23 / 47
課題4:僕と**の夢
4:この家を断ち切ろうと思って
しおりを挟む
それ以来、私の喉は少しずつ食べ物を拒み始め、いつしか何も通らなくなっていた。身体が拒否しているのか心が拒否しているのかは分からない。
ただ。一つだけ確かなのは。
座敷童として、この家に縛り付けられるのを、黙って殺されるのを待つのは嫌だった。
「そんなの……」
理不尽に架せられる運命など、許されるはずはない。
家の座敷童。
見た事はないけれども、母屋の土間に小さな祀り棚があるのは知っていた。
日記を見た時にあった親近感はいつしか、淡い想いを通り越し、家に対する怒りと、彼女を解放しなければならないという義務感へと変わっていた。
□ ■ □
ある夜。私は寝苦しさに目を覚ました。
体が重い。熱い。
布団をどかしても熱は冷めない。
風に当たれば少しはマシだろうか。と、靴を履いて外に出た。
夜風が頬に冷たい。月影はない。星だけが綺麗に瞬いている。
「まだ……朝も遠いか」
最近は眠ることすら身体への負担へとなっていた。起きていた方がいいのか寝たほうがいいのかも分からない。
私は、このままじわじわと死ぬのだろう。
細っていく月のように。いつかは夜空に溶けてしまうのだろう。
いや。月はまた日が巡れば姿を現す。
私は死ねばそれまでだ。
いや、座敷童として生きられるのだろうか?
そのような不確定なものに。
「……振り回されたくは、ない」
ふと、そう思った。
そうだ。逃げよう。
この家を断ち切って、出て行こう。
そう決めた私は。
そっと庭を後にして、母屋へと向かった。
□ ■ □
土間は静かだった。誰も居ない。火の気配もない。
置いてあった果物や日持ちする食事をいくつか袋に放り込んでいると、片隅にある祀り棚が視界に入った。
ふと、座敷童の少女の事が気に掛かった。
彼女は。ずっとここに在り続けるのだろうか。
私がその役目を放棄しても。
いや、放棄しなくても。
この家に縛り付けられ続るのではないだろうか。
この家がどうなっても構わない。
けれどもせめて。
せめて彼女だけはどうにかしてあげたい。
そんな気持ちが胸の底で熱を持った。
そうだ。
ならば。この家の血を絶やしてしまおう。
家が無くなれば。此処に縛られる理由は無い。
流しに置いてあった包丁を、そっと手に取ってみた。
ずしりと重いそれは、差し込む夜を鈍く反射する。
大丈夫。不安はなかった。
この家の誰もが居なくなれば。
きっと。
彼女を自由にできる。
□ ■ □
包丁を手にした私の行動は早かった。
寝息を立てる父と母の喉を突き。
文机に小さな明かりを灯して本を読んでいた兄の腹を抉り。
廊下で腰を抜かし震えていた弟は、楽に送ってやると言い聞かせて胸を刺した。
布団で手を繋いだ父母。自室で本を腹に広げた兄。隣に転がる弟。
全員が息絶え、刃はすっかり毀れていた。仕方ない。十分保った方だと思う。
夜は静謐そのものであった。
私の心は何とも言いようのない晴れやかな色をしていた。
そうして戻ってきた土間で、私は見知らぬ子供を見た。
幼い女の子だ。上等な仕立ての赤い着物。背中まで伸びる長い髪は灰色。それを大きなリボンでまとめている。
頬をぽろぽろと転がる雫が見て取れた。
泣いている。
私に背を向けた彼女から、目が離せなかった。
私に気付いた彼女は、その涙を拭う事もなくこちらを振り向く。
涙を湛えた茶色の瞳が、私の姿を映した。
胸がずきりと痛んだような気がしたが、それよりも、彼女があの日記にあった子だという確信と、やっと会うことができたという想いが勝る。
灰色の髪は私以外に居ない。幼い女の子などこの家には居ない。
居るとするならば、あの日記にあった娘――柔らかく香る名を持つ座敷童だ。
「お兄、さん……」
彼女は小さな唇を開いて私をそう呼んだ。返事をするより先に、私の元へと近付き、包丁を持つ手にそっと触れてきた。
