キスから始まる恋心

にのみや朱乃

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2. あのキスの意味

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 翌日の昼休み。わたしは友人の悠夏と二人で食堂に来ていた。

 この学校の食堂はとても広く、各学年の生徒が昼に殺到しても席数が確保できるくらいの敷地を有している。それでも、お昼時や放課後は生徒の姿で席が埋まってしまう。購買で買ったものを食堂で食べることも許されているから、誰かと話しながら食べるには最適の場所だ。周囲がうるさいから、意外と秘密の話もできる。
 今日も食堂は喧騒に包まれていた。わたしと悠夏は二人用の席に座り、昼食を摂っていた。わたしが塩ラーメン、悠夏が牛丼だった。やっぱりお昼はがっつりしたものを食べるに限る。

 悠夏はわたしの無二の親友だ。黒髪のボブカットも、くりくりとした栗色の瞳も、小動物めいた可愛さがある。悠夏とは同じクラスで、いつもわたしの愚痴を聞いてくれたり、悩みの相談に乗ってくれたり、とにかく頼れる友人なのだ。

 そんな悠夏には、昨日のことを話さないわけにはいかない。わたしは周囲に女子がいないことを確認しながら、声を潜めて悠夏に話しかける。

「昨日さ、ちょっと事件があって」
「ふぅん。なぁに?」

 悠夏は牛丼をつつく箸を止めてわたしの話を聞いてくれる。こういうところが悠夏の良いところだ。たぶん大した話じゃないと思っているのだろうけれど、ちゃんと聞く姿勢を取ってくれる。
 でも悠夏、本当に事件だったんだよ。わたしはもう一度周囲を気にして、身を乗り出して小声で悠夏に話した。

「昨日、瀧本くんにキスされた」
「はぁ? 意味わかんないんだけど?」

 悠夏は椅子から転げ落ちそうな勢いで驚きを見せる。それから悠夏も周囲を一瞥して、声を小さくしてわたしに尋ねる。

「どういうこと? そんな関係だったっけ?」
「違うよ。昨日プリント取りに教室戻ったら瀧本くんがいてさ、なんか、お前を惚れさせてやるとか言われて、それでキスされた」
「意味わかんない。詩織、恥ずかしいところカットしてない?」
「してないよ。ありのままだよ」

「瀧本くんって、あの瀧本くんだよねぇ?」
「そう。瀧本一葉くん」
「軽いけど手は出さないって噂なんだけどなぁ。なんでいきなり詩織に近づいてきたんだろ」
「わかんない。しかもキスされたし」

 わたしは昨日の怒りと動揺を思い出して、ラーメンと一緒に喉の奥に流し込んだ。
 キスされていなかったらわたしもここまで怒らなかっただろう。あんなに軽い、不意を突かれるような感じで初めてのキスが奪われることになるとは思わなかった。しかも好きでもない男に。どこかに訴えたら勝てるのではないだろうか。
 悠夏はうぅんと考えるそぶりを見せる。わたしと違って女子の間の情報にも詳しい悠夏なら、何か知っていることがあるかもしれない。

「じゃあ、彼女がいないっていうのは本当だったんだねぇ」
「そういえば、昨日そんなこと言ってた」
「狙われてるんじゃないのー? 強引に押せば行けると思われてるんじゃないの」
「えぇ? なんでわたしなんか」
「詩織、可愛いじゃん。これまで何度も告白されてきたでしょー?」

 悠夏はからかうようにわたしに言う。わたしは困って苦笑いを浮かべるしかない。

 確かに、わたしはこれまでにも何度か男子から告白されている。でも知らない人か、ほとんど知らない人だ。わたしの内面まで知って、告白してきたような人はいない。わたしがすべてお断りしているのも、知らない人と付き合う勇気がないからだ。みんな、わたしの外見しか見ていないのだ。見えない部分は誰も知らない。気にしていない。だから、もし付き合うならもっとわたしのことを知ってくれている人と付き合いたかった。

 瀧本くんはどうなのだろう。わたしのことを知っているような雰囲気だった。いや、名前と顔くらいならちょっと調べればわかることだ。彼もわたしの中身など知らないはずだ。よくもまあ、知らない女子相手にあんなことができたものだ。

 悠夏は牛丼を一口運び、飲み込んでから言った。

「でもさぁ、気を付けたほうがいいかもよ? 瀧本ファンクラブが黙ってないよ、たぶん」
「ファンクラブってそんなにすごいの?」

 わたしはファンクラブの存在は知っているが、具体的にどのようなものなのかは知らない。熱狂的なファンが集まって取り巻きになっているというわけでもなさそうだし、陰ながら恋している女子の集まりなのだろうか。
 悠夏は周りに女子生徒がいないことを確認して、わたしに教えてくれた。

「瀧本ファンクラブは結構派手で攻撃的な子が多いんだよねぇ。ほら、瀧本くんって悪じゃん? だから、似たような子が集まってるみたい」
「そうなんだ。でも昨日はいなかったけどな」
「瀧本くんが撒いてるんだよぉ。男子の話だけど、ファンクラブには好みの子がいないから鬱陶しいだけなんだって。瀧本くん、詩織みたいな清楚系のほうが好みなのかなぁ?」
「清楚系って。そんなんじゃないし」
「黒髪ロングは清楚でしょー。品行方正、成績優秀、しかも見た目も可愛いんだから、瀧本くんが惹かれるのも無理ないかもねぇ」

 わたしの髪型で清楚かどうかを判断するのはやめてほしい。確かに真面目に生きてきたつもりだけれど、それが清楚ということではないだろう。わたしは悠夏の誉め言葉を止める。

「やめてよ。どこまで本気?」
「だいたい本気だけど。あたしは詩織が世界でいちばん可愛いと思ってるもん」
「ああ、そう。そうだったね」

 そう言われてしまえばわたしは引き下がるしかない。悠夏は自分の芯を曲げることはない。

 悠夏はわたしのことをいつも可愛いと言ってくれる。それがどれくらい本気なのかはわからないが、ある種の愛玩動物を眺めているような気分なのではないかと勝手に思っている。寝癖がちょっと直らなくても可愛いと言ってくれるのは、そういうことだろう。ドジな子ほど可愛いというやつだ。わたしも可愛いと言われて悪い気はしないから、ある程度は素直に受け止めることにしている。こういう趣味の子もいるのだろう。

「でもさぁ、ファンクラブのことを考えると、瀧本くんにあんまり近づかないほうがいいと思うんだよねぇ」
「やっぱり? 怖いよね?」
「瀧本くんがっていうより、ファンクラブに目を付けられるのが怖いよねぇ。キスされたとか知られたらトイレで水かけられそう」

 よくある漫画のいじめ行為を思い出し、わたしはぞっとして自分の両肩を抱いた。あれが現実に起こることだとは思っていなかった。でも悠夏の中では、そういう怖いことをしてきそうなくらい熱狂的なファンの集まりということだろう。

「さっさと瀧本くんに諦めてもらうほうがいいんじゃない? 詩織も、流されてないで自分の意見をちゃんと言わないとだめだよ?」
「諦めてくれるかな。瀧本くん、そういうところ頑固そうじゃない?」
「意外と紳士的って噂もあるんだよねぇ。だから、詩織が本気で嫌って言ったらやめてくれるんじゃないかと思うんだけど」

 本気で。わたしには難しい話だ。いつも人に流されるように生きてきたわたしは、自分の意見を押し通すということが苦手だ。昨日、瀧本くんにゲームだと言われた時も、馬鹿げていると一蹴すれば良かったのだ。それができなかったから、今こうして悠夏に相談するような事態になっているのだ。

 どうしたら瀧本くんのゲームを断ることができるのだろうか。一度乗ってしまったものを取り下げるなんて、なんだか負けた気がして悔しい。でも自分の学校生活の平穏を守るためならば、そんなことも言っていられないのだろうか。ファンクラブの人に睨まれるのは怖い。
 わたしは目の前のラーメンをすすりながら悩む。瀧本くんと直接会って話すしかないのだろうが、それでわたしの本心を伝えられるのだろうか。また流されてしまいそうな気がする。

「詩織、噂をすれば」
「なに?」

 悠夏が食堂の入口のほうを指す。瀧本くんが一人で食堂に入ってくるところだった。お昼にしては遅めだ。昼休みが始まった直後の食堂は混んでいるから、空くまでどこかで時間を潰していたのだろうか。
 瀧本くんの顔を見ると、昨日のキスを思い出してしまって、わたしは急に恥ずかしくなってきた。意識しちゃいけない、そう思ってもわたしの意識には昨日のキスがこびりついている。わたしは食事している風を装って顔を伏せる。

