのが日課だという。
そんな幸せな家庭の一人娘が病気かもしれないとなったら、両親はさぞ心配することだろう。天翔が軽く考えているような症状でも、重大な病の前触れかもしれないと恐れる可能性はある。少なくとも天翔が知っている限りでは、今の悠未の症状を聞いたら、悠未の両親なら心配して受診を勧めることだろう。
一方で、天翔の両親は家にいない。朝も夜も、天翔は独りである。仕事が忙しいという理由で、両親はともに滅多に家に帰ってこない。その理由が建前で、両親がどちらも不倫しているということを知ったのは、天翔が中学三年生の頃だ。それ以来、自分は二人にとって大きな荷物なのだと思っている。捨てることもできず、相手に押し付けることもできない、重い足枷なのだと。
天翔は大きな反抗心と、僅かな希望を持って、高校一年生で髪を染めてピアスを開けた。いわゆる不良になれば、両親のどちらかは反応してくれるのではないか。普通の学生生活を送るように注意してくるのではないか。
そんな期待は一瞬で破り捨てられた。不良になった天翔を見ても、たった一瞥をくれただけで、両親は何の興味も示さなかった。それは、天翔を打ちのめすには充分だった。
そんな両親でも進学先には口を挟んできて、天翔は驚いた。しかし、天翔のためを思っているのではなく、自分のためだと気づいた。一人暮らしだと金がかかるから、実家から通える範囲にしてほしい。暗にそう言われた時、自分の将来に興味なんてないのだと思い知った。
両親にとって自分はどうでもよい存在なのだ。犯罪に手を染めなければよいのだ。そう思うと、進学先を決めるのも億劫になってくる。そうして出来上がったのが、今の天翔だ。
天翔にとっては、隣に住む悠未の家庭は眩しく映った。ああいうふうに暮らしたいと思ったことは何度もあった。最近はそう思うことすらなくなった。現実を受け入れたのだ。悠未のような家庭は自分の手には入らないのだという現実を。
悠未は天翔の家庭環境を知らない。だから天翔が髪を染めた時は驚いたが、すぐに受け入れた。しかし悠未の両親はよく思っていないようで、度々苦言を呈されているらしい。悠未は全く気にしていないようだが。
「ねえてんちゃん、お父さんたちに内緒で病院行けないかな?」
「無理だろ。行きたいなら相談しろよ」
「だよねえ。じゃあ行かなくていいかな、困ってないし。世界がキラキラしてて、イルミネーションみたいで綺麗なんだよ」
天翔には悠未が見ている世界のイメージが湧かなかった。きらきら光っているのなら、目がチカチカして鬱陶しく思えるのではないだろうかと思う。だが、悠未はこの変化を楽しんでいるようだった。
大通りを抜けて、静かな住宅街に入る。一羽の烏がじっとこちらを見つめている。縄張りなのだろうか。それとも、生ゴミを漁ろうとして周囲を確認しているのだろうか。天翔が烏を見ていると、やがて烏は飛び去っていった。
悠未も黙ったまま烏を目で追いかけていた。その表情が気になって、天翔は口を開いた。
「どうした」
悠未ははっとしたように天翔のほうを見て、笑った。
「おっきな烏だったなあと思って。てんちゃん、見た?」
「ああ、まあ」
そんなに大きかっただろうか。天翔はそう思ったが、特に追及しなかった。烏の大きさなど他愛ないことだ。
「ねえ、てんちゃんのお家で勉強してもいい?」
「いいけど、お前はいいのか? おじさんやおばさんに文句言われるぞ」
「お母さんが帰ってくる前に帰れば大丈夫。バレたらちょっと、うるさいけど」
「ああ、そう。お前がいいなら」
「いいの? やったあ」
天翔が承諾すると、悠未の表情が明るくなる。
別にどこで勉強したって同じだと天翔は思うのだが、悠未はそうではないようだった。何かと天翔の家に来たがるのだ。勉強なら学校でやればいいのに、なぜかわざわざ天翔の家でやろうとする。まるで天翔の家が特別な場所であるかのようだった。