ひやりともしない。ぬくもりもない。
触れられた事も分からないが、彼女の小さな手は確かに私の手にあった。
「お兄さんが、この家を……壊してしまったのですか?」
「壊した?」
問い返すと彼女はこくりと頷いた。
私を見上げる大きな瞳から、また、雫がこぼれ落ちる。
「ボク……、ボクは、この家を」
言葉と視線が、涙を追うように足元へと落ちる。
「ああ、守らなくてはならないのだね」
彼女の肩が、揺れた。それから、こくりと頷いたのか髪が揺れた。
「すまないね。確かに壊してしまった。でも、君はもうこの家の座敷童などという役割は捨てても良いんだよ」
天井を見上げると、夜空以上に淀んだ闇が見えた。
嗚呼。彼女はこんな家に居たのだ。解放してあげなくてはならない。
きっと、これが私に出来る唯一の事だ。
「私は。君に聞きたかった事がある」
彼女は泣き腫らした目のまま私を見上げる。
潤むその目は、とても綺麗で。
できる事ならばその中に私を閉じ込めてしまいたくなった。
そのような事出来る訳無いと嘲笑し、思い直す。
そして、ひとつ。疑問を彼女に落とした。
「――この家は、良い家だと思うかい?」
ただ。一つだけ確かなのは。
座敷童として、この家に縛り付けられるのを、黙って殺されるのを待つのは嫌だった。
「そんなの……」
理不尽に架せられる運命など、許されるはずはない。
家の座敷童。
見た事はないけれども、母屋の土間に小さな祀り棚があるのは知っていた。
日記を見た時にあった親近感はいつしか、淡い想いを通り越し、家に対する怒りと、彼女を解放しなければならないという義務感へと変わっていた。
□ ■ □
ある夜。私は寝苦しさに目を覚ました。
体が重い。熱い。
布団をどかしても熱は冷めない。
風に当たれば少しはマシだろうか。と、靴を履いて外に出た。
夜風が頬に冷たい。月影はない。星だけが綺麗に瞬いている。
「まだ……朝も遠いか」
最近は眠ることすら身体への負担へとなっていた。起きていた方がいいのか寝たほうがいいのかも分からない。
私は、このままじわじわと死ぬのだろう。
細っていく月のように。いつかは夜空に溶けてしまうのだろう。
いや。月はまた日が巡れば姿を現す。
私は死ねばそれまでだ。
いや、座敷童として生きられるのだろうか?
そのような不確定なものに。
「……振り回されたくは、ない」
ふと、そう思った。
そうだ。逃げよう。
この家を断ち切って、出て行こう。
そう決めた私は。
そっと庭を後にして、母屋へと向かった。
□ ■ □
土間は静かだった。誰も居ない。火の気配もない。
置いてあった果物や日持ちする食事をいくつか袋に放り込んでいると、片隅にある祀り棚が視界に入った。
ふと、座敷童の少女の事が気に掛かった。
彼女は。ずっとここに在り続けるのだろうか。
私がその役目を放棄しても。
いや、放棄しなくても。
この家に縛り付けられ続るのではないだろうか。
この家がどうなっても構わない。
けれどもせめて。
せめて彼女だけはどうにかしてあげたい。
そんな気持ちが胸の底で熱を持った。
そうだ。
ならば。この家の血を絶やしてしまおう。
家が無くなれば。此処に縛られる理由は無い。
流しに置いてあった包丁を、そっと手に取ってみた。
ずしりと重いそれは、差し込む夜を鈍く反射する。
大丈夫。不安はなかった。
この家の誰もが居なくなれば。
きっと。
彼女を自由にできる。
□ ■ □
包丁を手にした私の行動は早かった。
寝息を立てる父と母の喉を突き。
文机に小さな明かりを灯して本を読んでいた兄の腹を抉り。
廊下で腰を抜かし震えていた弟は、楽に送ってやると言い聞かせて胸を刺した。
布団で手を繋いだ父母。自室で本を腹に広げた兄。隣に転がる弟。
全員が息絶え、刃はすっかり毀れていた。仕方ない。十分保った方だと思う。
