銀世界にて、啼く

にのみや朱乃

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銀世界にて、啼く

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 声が聞こえた。

 私を呼ぶ声だ。私を強く求める声だ。日を追うごとに声は大きくなり、果ての地から私を目指して真っ直ぐに飛んでくる。それは声というよりも一方的な念話と呼称するほうが適切かもしれない。何故なら、おそらく声の届く範囲にその声の主は居ないからだ。

 朝も昼も夜も関係なく、その声は私を求めた。私は自らの魔法で声を辿り、声の主を捜してみたことがある。その時、彼は遠い異国にいた。まるで疾風のような速さで国中を駆け回っているようだった。そこに居ない私の姿を捜して、国の端から端まで飛んでいったのだ。たった一日で。

 魔を有する烏。私はそう結論付けた。おそらく魔女と契りを交わしていない自由な烏が、力の有る魔女を捜して飛び回っているのだろう。魔女の庇護を得て、自らの魔をより高めるために。
 利己的な烏に付き合うほど私は暇ではない。だから声を無視することにした。こちらから会いに行くのは簡単だ、私は向こうの位置が確かに判るのだから。逆に言えば、見つからないように逃げるのも簡単だ。近くの国まで飛んでくれば、彼が捜し終えたであろう国に潜めば良い。永遠に終わらぬかくれんぼを楽しんでもらえればいずれ諦めるだろう。私はそう考えていた。

 けれど、彼は諦めない。気が狂っているのかと思うほど直向きに、ただ私の影を追いかける。竜殺しの伝説が興ればその国へ。山砕きの伝説が興ればその国へ。効率が良い捜し方とは到底思えない道程で、彼は近づいたり離れたりした。私が何もせずとも、彼が私を見つけることはなかっただろう。

 私を動かした、いや動かざるを得なかったのは、彼の声だ。

 嗚呼、魔女様。どうか、どうか、卑しいこの身の声が届きますように。

 抑揚を含めて暗唱できるほど私は彼の声を聞いた。何をどうすればここまで遠くに声を飛ばせるのか疑問だった。一途な思念は風に乗ることができるのだろうか。
 とにかく煩いのだ。何をしていても耳に纏わり付く。最早幻聴だったとしても区別は付かなくなっていただろう。

 あまりの煩さに私は敗けた。そして決断した。

 黙らせに行く。その喉を締め上げてやる。二度と叫ぶなと。

 私から出向くのは容易い。その時、彼は雪深い山の中に入っていった。何故私がそのような場所に居ると思うのか、甚だ疑問だった。吹雪く雪山は銀が広がる異世界で、雪で作られた魔女でもなければわざわざ入るまい。しかし彼は迷いなくこの暴風雪の中に飛び込んでいったのだ。彼が捜しているのは私ではないのではないかと疑ってしまう。

 声は吹雪の音さえ押し退けて私の耳に届く。私は自らに風を纏わせ、襲いくる細かい雪を弾きながら雪山に足を踏み入れた。普通の人間であれば、一歩踏み出せば膝ほどまで埋まることだろう。何者にも阻まれぬ積雪は魔女の侵入さえも拒もうとしていた。私は雪の上に浮かぶように歩いていく。
 周囲に広がる大雪から魔の残滓を感じる。大方、魔を封ずる者が死に絶えた後、降り積もった大雪が魔を飲み込んでこの銀世界を創り上げたのだろう。飲み込まれるような魔の残滓が有るということは、この近くには魔女が居たのだろうか。
 何れにせよ少なくとも私よりは下級だろう。積雪は私を妨げられず、吹雪は私の風に押されて流れていく。防衛機能が侵入者に敗けている証拠だ。私は構わず声の主の元へ歩いていく。迷い込んだ疾風は山奥まで流れていったらしい。

「止まれ! 魔女だな、何用だ!」

 吹雪では阻めぬと気づいたか、雪達磨が私の前に立ち塞がった。その身は成人男性より大きく、太い枝で造られたその手には氷柱の槍を携えている。

 声の主はこの先の森に居るようだ。先程よりも若干声が聞こえにくくなっている。氷雪で体力を消耗しているのだろう。ここまで私を呼んでおきながら、その瞳にこの姿を映すこともなく死に絶えるつもりか。何と恵まれぬ生か。
 慣れ親しんでしまった音が死に瀕していると知ると、私は急に寂寥感を抱いた。そもそも彼が呼ぶのは利己的な理由かどうかも確かめていない。黙らせるためにここまで来たが、話くらいは聞いてやっても良いのかもしれない。私は烏など従えるつもりは無いと伝えてやることくらい、求められた者の責務なのかもしれない。