こんな関係もいつまで続くだろうか。自分が大学に進学したら、これまでのようにはいかないだろう。離れて過ごす時間が多くなったら、悠未も新しい誰かを見つけることだろう。中学から高校に進学する時は変わらなかったが、今度はきっと、変わってしまうだろう。
「てんちゃん、どうしたの? ぼんやりしちゃって」
悠未に言われて、意識が現実に引き戻される。天翔は小さく首を振った。
「別に」
「あっ、家からジュース持ってくね」
「勉強するんだったよな?」
「するよお。でもジュースは必須でしょ?」
勉強とジュースの繋がりがわからず、天翔は首を傾げるしかなかった。
こんな平和な時間が続くのはあと少しだと知っていたら、もっと違うことをしたのに。
誰にも邪魔されることない学校の屋上で、志方天翔は寝転びながら秋を感じていた。
気怠くなる夏のじめじめとした暑さが終わり、家から出たくなくなる冬の厳しい寒さはまだ来ない。夏と冬の間、秋こそがもっともよい季節であると天翔は思っている。特に何かをするわけではないが、何かをするには絶好の季節だ。
しかし、現実では、放課後に空を眺めて時間を潰している。この時間に何か新しいこと、自分のためになることをすればよいとは思うものの、実行には移せなかった。そう、やる気が出ないのだ。秋の風を浴びていると、このまま眠ってしまいたくなる。
何か、面白いことでも起きればいいのに。
天翔は心の中でそう呟いた。もう何度目かもわからない。何か、自分の人生を左右するような大事件が起これば、こうして暇を潰すこともなくなるだろうに。
屋上の金属扉がきいいと音を立てて開く。誰か来たようだった。屋上は本来立ち入り禁止なので、ここにいることが教師に知られると問題である。天翔は身体を起こし、来訪者のほうを見た。
来訪者は、肩にかかる焦茶色の髪を風に揺らしながら、天翔のほうに駆けてくる。天翔は来訪者を視認すると、またその場に寝転んだ。教師でも、愛の告白をしに来た生徒でもなく、天翔がよく知っている学生だった。
「てんちゃん、こんなところにいたんだ。探したよぉ」
来訪者、美田原悠未は文句をつけるように言った。それから寝転んでいる天翔の腕を引っ張り、強引に起き上がらせようとする。やむなく、天翔は半身を起き上がらせた。
「なんだよ」
「宿題教えて。数学の宿題が全然わかんないの」
悠未はこの高校の一年生である。三年生である天翔からすれば、一年生の数学なら問題なく解くことができる。これまでもこうして悠未に頼られることは幾度となくあった。
二人はいわゆる幼馴染である。家は隣同士、幼い頃からずっと一緒に生活してきた。さすがに高校になったら離れるかと天翔は思っていたが、悠未が同じ高校に進学することを選択した。だから、二人の関係はいまだに続いている。悠未は兄のように天翔を慕っていた。天翔も、悠未を無下に扱うことはしなかった。
悠未はまだ天翔の腕を引き、立ち上がらせることに成功する。ぼんやりと空を眺める時間を邪魔された天翔は、面倒臭いという感情を前面に押し出して、言った。
「友達に聞けよ。誰かいるだろ」
「いいじゃん、てんちゃんの復習にもなるでしょ? ほら、早く帰ろ?」
「わかったよ、わかったから引っ張るな」
いつもこうやって悠未のペースに乗せられるのだ。天翔は置いてあったボストンバッグを引っ掛けながら、悠未に聞こえないように溜息を吐いた。
上機嫌の悠未に連れられて屋上を後にして、二人並んで階段を下りていく。並ぶと悠未の背の低さが際立つ。天翔は平均的な身長だが、それでも悠未とは頭一つ分の差がある。その小ささも相まって、悠未は高校一年生というよりはまだ中学生のように見えた。中身も、高校一年生というには少し幼い面があった。
「てんちゃん、受験勉強はしないの?」
悠未は耳が痛い話を振ってくる。天翔は悠未のほうを見ないで答えた。
「してるよ。お前が見てねえだけ」
「そうなんだ。どこ狙ってるの?」
「内緒」
「ええ、なんでー? 教えてよぉ、わたしも同じところ行きたい!」
