幽けき、夜戯。

きーち

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幽けき、夜戯。

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この街は、夜に鳴く。





「毎晩、この街から1人が消える」

噂は何十年も前からこの街にあった。
しかし事実が確認されておらず、単なる都市伝説といわれていた。





この街は、夜に啼く。





見えない事実がそこにはある。
毎晩、1人がそれを知る。

1時過ぎのこの街を、今日はこの男が歩いている。隣町で酒を浴びてきたらしい、千鳥足だった。
ネオン街を抜けた男は、自宅へと続く道を辿っていた。
そして、ある路地裏に差し掛かった途端に男の顔は覚めきった。何かを、第六感と呼ぶべきもので感じたのだ。男は一度通り過ぎた路地裏を覗いた。
男は、この気配に少なからずの恐怖を感じていた。
『君は…夜だ』
実体のない何かが言った。か細い男の声だった。

今日はこの男が消える。

「何だ。何か、いるのか」
やはりなにもない、気のせいだ。まだ自分は酔いの中にいるのだな。
男はまた歩き出した。
『君の心……陰り』
また、か細い声が聞こえた。
やはり、何かがいる。声は1つなのに、四方八方から聞こえる。奇妙なことだ。
『君の心には夜がある……』
次の瞬きで、景色が変わった。それはそれは、悍しい景色が、目の前に描写された。
決して広くはないこの道に、何百人という人が密となって男を囲んでいるのだ。
男は声が出なかった。
『君は…夜なんだよ』
どういう意味だ。意味がわからない。
男は会話してはならないと、反射的に思った。
『君は……寂しい』
寂しい…………。ああそうだ、寂しい。家に帰れば妻と娘がいる。私の事を、毛嫌いする2人だ。家に居場所はない。一体、誰が養っていると………。本当は、帰りたくない。酒のおかげで少しの間は、明日の朝までは、忘れられると思ったのに。
『おいで、おいで。ここは、寂しくない』
男を囲む人らの顔は、寂しい顔だった。男を、救いたがっている顔だった。
『一緒に……夜になろう』
あぁ…彼らは救いだ。
男はそっと彼らに吸い込まれた。

男は、この街から消えた。
その妻子は、男の帰らないのを気にも止めなかったという。

この街は、寂しいで溢れている。
彼らは、男を救いたかった。

こうして彼らは、毎晩寂しい1人を救う。

男の判断は正しかった。
男は、一生夜だった。真っ暗な毎日を送っていた。明けない夜だった。

そして男は明日の晩、寂しい誰かを救う。



『君は…夜だ。明けない……夜だ』

彼らは夜に「寂しい」を1つ、この街から消し去る。

『おいで、おいで。ここは、寂しくない』


幽けき夜戯が今夜も開かれる。
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