 時間は無いようだ。この圧倒的な白の中から烏を捜さねばならない。雪達磨に付き合っている暇は無い。

「退け、雑兵。魔女に敵うと思うか」
「止まれ! たとえ魔女だろうと猛吹雪の前では無力だ、引き返すなら見逃してやる!」
「猛吹雪だと? これが?」

 私は嘲笑った。私の魔の昂りを察したか、雪達磨が僅かに後退する。

「教えてやろう。これが猛吹雪というものだ」

 指先で風を編む。風が面となり、連なり、辺りの吹雪を巻き込んで雪達磨を押し崩す。雪玉は跡形もなく積雪に埋もれ、魔の残滓が消え失せる。氷柱の槍だけが所在無く積雪に突き刺さった。

 烏を追いかけていた魔力が動く。彼は無謀にも森から飛び出していく。馬鹿なのだろうか。自ら安全地帯を捨てるなど、正気の沙汰ではない。私を捜しているのか、吹雪を抑えようと闘っているのか、まるで区別できなかった。

 声が一層弱々しくなる。空を飛んでいた烏は雪の海に落下する。翼が凍りついたようだ。魔を有する烏と言えど、魔女の庇護すら無い身でこの氷雪に挑んだのだから、当然の末路だ。私が居なければこの雪山の贄とされたことだろう。
 しかし彼が幸運なのは、力の有る魔女がここに居ることだ。彼を銀世界から掘り起こすことなど容易だ。風が私の命に従い、柔らかい積雪を吹き飛ばしていく。白の中から黒が覗く。翼は凍り、雪を弾くはずの羽にも小さな雪が付着していた。弱った烏を拾い上げると烏の身体は冷え切っていた。

 私は厚い灰色の雲に干渉して一帯の吹雪を黙らせる。降り注いでいた豪雪が止み、辺りの視界が漸く晴れた。これで烏は安全だろう。あとは翼を治してやれば良い。
 魔を操り、烏に熱を与える。目を覚ました烏は今にも消えそうな声で啼いた。

「嗚呼、魔女様。本当に魔女様なのでしょうか。どうか、どうか、卑しいこの身の夢ではありませんように」

 間違えようが無い。私を散々悩ませ、このような山奥まで引き寄せた声だ。出会ったら直ぐにその喉を締め上げてやろうと考えていたはずだが、今の私は寧ろこの烏の声に安堵さえ覚えていた。
 氷で傷ついてしまった烏の翼を癒しながら、私は烏に尋ねた。

「何故、この銀世界に来た」
「僕は貴女を追いかけてきたのです、魔女様。僕を知りませんか」

 私は耳を疑った。私を追いかけてきた、だと。私がこの雪山の方角に来たことは無いはずだが、この烏は何を追いかけていたのだろうか。
 それに、私に烏の知り合いは居ない。知っていればもっと早く会いに来ただろう。このように彼の翼が凍ることは無かった。

「烏など知らぬ。さあ、大雪に潰されてしまう。早く去りなさい、黒き旅人」

 私は首を横に振って応えた。
 けれど、烏は飛び立とうとしない。すっかり弱った身体を私の手に預け、振り絞るように懇願した。

「嗚呼、魔女様。最早僕は飛べません。どうか、どうか、卑しいこの身をその手で葬っていただけませんか」
「何だお前。この程度の消耗さえ治せぬ魔女と侮るか」

 烏は傷を負うだけでなく、雪に抗うための魔力も失っていた。命を落とすほどの消耗ではないはずだが、烏の中では既に死を覚悟しているのだろう。事実、私が来なければ確実に彼は死んでいた。元々は彼の救出を目的にしていなかったのだから、あまり大きな顔はできないが。
 私は周囲の雪から魔の残滓を奪い取り、精製して烏に分け与える。息も絶え絶えだった烏はその活力を取り戻していく。

