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結婚したのも束の間、新たなクーデター
しおりを挟む3日が経った。
何をしていても、心がどこかに置き去りにされたままだった。書類に目を通しても、針を持っても、言葉が頭に入ってこない。処刑台での出来事が、胸の奥でずっとざわめいていた。
そんな私の元に、マティアスがやってきた。
「屋上に晩餐をセッティングしたんだ。来てくれる?」
私は黙って頷き、差し出された彼の手を取った。
王宮の屋上は、夜風に包まれていた。星々が瞬く空の下、蝋燭の灯りが揺れ、テーブルの上には白いクロスと銀の食器が整然と並んでいた。周囲には花が飾られ、香りがほのかに漂っている。
次々と運ばれてくる豪華なディナー。けれど、私はあまりフォークが進まなかった。
「膝に乗せて食べさせてあげようか?」
マティアスが冗談めかして言う。
私は首を横に振った。
「僕じゃ、君の憂いを晴らすのに力不足なの?」
「っ、そんなことない!」
思わず声が上ずる。マティアスは、じっと私を見つめた。
「最近、上の空だよ」
私は俯いた。言い返せなかった。
「責めてないよ、これ」
そう言って、彼はそっとベルベットの箱を開いた。中には、大小さまざまな彩りのダイヤモンドが並んでいた。月明かりと蝋燭の光を受けて、宝石たちはまるで星のように輝いていた。
「結婚のプレゼントの1つに準備してたんだけど、先にあげちゃおうと思って」
「え? これを……私に?」
「僕が宝石を捧げる女性は、この世に君1人だよ」
私は目を見開いたまま、言葉を失った。
「あの……こんなに貰っても……どうすれば?」
マティアスは笑った。
「そういうとこ、好きだよ。でも『ありがとう』って、ただ微笑んで欲しかった」
「あ、ごめんなさい。ありがとう」
「どういたしまして。
それは好きなように加工していいよ。デザインの職人は、執事に言えば手配するから。
作るの、好きでしょ?」
「……しばらく、このまま飾っておいてもいい?」
「気に入らないなら、他の宝石を取り寄せよう。ルビー、サファイア──」
「違う。嬉しいから。しばらく、このまま目の入るところに置いておきたいの」
マティアスは、ふっと息を吐いて微笑んだ。
「……そうか。良かった」
その笑顔は、まるで少年のように無垢で、私の胸を少しだけ締めつけた。
宝石の煌めきが、蝋燭の灯りを受けてきらめいていた。私はその眩しさに目を細めながら、そっと口を開いた。
「私は……何を、お返しすればいい? ビジネスが成功してるって言っても、同じだけのプレゼントは用意できないわ」
マティアスは一瞬、ぽかんとした顔をしたかと思うと、すぐにシルバーブロンドの眉をひそめた。
「は? お返し? 夫が妻に貢ぐのは当たり前なんだから、そんなこと考えなくていい。
全部の体重を預けて、ぼんやりしてて欲しい」
「む……」
私は唇を尖らせた。私はカカシじゃない。ちゃんと脳みそを持つ人間だ。
マティアスは少し黙り込んだあと、ぽつりと呟いた。
「……1つだけ、欲しいものが……」
「なあに?」
「……本当は、もっとしたい……我慢してる……かなり」
その言い方に、私は思わず目を瞬いた。
「……閨?」
マティアスの顔が、ぱっと真っ赤に染まる。
「あー……じゃあ、3回まで」
彼が勢いよく顔を上げた。
「いいの?」
「え、それと、この宝石が同等なの?」
マティアスは真顔で言った。
「男が女性にドレスを贈るのは、脱がせたいからだよ」
「……わかったわかった」
私は呆れたように笑った。マティアスは私を見て、心底嬉しそうに翡翠の目を細めた。
そのとき、給仕がそっと合図を送り、楽団が姿を現した。優雅な旋律が、夜の屋上に流れ始める。
マティアスが手を差し出した。
「食事が終わったら、踊ってくれないか?」
「もちろん」
音楽が静かに流れる中、私たちは手を取り合って踊っていた。屋上の夜風がドレスの裾を揺らし、星々がまるで祝福するように瞬いている。
「今日の君も、世界一綺麗だ」
マティアスが、少し照れたように言った。
「あなたも素敵」
その言葉に、彼の頬がふっと赤く染まり、ステップを一瞬踏み外した。
あれれ、可愛いところあるじゃない。
「最近、逞しいね」
「毎日、鍛錬してるんだ。君のおかげで、外にいても疲れなくなった」
「抱き上げる腕の安定感がすごいもの」
そう言った瞬間、マティアスは私の腰に手を回し、軽々と持ち上げてくるくると回った。夜空がぐるりと回転し、笑い声が風に溶けていく。
「僕をからかうと、キスの回数が増えるよ? いいの?」
「それって脅しなの? 私は、あなたが王だからキスしたことは1度もないけど」
マティアスは私をそっと下ろし、そのまま抱きしめた。そして、ためらいなく唇を重ねる。
「愛してる、フリージア」
その言葉に、胸が熱くなる。私は彼の首に腕を回し、もう1度、今度は自分からキスを返した。
星空の下、音楽と風と、2人の鼓動だけが静かに響いていた。
結婚式を明日に控えた夜。私達は夫婦の寝室に戻ってきた。
「ちょっと、やること残ってるから後でね」
マティアスはそう言って、自分の部屋へと姿を消した。私は首をかしげながら、そっと部屋の扉を開ける。
「……えっ?」
突然、紙吹雪が舞い、拍手が鳴り響いた。
「おめでとうございます!」
メイドたちが笑顔で並び、私を祝福していた。
「びっくりした……どうしたの?」
