星読みの魔女2 ~知らないうちに国王陛下に溺愛されてました~

にのみや朱乃

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 季節は移ろい、夏がやってくる。多くの魔女が嫌う季節だ。

 というのも、魔女が住んでいるアトリエでは基本的に窯に火が入っていることが多い。そのため、室内が暑くなりがちなのだ。空気を冷やしてくれるような機械でも存在していればよいが、この世界にそんな便利なものはない。人々は室内の暑さに耐えながら、部屋の換気を行ったり、団扇や扇子で自分に風を送ったりするほかない。

 ここ、王城にある魔女アーリアのアトリエにおいても、それは同様だった。窓を開け放っても大して涼しい風は入ってこないし、窯の火はごうごうと燃えて熱を産生しているし、暑いというほかない。アーリアは扇子で自身に風を送りながら、窯をぐるぐるとかき混ぜる。

 魔女はこの国を支える役職のひとつだ。大臣と同じくらいの権限を持ち、医術や占星術その他の学問に基づいた知識から、王政を支える役職である。そのため、王城の中では広く快適な部屋を与えられているのだが、火を使っている以上、どんなに立地のよい部屋でも涼しくなることはない。

 この国の魔女、アーリアは銀色の長い髪をポニーテールにまとめて結い上げ、首にも風が通るようにしていた。腰にまで届くほどの長い髪は鬱陶しく感じられる季節だが、ここまで伸ばしてしまった手前、愛着のほうが勝っていた。夏の暑さに負けて切るようでは、これまでの努力が無駄になるように感じていた。

 夜になって外の気温が下がっても、この部屋は暑いままだ。夏用の薄い生地の半袖のローブを着て、扇子でぱたぱた扇ぎながら、アーリアは薬を調合していた。夏風邪に効く薬を作っているのだ。アーリアが調合した薬は、巡り巡って国内の民に届けられる。これも、魔女の重要な仕事のひとつだ。

 そこへ、アトリエのドアが不意に開いた。ノックもせずに入ってくるのだとすれば、それはここの部屋の住人以外にはあり得ない。アーリアは期待を込めて振り向いた。

「オーバ様! おかえりなさぁい!」

 白髪の老婆、オーバが大荷物を抱えてアトリエの中に入ってくる。オーバは抱き着くような勢いで走ってきたアーリアを目で押さえた。

「やめないか、暑苦しい。相変わらずこの部屋は暑いねえ」
「オーバ様、関係各所へのご挨拶は終わったのー?」
「終わったよ。こんな長旅になるとは思っていなかったけれどね」

 アーリアの問いに、オーバは疲れを滲ませる声で答えた。

 アーリアは、この春にオーバから王城の魔女という役職を引き継いだのだ。オーバは偉大な魔女で、七十年以上にわたって王城の魔女を務めてきた。それが、このたびアーリアに代替わりすることとなり、関係する地方の各所にオーバが挨拶に回っていたのだった。春半ばから出かけていたから、かなり長い間王城から離れていたことになる。

 オーバはアトリエの中をぐるりと見回して、言った。

「何も変わらないね、ここは」
「まぁ変わることもないよねぇ。あたしのぬいぐるみが増えるくらいで」
「好きなようにしな。ここはもう、あんたのアトリエだよ」

 それはアーリアが使いやすいように変えろという意味にも聞こえたし、何も変わっていないことへの安堵や落胆のようにも思えた。アーリアは言葉の意味を捉えかねて、はぁい、と短く応えるだけにした。

 とにかく今はオーバの大荷物を整理しなければならない。普段なら荷物の少ないオーバだが、こんなに大荷物になった理由は何かあるのだろうか。

「オーバ様、なんでこんなに荷物多いの?」
「私が退くって言ったら土産だ何だって渡してきたんだよ。日持ちのする食べ物も入っているだろうから、その辺はあんたが好きに食べな」
「えぇ? いいのー? じゃあ貰っちゃお」

 アーリアは調合中の窯を放置して、オーバの大荷物、言ってしまえば土産の類を漁る。ドライフルーツが入っている箱を見つけて、それを脇によける。自分が食べたいものはこうやって選別していくつもりだった。

 しかし、オーバの声がアーリアの意識を引き戻した。

「あんた、調合中だろう? あれを片付けてからにしな」
「おおっとぉ、そうだったぁ。でもあと煮詰めるだけだから、放置で大丈夫でーす」
「調合中に窯の前から離れる魔女がいるかい? 戻りな」
「えぇ? もぉ、厳しいなぁ」

 オーバに尻を叩かれるようにして、アーリアは窯の前に戻る。窯の中では橙色の液体がぼこぼこと音を立てている。これがどろっとするまで煮詰めるのだ。そうすれば夏風邪に効く薬の完成である。

 アーリアは時々窯をかき混ぜながら、オーバに尋ねた。

「どぉだったの、皆さんの反応は?」
「どいつもこいつも驚くばかりさ。私が死ぬまで代わらないと思っていた奴もいたね」
「あぁ、あたしもそう思ってたよぉ。まさか自分が代わりになるなんて思ってなかったなぁ」
「あんたには何度も次代の魔女だって言っていたつもりなんだけどねえ」