 烏は丸い黒瞳を見開き、私に尋ねた。

「魔女様、これは一体どのような魔法なのでしょうか。失ったはずの魔が漲っていきます」
「この魔法なら庇護下に無い者にも魔を分け与えることができる。尤も、全く器が無い者は別だが」

 本来なら、烏のような使い魔は主である魔女から常に魔力を供給されている。しかしそれは魔女と主従の契約を結んでいる場合だ。この烏のように誰の庇護も受けていないのなら、使うほどに魔力は消耗する。一般的には自然回復を待つしかない。
 一方で、魔女は時に任せることなど無い。魔女は魔女同士で動くことは滅多に無いから、基本的に孤独だ。さっさと周囲から奪って魔力を取り戻さなければ、何が起こるか判らない。余程頭が悪い魔女以外は自分の魔力を保つ術を複数確保しているはずだ。使い魔自体が魔力を溜めておくための器となることもある。
 ただ魔女の性質上、他者に何かを分け与えるということは珍しい。烏がこの魔法を知らなかったのはそのためだろう。殆どの魔女は、いや魔に染まる魔女は、略奪か破壊しか考えていない。

 私は烏の翼に艶やかな黒が戻ったことを確認し、烏を空に放つ。烏は力強く羽ばたき、空を舞って雪の上に降りた。

「これで飛べるだろう。さあ、大雪に潰されてしまう。早く去りなさい、黒き旅人」

 大雪が私の存在に気づくのは時間の問題だ。吹雪は止めてしまったが、私とて無闇にこの銀世界を破壊するつもりは無い。私に危害を加えないのなら見逃してやろうと考えていた。折角治したこの烏が私を諦めて飛び去れば、私も直ぐにここを去るつもりだった。

 だが烏は飛ばない。烏は雪崩を喚ぶほど大きな声で一声啼く。それは使い魔が主に自らの力を示す光景に似ていた。

「嗚呼、魔女様。慈悲深きその御心。神々しいその御力。貴女こそが魔に染まらぬ魔女。どうか、どうか、卑しいこの身を従えていただけませんか」

 何を愚かなことを。一蹴しようとした私は烏の強い視線を受けて思い留まる。
 彼は本気だ。何一つ冗談ではない。私を讃えていることも。その上で、私を魔に染まらぬ魔女と呼んだことも。その魔女に従おうとしたことも。

 魔に染まらぬ魔女とは、言い換えれば異端者だ。魔女は魔に染まるからこそ魔女なのであって、内なる魔に突き動かされるべきだ。内なる魔の声に従い、良心を捨てて魔に染まり、自らの望みだけを追い求めるか、他者の不幸を嘲笑うか、或いは世界を破壊する。それこそが魔女の在るべき姿。そうした典型的な魔女の形からはみ出した魔女を蔑む意図で、魔に染まらぬ魔女という蔑称が生まれた。

 しかし、この烏は決して私を蔑んでなどいない。魔に染まらぬ魔女こそが真の魔女と心の底から信じている。烏の瞳からその想いが窺えた。
 そのせいで私は断る機会を失った。即断ではなく逡巡を選んでしまった。その逡巡は変わり者の烏への興味に繋がってしまう。何故彼は魔に染まらぬ魔女を求めるのだろうか。異端者に付き従えばもれなく使い魔も異端となるのは明白だ。他の魔女や使い魔から毛嫌いされるのは容易に予想できるにも関わらず、わざわざ魔に染まらぬ道を選ぶのは何故だ。

 私は無言のまま烏を見つめる。烏も黙ったまま視線を外さない。烏の決意は固い。動けば私が折れざるを得なくなると錯覚しそうになる。

 その時だ。山頂へ続く道から大雪が重い身体を下ろしてきた。人間であれば雪崩と見間違うほどの量の雪が私たちに迫り、良く鍛錬された軍隊のように手前で静止する。

「見つけたぞ、魔女よ。我が配下の雪達磨を潰し、吹雪を止めたのはお前だな
「そうだな。迷い子を捜していた」
「聞けば、魔に染まらぬ魔女と言うではないか」

 大雪は高らかに笑う。周りの積雪たちも声を揃えて嘲笑する。

「魔に染まらぬ魔女などただの娘に過ぎぬ。恐るるに足らぬ。さあ、雪崩に潰されてしまえ」

 雪崩の一部が崩落し、私と烏に向かって濁流のように押し寄せる。魔を有する大雪というのは身体の一部を切り離すことができるらしい。器用なものだ。刃向かわなければ、溜め込んだ魔を奪われることも無かっただろうに。

