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笑わぬ虎は、青瞳を愛する。
episódio.20 伯都再来②
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アルコと啸風子が走り逃げた先には、大河の派川となる渓澗がある。
そこに、組紐状のロープ製の沈下橋がかかっているのだが、これまた劣化がはなはだしくところどころ綱断が散見され、渡橋するには一抹の不安がよぎる。
だが、これを渡らねば伯都に追いつかれ、最悪は無言の帰宅となる。
一人と一頭は、石橋を叩きながら、蝸牛のあゆみで慎重に渡り進んで行った。
すると、すでに息を吹き返したらしい伯都が、韋駄天のごとく疾走してきて、付きまとうように好餌を猛追するのである。
伯都の急接近に焦燥動揺した啸風子は、われさきにと、先頭に立っておきながら遅疑して歩幅の小さいアルコを、瀕する危殆の切迫感のあまりに追い抜いて、いち早く対岸に通ずる沈下橋を渡り終えた。すぐにでも崩れ落ちそうな沈下橋に、すっかりすくみ上がるアルコの踏破は、まだ半分にも至っていない。
その暇を盗んで肉迫した伯都が、悪しくも沈下橋に足を踏み入れる。
図体の大きな伯都が沈下橋を四脚でにじるたびに、テグス結びのロープが苦しげに音を立ててきしむ。
須臾にして、アルコがもう三歩ほどで対岸へと渡り着くというときに、ついに沈下橋の補剛桁が轢断のごとくに切れてしまうのだった。
沈下橋が中央にて分裂し、橋梁の敷板に亀裂が入って崩壊する。吊りつながっていた沈下橋が、破断して両岸に垂れ落ちた。足下路面は轟々と鳴動して川底へ崩落し、なにかしらを命綱にしてつかもうがなすすべがない。
言わずもがな、伯都はゴルジェへと落下し、つかのまもなく水没するがままに渦中の最奥まで漂浪していった。
派川の目先には、大河へ続く瀑布がある。その大波をかぶれば、伊達の伯都もひとたまりもなかろう。ここにて伯都のまもなくのむなしき絶息は、決定したと言っても過言ではない。
それはともかく、一大事なるは伯都にあらずである。
渡渉までわずか一歩というところであったアルコが、沈下橋の決壊に足を滑らせ、伯都とともに谷底の河床へ転落してしまったのだ。派川にしては急流だったので、岸上の啸風子が救援のままならずにあたふたしているあいだにも、アルコはみるみるただよい流れて溺れていってしまう。
啸風子は、なにを差し置いても、そのバタくさい白皙のかんばせに一目惚れしたアルコが溺死するのを、本心に従っておおいに恐れた。
助けようか助けまいかなどととつおいつの葛藤に暮れる余地はない。
啸風子は、すかさおのずからアルコにめがけて川中に飛び込んだ。
そして、溺没寸前のアルコの襟元をくわえつかみ、指間膜付きの四つ足をばたつかせて流路に逆らいながら必死に泳ぎて河畔まで力泳する。
ようやく河畔までアルコを運び通せたのも首の皮一枚で、啸風子の泳法がヘボの不得手でなければ彼奴はむせび返るような苦役は免れたはずだ。
岸辺にへたり込むアルコは、大量に水を飲んだがために激しい咳嗽に嗚咽を漏らしはしたものの、命に別状のなさそげであるあたりさいわいである。膝頭を撫でれば意識清明たる返答として粛々とうなずくアルコであるので、心配にはおよばないだろう。
飲み込んだ濁水をすべて吐き出したアルコは、肩で息をしながらも、啸風子に救命の恩人たる謝礼を述べた。
「助かったよ、ルー」
アルコが思うに、もとより啸風子のさまをごく一般のトラにあらずとは考えていたが、こうして人命救助にもクレバーなるを認知したことで、ますますこの野獣の聡明性には感銘を受ける。自分にとって、啸風子の居る生活があたりまえである人生の切願を禁じ得ない。
アルコは、啸風子に一言告白した。
「ぼくたち、親友だね———」
そう告げて、いかにも喜ばしげに笑うアルコの顔面は、いつものようにくしゃくしゃであった。
かたや啸風子は、みずからが世にも美しいと焦がれて一発魅了された相手の鼻声から、よもや「親友」という言葉を拝聴できるとは思わず、一時はあっけにとられてあんぐりと口を開ける。
やおら、自分がアルコの親友たるをひしひしと肌身で感じて、普段の口堅いぶっきらぼうでも胸のはずむばかりに喜悦を隠せない。当時の啸風子は、たしかに相好を崩していたであろう。
啸風子の往時は、親友という存在には無縁であって、従軍と従臣の果てに籠絡されたのはやはり厳重な上下関係である。それがたった今に、アルコとの対等な絆が結ばれたことによってくつがえされた。
自分はアルコの視点上では公平な価値として見なされているのだと感じ入るに、啸風子の射手に対する恍惚はいっそうエスカレートした。
啸風子も、アルコのことを親友と断定する。いなとよ、それ以上に、アルコは啸風子にとってのまぎれもない恋人だった。叶わぬ禁断の慕情だとしても、啸風子はアルコの御身を抱きしめたいという夢だけはどうしても捨てられない。先般こそ「下僕」などと認定していたが、いましがたそれがキャンセルされる。
しかしながら、かく親友の一線を超えてしまったら、きっとアルコとのまたとない値千金の友情は崩れ去ってしまうであろう。これこそ回避したい局面なりて、腹案を練るに己の恋心は生涯封呪すべしと誓う啸風子であった。
