キスから始まる恋心

にのみや朱乃

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19. 告白

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 翌日になっても、瀧本くんの意識は戻らなかった。

 命に別状はなく、いずれ目を覚ますだろうとのことだったが、昨日のうちに瀧本くんの声を聞くことはなかった。駆けつけてくれた瀧本くんのお母さんから、目が覚めたら連絡すると言われて、わたしは病院から帰った。お母さんはわたしを一言も責めることなく、ただ、一葉を守ってくれてありがとうね、とだけ言った。涙するわたしを慰めてくれた。

 学校に行くような気分ではなかったが、欠席するわけにもいかない。わたしは寝不足で重い身体を引きずって、学校に行った。

 昨日のことはもう学校中に知れ渡っているようだった。みんな耳が早い。昨日のことは報道されたのだろうか。ニュースを見る余裕もなかったから、わたしは何も知らない。

 でも、どうでも良いことだ。報道内容に興味はないし、噂にも興味はない。学校の中では、瀧本くんと三田くんがわたしを取り合ってこの事件が発生したということになっているらしい。間違っているわけではないけれど、もう少し三田くんの狂気を正しく伝えてほしい。

 どうせなら、わたしも刺してくれれば良かったのに。そうしたら、わたしも瀧本くんと一緒に入院することができた。わたしだけ、無傷でのうのうと学校に来ることもなかった。

 瀧本くんは大丈夫だろうか。いつ目を覚ましてくれるのだろうか。わたしはぼんやりと虚空を眺めて、その時が来るのをじっと待つことしかできなかった。無力な自分が嫌になる。

 一時限目の授業は矢のように過ぎていった。何も聞いていなかったし、まったく手を動かすこともなかった。前を見ているようで、何も見ていなかった。先生もわたしの心中を察しているのか、声をかけてこようとはしなかった。鐘の音を聞いて、授業が終わったことを認識する。

 休み時間になると、わたしはすぐに自分のスマートフォンを確認して、瀧本くんのお母さんから連絡が来ていないか確かめる。まだ何も連絡はなかった。

 わたしがまた思考の海に沈もうとしたところを、悠夏が引き上げてくれる。悠夏がわたしの肩を叩いて、前の席に座った。

「詩織、大丈夫? 保健室行ったほうがいいんじゃない?」

 悠夏はわたしがあまりにもぼんやりしているから心配してくれたのだろう。わたしは微笑んだつもりだったが、うまく笑えているかどうかは自信がなかった。

「大丈夫。ここに座ってるだけならできるよ」
「それって大丈夫って言わないんだよ? ね、保健室行こ?」

 悠夏がわたしの手を取って立ち上がる。どこにいたって変わらないのだが、保健室にいるほうが静かに時を過ごせるだろうか。眠っていたら、いつの間にか瀧本くんが目を覚ましてくれるかもしれない。わたしは悠夏の勧めに従って席を立った。

 悠夏はわたしと手を繋いでくれる。瀧本くんとは違う、小さな柔らかい手。瀧本くんの手の感触を思い出してしまって、わたしは泣きそうになる。

「瀧本くん、まだ起きないの?」
「うん。お母さんからは連絡ない」
「そっか。詩織も少し寝たほうがいいよ。酷い顔してる」
「ありがと。保健室で少し寝るね」

 悠夏に手を引かれるようにして保健室へ向かう。

 瀧本くんのお母さんからいつ連絡があるかわからないから、わたしはスマートフォンを握り締めていた。お願いだから、早く目を覚ましてほしい。またわたしの名前を呼んでほしい。わたしを抱き締めてほしい。わたしに笑いかけてほしい。

 胸が苦しい。ただ待っているだけなのにこれほど苦しかったことはない。

「いつ会えるのかな。もう……会えないのかな」

 わたしの目から涙が零れ落ちる。悠夏は足を止めて、わたしを抱き寄せてくれた。

「大丈夫だよ。瀧本くんだよ? 刺されたって全然平気だよ」
「そうかな。ちゃんと、起きてくれるかな。まだわたし何も伝えられてないのに」

「詩織の話聞くまでは殺したって死なないよ。心配しないで、詩織も休んで。瀧本くんが起きた時に可愛い詩織でお迎えしたいでしょ?」

 悠夏の優しい声が頭の中に響く。わたしは小さく頷く。

「だから、まずは保健室で寝よう。あたしが添い寝してあげよっか?」
「だめだよ。悠夏、授業あるでしょ」
「詩織がこんなことになってるのに授業なんて出てる場合じゃないでしょ。いいの、二人とも体調悪いですってことにしちゃえば」
「だめ。嬉しいけど、だめ」

 折れてしまいそうな心を必死に支える。本当は悠夏に添い寝してほしい気持ちでいっぱいだった。一人になりたくなかった。一人になったら、この寂しさと不安に押しつぶされてしまいそうだった。もう瀧本くんは起きないのではないかとばかり考えてしまいそうになる。

 とにかく、保健室に行こう。やはり今日は学校に来るべきじゃなかった。

 わたしが歩き出そうとした、その時だった。わたしの手の中で、スマートフォンが震えた。メッセージだ。わたしは慌てて画面を見る。

 瀧本くんのお母さんからだった。一葉が目を覚ましました、という一文。

 わたしはスマートフォンを取り落としそうになった。瀧本くんがようやく目を覚ましてくれた。これでまた会えるのだ。また、二人で過ごすことができるのだ。

 わたしの反応を見て、悠夏がわたしのスマートフォンの画面を覗き込んだ。それから、わたしを押すように肩を叩いた。

「行ってきなよ、病院」
「え? でも、まだ授業あるし」
「どうせまともに聞けないんだから、それだったら早く瀧本くんに会いに行くほうがよくない? 先生にはあたしからうまく言っとくよ」

 悠夏の微笑みが眩しかった。わたしは迷うこともなく、首を縦に振った。

「ごめん。行ってくるね」
「いってらっしゃい、詩織。寝すぎだって叩いてきなよ」
「うん。心配したって伝えてくる」

 わたしは自分の荷物も無視して駆け出した。荷物なんて後で取りに戻ってくれば良い。今は瀧本くんに会いに行くことだけを考えれば良いのだ。

 わたしは走りながら瀧本くんのお母さんに連絡する。今から行きます。そう送って、スマートフォンを制服のポケットにしまう。もしお母さんに止められたとしても、メッセージを見ていなかったことにしようと思った。

 ここから病院までは走って十分程度。走れない距離じゃない。わたしは先生の目も気にせず走り、校舎を出ていく。この時間だから誰の姿も見当たらない。後ろで授業開始を告げる鐘が鳴っても、わたしは振り返らない。もう、行くと決めたから。

 校門を抜けて、病院までの道を走る。わたしの頭は瀧本くんに会うことだけしか考えていない。こんな時間に高校生が走っていることを疑問に思う人の視線を浴びても、わたしは足を止めない。信号待ちの時間がもどかしくて、赤のまま突っ切ってしまおうかという考えさえ生まれてくる。苛々しながら青になるのを待って、青になったらまた走り出す。信号に引っかかるたびに、今日の運勢の悪さを嘆く。

 そうしているうちに、瀧本くんが運ばれた病院が見えてくる。目的地を目にすると、足にも力が入る。息は切れているけれど、わたしはまだ走れる。

 息を荒くしながら病院の中に入る。病院まで来たけれど、この後はどうしたら良いのだろうか。いきなり病室に行けるわけがないし、受付に相談すれば良いのだろうか。

 わたしが迷っていると、たくさんの人が待っているロビーで瀧本くんのお母さんを見つけた。お母さんはわたしを見ると、ゆっくりと頭を下げた。わたしはすぐさまお母さんに駆け寄る。

「詩織ちゃん、授業は?」
「すみません、抜け出してきました。一葉くん、目を覚ましたって聞いて、いてもたってもいられなくて」
「そう。いけない子ね。私も授業が終わるまで待てばよかったのだけど、一葉が早く会いたいって言うから、詩織ちゃんに連絡したの。さあ、行きましょう」

 お母さんはここでわたしを待っていてくれたのだ。わたしがすぐ行くと言ったから。待たせてしまって申し訳ないと思いつつ、来てくれて良かったと胸を撫で下ろす。わたし一人ではこの後どうしたら良いのかわからなかった。
お母さんは落ち着いた足取りで病院内を歩いていく。わたしは逸る気持ちを抑えながら、お母さんを追い抜かさないようについていく。本心は、もっと早く歩いてほしかった。わたしだって早く瀧本くんに会いたいのだ。会って無事を確認したいのだ。

 エレベータで病棟まで上がり、瀧本くんが入院している病室に来る。お母さんに続いて中に入ると、瀧本くんは身体を起こして暇そうにスマートフォンを弄っていた。わたしたちが来たことに気づくと、瀧本くんは少年のように笑った。

「おお、詩織。授業サボったのか?」

 わたしの心配など何も知らないような、朗らかな声だった。わたしは唇を噛み、溢れそうになる涙を堪える。

「詩織ちゃん、一葉の話し相手になってくれる? 私、ちょっと家まで荷物を取りに行ってくるから、その間よろしくね」

 お母さんはわたしに優しく声をかけて、その場から立ち去った。わたしと瀧本くんを二人きりにさせてくれたのだろう。

 わたしは覚束ない足取りで瀧本くんのベッドまで行き、近くに置いてあった面会者用の椅子に座る。瀧本くんを見つめると、瀧本くんは優しく笑った。

「心配かけて悪かったな。母さんから聞いたよ、詩織がすごく心配してたって」
「するでしょ。だってずっと眠ったままなんだよ。わたしがどれだけ心配したかわかってる?」
「ありがとな、来てくれて。優等生が授業をサボるとは思わなかった」
「それどころじゃないもん。ほんとに、心配したんだからね」