「受かったら教えてやるよ。どこでもいいように勉強しとけ」
「そっか。すっごくいいところでも入れるようにしとかないとね。てんちゃん成績いいんだし、わたしは頑張らないとね」
悠未は自分に言い聞かせるように言った。天翔は何も言わなかった。
天翔の志望校は内緒なのではない。決まっていないのだ。高校三年生の秋になっても、自分は何がしたいのか、どの大学に行きたいのか、全くわからなかった。夢もなければ、やりたいこともない。ただ生きていければそれでよい。そもそも大学に行きたいとも思っておらず、親との衝突を避けるために大学に行こうとしていた。模試の志望校は適当に、家から通える範囲にある低すぎない大学の名前を書いていた。天翔の成績がよいことも、志望校の選択を難しくしている一因だった。
だからこそ、自分の人生を揺り動かすような大事件を待ち望んでいた。そんなものが起これば、きっと自分にもやりたいことが見つかるだろうと信じていた。
悠未と並んで歩き、校舎から出る。再び秋の心地よい風に包まれる。季節が巡るように、何もしなくても進路が決まればいいのに。天翔はそう思った。最近は考えるのも面倒になってきていた。
門から出たところで、悠未が目の前の虫を手で追い払うような仕草を見せた。
「なんだよ。蚊か?」
「んん、違うの。最近さあ、キラキラしたものが見えるんだよね」
「は?」
悠未が何を言いたいのかわからず、天翔は聞き返した。悠未は同じことを繰り返した。
「キラキラしたものが見えるの。世界が光ってる感じ」
「眼科行けよ。何かの病気じゃねえの」
「うぅん、そうなのかなあ」
あまり気が乗らないような返事だった。天翔も無理に勧めることはしなかった。どうせ大したことはない、一過性の症状だと思っていた。
悠未は少し黙ったかと思うと、ぱっと顔を輝かせながら言った。
「ねえねえ、余命一か月とか言われたらどうしよう?」
「はあ? 言われねえよ」
天翔が一蹴しても、悠未の昂りは治まらなかった。大きな黒瞳を煌めかせて天翔を見上げてくる。
「わかんないじゃん。てんちゃん、わたしが余命一か月になったらどうする?」
「何だよ急に。ならねえだろ」
「なったら。仮定の話じゃん。ねえ、どうする?」
天翔は目を細めた。そんな有り得ない仮定の話に乗る気はなかった。
「ドラマと漫画の見すぎだろ。そんなこと起こるわけねえ」
「でもでも、ドラマも漫画も実話をもとにしてるんだよ? じゃあわたしが急に余命一か月になることもあるってことだよ!」
「ねえよ。現実を見ろ」
天翔がばっさりと切り捨てると、悠未は不満そうに言い返した。
「つまんないなあ。ほら、このキラキラが頭の病気の予兆でさ、検査したら大変な病気が見つかりました、とかかもしれないじゃん?」
「じゃあ病院行けよ。おじさんもおばさんも心配してくれるだろ」
「そうだよねえ。お父さんたちに心配されたくないんだよなあ」
悠未はうぅんと唸る。その悩ましい気持ちは天翔にも理解できた。
悠未の家庭はごく普通の家庭で、両親と悠未の三人暮らしだ。両親は共働きで、日中は家にいないが、夕方過ぎには帰ってくる。朝食と夕食は家族揃って食べるのが日課だという。
そんな幸せな家庭の一人娘が病気かもしれないとなったら、両親はさぞ心配することだろう。天翔が軽く考えているような症状でも、重大な病の前触れかもしれないと恐れる可能性はある。少なくとも天翔が知っている限りでは、今の悠未の症状を聞いたら、悠未の両親なら心配して受診を勧めることだろう。
一方で、天翔の両親は家にいない。朝も夜も、天翔は独りである。仕事が忙しいという理由で、両親はともに滅多に家に帰ってこない。その理由が建前で、両親がどちらも不倫しているということを知ったのは、天翔が中学三年生の頃だ。それ以来、自分は二人にとって大きな荷物なのだと思っている。捨てることもできず、相手に押し付けることもできない、重い足枷なのだと。
