僕とボクの日常攻略

水無月 龍那

文字の大きさ
20 / 47
課題4:僕と**の夢

1:懐かしき霧の街と溜息

しおりを挟む
 ゆっくりと浮かび上がるように目を覚ました。
 そこは僕の部屋のように見えた。
 見えただけだ。寝ぼけた頭は一瞬騙されかけたけど、部屋を満たす匂いの違いは逃さなかった。
 霧。油と煤。それから血の匂い。
 部屋に満ちているそれはとても懐かしく、できる事なら思い出したくなかった街の景色を告げる。
 
 名はロンドン。
 彼の地が嫌いな訳ではない。今でも大切な僕の一部だ。

 ただ――しかし、でもいい。あの頃の僕は、吸血鬼としてまだ若く、放浪に疲れ果てていた。正直頭を抱えたくなるような荒れ具合だった。いわゆる黒歴史だ。
 当時は太陽の光なんて嫌いだった。ただただ眩しくて、息苦しくて。僕らのような存在など邪魔だと言いたげな、居心地の悪くなるようなちくちくとした感覚が嫌だった。
 そんな僕にとって、この街は大変に居心地が良かった。蒸気と霧で覆われた街に届く太陽は、弱々しくて過ごしやすかった。

 そんな街角で僕は特に何をするでもなく、新しい技術だの、労働問題だの、日々の新聞や人々の話を聞き集めてぼんやりと過ごしていた。僕はこれまでの長い時間と、これからの長い長い時間の使い方を考えては、その先の見えなさにがっくりしていた。
 
 本当、当時の僕に何か言えるなら「馬鹿者」と言いたい。
 まだまだ僕が世界を知らない、知ろうとする事すらしなかったあの頃……いや、もっと昔から外に興味を持っていれば。もう少し世界は明るく見えていたかもしれないと思うと、余計にだ。
 ……ああ、やだやだ。思い出すのやめよう。
 頭を掻いて現実を見ようと試みる。そして自分の服に気付く。
 指が髪に触れるより先に腕を下ろして手首を捻る。視線を落とす。袖口のカフス。そのままなぞるように、白いシャツ。髪色によく似た色のタイ。黒のベストと揃いのズボン。
「うっわあ……勘弁して欲しい」
 思わずそんな声が漏れた。
 抱えた頭から手を離すと、指先に伸びた髪が絡まってついてきた。予想が確信に変化する。何度か指に引っ掛けてその髪を梳いてやりながら、状況を把握する。

 これは夢だ。それはきっと正解。そして僕は今、とても苦い顔をしている。
 ここは僕の部屋だ。ただ、僕が閉じこもったあの部屋ではない。とても良く似た別の場所。これが夢だというのなら、現実の僕は今頃床で寝こけているのだろう。

 違うのは僕の姿。見た限りでは当時よく着ていた服。髪が伸びているから、外見もあの頃に戻っているのだろう。顔は変わらないはずだけど。
「部屋の中は変わりない……か」

 ベッド。本棚。床敷に机。少し片付いているような気がする、程度の違和感。特に妙な所はない。ただ一カ所。閉め切ったカーテンからは、夜明けとも夕暮れとも違う薄暗さが漏れていた。
 少しだけ躊躇って、一気に開ける。
 窓の向こうに広がる景色は、静かな住宅地ではなかった。

 霧と蒸気が立ちこめる石造りの街。
 薄暗い空と見覚えのある石畳は、とても懐かしい。

 そう。僕はこの町でひっそりと毎日……毎晩を過ごしていた。
 当時の空気を感じた瞬間、頭が眩んだ。途端に感覚が、視界が、過去へと引きずられていく。水に落としたインクのように、僕は深い過去へと落ちていく。
 意識も。感覚も。記憶も――。
 
「またか……」
 薄暗くなってきた窓の外に背を向け、新聞を眺めながら僕は溜息をついた。新聞の見出しには、新たな死体を知らせるニュースがでかでかと載っていた。
「そう言うニュースは元々多いけど、最近は頓に物騒だねえ」
 はい、と切り分けたパンをテーブルに置きながら背の高い影が笑う。
「んー……にしてもこれはなんというか。惨いよなあ」
「それは君の言えた台詞じゃないよ、ウィル」
 その言葉にむむ、と言葉が詰まる。全く正論すぎて言葉もない。
「言うけどね、テオ。僕のは……生活のためなんだよ」
「うん。生活のためね」
「そうだよ。だいたい、君こそ僕の話聞いてる? こんな物騒な時に、夜の街を躊躇いなく歩くなって言ってんの」
 分かってる? とたたみ掛けるように視線を向けても、影は笑うばかりだ。
「あはは、そうだね。気をつけるよ」
 本当に分かってるのかとため息が出た。

 今、僕が住んでいる街では、ひとつの事件が世間を騒がせている。
 週末。月末。あるいはその近辺になると、無残に斬り裂かれた遺体が見つかる。

 犯人は分からない。というか、これだけ被害者が見つかっているというのに進展がない所を見るに、警察はうまく動けていないのだろう。
 もしかしたら死体や殺人があまりに日常的すぎた挙げ句、事件を追うほどの興味がないのかもしれない。医療関係者だなんだのと、様々な人物が噂に挙がるから迂闊に手が出せないのかもしれない。
 挑発的な手紙や書き残しもあると言うが、いたずらも多く、真偽はどんどん埋もれていく。結果、彼らの手は犯人に届かない。