「あ、こっちに気づいた」

 悠夏がじっと見ていたからなのか、瀧本くんがわたしたちに気づいたらしい。悠夏も、そんな露骨に目で追わなくてもいいじゃん。

「うそ。来る?」
「うん。詩織に用があるんじゃないの?」
「ないよ。わたしはない」

 顔を上げると、瀧本くんと目が合った。瀧本くんは片手を上げてわたしに挨拶する。昨日のキスのことなんて何とも思っていないのだろう。
 瀧本くんはわたしたちの座席のところまで来て、わたしに話しかけた。

「よ。怒ってんの?」
「怒ってる」
「なんで?」
「いきなりあんなことされたら誰だって怒るでしょ。瀧本くんは挨拶のつもりだったのかもしれないけど」
「俺も日本人だから、挨拶でキスはしねえよ」

 悠夏の前でも平然とそう言ってのける。わたしが悠夏に昨日の話をしていなかったら大変なことになっていた。

「瀧本くん、なんで詩織にキスしたの?」
「え? ちょっと、悠夏」

 わたしが止めようとしても、悠夏はへらっと笑ったまま瀧本くんを見ている。瀧本くんも悠夏を一瞥して、同じように笑った。

「キスしたかったから、だな」
「詩織だからしたの? 誰にでもするの?」
「誰にでもするほど余ってねえよ。誰にでもするキスに価値はねえだろ?」
「じゃあ、昨日のキスには意味があったの?」

 悠夏は恐れることもなくどんどん質問していく。瀧本くんは表情を変えないまま、悠夏に応える。

「まあ、宣戦布告?」
「く、口で言えばいいでしょ。わざわざあんなことしなくたって」
「あとは、照れる詩織を見たかった、だな」

 瀧本くんはわたしをからかうように言って、また蝶のように舞って行ってしまった。嵐のようだった。わたしは頬を押さえて、熱が籠っていないことを確かめる。自分の頬は熱かった。
 今のは挨拶のつもりだったのだろうか。悠夏がいてくれて良かった。わたし一人だったら、昨日のことを思い出してしまってまともな会話にならなかっただろう。
 悠夏は去っていく瀧本くんの背中を見送り、ぼそりと言った。

「詩織には無理かもねぇ」
「え? 何が?」
「詩織じゃ瀧本くんには勝てなさそうだなぁって話。絶対流されるでしょー」
「な、流されないよ。わたしだって言うべき時は言うんだから」
「その結果が昨日のキスなんじゃないの? あたし、断れたと思うんだよねぇ」
「うっ」

 わたしは言葉に詰まった。確かに、悠夏の言う通りだ。瀧本くんが近づいてきた時点でわたしが逃げれば良かったのだ。一言でも声をかけていれば、こうはならなかったかもしれない。わたしがあの場の雰囲気に飲まれてしまっていた証拠だ。

「詩織的にはどうなの? 瀧本くんはありなの?」
「なし。絶対なし。いきなりキスしてくるんだよ、そんなの絶対だめ」
「そ。じゃあ、詩織が本当に嫌ならあたしが守ってあげるよ」

 悠夏は頼もしく言い切った。わたしよりも小柄な悠夏がとても男らしく見えた。

「まぁ、本当に嫌なら、だけどねぇ」
「やだよ、あんな軽い男。わたし以外の女の子にも同じことしてそう」
「うぅん、どうかねぇ。まぁまぁ、いざとなったらわたしが守ってあげるから」
「ありがと悠夏。頼りにしてる」
「いいのいいの。あたしも詩織を取られたくないだけだから」

 悠夏はやわらかく笑った。女子のわたしでも可愛いと思える笑顔だ。わたしが大好きな悠夏の表情のひとつ。

「でも、詩織もちゃんと流されないようにしないとだめだよ? 嫌な時は嫌って言う。わかった?」
「わかった。頑張る」
「頑張って瀧本くんを諦めさせようね。まぁ、すぐ飽きるでしょ、彼も」
「だといいけど。他の女の子に行ってくれないかな」

 わたしはそう願うばかりだ。自分では断れる自信がないから、できるなら瀧本くんから離れていってほしい。瀧本くんはもっと可愛い女の子に囲まれているのだから、すぐ目移りして他の女の子のところに行くだろう。

 その時のわたしはそう考えていた。あまり深く考えていなかったのだ。
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