夜は静謐そのものであった。
私の心は何とも言いようのない晴れやかな色をしていた。
そうして戻ってきた土間で、私は見知らぬ子供を見た。
幼い女の子だ。上等な仕立ての赤い着物。背中まで伸びる長い髪は灰色。それを大きなリボンでまとめている。
頬をぽろぽろと転がる雫が見て取れた。
泣いている。
私に背を向けた彼女から、目が離せなかった。
私に気付いた彼女は、その涙を拭う事もなくこちらを振り向く。
涙を湛えた茶色の瞳が、私の姿を映した。
胸がずきりと痛んだような気がしたが、それよりも、彼女があの日記にあった子だという確信と、やっと会うことができたという想いが勝る。
灰色の髪は私以外に居ない。幼い女の子などこの家には居ない。
居るとするならば、あの日記にあった娘――柔らかく香る名を持つ座敷童だ。
「お兄、さん……」
彼女は小さな唇を開いて私をそう呼んだ。返事をするより先に、私の元へと近付き、包丁を持つ手にそっと触れてきた。
ひやりともしない。ぬくもりもない。
触れられた事も分からないが、彼女の小さな手は確かに私の手にあった。
「お兄さんが、この家を……壊してしまったのですか?」
「壊した?」
問い返すと彼女はこくりと頷いた。
私を見上げる大きな瞳から、また、雫がこぼれ落ちる。
「ボク……、ボクは、この家を」
言葉と視線が、涙を追うように足元へと落ちる。
「ああ、守らなくてはならないのだね」
彼女の肩が、揺れた。それから、こくりと頷いたのか髪が揺れた。
「すまないね。確かに壊してしまった。でも、君はもうこの家の座敷童などという役割は捨てても良いんだよ」
天井を見上げると、夜空以上に淀んだ闇が見えた。
嗚呼。彼女はこんな家に居たのだ。解放してあげなくてはならない。
きっと、これが私に出来る唯一の事だ。
「私は。君に聞きたかった事がある」
彼女は泣き腫らした目のまま私を見上げる。
潤むその目は、とても綺麗で。
できる事ならばその中に私を閉じ込めてしまいたくなった。
そのような事出来る訳無いと嘲笑し、思い直す。
そして、ひとつ。疑問を彼女に落とした。
「――この家は、良い家だと思うかい?」
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
やさしいキスの見つけ方
神室さち
恋愛
諸々の事情から、天涯孤独の高校一年生、完璧な優等生である渡辺夏清(わたなべかすみ)は日々の糧を得るために年齢を偽って某所風俗店でバイトをしながら暮らしていた。
そこへ、現れたのは、天敵に近い存在の数学教師にしてクラス担任、井名里礼良(いなりあきら)。
辞めろ辞めないの押し問答の末に、井名里が持ち出した賭けとは?果たして夏清は平穏な日常を取り戻すことができるのか!?
何て言ってても、どこかにある幸せの結末を求めて突っ走ります。
こちらは2001年初出の自サイトに掲載していた小説です。完結済み。サイト閉鎖に伴い移行。若干の加筆修正は入りますがほぼそのままにしようと思っています。20年近く前に書いた作品なのでいろいろ文明の利器が古かったり常識が若干、今と異なったりしています。
20年くらい前の女子高生はこんな感じだったのかー くらいの視点で見ていただければ幸いです。今はこんなの通用しない! と思われる点も多々あるとは思いますが、大筋の変更はしない予定です。
フィクションなので。
多少不愉快な表現等ありますが、ネタバレになる事前の注意は行いません。この表現ついていけない…と思ったらそっとタグを閉じていただけると幸いです。
当時、だいぶ未来の話として書いていた部分がすでに現代なんで…そのあたりはもしかしたら現代に即した感じになるかもしれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる