7 / 12
夏休みの始まり
しおりを挟む執務室の空気は静かで、窓から差し込む光だけが机の上の書類を照らしていた。
扉がノックされ、深いワインレッドの髪を整えたクラウスが姿を見せる。
礼装ではないが、いつも通り隙のない佇まいだ。
「お呼びでしょうか」
「ああ、わざわざ来てもらって悪かった」
「いえ、滅相もありません」
クラウスは胸に手を当て、完璧な礼を取る。
その姿を見ながら、私は本題を切り出した。
「実は夏休みのことだ」
「はい。パーティー、懇親会、慰問……とスケジュールが詰まっているのは確認しています」
「それなんだが、そちに夏休みを与えることにした」
「はい?」
クラウスの表情がわずかに揺れた。
驚きというより、理解が追いつかないという顔だ。
「もう婚約者になって7年か。
そちは王配教育の傍ら、公務に執務と良くやってくれた。
何年も領地に帰っていないだろう?
来年結婚すれば、次はいつ帰れるかわからない。
そこで、そちに休暇を取らせることにした」
「しかし──」
「そちの家へ4頭立ての馬車を贈った。最新式で揺れにくいスプリング付きだ。長距離でも快適に移動できるはずだ。
今まで綠に労わずして悪かった」
クラウスは言葉を失い、静かに目を伏せた。
その横顔には、驚きと、戸惑いと、何か別の感情が混ざっている。
「話は以上だ。下がれ」
クラウスは深く一礼し、静かに部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、妙に重く響く。
──これで良かったのだろうか。
胸の奥に、説明のつかないざわめきが残ったままだった。
夏休みの陽射しが落ちる平民街は、石畳がきらきらと光り、屋台の匂いが風に乗って流れていた。
フードを深くかぶった私達は、ルネの後ろを歩く。
彼は午前中、ナディアから少額投資を、午後はロザンナから剣術を習っている。
夏休み限定で王宮に住み、身分を隠すため“護衛候補”として扱われていた。
今日は休暇で、お忍び歩きだ。
ルネは嬉しそうに指をさした。
「あれが僕がバイトする予定だったジュース屋さんです!」
見れば小さな屋台だが、果物の香りが濃く、客の笑い声が絶えない。
「お、ルネじゃないか! 久しぶりだな!」
「店主さん! お久しぶりです!」
店主はルネの後ろにいる私たちを見て、目を丸くした。
「お連れさんは……?」
ルネは慌てて口ごもる。
「えっと……その……」
私は軽くフードを押さえ、穏やかに微笑んだ。
「ルネの友人だ。少し街を案内してもらっている」
「そうかい! ならサービスしとくよ!」
出されたジュースは驚くほど甘く、果物の香りが濃い。
「美味しいな」
「訓練の後にいいな」
「今度、騎士団に差し入れしてやろう」
「え? 騎士団?」
「ああ、何でもない! 早くいこう!」
騎士団というワードに反応した店主を、ルネが押しやり、私たちは屋台を離れた。
20メートルほど離れて、私は礼を言った。
「うっかりした。助かった」
「いいえ、バレると困りますから……城に戻りましょうか?」
ルネが気遣うように言うが、ロザンナが腕を組んで首を振った。
「まだ串肉を食ってない。食わないと帰れない」
ナディアもメモを握ったまま、静かに言った。
「書店に寄っても宜しいでしょうか」
私は思わず笑ってしまった。
「……そちたちは本当に自由だな」
ルネは嬉しそうに笑い、桜色の髪が陽光に透けた。
──この夏休みが、彼にとって少しでも救いになるなら。
いや、保護ではない。
自分自身も楽しんでいる。
書店へ向かう途中、雑貨屋の前で足が止まった。
陽光を受けてきらきらと光るビーズのアクセサリーが並び、ふと目を奪われる。
淡い春色のブレスレットに指先が触れた瞬間、横から桜色の髪がのぞいた。
「これ、綺麗ですよね!」
ルネは店主に小声で何かを伝えると、色違いのブレスレットを3つ購入して戻ってきた。
「えっと……3人に。夏休みのお礼です!」
ロザンナが眉をひそめる。
「貧乏人に貰うと何か申し訳ないな」
「このくらいは買えます!」
ナディアは微笑みながら受け取った。
「不憫な子息、ありがとうございます」
「一言、余計です!」
私は手のひらに乗せたブレスレットを眺め、静かに言った。
「気に入った。礼を言う」
ルネはぱっと顔を明るくした。
「バカにされなくて嬉しいです!」
私たちは年頃の娘らしく、クスクス笑った。
「ふう、食いすぎた……串肉10本はやりすぎたな」
ロザンナが腹を押さえて呻く。
ナディアが私を覗き込む。
「殿下も珍しく3本召し上がりましたね」
「……美味であったからな。侮れぬ」
ルネは嬉しそうに笑いながら、私の横を歩く。
「殿下が楽しそうで良かったです」
「そちが案内してくれたおかげだ」
その言葉に、ルネは照れたように頬を赤くした。
平民街の喧騒の中、私たちは自然と歩幅を合わせていた。
その距離は、ほんの少しだけ近くなっていた。
しかし──
10
あなたにおすすめの小説
「地味な婚約者を捨てて令嬢と結婚します」と言った騎士様が、3ヶ月で離婚されて路頭に迷っている
歩人
ファンタジー
薬師のナターリアは婚約者の騎士ルドガーに「地味なお前より伯爵令嬢が
ふさわしい」と捨てられた。泣きはしなかった。ただ、明日から届ける薬が
一人分減るな、と思っただけ。
ルドガーは華やかな伯爵令嬢イレーネと結婚し、騎士団で出世する——はずだった。
しかしイレーネの実家は見栄だけの火の車。持参金は消え、借金取りが押し寄せ、
イレーネ本人にも「稼ぎが少ない」と三行半を突きつけられた。
3ヶ月で全てを失ったルドガーが街角で見たのは、王宮薬師に抜擢された
ナターリアが、騎士団長と笑い合う姿だった。
「なあ、ナターリア……俺が間違っていた」
「ええ、知ってます。でも、もう関係のない話ですね」
愛人の生活費も、お願いします 〜ATM様、本日もよろしくてよ〜【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
政略結婚で結ばれた王子ザコットと、氷のように美しい公爵令嬢ビアンカ。だが、ザコットにはすでに愛する男爵令嬢エイミーがいた。
結婚初夜、彼はビアンカに冷酷な宣言を突きつける。
「お前を愛することはない。俺には愛する人がいる。このエイミーだ」
だが、ビアンカは静かに微笑み、こう返す。
「では、私の愛人の生活費も、お願いします」
──始まったのは、王子と王子妃の熾烈な政略バトル。
愛人を連れて食卓に現れるビアンカ。次々と辞表を出す重臣たち、そしてエイミーの暴走と破滅……。
果たして、王子ザコットの運命やいかに!?