 新聞を畳んでテーブルに放り投げる。食べたパンは口の中でまだパサパサと存在感を主張する、それを流すべく口にしたコーヒーは濃く苦い。
「……」
 思わず舌打ちする。気分転換になるものがない。外に出ても、煙と炭の匂いがつきまとう。闇は煤と血が混ざり合い、どろどろとしていて肌に気持ち悪い。

 僕はこんな街に嫌気が差し始めていた。
 最新鋭の技術だとか、労働問題だとか、格差だとか。華やかな発展の影にあった問題が取り上げられ、人々に織り積もっていた薄暗さを浮かび上がらせていく。
 闇夜に紛れた事件だって、そんな世の中や世界に対する鬱憤をはらす為の物だとしか思えない。起きて当たり前だ。
 こんなにも居心地の悪い世界、それがストレスになっているのか「喉が渇く」日がとても多くなっていた。
 僕もある意味この街にお似合いなのかもしれない。

 だらだらと外へ出る準備をしながら溜息をつくと、影が声をかけてきた。
「あれ。今夜も出掛けるの?」
「ああ。君は気にせず帰って寝てくれ」
 分かったよ、という声がコートを羽織る音に重なる。
 それ以上何も言わず、僕は外へ出た。
 
 息が白い。そろそろ冬だ。
 澄み渡る空、とはいかない。空は煙に覆われて星はよく見えない。
 
 なんだかんだと文句を言っても、事件は良い隠れ蓑になっている。その点では犯人に感謝しなくてはいけないのかもしれない。僕は週に二、三度という、かつてない頻度で夜を適当に歩き、誰かを見つけては血を飲んでいた。バレてはいないはずだけど、隠すつもりもなかった。たとえ僕の知らない所で話題になっていたとしても、事件で霞んでしまっている。問題ない。
 
「随分と……寒くなってきたな」
 着込んだコートの前を合わせ、僕はいつものように夜の街を歩いていた。
 夜も随分と深まっていた。事件の影響もあるのだろう。喧噪も人の気配も薄い。
 血なまぐさい事件が起きているとは言うが、僕は夜の眷属だ。ちょっとやそっとじゃ死なない、命の王の一員だ。人間など怖いはずはなかった。

 だから、夜深くまで警戒もなしに街をうろつく僕は、耳にしてしまった。
 そして、足を止めてしまった。
 僕の耳に僅かに届いた、掠れた悲鳴と、喉が思わず鳴るように香る血の匂いに。

 僕の何かがやめておけと制するが、そんなの知ったことかと振り切る。匂いに惹かれるまま、路地を、影を一足飛びに駆けてその場所へと向かった。
 訳もなく取る食事は味気なく、日々は単調。世間は物騒で、苛々する。僕が奪ってきた血液は欲を満たすには足りなかった。結局は飢えているのだ。浴びるほど、血を飲みたかったのだ。自分の服が、身体が、汚れることなんてお構いなしに、血を飲む理由。

 ――夜を騒がす殺人鬼の成敗。
 僕はこれを欲していたのだろう。
 正義の名の下に? 街の平和のために? そんなの知らないけど、消えてもいいような奴なら遠慮は要らないだろう、なんて。言い訳のような理由を手にしたかったのだろう。

 そうして現場に遭遇した僕は、振り返った影の表情が固まったのを見た。
 腕には息も絶え絶えで空を見ている女性。喉を深く切り裂いたナイフを握りしめてこっちを凝視する影。その眼に映る、その目に映った僕は。
 
 一体どんな顔をしていただろう?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

やさしいキスの見つけ方

神室さち
恋愛
 諸々の事情から、天涯孤独の高校一年生、完璧な優等生である渡辺夏清(わたなべかすみ)は日々の糧を得るために年齢を偽って某所風俗店でバイトをしながら暮らしていた。  そこへ、現れたのは、天敵に近い存在の数学教師にしてクラス担任、井名里礼良(いなりあきら)。  辞めろ辞めないの押し問答の末に、井名里が持ち出した賭けとは?果たして夏清は平穏な日常を取り戻すことができるのか!?  何て言ってても、どこかにある幸せの結末を求めて突っ走ります。  こちらは2001年初出の自サイトに掲載していた小説です。完結済み。サイト閉鎖に伴い移行。若干の加筆修正は入りますがほぼそのままにしようと思っています。20年近く前に書いた作品なのでいろいろ文明の利器が古かったり常識が若干、今と異なったりしています。 20年くらい前の女子高生はこんな感じだったのかー くらいの視点で見ていただければ幸いです。今はこんなの通用しない! と思われる点も多々あるとは思いますが、大筋の変更はしない予定です。 フィクションなので。 多少不愉快な表現等ありますが、ネタバレになる事前の注意は行いません。この表現ついていけない…と思ったらそっとタグを閉じていただけると幸いです。 当時、だいぶ未来の話として書いていた部分がすでに現代なんで…そのあたりはもしかしたら現代に即した感じになるかもしれない。

処理中です...