 抱き着きたい衝動を抑えて、わたしは瀧本くんの手を握った。瀧本くんはわたしの手を握り返してくれる。しっかりと温かみを感じる。これはわたしの夢ではない。本当に、瀧本くんはちゃんと目を覚ましたのだ。

「詩織は? 怪我はないのか?」
「ないよ。ちょっと寝不足なだけ」
「そんなに心配だったのかよ。まあ、好きな男が刺されたんだもんな?」

 瀧本くんはいつもの調子でわたしをからかう。でも、わたしの反応はいつもと違う。

「そうだよ。好きな人が意識戻らなかったらのんびり寝てられないでしょ」
「なんだよ。ついに認めるのか?」

 照れ隠しなのか、瀧本くんは茶化すように言う。わたしは瀧本くんの手を握って、瀧本くんの目を見つめながら答える。

「認めるよ。わたしは、瀧本くんのことが好き。だけど」
「だけど? お前の秘密が引っかかってんだろ?」

 わたしは頷く。わたしの告白を聞いても瀧本くんは驚かなかったけれど、これを見たらきっと驚くに決まっている。

 わたしは無言で制服を捲り上げて、瀧本くんに背中の傷痕を見せた。瀧本くんには背を向けているから、どんな顔をしているのかはわからない。気持ち悪がっているのか、驚いているのか、わたしには見当もつかない。

「これが、わたしの秘密。こんなものがあっても、瀧本くんはわたしを愛してくれる?」

 制服を直して、わたしは瀧本くんに向き直る。瀧本くんは真剣な表情を浮かべていた。その表情からは、瀧本くんが何を考えているのかは読み取れなかった。

「どうしたんだよ、それ」
「小さい頃にね、父親に虐待されてたの。その時の傷痕。今はもう離婚して、お母さんと二人暮らしなんだけどね。傷痕だけは消えずに残っちゃった」

「そうか。なるほどねえ、それを隠してたわけだ」

 瀧本くんはため息を吐いて、わたしの瞳をじっと見つめてくる。

「で、それが何だって?」
「や、だからね、こんなものがあってもいいのかなって」

 不安を隠しきれずに吐露すると、瀧本くんはふっと笑った。

「その程度で冷めるなら最初から好きになってねえよ。俺は本気だって言っただろ」
「いいの? もっと綺麗な子のほうがいいんじゃないの?」
「いいんだよ。俺はお前のことが好きだ。それを見た後でも俺の気持ちは変わらねえ。その程度でひっくり返ると思うなよ」

 瀧本くんの言葉がわたしの胸を射抜く。瀧本くんが怪我人でなければ、今すぐにでも抱き着いていたことだろう。辛うじて思い留まった自分を褒めてやりたい。

 良いんだ。こんな醜いものがあっても、瀧本くんは受け入れてくれるんだ。

 嬉しさで舞い上がりそうになっているわたしに、瀧本くんはしっかりと告げてくれた。

「俺は詩織が好きだ。付き合ってくれ」
「……うん。うん、わたしも、瀧本くんが好き」

 わたしは気持ちを抑えられなくなって、瀧本くんに口づけをした。瀧本くんはそれを受け止めてくれる。わたしからの初めてのキスがこんな形になるとは思っていなかった。

 ゆっくりと唇を離す。瀧本くんは優しく微笑んでいた。

「ゲームは詩織の負けだな。だから言っただろ、お前は俺に勝てねえって」
「そうだね。あの時は、こんなことになるなんて思わなかった」

「俺は予期してたんだよ。いつか絶対詩織からキスしてくるってな」
「なにそれ。今だって、瀧本くんが動けたら絶対瀧本くんから来たでしょ」

「まあな。動くとまだ痛いんだよ」

 瀧本くんはわたしの手を握り、わたしの瞳を見る。

「だから、詩織からキスしてくれよ」
「した。今したでしょ」

「何回したっていいだろ? 俺たち、もう友達じゃなくて恋人なんだから」
「友達の頃だって散々したくせに」
「今更気にすんなよ。あのキスがあったからこうして付き合えたわけだし」

 うまく言いくるめられている気がする。まあ、確かにキスしていなかったらこんなにも瀧本くんを意識することはなかったかもしれない。キスも作戦の内だったのだろうか。
わたしは恥ずかしさを押し殺して、もう一度瀧本くんと唇を重ねた。

 その感触に酔いしれながら、わたしはこれ以上ない幸福感に浸っていた。
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