氷の王子妃と炎の愛人が織りなす、痛快逆転宮廷劇!
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。 コメディーです。
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
王妃教育の謎~婚約破棄?大歓迎です!
柚屋志宇
恋愛
王太子の婚約者となった公爵令嬢フェリシアは王妃教育を受けることになった。
厳しい王妃教育にフェリシアはすり減る。
しかしある日、フェリシアは気付いてしまった。
王妃教育の正体に。
真実に気付いたフェリシアは、王子と婚約を解消するために王子妃にふさわしくない行動をとると決めた。
※小説家になろうにも掲載しています。
殿下は婚約破棄した私を“横領犯”として追放しましたが、私が“王国の財布”だとご存じなかったのですか?
なかすあき
恋愛
王太子の婚約者であるレティシアは、愛ではなく“王国の財布”に選ばれた内政官だった。
干ばつ救済基金を管理し、徴税と支出の流れを整え、国が崩れないように回してきたはずなのに。
舞踏会の夜。
聖女セシルの涙と王太子の言葉が、レティシアを一瞬で“横領犯”に仕立て上げる。
反論しても届かない。空気が判決を下す場所で、レティシアは追放された。
落とされた先は、干ばつに喘ぐ辺境。
水のない井戸、荒れた配給所、怒りの列。
レティシアは泣く代わりに、配給と水路と記録を整えた。奇跡ではなく、段取りで。
やがて王都は、レティシアがいなくなった穴から静かに壊れ始める。
支払いは止まり、責任は溶け、聖女の“物語”だけが空回りする。
呼び戻しの使者が来ても、レティシアは従わない。戻る条件はひとつ。
――公開監査。
記録水晶が映し出すのは、涙では隠せない日付と署名、そして“誰が何を決めたか”という事実。
この逃げ場のない復讐劇の先に残るのは、王都の再起ではなく、辺境の明日だった。
これは、道具として捨てられた内政官が、二度と道具に戻らず、“責任を固定する”ことで国を救い、自分の居場所を選び直す物語。
ここはあなたの家ではありません
風見ゆうみ
恋愛
「明日からミノスラード伯爵邸に住んでくれ」
婚約者にそう言われ、ミノスラード伯爵邸に行ってみたはいいものの、婚約者のケサス様は弟のランドリュー様に家督を譲渡し、子爵家の令嬢と駆け落ちしていた。
わたくしを家に呼んだのは、捨てられた令嬢として惨めな思いをさせるためだった。
実家から追い出されていたわたくしは、ランドリュー様の婚約者としてミノスラード伯爵邸で暮らし始める。
そんなある日、駆け落ちした令嬢と破局したケサス様から家に戻りたいと連絡があり――
そんな人を家に入れてあげる必要はないわよね?
※誤字脱字など見直しているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。
自称病弱ないとこを優先させ続けた婚約者の末路
泉花ゆき
恋愛
令嬢エルアナは、ヴィンセントという婚約者がいた。
しかし彼は虚言癖のあるいとこ、リリアンの嘘に騙されてエルアナとの大切な約束を破り続ける。
「すまない、リリアンが風邪を引いたらしくて……」
エルアナが過労で倒れても、彼はリリアンの元へ走り去る始末。
ついに重大な婚約披露パーティまでも欠席した彼に、エルアナは婚約者への見切りをつけた。
「さようなら、ヴィンセント」
縋りつかれてももう遅いのです。
【完結】悪役令嬢ですが、断罪した側が先に壊れました
あめとおと
恋愛
三日後、私は断罪される。
そう理解したうえで、悪役令嬢アリアンナは今日も王国のために働いていた。
平民出身のヒロインの「善意」、
王太子の「優しさ」、
そしてそれらが生み出す無数の歪み。
感情論で壊されていく現実を、誰にも知られず修正してきたのは――“悪役”と呼ばれる彼女だった。
やがて訪れる断罪。婚約破棄。国外追放。
それでも彼女は泣かず、縋らず、弁明もしない。
なぜなら、間違っていたつもりは一度もないから。
これは、
「断罪される側」が最後まで正しかった物語。
そして、悪役令嬢が舞台を降りた“その後”に始まる、静かで確かな人生の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる