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課題3:僕とボクの体調管理
2:夢と感情と些細な抵抗
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最近夢見が悪いのは本当のことだ。
鏡で見たあの眼。僕を真似て囁いてくる声。あれが嫌でたまらない。
僕そっくりなのに違う目を持つ誰かは、僕の目の前に立って囁き続ける。
僕を包み込むように繰り返す。アクセントまで変わる事なく繰り返すあの夢に、僕はひどく疲れている。
柿原の言葉を訂正をするならば、体調が悪いのではなく、疲れが溜まっている。だろう。
これでも体力には自信がある方なんだけど、消耗が激しいのは否定できない。
目を覚まして、眠る事すらできないくらい疲れている時、ぼんやりと考える。
この夢は、一体いつから見るようになったんだっけ。
いや、考えなくても分かっているんだ。鏡で茶色い瞳を見たあの日からだ。
でも、一体いつの間にこんなに消耗するようになったんだろう。
最初は僕ひとりだった。
気付いたら、目の前に僕が居て。
いつの間にか喋るようになって。
それが煩わしくなって。
それでも声は止まなくて。
無理矢理止めるようになって。
それがエスカレートして。
でも、それは良い結果なんて呼ばないで。
そして疲れきった身体で目を覚ます。
「……しかも最近、毎日だよな……」
夢の彼が言う「彼女」とは十中八九しきちゃんの事だ。
その名前を出されたことはないけれども、彼の想うイメージは伝わってくる。
灰色の長い髪に赤い瞳を持つ、着物の少女。
姿こそ違えど、そのイメージは彼女によく似ている。
イメージは。夢は。僕を確実に蝕んでいる。
だから、具合が悪いのはその後。目が覚めてからが本番と言ってもいい。
毎朝台所で寝ぼけた僕を迎えてくれる彼女が。学校を終えて帰宅した僕に「おかえりなさい」とかけられる声が。夢の声を呼び覚ます。仄かな高揚感が胃の辺りをぐっと掴む。
身体を乗っ取られそうな感覚がする。
強ばる指先を押さえて。笑顔を作って。跳ねそうな心臓を無理矢理押さえて。誰とも知れない声を捩じ伏せて。「おはよう」「ただいま」と応えるのがとても辛い。
今日は上手く返事ができるだろうか?
今日はできても、明日は?
今日できた事が明日できなくなるのはいつだろう?
きっと今日も、家に帰ればこの感覚が蘇る。
明日の朝も。その夜も。
ああ、いっそ帰りたくない。でも、僕の足は必ず家に戻る。
できる事と言えば、買い物で遠回りをしたり、ゆっくり商品を選んでみたり。
それくらいだ。
ああ、なんて些細な抵抗。
そして今日も、僕と買い物袋を乗せたバイクは家へと帰り着く。
鍵をのろのろと取り出して玄関を開けると、ぱたぱたと小さな足音が近付いてくる。僕はその間に背中を向け、玄関に座り込む。以前は結びっぱなしだった靴紐に指をかける。
「おかえり、なさい」
指が一瞬動きを止める。振り向いてはいけないと言い聞かせる。
夢の声が、僕をじわりと蝕むのが嫌でも分かる。あの茶色い眼の主の感情、衝動、全てを押さえ付ける。これを受け入れてはいけない。
靴紐をのろのろと解き終えて、僕はようやく立ち上がった。
振り返ると、少し低い所に灰色の小さな頭があった。赤い目が、僕をじっと見ている。
彼女の視線が、僕の眼を通り抜けて背筋を走る。鼓動を早めそうな心臓を押さえる。
これは幸福感、だろうか。悪い感情ではない。けれども、それを受け入れたら終わりだと僕の何かが強く言う。
こうして感情と戦っていると、平穏な生活を生き抜くために捨てた僕まで顔を出す。
どうせ一時的な同居人だ。それならいっそ血を吸い尽くしてしまったらどうだ。とか。
これまで長らく堪えてきたんだ。微々たる物だがその褒美だと思え。とか。
別になんの感情もないなら、衝動に身を任せてしまっても構わないだろう。とか。
いやいや。僕はもうそんなの嫌なんだ。彼女の悲しげな顔も見たくないし、穏やかに過ごしたいんだ。
二つの声が、僕の中でぐるぐると回る。今の僕とかけ離れた感情が渦巻いて、ひどく気分が悪い。
彼女を大事に、大事にしなくてはいけない。二度とあんな形で友を失うような事はしたくない。触れて。囁いて。この腕に閉じ込めて。その首に牙を立てて吸い尽くして。私の一部に。全てに。彼女は餌で。違う。宝物で。そうじゃない。
