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7姫の策略
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その日、ユリウスは苛立っていた。
夜明け前に側近に起こされ、夕方になる今までずっと執務室に籠っていたのだ。眠っているリゼルを起こさぬようベッドを抜け出し、マイラに言伝ては頼んだのだが、朝の妻との大切な一時を過ごせないのはユリウスにとって一大事だった。
ただでさえ、招かれざる客人の対応に困り果てているというのに。せめてもの癒しの時間すら奪われたユリウスの不機嫌さは、触れれば噛みつかれそうで、さながら血に飢えた獣のようだった。
まさに触らぬ神に祟りなし。誰もが不用意に彼に近付こうとはしない中、彼の姿を見付けるなり、駆け寄ってきた者がいた。
「陛下!」
高らかに響いた声に、ユリウスは振り返りもせず立ち去ろうとする。
「お待ちくださいな」
「……離していただけるか」
腕に絡み付いてきた細く艶やかな小麦色の手に、ユリウスはあからさまに顔を歪める。しかし、そんな彼にロザーナは余裕の笑みを見せた。
「ようやくお顔を見れましたのに、つれないことを仰らないでくださいな」
しなだれかかるように身体を寄せ、ロザーナは豊満な胸を押し付ける。
「私は、陛下に身も心も捧げるつもりで参りましたの。ですから、この身は全て陛下のもの。好きになさって良いのです。リゼル様には、出来ないことも、私なら……」
「いい加減にしてもらえるか」
いつもより、怒りで低くなったユリウスの声に、ロザーナはビクリと肩を震わせる。一瞬、緩んだ隙を見逃さず、彼女の手を振り払ったユリウスは、鋭く彼女を睨み付ける。
「貴女のことは外交上、無下にはできず黙認していた。だが、あまりにその行動が目に余る場合は、こちらも黙っているわけにはいかない」
溜まりに溜まった苛立ちから、ユリウスは今までになく饒舌だった。そんな彼を、ロザーナは呆気に取られて見ている。
「……ご自分をもっと、大事にされるがいい」
最後にそう言い置いて、ユリウスは動けなくなったロザーナを置き去りにその場を立ち去った。
ただ、ユリウスは気付かなかった。彼女を振り払った際に、大切に懐に入れていたリゼルの花のハンカチを落としてしまったことに。
* * *
リゼルはその夜、緊張した面持ちで部屋の扉をノックした。しばらくして、中から顔を出したのは、笑顔のロザーナだった。
「良かったですわ。もしかしたら、いらしてくださらないかと」
中に招き入れられ、椅子に座るよう促されたリゼルは、視線をさ迷わせる。二人とも、夜ということもあり寝間着姿なのだが、ロザーナの姿は同性のリゼルでも目のやり場に困る程、布面積が少ない。豊満な彼女の胸は、ともすれば飛び出してきそうで心配になってしまった。
「お呼び立てして、申し訳ありません。実はこれを、リゼル様にお渡ししたくて」
お茶を淹れ、席についたロザーナは、一枚のハンカチを差し出す。そこに刺繍されたピンク色の花を目にしたリゼルは、一瞬で凍り付いた。
「何故、これを……?」
動揺すまい、と思いつつ声が震えた。ロザーナはそんなリゼルの様子にほくそ笑みながら、ハンカチを胸元に抱き締める。
「それが……夕刻、陛下からお声をかけていただいて……短い時間ではありましたが、夢のような一時でしたわ」
言いながら、うっとりとハンカチを見つめるロザーナに、リゼルは呼吸すら上手く出来なくなる。苦しくなり、胸元をぎゅっと掴むリゼルに、ロザーナは言葉を続けた。
「夢中で、時が経つのも忘れる程でした。その時、側近の方が探しにいらして、陛下はお仕事へお戻りになったのですが、これを私にくださいましたの。汗をかいただろうから使え、と」
ロザーナはリゼルに向かって、刺繍された花を指差した。
