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ある日突然
神が
現れました
「誰だあんた」
俺は彼を神だと知らずにこんな失礼な態度を神に対して取ってしまう
だが神はそんな俺に対しておそらく怒りの感情を持たずにこう言った。
「ふむ。そのように警戒するのも無理はないだろう。私は、君たちが『神』と呼ぶ存在だ」
落ち着いた、それでいてどこか人間離れした響きを持つ声だった。俺はその言葉をすぐには理解できなかった。いや、理解することを脳が拒否したのかもしれない。
「……は?」
間抜けな声が出た。目の前の男、いや、「神」を名乗る存在は、特に服装が変わっているわけでも、後光が差しているわけでもない。強いて言うなら、その佇まいが異常に静かで、まるで世界の騒がしさから一人だけ切り離されているような、そんな不思議な空気をまとっているだけだ。
「え、神……? あの、神社とかによくいるっていう、賽銭入れると願い事聞いてくれるかもしれないっていう、あの?」
自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。神様が、こんな俺の、六畳一間のアパートに何の用だと言うんだ。
神は穏やかに頷いた。
「左様。まあ、神社に常駐しているわけではないがな。賽銭も、必ずしも必要というわけではない」
どこかユーモラスな響きさえ含んだその返答に、俺はますます混乱した。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ! え? 神様が、俺の部屋に? な、なんで? っていうか、本物? これ、俺、疲れてて幻覚でも見てるとかじゃないですよね?」
早口にまくし立てる俺を、神は静かな眼差しで見つめている。その目には、やはり怒りもなければ、焦りもない。ただ、そこにあるものを見つめるような、そんな純粋な観察者のような色が浮かんでいるだけだった。
「幻覚ではないと断言しよう。そして、君に少しばかり頼みたいことがあってな。こうして直接姿を現した次第だ」
「頼み事……? 神様が、俺に?」
ますます訳が分からない。神様が、なんでこんなチンケな人間に頼み事なんかする必要があるんだ?
俺はまだ半信半疑のまま、目の前の「神」と名乗る存在を凝視することしかできなかった。
神はそんな俺の心中を見透かしたかのように、ふっと息を吐いた。
「どうやら、まだ私の言葉だけでは信じてもらえそうにないな。無理もない。君たち人間にとって、神とは信仰の対象であり、実在を確かめる術を持たないのだから」
そう言うと、神は俺の部屋をぐるりと見渡した。視線が、壁に貼られた、少し色褪せたアイドルのポスターで止まる。俺が高校時代から密かに応援している、マイナーな地下アイドルのポスターだ。
「例えば、そうだ…君は、彼女にもう一度ステージに立ってほしいと願っているだろう? 解散してしまった彼女のグループを、もう一度見たいと」
「えっ…!?」
図星だった。なぜそんなことまで知っているんだ。確かに、彼女たちの解散は俺にとって大きなショックで、今でもたまに動画を見返してはため息をついている。
神は、そのポスターに向けて、静かに手をかざした。
すると、信じられないことが起こった。
ポスターの中の彼女が、ふわりと微笑んだのだ。いや、微笑んだだけではない。まるで生きているかのように、小さく手を振り、そして「ありがとう」と囁いたように見えた。幻聴だろうか? いや、確かに聞こえた。それは、紛れもなく彼女の声だった。
「な……なな……」
俺は腰が抜けそうになるのを必死でこらえ、壁に手をついた。心臓がバクバクと音を立てている。手品でもトリックでもない。これは、俺の理解を超えた現象だ。
「これで、少しは信じてもらえただろうか?」
神は悪戯っぽく片目を瞑った。その表情は、先ほどまでの超越的な雰囲気とは少し違い、どこか親しみやすささえ感じさせるものだった。
俺は、まだ震える指でポスターに触れた。もちろん、ただの紙だ。しかし、先ほどの光景は、確かに現実だった。
「……ま、マジか……ガチの神様だったのか……」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほどにかすれていた。信じるとか信じないとか、そういうレベルの話じゃない。目の前で、ありえないことが起きたのだ。
「さて」と神は仕切り直すように言った。「君も少し落ち着いたようだ。本題に入ろう。私が君に頼みたいことだが…」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。神様が、こんな俺に一体何を頼むというのだろうか。世界を救えとか、そういう壮大な話だったらどうしよう。俺には無理だ。絶対に無理だ。
神は、そんな俺の緊張を解きほぐすかのように、穏やかな声で続けた。
「実はな、少々、困ったことがあってな。私の…そうだな、うっかりミス、とでも言えばいいだろうか。それの尻拭いを、君に手伝ってほしいのだ」
「……え? しりぬぐい?」
神様の、うっかりミスの、尻拭い?