――ああ。やかましい。
囁く思考を全て捩じ伏せて、僕はしきちゃんに笑いかけた。
「……ただいま」
うまく、笑えているはずだ。そう思った。が、彼女は少しだけ戸惑った顔をした。
あ。失敗した。と思った。
「お兄さん……具合、悪いのですか?」
「そんな事!」
思わず荒げた声に、びくりと彼女が肩を強ばらせる。しまったと思っても、もう遅い。僕は彼女と視線を合わせて謝る。
「ごめん。体調は……悪くないんだ。けど」
すぐに彼女の赤い目を見ていられなくなって視線を逸らす。彼女を視界に入れないようにしながら、声を整える。
「季節の変わり目だから、かな……夜、うまく眠れなくって」
「そう、ですか」
しきちゃんの声がぽつりと落ちてきた。心配そうなその声に、自分自身が揺らぐ。
今すぐ顔を上げて、抱き寄せて謝りたい。悲しい顔を、寂しい思いをさせたくない。
でも。これが僕自身の感情なのか、夢の声に蝕まれた結果なのかすら分からない。
口を固く結んで、立ち上がる。
「でも、ごはん作るから……ちょっと、待っててね」
「いえ、無理はしないでください。ボク、代わりに」
「いや。いいんだ。僕に作らせて」
彼女は何か言いたげだったが、しばらくして「はい。分かりました」と頷いた。
「でも、袋は持ちます」
「うん……ありがとう」
あれだけ悩んで選んだ割に、夕飯のおかずはそんなに時間がかからなかった。
魚とエノキをアルミで蒸し焼きにして、付け合わせを用意して。
あとは炊飯器が鳴るのを待つばかり。
そしてそれも、すぐに鳴った。
皿に盛り付けたら、しきちゃんがテーブルまで運んでくれる。
席についていただきます、と食べ始めるが、会話は進まない。
テレビの音だけが部屋を明るく演出するけれど、それだけだ。画面の向こうから流れる笑い声は楽しいはずなのに、ちっともそう感じられない。
「やっぱり……」
ぽつりと、しきちゃんが言う。
「うん?」
「お兄さん、具合が悪そうです」
「……そう、かな」
食べ終えて空になったアルミホイルを箸で小さく畳みながら答える。
自分でも白々しく聞こえるそれが、彼女を納得させられる訳がない。
「無理は、しないでくださいね」
「うん。ごめんね」
それから食べ終えた食器を片付けて、それぞれ言葉少なに夜を過ごし。「おやすみ」とだけ交わして部屋へと戻った。
鏡で見たあの眼。僕を真似て囁いてくる声。あれが嫌でたまらない。
僕そっくりなのに違う目を持つ誰かは、僕の目の前に立って囁き続ける。
僕を包み込むように繰り返す。アクセントまで変わる事なく繰り返すあの夢に、僕はひどく疲れている。
柿原の言葉を訂正をするならば、体調が悪いのではなく、疲れが溜まっている。だろう。
これでも体力には自信がある方なんだけど、消耗が激しいのは否定できない。
目を覚まして、眠る事すらできないくらい疲れている時、ぼんやりと考える。
この夢は、一体いつから見るようになったんだっけ。
いや、考えなくても分かっているんだ。鏡で茶色い瞳を見たあの日からだ。
でも、一体いつの間にこんなに消耗するようになったんだろう。
最初は僕ひとりだった。
気付いたら、目の前に僕が居て。
いつの間にか喋るようになって。
それが煩わしくなって。
それでも声は止まなくて。
無理矢理止めるようになって。
それがエスカレートして。
でも、それは良い結果なんて呼ばないで。
そして疲れきった身体で目を覚ます。
「……しかも最近、毎日だよな……」
夢の彼が言う「彼女」とは十中八九しきちゃんの事だ。
その名前を出されたことはないけれども、彼の想うイメージは伝わってくる。
灰色の長い髪に赤い瞳を持つ、着物の少女。
姿こそ違えど、そのイメージは彼女によく似ている。
イメージは。夢は。僕を確実に蝕んでいる。
だから、具合が悪いのはその後。目が覚めてからが本番と言ってもいい。
毎朝台所で寝ぼけた僕を迎えてくれる彼女が。学校を終えて帰宅した僕に「おかえりなさい」とかけられる声が。夢の声を呼び覚ます。仄かな高揚感が胃の辺りをぐっと掴む。
身体を乗っ取られそうな感覚がする。
強ばる指先を押さえて。笑顔を作って。跳ねそうな心臓を無理矢理押さえて。誰とも知れない声を捩じ伏せて。「おはよう」「ただいま」と応えるのがとても辛い。
今日は上手く返事ができるだろうか?
今日はできても、明日は?