天翔は大きな反抗心と、僅かな希望を持って、高校一年生で髪を染めてピアスを開けた。いわゆる不良になれば、両親のどちらかは反応してくれるのではないか。普通の学生生活を送るように注意してくるのではないか。
そんな期待は一瞬で破り捨てられた。不良になった天翔を見ても、たった一瞥をくれただけで、両親は何の興味も示さなかった。それは、天翔を打ちのめすには充分だった。
そんな両親でも進学先には口を挟んできて、天翔は驚いた。しかし、天翔のためを思っているのではなく、自分のためだと気づいた。一人暮らしだと金がかかるから、実家から通える範囲にしてほしい。暗にそう言われた時、自分の将来に興味なんてないのだと思い知った。
両親にとって自分はどうでもよい存在なのだ。犯罪に手を染めなければよいのだ。そう思うと、進学先を決めるのも億劫になってくる。そうして出来上がったのが、今の天翔だ。
天翔にとっては、隣に住む悠未の家庭は眩しく映った。ああいうふうに暮らしたいと思ったことは何度もあった。最近はそう思うことすらなくなった。現実を受け入れたのだ。悠未のような家庭は自分の手には入らないのだという現実を。
悠未は天翔の家庭環境を知らない。だから天翔が髪を染めた時は驚いたが、すぐに受け入れた。しかし悠未の両親はよく思っていないようで、度々苦言を呈されているらしい。悠未は全く気にしていないようだが。
「ねえてんちゃん、お父さんたちに内緒で病院行けないかな?」
「無理だろ。行きたいなら相談しろよ」
「だよねえ。じゃあ行かなくていいかな、困ってないし。世界がキラキラしてて、イルミネーションみたいで綺麗なんだよ」
天翔には悠未が見ている世界のイメージが湧かなかった。きらきら光っているのなら、目がチカチカして鬱陶しく思えるのではないだろうかと思う。だが、悠未はこの変化を楽しんでいるようだった。
大通りを抜けて、静かな住宅街に入る。一羽の烏がじっとこちらを見つめている。縄張りなのだろうか。それとも、生ゴミを漁ろうとして周囲を確認しているのだろうか。天翔が烏を見ていると、やがて烏は飛び去っていった。
悠未も黙ったまま烏を目で追いかけていた。その表情が気になって、天翔は口を開いた。
「どうした」
悠未ははっとしたように天翔のほうを見て、笑った。
「おっきな烏だったなあと思って。てんちゃん、見た?」
「ああ、まあ」
そんなに大きかっただろうか。天翔はそう思ったが、特に追及しなかった。烏の大きさなど他愛ないことだ。
「ねえ、てんちゃんのお家で勉強してもいい?」
「いいけど、お前はいいのか? おじさんやおばさんに文句言われるぞ」
「お母さんが帰ってくる前に帰れば大丈夫。バレたらちょっと、うるさいけど」
「ああ、そう。お前がいいなら」
「いいの? やったあ」
天翔が承諾すると、悠未の表情が明るくなる。
別にどこで勉強したって同じだと天翔は思うのだが、悠未はそうではないようだった。何かと天翔の家に来たがるのだ。勉強なら学校でやればいいのに、なぜかわざわざ天翔の家でやろうとする。まるで天翔の家が特別な場所であるかのようだった。
こんな関係もいつまで続くだろうか。自分が大学に進学したら、これまでのようにはいかないだろう。離れて過ごす時間が多くなったら、悠未も新しい誰かを見つけることだろう。中学から高校に進学する時は変わらなかったが、今度はきっと、変わってしまうだろう。
「てんちゃん、どうしたの? ぼんやりしちゃって」
悠未に言われて、意識が現実に引き戻される。天翔は小さく首を振った。
「別に」
「あっ、家からジュース持ってくね」
「勉強するんだったよな?」
「するよお。でもジュースは必須でしょ?」
勉強とジュースの繋がりがわからず、天翔は首を傾げるしかなかった。
こんな平和な時間が続くのはあと少しだと知っていたら、もっと違うことをしたのに。
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