午前十時を過ぎたなら ―義父との秘密が始まる―

山田さとし

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第一部 恵の選択

第二十章 名刺入(挿絵付)

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【啓介と同居 三ヶ月目】 
【20●1年3月25日 AM9:00】

数日後。
武の書斎で。

※※※※※※※※※※※※※※※

それは不意の出来事であった。
夫の書斎を片付けていると机の上に名刺入を見つけた。

(あら、こんな所に・・・
きっとあの人、困っているわ・・・)

明日は忘れないようにと、いつも財布と一緒にしている机の引き出しに入れておいてあげようとした時、うっかり手を滑らせて名刺入を落としてしまった。

フローリングの床の上に小さく弾んだ後、中身の名刺が散乱した。

「いけないっ・・・」

慌てて拾っていくと、その内の何枚かに色が付いていたり角が丸くなっている物が混じっているのに気がついた。
明らかに風俗関係の物もあった。

恵の顔に血が昇った。
興奮しながらよく見ると、かなりの枚数がある。

恵の瞳が充血したかと思うと、薄っすらと涙が滲んで潤んできた。
サービス券になっている一枚は裏にスタンプが押してあり、殆どのマスが埋まっていた。

薄々は気付いてはいたものの、こうもあからさまに証拠を突きつけられると、今まで持っていた女としてのプライドがガラガラと音を立てて崩れていく。

涙が溢れてきた。
そして又、驚いてもいる。

自分がこれ程、嫉妬深い女とは思わなかった。

いや、そうではない。
信じていた夫に騙されたのである。

そう、これは裏切りであった。

結婚後何の贅沢もせず、ひたすらマイホームのために倹約してきた。
女盛りの二十代を着飾りもせず、僅かなパート収入を加えながら二人で頑張ってきていたつもりであった。

予期せぬ同居でその必要が無くなった途端、夫は自分を置去りにして楽しんでいたのだ。

そう、自分は捨てられたのだ。

次第に膨らんでいく疎外感が恵を襲う。
次々と悪い方に考えが向かっていく。

でも、無理も無い事なのだ。
恵には、いや女には到底理解出来ない事だ。

例えそれが不倫で無かろうと、自分が義父との関係で苦しんでいる最中に助けてくれるどころか、淫靡な快楽を味わっていたのである。

興奮で息が荒くなってくる。
とても冷静にはなれない。

気が付くと恵はフローリングの床に涙の島を作りながら叫んでいた。

「うぁー・・・うっうぅ・・うっ・・・」
時折、小さな手で拳を作り叩いている。

「どうして・・どうしてよぉー・・・?」

※※※※※※※※※※※※※※※

隣の廊下越しに何か曇った叫び声を聞きつけた啓介は、息子夫婦との間の扉を開けた。

すると角の部屋から恵のすすり泣く声が聞こえてきた。
ドアが開いているので、入ってみると床に座り込んでいる恵がいた。

「ど、どないしたんや・・・?」

義父の声も聞こえない程、恵は興奮していた。
何度も床を叩いている腕を止めようと掴む啓介の手を、振り解くようにして叫び続ける。

「いやー、はなしてぇー・・・
うあぁー、うううぅ・・ああぁ・・・
い、いやぁっー・・・」

暴れ叫ぶ姿に手を離し、そのまま泣かせるしか出来なかった。
啓介は恵の傍で黙って見守っていた。
何も言えなかった。

言えるはずも無かった。
自分にはその資格は無い。

散乱している名刺に、一目で事情を把握した。
今は静かに見守る事が自分に唯一出来る事と思った。

朝の光が窓から刺し込んでいる。
初夏の強い日差しがフローリングに作られた恵の涙の模様を光らせている。

恵は白い小さな手で顔を覆い、いつまでも泣いていた。
それは冷たく心を閉ざしていた天使が、初めて見せる素顔のようにも思えた。
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