今日できた事が明日できなくなるのはいつだろう?
きっと今日も、家に帰ればこの感覚が蘇る。
明日の朝も。その夜も。
ああ、いっそ帰りたくない。でも、僕の足は必ず家に戻る。
できる事と言えば、買い物で遠回りをしたり、ゆっくり商品を選んでみたり。
それくらいだ。
ああ、なんて些細な抵抗。
そして今日も、僕と買い物袋を乗せたバイクは家へと帰り着く。
鍵をのろのろと取り出して玄関を開けると、ぱたぱたと小さな足音が近付いてくる。僕はその間に背中を向け、玄関に座り込む。以前は結びっぱなしだった靴紐に指をかける。
「おかえり、なさい」
指が一瞬動きを止める。振り向いてはいけないと言い聞かせる。
夢の声が、僕をじわりと蝕むのが嫌でも分かる。あの茶色い眼の主の感情、衝動、全てを押さえ付ける。これを受け入れてはいけない。
靴紐をのろのろと解き終えて、僕はようやく立ち上がった。
振り返ると、少し低い所に灰色の小さな頭があった。赤い目が、僕をじっと見ている。
彼女の視線が、僕の眼を通り抜けて背筋を走る。鼓動を早めそうな心臓を押さえる。
これは幸福感、だろうか。悪い感情ではない。けれども、それを受け入れたら終わりだと僕の何かが強く言う。
こうして感情と戦っていると、平穏な生活を生き抜くために捨てた僕まで顔を出す。
どうせ一時的な同居人だ。それならいっそ血を吸い尽くしてしまったらどうだ。とか。
これまで長らく堪えてきたんだ。微々たる物だがその褒美だと思え。とか。
別になんの感情もないなら、衝動に身を任せてしまっても構わないだろう。とか。
いやいや。僕はもうそんなの嫌なんだ。彼女の悲しげな顔も見たくないし、穏やかに過ごしたいんだ。
二つの声が、僕の中でぐるぐると回る。今の僕とかけ離れた感情が渦巻いて、ひどく気分が悪い。
彼女を大事に、大事にしなくてはいけない。二度とあんな形で友を失うような事はしたくない。触れて。囁いて。この腕に閉じ込めて。その首に牙を立てて吸い尽くして。私の一部に。全てに。彼女は餌で。違う。宝物で。そうじゃない。
――ああ。やかましい。
囁く思考を全て捩じ伏せて、僕はしきちゃんに笑いかけた。
「……ただいま」
うまく、笑えているはずだ。そう思った。が、彼女は少しだけ戸惑った顔をした。
あ。失敗した。と思った。
「お兄さん……具合、悪いのですか?」
「そんな事!」
思わず荒げた声に、びくりと彼女が肩を強ばらせる。しまったと思っても、もう遅い。僕は彼女と視線を合わせて謝る。
「ごめん。体調は……悪くないんだ。けど」
すぐに彼女の赤い目を見ていられなくなって視線を逸らす。彼女を視界に入れないようにしながら、声を整える。
「季節の変わり目だから、かな……夜、うまく眠れなくって」
「そう、ですか」
しきちゃんの声がぽつりと落ちてきた。心配そうなその声に、自分自身が揺らぐ。
今すぐ顔を上げて、抱き寄せて謝りたい。悲しい顔を、寂しい思いをさせたくない。
でも。これが僕自身の感情なのか、夢の声に蝕まれた結果なのかすら分からない。
口を固く結んで、立ち上がる。
「でも、ごはん作るから……ちょっと、待っててね」
「いえ、無理はしないでください。ボク、代わりに」
「いや。いいんだ。僕に作らせて」
彼女は何か言いたげだったが、しばらくして「はい。分かりました」と頷いた。
「でも、袋は持ちます」
「うん……ありがとう」
あれだけ悩んで選んだ割に、夕飯のおかずはそんなに時間がかからなかった。
魚とエノキをアルミで蒸し焼きにして、付け合わせを用意して。
あとは炊飯器が鳴るのを待つばかり。
そしてそれも、すぐに鳴った。
皿に盛り付けたら、しきちゃんがテーブルまで運んでくれる。
席についていただきます、と食べ始めるが、会話は進まない。
テレビの音だけが部屋を明るく演出するけれど、それだけだ。画面の向こうから流れる笑い声は楽しいはずなのに、ちっともそう感じられない。
「やっぱり……」
ぽつりと、しきちゃんが言う。
「うん?」
「お兄さん、具合が悪そうです」
「……そう、かな」
食べ終えて空になったアルミホイルを箸で小さく畳みながら答える。
自分でも白々しく聞こえるそれが、彼女を納得させられる訳がない。
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