なんだか、途端に神様の威厳が目減りしたような気がしたが、それと同時に、少しだけ親近感が湧いたのも事実だった。
「具体的には、どんな…?」
俺が尋ねると、神は少しだけ言いづらそうに、視線を泳がせた。
「うむ。実はな…とある世界に、一つだけ、余計なものを落としてきてしまってな」
「落とし物…ですか?」
「ああ。それはそれは、まあ…些細なものなのだが、その世界にとっては少々…いや、かなり厄介な代物でな。放っておくと、その世界のバランスが大きく崩れてしまう恐れがあるのだ」
神様が落とし物。しかも、世界のバランスを崩すほど厄介なもの。
一体何を落としてきたんだ?
そして、なぜそれを回収するのに、俺なんだ?
「それを…俺が取りに行けと?」
「話が早くて助かる。その通りだ」
神はにっこりと微笑んだ。その笑顔は、どこまでも無垢で、しかしどこか有無を言わせないような迫力も秘めているように感じられた。
「いやいやいや! 無理ですよ! 異世界とか行くんでしょ!? 俺、ただの一般人ですよ!? 勇者でもなければ、特殊能力もないし!」
慌てて両手を振って否定する俺に、神は「ふむ」と顎に手を当てて少し考えるそぶりを見せた。
「心配はいらない。君に危険が及ぶようなことはさせん。それに、君にはその…適性があるのだ」
「適性?」
「ああ。君のその、何というか…良くも悪くも『流されやすい』性質と、妙なところで発揮される『適応力』。それが、今回の任務にはうってつけなのだよ」
褒められているのか貶されているのか、いまいち判然としない評価だったが、神は妙に納得したような顔で頷いている。
「それに、もちろん手ぶらで行かせるわけではない。少しばかり、私の力を貸そう。そして、成功した暁には、君の願いを一つ、何でも叶えてやろう」
「願いを…一つ、何でも?」
その言葉に、俺の心はぐらりと揺れた。
神様のうっかりミスの尻拭い。異世界への旅。危険かもしれない任務。
しかし、それと引き換えに、どんな願いも叶う。
それは、あまりにも魅力的な提案だった。
貧乏なアパート暮らしから抜け出したい。
一生遊んで暮らせる金が欲しい。
あるいは、もっとくだらない、でも自分にとっては切実な願い。例えば、さっきの彼女たちにもう一度…なんてことも。
俺は、目の前の神と、壁のポスターを交互に見つめた。
この神は、本物だ。そして、とんでもない力を持っている。
ならば、その「願い」も、本当に何でも叶えてくれるのかもしれない。
「…ちなみに、その落とし物って、一体何なんですか?」
俺は、少しだけ前のめりになって尋ねていた。
神は、俺のその問いに、少しばかり歯切れ悪く答えた。
「うむ…それはだな…私の…ええと…鼻毛だ」
「…………は?」
俺は一瞬、自分の耳を疑った。今、この神聖なる(はずの)存在は、何と言った?
はなげ? 鼻毛? あの、鼻の穴からこんにちはする、黒くて短い、あの?
「あの…すみません、もう一度いいですか? ちょっと聞き間違いだったかもしれないんで」
「だから、鼻毛だと言っているだろう。私の、な」
神は、どこかバツが悪そうに、しかしはっきりとそう繰り返した。
俺は、しばし呆然とした。
神様の落とし物。
世界のバランスを崩すほど厄介な代物。
その正体が、鼻毛。
……え、マジで?
「あの、神様にも鼻毛って生えるもんなんですか?」
素朴な疑問が口をついて出た。いや、そこじゃない。問題はそこじゃない。
「生える。手入れを怠ると、たまにな。そして、うっかりくしゃみをした拍子に、一本…まあ、その…異世界に落としてしまったわけだ」
神は、まるで近所のおじさんが落とし物をしたかのような、妙に人間臭い言い訳をした。
しかし、その「鼻毛」が、世界のバランスを崩すとは、一体どういうことなんだ?
「神の体の一部はな、それ自体が膨大なエネルギーの塊なのだ。例えそれが、鼻毛一本であったとしても。それが、本来あるべき場所ではない世界に存在すると、そのエネルギーが周囲に影響を及ぼし、様々な歪みを生んでしまう」
「歪み…ですか」
「ああ。その世界の法則が乱れ、ありえない現象が起きたり、存在しないはずのものが生まれたり…まあ、ろくなことにならん」
神様の鼻毛、恐るべし。
なんだか、壮大な話だったはずなのに、急にスケールが小さくなったような、それでいて別の意味で深刻さが増したような、複雑な気分だった。
「それを…俺が回収する、と…」
「左様。君には、その鼻毛を見つけ出し、安全に回収してきてもらいたい」
「いや、でも、神様の鼻毛って言っても、ただの毛でしょ? 見つけられるもんなんですか? 広い異世界で、たった一本の鼻毛を?」
俺の当然の疑問に、神は自信ありげに胸を張った。
「心配無用だ。私の鼻毛は、そのへんの凡百の毛とは格が違う。微弱ながらも神聖なオーラを放っているからな。特別な道具を使えば、比較的容易に見つけ出せるはずだ。その道具も、もちろん君に貸し与えよう」
「神聖なオーラを放つ鼻毛…」
もはやツッコミを入れる気力も失せてきた。
「それに、君に協力してくれる現地人も手配してある。一人であれこれ悩む必要はない」
「協力者まで…用意周到ですね…」
なんだか、断るという選択肢がどんどん狭められているような気がする。
いや、最初から、神様に「頼む」と言われた時点で、実質的に拒否権などなかったのかもしれない。
俺は深呼吸を一つした。
神様の鼻毛を探す旅。
なんとも締まらない冒険だが、報酬は「どんな願いも一つ叶う」。
危険は少ないと言っていたし、協力者もいる。
…やるしかないのか?
「…分かりました。やりますよ、その鼻毛回収。ただし、本当に、俺の願い、何でも叶えてくれるんですよね?」
念を押すように、俺は神の目を見た。
神は、満足そうに頷いた。
「無論だ。神は嘘をつかん。…まあ、多少の誇張や言葉の綾はあるかもしれんが、約束は違えん」
最後の部分が少し気になったが、もう後には引けない。
「では、早速だが準備をしてもらおうか。ああ、着替えなどは不要だ。向こうの世界に適したものは、こちらで用意する。君は、心の準備だけしておいてくれればいい」
そう言うと、神は俺に向かって再び手をかざした。
途端に、俺の体がふわりと浮き上がるような感覚に襲われる。
視界がぐにゃりと歪み、意識が遠のいていく。
最後に聞こえたのは、神のどこか楽しそうな声だった。
「では、行ってこい、勇者よ! …まあ、鼻毛ハンターと呼ぶ方が正確かもしれんがな!」
そして、俺の意識は完全にブラックアウトした。
次に目覚めた時、俺は、見知らぬ森の中に立っていた。
神様の鼻毛を探す、前代未聞の冒険が、こうして始まったのだ。
神が
現れました
「誰だあんた」
俺は彼を神だと知らずにこんな失礼な態度を神に対して取ってしまう
だが神はそんな俺に対しておそらく怒りの感情を持たずにこう言った。
「ふむ。そのように警戒するのも無理はないだろう。私は、君たちが『神』と呼ぶ存在だ」
落ち着いた、それでいてどこか人間離れした響きを持つ声だった。俺はその言葉をすぐには理解できなかった。いや、理解することを脳が拒否したのかもしれない。
「……は?」
間抜けな声が出た。目の前の男、いや、「神」を名乗る存在は、特に服装が変わっているわけでも、後光が差しているわけでもない。強いて言うなら、その佇まいが異常に静かで、まるで世界の騒がしさから一人だけ切り離されているような、そんな不思議な空気をまとっているだけだ。
「え、神……? あの、神社とかによくいるっていう、賽銭入れると願い事聞いてくれるかもしれないっていう、あの?」
自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。神様が、こんな俺の、六畳一間のアパートに何の用だと言うんだ。
神は穏やかに頷いた。
「左様。まあ、神社に常駐しているわけではないがな。賽銭も、必ずしも必要というわけではない」
どこかユーモラスな響きさえ含んだその返答に、俺はますます混乱した。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ! え? 神様が、俺の部屋に? な、なんで? っていうか、本物? これ、俺、疲れてて幻覚でも見てるとかじゃないですよね?」
早口にまくし立てる俺を、神は静かな眼差しで見つめている。その目には、やはり怒りもなければ、焦りもない。ただ、そこにあるものを見つめるような、そんな純粋な観察者のような色が浮かんでいるだけだった。
「幻覚ではないと断言しよう。そして、君に少しばかり頼みたいことがあってな。こうして直接姿を現した次第だ」
「頼み事……? 神様が、俺に?」
ますます訳が分からない。神様が、なんでこんなチンケな人間に頼み事なんかする必要があるんだ?