そのうち、荒い呼吸を整えたアルコが、「帰ろうか」と提唱したのを機に、啸風子はわれにかえって二人仲のはじかしめらしい妄想を払拭する。
かくして、一難をともに乗り越えた一人と一頭は、外傷ひとつ負わずして帰城するのだった。
そこに、組紐状のロープ製の沈下橋がかかっているのだが、これまた劣化がはなはだしくところどころ綱断が散見され、渡橋するには一抹の不安がよぎる。
だが、これを渡らねば伯都に追いつかれ、最悪は無言の帰宅となる。
一人と一頭は、石橋を叩きながら、蝸牛のあゆみで慎重に渡り進んで行った。
すると、すでに息を吹き返したらしい伯都が、韋駄天のごとく疾走してきて、付きまとうように好餌を猛追するのである。
伯都の急接近に焦燥動揺した啸風子は、われさきにと、先頭に立っておきながら遅疑して歩幅の小さいアルコを、瀕する危殆の切迫感のあまりに追い抜いて、いち早く対岸に通ずる沈下橋を渡り終えた。すぐにでも崩れ落ちそうな沈下橋に、すっかりすくみ上がるアルコの踏破は、まだ半分にも至っていない。
その暇を盗んで肉迫した伯都が、悪しくも沈下橋に足を踏み入れる。
図体の大きな伯都が沈下橋を四脚でにじるたびに、テグス結びのロープが苦しげに音を立ててきしむ。
須臾にして、アルコがもう三歩ほどで対岸へと渡り着くというときに、ついに沈下橋の補剛桁が轢断のごとくに切れてしまうのだった。
沈下橋が中央にて分裂し、橋梁の敷板に亀裂が入って崩壊する。吊りつながっていた沈下橋が、破断して両岸に垂れ落ちた。足下路面は轟々と鳴動して川底へ崩落し、なにかしらを命綱にしてつかもうがなすすべがない。
言わずもがな、伯都はゴルジェへと落下し、つかのまもなく水没するがままに渦中の最奥まで漂浪していった。
派川の目先には、大河へ続く瀑布がある。その大波をかぶれば、伊達の伯都もひとたまりもなかろう。ここにて伯都のまもなくのむなしき絶息は、決定したと言っても過言ではない。
それはともかく、一大事なるは伯都にあらずである。
渡渉までわずか一歩というところであったアルコが、沈下橋の決壊に足を滑らせ、伯都とともに谷底の河床へ転落してしまったのだ。派川にしては急流だったので、岸上の啸風子が救援のままならずにあたふたしているあいだにも、アルコはみるみるただよい流れて溺れていってしまう。
啸風子は、なにを差し置いても、そのバタくさい白皙のかんばせに一目惚れしたアルコが溺死するのを、本心に従っておおいに恐れた。
助けようか助けまいかなどととつおいつの葛藤に暮れる余地はない。
啸風子は、すかさおのずからアルコにめがけて川中に飛び込んだ。
そして、溺没寸前のアルコの襟元をくわえつかみ、指間膜付きの四つ足をばたつかせて流路に逆らいながら必死に泳ぎて河畔まで力泳する。
ようやく河畔までアルコを運び通せたのも首の皮一枚で、啸風子の泳法がヘボの不得手でなければ彼奴はむせび返るような苦役は免れたはずだ。
岸辺にへたり込むアルコは、大量に水を飲んだがために激しい咳嗽に嗚咽を漏らしはしたものの、命に別状のなさそげであるあたりさいわいである。膝頭を撫でれば意識清明たる返答として粛々とうなずくアルコであるので、心配にはおよばないだろう。
飲み込んだ濁水をすべて吐き出したアルコは、肩で息をしながらも、啸風子に救命の恩人たる謝礼を述べた。
「助かったよ、ルー」
アルコが思うに、もとより啸風子のさまをごく一般のトラにあらずとは考えていたが、こうして人命救助にもクレバーなるを認知したことで、ますますこの野獣の聡明性には感銘を受ける。自分にとって、啸風子の居る生活があたりまえである人生の切願を禁じ得ない。
アルコは、啸風子に一言告白した。
「ぼくたち、親友だね———」
そう告げて、いかにも喜ばしげに笑うアルコの顔面は、いつものようにくしゃくしゃであった。
かたや啸風子は、みずからが世にも美しいと焦がれて一発魅了された相手の鼻声から、よもや「親友」という言葉を拝聴できるとは思わず、一時はあっけにとられてあんぐりと口を開ける。
やおら、自分がアルコの親友たるをひしひしと肌身で感じて、普段の口堅いぶっきらぼうでも胸のはずむばかりに喜悦を隠せない。当時の啸風子は、たしかに相好を崩していたであろう。
啸風子の往時は、親友という存在には無縁であって、従軍と従臣の果てに籠絡されたのはやはり厳重な上下関係である。それがたった今に、アルコとの対等な絆が結ばれたことによってくつがえされた。
自分はアルコの視点上では公平な価値として見なされているのだと感じ入るに、啸風子の射手に対する恍惚はいっそうエスカレートした。
啸風子も、アルコのことを親友と断定する。いなとよ、それ以上に、アルコは啸風子にとってのまぎれもない恋人だった。叶わぬ禁断の慕情だとしても、啸風子はアルコの御身を抱きしめたいという夢だけはどうしても捨てられない。先般こそ「下僕」などと認定していたが、いましがたそれがキャンセルされる。
しかしながら、かく親友の一線を超えてしまったら、きっとアルコとのまたとない値千金の友情は崩れ去ってしまうであろう。これこそ回避したい局面なりて、腹案を練るに己の恋心は生涯封呪すべしと誓う啸風子であった。
そのうち、荒い呼吸を整えたアルコが、「帰ろうか」と提唱したのを機に、啸風子はわれにかえって二人仲のはじかしめらしい妄想を払拭する。
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