 私は水に命じる。崩落した雪が一瞬で凍結して微動だにしなくなる。大雪は身を揺すり、氷塊を落とそうとする。

「ふん、凍らせたところで無駄だ。雪崩の恐ろしさを思い知れ、異端の魔女め」
「その氷は動かぬよ。大地まで続く氷だ、動かせば大地も崩れる」
「な……何だと? この量の雪を、大地と共に凍らせたと言うのか?」

 俄かに大雪が狼狽する。私は高らかに笑ってやった。大雪がつい先程私に向けて笑ったように。

「娘も潰せぬ雪崩などただの細流に過ぎぬ。恐るるに足らぬ。さあ、太陽に溶かされてしまえ」

 私は右手を空に掲げる。収束した魔が光として放たれ、厚く空を覆っていた灰色の雲を貫く。空に開いた穴から陽光が降り注ぐ。積雪たちの呻く声がそこかしこから聞こえた。

「大雪よ、かつてこの地は雪に支配されていなかったはずだ。この地を直ちに在るべき姿へ戻せ。さすればその身は狩らぬ」
「今こそ、この地の在るべき姿。この白き世界に魔女は要らぬ。在ってはならぬ。直ちに烏を連れて去れ。さすればその命は狩らぬ」

 大雪は無数の雪玉と氷柱を生み出して私を威嚇する。前にも後ろにも大雪の魔力が立ち込める。烏は羽ばたき、私の肩に止まった。

「魔女様、如何なさるおつもりですか」
「見逃すと思うのか? お前はそこで見ていろ」
「愚かな魔女よ、逃げぬのか? この物量を相手にできる魔女など居らぬ」
「この物量だと? ははッ、この程度で何を言う!」

 堪らず私は大声で笑った。周囲の戦慄など構わず、私は続ける。

「大雪よ、忠告に従わぬのだな。良かろう。ならば、魔女の糧となれ」

 魔女は自身に刃向かうのであれば容赦しない。それは魔に染まらぬ魔女であっても同じだ。従わず、剰え私に挑むのなら、思い知らせてやろう。

 まずはその力を削ぐ。烈風が宙に浮かぶ雪玉と氷柱を粉々に砕き、降り積もった雪を切り裂いて吹き飛ばす。魔法で雪塊を氷塊に変え、僅かな間に私の魔力が一帯を掌握する。私が右手を握ると、氷塊は自壊して光の粒となり、風に流されていく。
 大雪に動揺の色がありありと浮かんだ。当然だ、その身だけでなく魔力さえも消滅させられたのだから。

「そ、そんな……何という力か……!」
「もう遅い。死の寸前まで嘆いていろ」

 氷塊は増殖と自壊を繰り返す。辺り一面の銀世界は、光の粒が彩る金色の世界に変わる。遂には雪に覆われていた大地が顔を覗かせ、久方ぶりの陽光を浴びた。長きにわたり雪に潰されていたせいか、大地は荒れ果てて弱っていた。これは、このまま放置しても再生しないだろう。大雪の罪は重い。

「す、凄い……これが、魔女様の御力なのですね」

 烏は目の前の蹂躙を見て感嘆する。まるで初めて見るような口振りだ。

「何を驚くのだ。お前はこれを知っていて私を捜していたのではないのか」
「人々の噂を正さねばなりません。まさか、これほど圧倒的とは……」
「好きにしろ。どうせ正しく伝わることなど無い」
「お……うおぉ、やめろ、魔女よ、跡形無く消すつもりか……!」
「私に従わぬ雪を残してどうする。消えろ」

 大雪の苦悶の声も、烏の感嘆の声も無視して私は大雪を狩り尽くす。訪れた時の白は微かに残る程度で、山はすっかり土の色に染まった。大雪に耐えた森の樹々が蠢き、陽光を眩しげに見つめていた。誰も彼も生長を忘れているかのように、陽光を浴びても生命を滾らせることは無い。
 思わず溜息が漏れる。土を癒すだけでなく、森を起こさなければならないようだ。

「森よ、聴け」

 魔女の声に反応した樹は半分程度に満たない。他は立ったまま息絶えたか、生を諦めたか、或いは私を信用していないかの何れかだろう。

「根を張れ。命を耕せ。再びこの地を起こすのだ」
「しかし魔女様。この土では生きていけませぬ。根を張れば却って毒となりましょう」

 代表となる樹は力無く応えた。
 私は大雪から溢れ出た魔を手の中に収束させる。辺りを漂っていた光の粒が私の手に集まり、土に降り注ぐ。

「これで多少は豊かな土となるか」
「おお……おお、魔女様、何と豊かな土でしょう! 大雪に閉ざされる前を取り戻したようです」
「そうか。ならば、後は任せる」
「お待ちください魔女様。対価は要らぬのですか」

 樹は律儀にも対価の支払いを申し出る。私は舌打ちした。忘れていれば良いものを。
 誰が決めたか、魔法で救った相手に対価を要求する魔女は多い。対価の先払いを求める魔女も少なくない。馬鹿馬鹿しい決まりだ。森から対価を得たところで何の役に立つと言うのだ。弱者から奪わずとも、罪人から奪えば事足りるだろうに。

 だからこそ、私は魔に染まらぬ魔女と揶揄されるのだが。

「この地を豊かにしろ。対価はそれで良い」

 なおも引き止める声に足を止めることなく、私は山を去る。もうこの地に用は無い。山を下りながらこの煩い烏を空に放てば、私はまた自らの生に集中できる。無駄に時間を要したが、当初の目的を果たすことはできる。
 荒廃した大地を踏み締め、山を下る。烏は一向に飛ぼうとせず、私の肩に止まったままだ。私は堪らず烏に言った。

「おい。さっさと去らないか」
「魔女様、先程の御返事をお聞かせください。聞かねば去りません」
「先程の? 何の話だ」

 私は惚けてみせた。先程の烏の曇りなき瞳は相当な意志の力を宿していた。正面から話せば敗ける気がした。

「どうか、どうか、卑しいこの身を従えていただけませんか。やはり貴女こそ、僕が追い求めていた御方。この身を捧ぐに相応しい御方」

 烏は律儀にも繰り返す。雪の中で聞いた時よりも強く。

「烏など要らぬ。さあ、大空はもう晴れたのだ。早く去りなさい、黒き旅人」

 私は烏の申出を拒んだ。魔に染まらぬ魔女に仕えたところで、この烏に利益は生まれない。ここまで頑なに私を求める理由に興味は有るが、後で手のひらを返されるのも迷惑だ。永く共に過ごせぬのなら、初めから拒むほうが良いのだ。
 しかし烏は私の肩に止まったまま動かず、あの喧しい声で啼く。

「さあ、早く行きましょう、魔女様。虐げられた民の声が聞こえます」
「話を聞け。烏など要らぬ」
「魔女様、まずは西、海の国で哀れな海星が魔女様の救いを乞うています」
「いや、だから話を聞け。烏など何の役に立つ」
「銀雪の魔女が向かうと応えてよろしいですか。声の大きさには自信が有ります」

 烏は今にも啼きそうな様相で私に尋ねる。啼くなと命じても啼くのではないだろうか。自らを従えよと言うくせに、私に従うつもりはあるのか。

 やはり拒絶すると即断すべきだった。二度も同じ過ちを犯すとは。結局私が諦めることとなるのだ。

「……ならば、好きにすると良い。魔に染まらぬ魔女に仕えるなど、物好きな烏も居るものだ」

 皮肉を込めて言ってやると、烏は私の肩の上で恭しく頭を垂れる。

「お褒めに与り光栄です、魔女様」
「私は褒めていないぞ」
「滲み出る慈愛を感じ取りました。なんと優しき御方」

 この烏と会話するのは時間の無駄かもしれない。よくも自分に都合良くすり替えられるものだ。連れ歩くなら私も話し方を学ばなければならないだろう。

「……もう良い。早く啼け。その海星の願いを聴いてやる」

 烏は飛翔して西の空に吼える。その音の行く先に、確かに魔女の救いを乞う声が聞こえた。その願いは強く、純真で、ともすれば悪しき魔女に目を付けられかねない。数多響く声の中から良く聞き分けられたものだと感心してしまう。

「ふむ。使えぬと思ったが、道案内くらいにはなるかもしれぬ」

 そう呟いたのは、騒がしい烏を従えた自分に言い訳したかっただけかもしれない。


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