ある日

ンヴ

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森の空気はひんやりとしていて、土と草の匂いが鼻をついた。俺が着ていた安物のジャージは、いつの間にか動きやすそうな革製の軽装に変わっている。腰には、簡素な作りの剣と、小さな革袋がぶら下がっていた。

「…ここが、異世界…」

呟いてみるが、当然返事はない。さっきまでの六畳一間のアパートとは全く違う、どこまでも広がる深い森。木々の隙間から差し込む陽光が、神秘的な雰囲気を醸し出している。

(さて、どうしたものか…)

神様は「協力者がいる」と言っていたが、どこにいるのだろうか。それに、鼻毛を見つけるための「特別な道具」とやらも、まだ受け取っていない。

途方に暮れてあたりを見回していると、不意に茂みの奥からガサガサと音がした。
俺は思わず腰の剣に手をやった。こんなところでいきなりモンスターに襲われるなんて展開はごめんだ。

「ど、誰だ!?」
自分でも情けないほど声が上ずっている。

茂みから現れたのは、小柄な、しかし鋭い目つきをした少女だった。年の頃は俺より少し下、高校生くらいだろうか。緑色の髪をポニーテールにし、弓を背負っている。服装も、俺と同じように動きやすそうな革製のものだ。

「あなたが、神の使いの方ですか?」

少女は、俺を値踏みするように見つめながら、落ち着いた声で尋ねてきた。その声には、どこか警戒の色が滲んでいる。

「え、あ、ああ、たぶん…そうだと思う。神様から、落とし物を探しに来いって言われて…」
しどろもどろに答える。まさか「神様の鼻毛を探しに来ました」とは、初対面の少女には言いにくい。

少女は、俺の言葉に少し眉をひそめた。
「落とし物…? 神がそのような個人的な事情で使いを寄越すとは、あまり聞きませんが…」

「いや、それが、その落とし物が結構厄介な代物らしくて…」
俺は必死に言葉を繕う。

「ふむ…」少女は納得したような、していないような曖昧な表情で頷くと、「私はリリアと申します。この森の案内役を任されました。あなたがその『落とし物』を見つけるお手伝いをさせていただきます」と、形式ばった挨拶をした。

「俺は…えっと、タナカだ。よろしく、リリアさん」
本名を名乗るべきか一瞬迷ったが、他に思いつく名前もなかった。

「タナカ様ですね。では、まずはこちらを」
リリアはそう言うと、背負っていたリュックから、手のひらサイズの羅針盤のようなものを取り出した。しかし、その針は南北を指しているわけではなく、奇妙な模様が描かれた円盤の上で、ゆっくりと回転している。

「これは『神気の羅針盤』です。神聖な気を放つものに反応し、その方向を示します。あなたが探している『落とし物』が神聖なものであるならば、これがおそらく役立つでしょう」

(これか、神様の言ってた特別な道具ってのは)
神聖なオーラを放つ鼻毛、というフレーズが脳裏をよぎり、少しだけ複雑な気持ちになる。

「ありがとう。助かるよ」
俺は羅針盤を受け取った。ずしりとした重みがある。針は、森の奥深くを指して、ゆっくりと揺れていた。

「この羅針盤が指し示す方向へ進みましょう。道中、魔物が出ることもありますので、お気をつけください」
リリアはそう言うと、背中の弓を手に取り、警戒するように周囲に視線を配った。

「ま、魔物!?」
俺は再び腰の剣に手をやる。ゲームや漫画でしか見たことのない存在だ。本当に戦えるのだろうか。

「この森は、比較的安全な方ですが、油断は禁物です。タナカ様は、何か武術の心得は?」
リリアが俺の剣を一瞥して尋ねる。

「い、いや、全く…体育の授業で剣道やったくらいで…」
正直に答えると、リリアはあからさまにため息をついた。

「そうですか…まあ、仕方ありません。私ができる限りお守りしますが、ご自身でも身を守る意識は持ってください」
その言葉は、どこか突き放したような響きを持っていた。どうやら、あまり頼りにされていないらしい。

こうして、俺とクールな弓使いの少女リリアによる、神様の鼻毛捜索という、なんとも奇妙な冒険が始まった。羅針盤の針が示す方向へ、俺たちは深い森の中へと足を踏み入れていく。
道中、リリアは森の植物や動物について、淡々と説明してくれた。彼女はこの森で生まれ育ったらしく、知識は豊富だった。時折、鋭い矢を放って、木の実を落としてくれたりもする。戦闘能力も高そうだ。

一方の俺は、慣れない森歩きにすぐに息が上がり、木の根に躓いて転びそうになる始末。リリアの冷ややかな視線が痛い。

(本当に、俺で大丈夫なのか…この任務…)

不安と、ほんの少しの期待を胸に、俺は神気の羅針盤を握りしめ、リリアの後を追った。
神様の鼻毛は、一体どんな形で俺たちの前に現れるのだろうか。そして、俺は無事にそれを回収し、元の世界に帰って願いを叶えてもらうことができるのだろうか。
前途は、多難としか言いようがなかった。
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