 オーバは溜息を吐く。少し疲れたのか、アトリエにある椅子に座った。

「で、どうなんだい、魔女の仕事のほうは」
「うぅん、特に大きな失敗はしてないと思うんだけどねぇ」
「国王陛下からの信頼は絶大だって聞いたよ。やるじゃないか」
「信頼、ねぇ。どぉなんだろ」

 国王陛下であるジェイドからの信頼があるかと問われれば、アーリアは首を傾げる。確かにアーリアの意見を採用してくれることのほうがはるかに多いが、それが信頼なのかという話だ。単純に、魔女の占星術を信頼しているだけであって、アーリア個人を信頼しているのかどうかはわからない。

 それに、ジェイドとアーリアは、他には言えない関係にあるのだ。相手がオーバであっても、アーリアは明かすつもりはなかったから、何も言わなかった。

「まあ、国王陛下からの信頼も、民衆からの信頼も、いずれわかるようになる。あんたはいつも通り星を読んで薬を調合していればいい」
「はぁい。そぉしますー」
「今日の星読みは終わったのかい? 凶兆はなかったように思うけれど」
「今日は特に変わったことはないって感じかなー」

 窯の中がどろりとしてきたので、アーリアは火を止めた。あとは冷ますだけだ。これでようやくオーバの土産を整理できる。

 アーリアが再びオーバの土産物を物色しようとした時、アトリエのドアがノックされた。アーリアは荷物を漁る手を止めて、来訪者に応える。

「はぁい、どうぞー」

 ドアが開かれる。そこに立っていたのは黒い短髪の男性、国王陛下ジェイドその人だった。眠る時に着るのであろうバスローブに似た格好でアトリエに入ってくる。いつものことなのだが、オーバがいる手前、アーリアは反応に困ってしまった。驚くべきなのか、普段と同じように接するべきなのか、判断できなかった。

 そんなアーリアの葛藤をよそに、ジェイドはオーバがいることに気づいて、アーリアより先に話しかけた。

「ほう。オーバ、戻っていたか」
「はい、国王陛下。つい先程ですがね」

 オーバは驚いた様子もなく、淡々と答えた。

「辺境を巡っていたと聞く。何か面白い話はあったか」
「謁見の間で正式にお伝えしますよ。今は、アーリアに御用でしょう?」

 オーバは何かを知っているようだった。自分たちの関係が知られてしまっているのではないかと、アーリアは不安になってしまう。この関係が知られてはならない。特に、正室であるセイジと、その周辺の侍従には。

 ジェイドはオーバの反応を気にすることもなく、ゆっくりと頷いた。

「そうだ。アーリア、俺の部屋に来い」
「お部屋、ですかぁ? わかりましたー」

 何の用だかわからない、といった雰囲気を醸し出す。嘘くさい演技だとオーバに思われているかもしれないが、今のアーリアにはこうする以外の方法が見つからなかった。どうして今日、このタイミングでジェイドは来たのだろうか。ジェイドが来たタイミングを恨みたくなってしまう。

 オーバは勘繰ることもなく、不審にも思っていないかのように、アーリアに言った。

「窯の後始末は私がやっておくよ。国王陛下のお部屋に行きな」
「えぇ、うぅ、はぁい」
「行くぞ、アーリア。この部屋は妙に暑いな」

 ジェイドは服の端を翻し、アトリエを出て行く。アーリアもジェイドに続いてアトリエを後にした。アトリエのドアを閉める時、オーバが笑っているように見えた。

 アトリエを出ると、外が涼しく感じられる。アーリアは扇子で自身の首に風を送りながら、無言で歩いていくジェイドについていく。途中ですれ違う衛兵たちも、何ら疑念は持っていないように見える。魔女が夜に国王に面会することは、別に珍しいことではないのだ。星読みで凶兆が見えれば、たとえ真夜中であろうと国王を叩き起こすことはある、とアーリアはオーバから聞いたことがあった。

 アーリアが国王の私室に入るのは、実は初めてではない。これまでに何度も、魔女としてではなく、一人の女として入ったことがあるのだ。

 そして、今日の用件も、それだと確信していた。

 私室に入ると同時に、ジェイドはアーリアの小柄な身体を抱きしめる。アーリアはされるがまま、顎を上げてジェイドの唇を受け止める。

 そう、二人は、愛し合っているのだ。ジェイドには正室がいるにもかかわらず。

「陛下、あたしちょっと汗ばんでますよ。いいんですか」
「構わぬ。どうせ今から汗をかくのだ」

 ジェイドは軽々とアーリアの身体を抱き上げて、ベッドへと連れていく。柔らかいベッドの上に降ろされて、アーリアは自らローブを脱いだ。ああ、身体を拭いておけばよかったなあ、などと考えていた。

 そうして、今日も二人しか知らない夜が始まる。

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