「この花……我が国の花ですから、すぐに分かりましたわ。リゼル様と、同じ名前の花。ですから、これはリゼル様にお返ししますわ」
ニッコリ笑うロザーナを見て、リゼルは苦しかった胸が楽になるのを感じた。ハンカチを受け取り、ロザーナを真っ直ぐに見据える。
「ロザーナ様、私のことなら何とでも仰っていただいて構いません。ですが、陛下のことで、真実をねじ曲げるようなことがあれば、私は許せません」
リゼルの強い言葉に、ロザーナから笑みが消えた。
「陛下はこのハンカチを、勿体ないから使えない、と仰ったのです。だから、貴女に使えと渡したとは、私には信じられません」
「……そう、ですか」
一瞬、呆気に取られたロザーナだったが、すぐに込み上げてきた笑いに身体を震わせた。笑い出したロザーナに、今度はリゼルが呆気に取られる。
「ふふっ……申し訳ありませんでした。ちょっと悪戯が過ぎましたわ……あーあ。元より、お二人の間に私が入る隙などなかったのですね」
目尻に浮かんだ涙を拭い、ロザーナは申し訳なさそうに微笑んだ。
「お許しください。陛下から拒絶され、リゼル様に当たってしまいました」
ユリウスに拒絶されたという言葉に、リゼルは内心胸を撫で下ろした。ユリウスを疑うわけではないのだが、目の前の彼女は体つきはもちろん、佇まいが女性らしく、魅力的なのだ。万が一、一時の気の迷いをユリウスが犯したとしても、リゼルは咎めることができないと思った。
ロザーナは深々と頭を下げると、リゼルに仲直りがしたい、とお茶を勧めてきた。
少しだけ、と付き合うことにしたリゼルだったが、時間が経つにつれ、違和感を覚え始めた。
「リゼル様? どうかなさって?」
リゼルの様子に気付いたロザーナが、彼女の肩に触れる。すると、リゼルの身体を微弱の電流のようなものが駆け巡り、身体が跳ねた。
「……っ」
「あぁ……効いてきましたわね」
身体を包む火照りと、高鳴る心臓の音に目が眩む。もどかしいくらいの甘い疼きを身体の奥に感じながら、リゼルはロザーナが妖しく微笑むのを見た。
夜明け前に側近に起こされ、夕方になる今までずっと執務室に籠っていたのだ。眠っているリゼルを起こさぬようベッドを抜け出し、マイラに言伝ては頼んだのだが、朝の妻との大切な一時を過ごせないのはユリウスにとって一大事だった。
ただでさえ、招かれざる客人の対応に困り果てているというのに。せめてもの癒しの時間すら奪われたユリウスの不機嫌さは、触れれば噛みつかれそうで、さながら血に飢えた獣のようだった。
まさに触らぬ神に祟りなし。誰もが不用意に彼に近付こうとはしない中、彼の姿を見付けるなり、駆け寄ってきた者がいた。
「陛下!」
高らかに響いた声に、ユリウスは振り返りもせず立ち去ろうとする。
「お待ちくださいな」
「……離していただけるか」
腕に絡み付いてきた細く艶やかな小麦色の手に、ユリウスはあからさまに顔を歪める。しかし、そんな彼にロザーナは余裕の笑みを見せた。
「ようやくお顔を見れましたのに、つれないことを仰らないでくださいな」
しなだれかかるように身体を寄せ、ロザーナは豊満な胸を押し付ける。
「私は、陛下に身も心も捧げるつもりで参りましたの。ですから、この身は全て陛下のもの。好きになさって良いのです。リゼル様には、出来ないことも、私なら……」
「いい加減にしてもらえるか」
いつもより、怒りで低くなったユリウスの声に、ロザーナはビクリと肩を震わせる。一瞬、緩んだ隙を見逃さず、彼女の手を振り払ったユリウスは、鋭く彼女を睨み付ける。
「貴女のことは外交上、無下にはできず黙認していた。だが、あまりにその行動が目に余る場合は、こちらも黙っているわけにはいかない」
溜まりに溜まった苛立ちから、ユリウスは今までになく饒舌だった。そんな彼を、ロザーナは呆気に取られて見ている。
「……ご自分をもっと、大事にされるがいい」