俺はまだ半信半疑のまま、目の前の「神」と名乗る存在を凝視することしかできなかった。
神はそんな俺の心中を見透かしたかのように、ふっと息を吐いた。
「どうやら、まだ私の言葉だけでは信じてもらえそうにないな。無理もない。君たち人間にとって、神とは信仰の対象であり、実在を確かめる術を持たないのだから」
そう言うと、神は俺の部屋をぐるりと見渡した。視線が、壁に貼られた、少し色褪せたアイドルのポスターで止まる。俺が高校時代から密かに応援している、マイナーな地下アイドルのポスターだ。
「例えば、そうだ…君は、彼女にもう一度ステージに立ってほしいと願っているだろう? 解散してしまった彼女のグループを、もう一度見たいと」
「えっ…!?」
図星だった。なぜそんなことまで知っているんだ。確かに、彼女たちの解散は俺にとって大きなショックで、今でもたまに動画を見返してはため息をついている。
神は、そのポスターに向けて、静かに手をかざした。
すると、信じられないことが起こった。
ポスターの中の彼女が、ふわりと微笑んだのだ。いや、微笑んだだけではない。まるで生きているかのように、小さく手を振り、そして「ありがとう」と囁いたように見えた。幻聴だろうか? いや、確かに聞こえた。それは、紛れもなく彼女の声だった。
「な……なな……」
俺は腰が抜けそうになるのを必死でこらえ、壁に手をついた。心臓がバクバクと音を立てている。手品でもトリックでもない。これは、俺の理解を超えた現象だ。
「これで、少しは信じてもらえただろうか?」
神は悪戯っぽく片目を瞑った。その表情は、先ほどまでの超越的な雰囲気とは少し違い、どこか親しみやすささえ感じさせるものだった。
俺は、まだ震える指でポスターに触れた。もちろん、ただの紙だ。しかし、先ほどの光景は、確かに現実だった。
「……ま、マジか……ガチの神様だったのか……」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほどにかすれていた。信じるとか信じないとか、そういうレベルの話じゃない。目の前で、ありえないことが起きたのだ。
「さて」と神は仕切り直すように言った。「君も少し落ち着いたようだ。本題に入ろう。私が君に頼みたいことだが…」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。神様が、こんな俺に一体何を頼むというのだろうか。世界を救えとか、そういう壮大な話だったらどうしよう。俺には無理だ。絶対に無理だ。
神は、そんな俺の緊張を解きほぐすかのように、穏やかな声で続けた。
「実はな、少々、困ったことがあってな。私の…そうだな、うっかりミス、とでも言えばいいだろうか。それの尻拭いを、君に手伝ってほしいのだ」
「……え? しりぬぐい?」
神様の、うっかりミスの、尻拭い?
なんだか、途端に神様の威厳が目減りしたような気がしたが、それと同時に、少しだけ親近感が湧いたのも事実だった。
「具体的には、どんな…?」
俺が尋ねると、神は少しだけ言いづらそうに、視線を泳がせた。
「うむ。実はな…とある世界に、一つだけ、余計なものを落としてきてしまってな」
「落とし物…ですか?」
「ああ。それはそれは、まあ…些細なものなのだが、その世界にとっては少々…いや、かなり厄介な代物でな。放っておくと、その世界のバランスが大きく崩れてしまう恐れがあるのだ」
神様が落とし物。しかも、世界のバランスを崩すほど厄介なもの。
一体何を落としてきたんだ?
そして、なぜそれを回収するのに、俺なんだ?
「それを…俺が取りに行けと?」
「話が早くて助かる。その通りだ」
神はにっこりと微笑んだ。その笑顔は、どこまでも無垢で、しかしどこか有無を言わせないような迫力も秘めているように感じられた。
「いやいやいや! 無理ですよ! 異世界とか行くんでしょ!? 俺、ただの一般人ですよ!? 勇者でもなければ、特殊能力もないし!」
慌てて両手を振って否定する俺に、神は「ふむ」と顎に手を当てて少し考えるそぶりを見せた。
「心配はいらない。君に危険が及ぶようなことはさせん。それに、君にはその…適性があるのだ」
「適性?」
「ああ。君のその、何というか…良くも悪くも『流されやすい』性質と、妙なところで発揮される『適応力』。それが、今回の任務にはうってつけなのだよ」
褒められているのか貶されているのか、いまいち判然としない評価だったが、神は妙に納得したような顔で頷いている。
「それに、もちろん手ぶらで行かせるわけではない。少しばかり、私の力を貸そう。そして、成功した暁には、君の願いを一つ、何でも叶えてやろう」
「願いを…一つ、何でも?」
その言葉に、俺の心はぐらりと揺れた。
神様のうっかりミスの尻拭い。異世界への旅。危険かもしれない任務。
しかし、それと引き換えに、どんな願いも叶う。
それは、あまりにも魅力的な提案だった。
貧乏なアパート暮らしから抜け出したい。
一生遊んで暮らせる金が欲しい。
あるいは、もっとくだらない、でも自分にとっては切実な願い。例えば、さっきの彼女たちにもう一度…なんてことも。
俺は、目の前の神と、壁のポスターを交互に見つめた。
この神は、本物だ。そして、とんでもない力を持っている。
ならば、その「願い」も、本当に何でも叶えてくれるのかもしれない。
「…ちなみに、その落とし物って、一体何なんですか?」
俺は、少しだけ前のめりになって尋ねていた。
神は、俺のその問いに、少しばかり歯切れ悪く答えた。
「うむ…それはだな…私の…ええと…鼻毛だ」
「…………は?」
俺は一瞬、自分の耳を疑った。今、この神聖なる(はずの)存在は、何と言った?
はなげ? 鼻毛? あの、鼻の穴からこんにちはする、黒くて短い、あの?
「あの…すみません、もう一度いいですか? ちょっと聞き間違いだったかもしれないんで」
「だから、鼻毛だと言っているだろう。私の、な」
神は、どこかバツが悪そうに、しかしはっきりとそう繰り返した。
俺は、しばし呆然とした。
神様の落とし物。
世界のバランスを崩すほど厄介な代物。
その正体が、鼻毛。
……え、マジで?
「あの、神様にも鼻毛って生えるもんなんですか?」
素朴な疑問が口をついて出た。いや、そこじゃない。問題はそこじゃない。
「生える。手入れを怠ると、たまにな。そして、うっかりくしゃみをした拍子に、一本…まあ、その…異世界に落としてしまったわけだ」
神は、まるで近所のおじさんが落とし物をしたかのような、妙に人間臭い言い訳をした。
しかし、その「鼻毛」が、世界のバランスを崩すとは、一体どういうことなんだ?
「神の体の一部はな、それ自体が膨大なエネルギーの塊なのだ。例えそれが、鼻毛一本であったとしても。それが、本来あるべき場所ではない世界に存在すると、そのエネルギーが周囲に影響を及ぼし、様々な歪みを生んでしまう」
「歪み…ですか」
「ああ。その世界の法則が乱れ、ありえない現象が起きたり、存在しないはずのものが生まれたり…まあ、ろくなことにならん」
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なんだか、壮大な話だったはずなのに、急にスケールが小さくなったような、それでいて別の意味で深刻さが増したような、複雑な気分だった。
「それを…俺が回収する、と…」
「左様。君には、その鼻毛を見つけ出し、安全に回収してきてもらいたい」
「いや、でも、神様の鼻毛って言っても、ただの毛でしょ? 見つけられるもんなんですか? 広い異世界で、たった一本の鼻毛を?」
俺の当然の疑問に、神は自信ありげに胸を張った。
「心配無用だ。私の鼻毛は、そのへんの凡百の毛とは格が違う。微弱ながらも神聖なオーラを放っているからな。特別な道具を使えば、比較的容易に見つけ出せるはずだ。その道具も、もちろん君に貸し与えよう」
「神聖なオーラを放つ鼻毛…」
もはやツッコミを入れる気力も失せてきた。
「それに、君に協力してくれる現地人も手配してある。一人であれこれ悩む必要はない」
「協力者まで…用意周到ですね…」
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いや、最初から、神様に「頼む」と言われた時点で、実質的に拒否権などなかったのかもしれない。
俺は深呼吸を一つした。
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なんとも締まらない冒険だが、報酬は「どんな願いも一つ叶う」。
危険は少ないと言っていたし、協力者もいる。
…やるしかないのか?
「…分かりました。やりますよ、その鼻毛回収。ただし、本当に、俺の願い、何でも叶えてくれるんですよね?」
念を押すように、俺は神の目を見た。
神は、満足そうに頷いた。
「無論だ。神は嘘をつかん。…まあ、多少の誇張や言葉の綾はあるかもしれんが、約束は違えん」
最後の部分が少し気になったが、もう後には引けない。
「では、早速だが準備をしてもらおうか。ああ、着替えなどは不要だ。向こうの世界に適したものは、こちらで用意する。君は、心の準備だけしておいてくれればいい」
そう言うと、神は俺に向かって再び手をかざした。
途端に、俺の体がふわりと浮き上がるような感覚に襲われる。
視界がぐにゃりと歪み、意識が遠のいていく。
最後に聞こえたのは、神のどこか楽しそうな声だった。
「では、行ってこい、勇者よ! …まあ、鼻毛ハンターと呼ぶ方が正確かもしれんがな!」
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