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しおりを挟む結城 匠(ユウキタクミ)は、静かにソファに腰を下ろしていた。
冷めた紅茶と、開けられなかったシャンパンがテーブルに残っている。
玄関が乱暴に開く音とともに、咲舞(エマ)が現れた。ハイヒール片方を脱ぎかけ、香水とアルコールの匂いをまとった姿だ。
「ただいま~。って、なにその顔? 怒ってるの?」
と、彼女は挑発的に笑う。
匠は落ち着いた声で答えた。
「怒ってはいない。ただ…心配しただけだ」
「心配? あ、そう。これからは、しなくていいよ。互いに自由ってことで」
彼は言葉を選びながら立ち上がる。
「結婚したのに、初夜に外で飲んで帰って来ないのは…普通じゃないと思う」
「普通って何? 私たち、愛し合って結婚したわけじゃないでしょ?
だったら、私がどこで何していようが勝手じゃない」
言葉に詰まる匠を見て、新妻はソファに倒れ込み、声を上げて笑った。
「私ね、ダメな男が好きなの。ごろにゃんって甘えて、情けない顔して『あれができない、これができない』って言って、そしてねだってくる男が好きなの」
「……俺にそうしろ、と?」
「できるわけない。わかってるから夜に出かけるの。
止めるなら、あなたが変わって。
あなた、つまんない! 一緒に居ても楽しくない!」
しばしの沈黙の後、匠は動いた。
咲舞がソファにだらしなく座る前に膝をつき、何も言わずに頭を彼女の膝にそっと乗せた。
「……え? なに、どうしたの?」
「君が好きな“ダメな男”って、こういう感じなのかと」
咲舞は指先で夫の髪を、くしゃっと撫でる。
「……違う。もっと自分勝手にグイグイ来るけど、尽くしてもくれるし優しくもしてくれる。最初だけはね。
……でも、今のあなた、ちょっといいかも。」
匠は目を閉じ、静かに言った。
「俺は君に甘える方法を知らない。
でも君が望むなら、少しずつ学んでみる」
「……ほんと、ハイスペって器用だよね。そういうとこがムカつく」
朝の邸宅には、出汁の香りが漂っていた。
キッチンでは、匠が白シャツにエプロン姿で、トーストを焼きながら味噌汁を仕上げている。
テーブルには、和洋どちらも完璧に並んでいた。
咲舞が着崩れたバスローブ姿で現れ、髪はぐしゃぐしゃ、スマホ片手にホストのストーリーをチェックしている。
「…なにこれ、ホテルの朝食?」
「君が昨日、何も食べていなかったから。体に優しいものをと思って」
「昨日のホストはね、コンビニの肉まんを半分こしてくれたの。それだけで“愛されてる”って思えたのに」
匠は湯呑みを静かに置き、内心で咲舞の心理を分析する。
「俺なら君を壊さず、優しく包み込むように依存させられる。
君にとって愛は育むものではなく、依存させる痛みによって確認するものなんだろう。俺が変える。」
咲舞の指がスマホの画面から離れ、動きを止めた。目には驚きと戸惑いが混ざっている。
「ね、そんな心にもないこと言ってまで出世したいの? 心配しなくても私、今の贅沢な生活は続けたいから、あなたと離婚はしない。親が『別れろ』って言うまではね」
「っ! はは」
「何がおかしいの?!」
匠は微笑む。
「俺は君の望むダメ男になるさ。でも、壊さない」
咲舞の目に、わずかな揺れが見えた。
出社後、匠は部下にこっそり声をかける。
「ホストクラブとはどういう場所か、知りたい。妻が“愛されてる”と感じる空間を、俺は理解していなかった」
部下は動揺しながらも資料を差し出す。
匠はネットで「ホスト 依存 心理」「母性 本能 くすぐる 言葉」などを検索し、スーツ姿のまま初めてホストクラブの扉をくぐった。
煌びやかな空間。
場違いな空気を感じつつ、匠はホストたちの言葉遣いや距離感を観察する。
「お客さん、初めて? 緊張してる? 俺が全部リードするから安心して」
匠は心の中でメモを取る。
「“安心して”という言葉に、女性は心を許すのか。“守る”という気持ちは、刺激が欲しい女性にはにとって“退屈”なのかもしれない」
「え? いきなり女心?
ま、そうだよね。1人で来るってことはどっちかだよね」
「『どっち』?」
「普段2丁目の住人ってこと」
「ああ……」
そう、ここは歌舞伎町である。
その時、咲舞が来店した。
匠はとっさに隠れようとしたが、咲舞がホストと揉めているのが目に入った。
「ちょっと、触んないでよ!」
「うるせえな、帰れよ!」
男が咲舞に手をあげようとした瞬間、匠は飛び出して彼女を庇う。
「やめろ」
男は睨みつけて去っていった。
「……なんで、あんたがここにいるの?」
「リサーチしていた。君が何を求めているのか、俺には分からなかったから」
「リサーチ? 私のこと、仕事みたいに扱ってるの?」
「違う。仕事なら結果だけ見ればいい。でも君は、感情で動く。だから、俺はその感情を理解したかった」
咲舞は笑った。
「理解してどうするの? 私みたいな女、マニュアル通りじゃ動かないよ」
匠は少しだけ近づいた。
「だから、君のマニュアルを作るために、君を見ていた」
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