最後にそう言い置いて、ユリウスは動けなくなったロザーナを置き去りにその場を立ち去った。
ただ、ユリウスは気付かなかった。彼女を振り払った際に、大切に懐に入れていたリゼルの花のハンカチを落としてしまったことに。
* * *
リゼルはその夜、緊張した面持ちで部屋の扉をノックした。しばらくして、中から顔を出したのは、笑顔のロザーナだった。
「良かったですわ。もしかしたら、いらしてくださらないかと」
中に招き入れられ、椅子に座るよう促されたリゼルは、視線をさ迷わせる。二人とも、夜ということもあり寝間着姿なのだが、ロザーナの姿は同性のリゼルでも目のやり場に困る程、布面積が少ない。豊満な彼女の胸は、ともすれば飛び出してきそうで心配になってしまった。
「お呼び立てして、申し訳ありません。実はこれを、リゼル様にお渡ししたくて」
お茶を淹れ、席についたロザーナは、一枚のハンカチを差し出す。そこに刺繍されたピンク色の花を目にしたリゼルは、一瞬で凍り付いた。
「何故、これを……?」
動揺すまい、と思いつつ声が震えた。ロザーナはそんなリゼルの様子にほくそ笑みながら、ハンカチを胸元に抱き締める。
「それが……夕刻、陛下からお声をかけていただいて……短い時間ではありましたが、夢のような一時でしたわ」
言いながら、うっとりとハンカチを見つめるロザーナに、リゼルは呼吸すら上手く出来なくなる。苦しくなり、胸元をぎゅっと掴むリゼルに、ロザーナは言葉を続けた。
「夢中で、時が経つのも忘れる程でした。その時、側近の方が探しにいらして、陛下はお仕事へお戻りになったのですが、これを私にくださいましたの。汗をかいただろうから使え、と」
ロザーナはリゼルに向かって、刺繍された花を指差した。
「この花……我が国の花ですから、すぐに分かりましたわ。リゼル様と、同じ名前の花。ですから、これはリゼル様にお返ししますわ」
ニッコリ笑うロザーナを見て、リゼルは苦しかった胸が楽になるのを感じた。ハンカチを受け取り、ロザーナを真っ直ぐに見据える。
「ロザーナ様、私のことなら何とでも仰っていただいて構いません。ですが、陛下のことで、真実をねじ曲げるようなことがあれば、私は許せません」
リゼルの強い言葉に、ロザーナから笑みが消えた。
「陛下はこのハンカチを、勿体ないから使えない、と仰ったのです。だから、貴女に使えと渡したとは、私には信じられません」
「……そう、ですか」
一瞬、呆気に取られたロザーナだったが、すぐに込み上げてきた笑いに身体を震わせた。笑い出したロザーナに、今度はリゼルが呆気に取られる。
「ふふっ……申し訳ありませんでした。ちょっと悪戯が過ぎましたわ……あーあ。元より、お二人の間に私が入る隙などなかったのですね」
目尻に浮かんだ涙を拭い、ロザーナは申し訳なさそうに微笑んだ。
「お許しください。陛下から拒絶され、リゼル様に当たってしまいました」
ユリウスに拒絶されたという言葉に、リゼルは内心胸を撫で下ろした。ユリウスを疑うわけではないのだが、目の前の彼女は体つきはもちろん、佇まいが女性らしく、魅力的なのだ。万が一、一時の気の迷いをユリウスが犯したとしても、リゼルは咎めることができないと思った。
ロザーナは深々と頭を下げると、リゼルに仲直りがしたい、とお茶を勧めてきた。
少しだけ、と付き合うことにしたリゼルだったが、時間が経つにつれ、違和感を覚え始めた。
「リゼル様? どうかなさって?」
リゼルの様子に気付いたロザーナが、彼女の肩に触れる。すると、リゼルの身体を微弱の電流のようなものが駆け巡り、身体が跳ねた。
「……っ」
「あぁ……効いてきましたわね」
身体を包む火照りと、高鳴る心臓の音に目が眩む。もどかしいくらいの甘い疼きを身体の奥に感じながら、リゼルはロザーナが妖しく微笑むのを見た。
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