「陛下からのプレゼントです!」
部屋の奥へと目を向けると──そこには、まるで宝物庫のような光景が広がっていた。
絵画、彫刻、砂糖菓子、ドレス、宝石、花瓶、香水瓶……煌びやかな品々が山のように積まれている。
「ええっ?! またプレゼント?!」
「近くで、ご覧ください。どれも希少品ばかりですよ。愛されてますね」
今使っている家具やドレスだって、すでに高級品ばかり。それなのに、これはさらにその上をいく贅沢さだった。
「こんなに……どうしよう?」
「びっくりした?」
マティアスが、いつの間にか背後に立っていた。
「びっくりもなにも……!」
「サプライズだよ。あと、人もいるからね」
「人?!」
「君のビジネスがしやすいように、優秀な人材を選んだよ」
扉が開き、数人の男女がぞろぞろと入ってきて、私に一斉に頭を下げた。
「フリージアには王妃として公務はしてもらわないと困るけど、あとは自由にしていいからね」
ティエルは「王妃なら執務をしろ」と怒っていたのに……。
「嬉しい。ありがとう。私からもプレゼントがあるの。あなたがくれるものに比べたら、大したことないけど」
私は小さな箱を取り出し、中からネックレスを差し出した。
「これ?」
「あなたがくれた宝石の中で、形と色がそっくりなものがあったから、ペアネックレスを作ったの」
「……すごく嬉しい。さすが僕の奥さん。着けてくれる?」
マティアスがかがみ、私はそっとネックレスを彼の首にかけた。
「もう1つあるの」
私はポケットから小さな銀のライターを取り出した。
「小さい……ピルケース?」
蓋を開けて火をつけると、ぱっと炎が灯る。
「ひっ……! 火!? それは……!?」
「魔法よ! 魔女だわ!」
メイドたちが悲鳴を上げる中、後ろにいた人材の1人が冷静に声をかけた。
「落ち着いて」
けれど、その目は炎に釘付けだった。
「何が、どうなって……」
マティアスが戸惑いながら私を見る。
「しゅってやったら、ぼってなるの」
ギルドにライターを注文するため、担当者に説明した時も、同じようにいった。
「……わ、わかった。ありがとう」
彼はおそるおそる点火し、目を丸くする。
私はメイドたちに向かって微笑んだ。
「これは“ライター”っていう道具で、魔法じゃないよ」
そしてメカニズムを説明する。
「妃陛下は天才です!」
拍手が起こる中、私はふっと思った。
元々私のアイディアじゃないけど、褒められて悪い気はしない。
夜の寝室は、静けさと温もりに包まれていた。天蓋のレースがわずかに揺れ、窓の外には星が瞬いている。
マティアスがベッドの上で、銀色のライターをくるくると指先で回していた。蓋を開けては火を灯し、また閉じる。そのたびに、小さな炎がふっと揺れる。
「ねえ、寝室で火事は洒落にならないから、しまってよ」
私が眉をひそめると、彼はすぐに手を止めた。
「ごめん……あまりに凄くて」
「結婚式までに間に合って良かった」
「ああ……世界で1番、素晴らしいパートナーだよ。神に感謝」
マティアスは私の額に、そっとキスを落とした。唇の温もりが、じんわりと肌に残る。
「興奮して眠れないかも」
「ハーブティーいれてもらおう。眠れるの」
そう言った瞬間、マティアスが私をふわりと押し倒した。シーツが柔らかく沈み、彼の体温がすぐそばに迫る。
「君が僕の熱を受け入れてくれたら、眠れると思う」
「……しすぎないでね」
「明日の夜の分は、とっておくよ」
彼の声は低く、甘く、耳元に落ちた。
私は目を閉じ、そっと彼の背に腕を回した。
夜はまだ、深く、長い。
大聖堂の扉がゆっくりと開かれ、陽光が差し込む中、私は純白のドレスをまとい、父の代理人とともにバージンロードを歩き始めた。長く伸びる赤い絨毯の先には、マティアスが立っている。彼の瞳が、まっすぐに私を見つめていた。
ステンドグラスから差し込む光が、私のドレスに虹色の影を落とす。胸が高鳴る。けれど、それだけではなかった。どこか、胸の奥がざわついていた。
祭壇の前に立ち、牧師が口を開く。
「マティアス・フローディア。汝はこの者を、正しき妻とすることを誓いますか?」
その声を聞いた瞬間、私はハッとした。
──この声……バズ?
まさか。彼は地下牢にいるはず。なのに、どうしてここに?
ヴェール越しで顔が、わからない。
「誓います」
マティアスの声が、私の思考を引き戻す。
「フリージア・アルディア。汝はこの者を、正しき夫とすることを誓いますか?」
私は一瞬、迷いかけた。けれど、視線を上げると、マティアスが優しく微笑んでいた。
「……誓います」
「……では、誓いのキスを」
マティアスがそっと私の手を取り、囁いた。
「震えてる……緊張してるの?」
「ええ……」
緊張じゃない、パニックになっている。でも、ここでアクション
「そうか。可哀想に。早く終わらせよう」
彼はそっと私にキスを落とし、指に指輪をはめた。拍手が大聖堂に響き渡る。
けれど、私の心は別のことでいっぱいだった。
──あの牧師、やっぱりバズ……?
どうして? 地下牢にいたはずなのに。
なぜ、牧師として潜入してるの……?
式を終えて外に出ると、フラワーシャワーが舞い上がった。白い花びらが風に乗って、空へと舞い上がる。
私とマティアスは馬車に乗り込み、王都のスタジアムへと向かった。
まだ建設途中のその場所には、すでに多くの人々が集まっていた。私たちの側には貴族たちが整然と並び、反対側の客席には、平民たちがぎっしりと詰めかけている。
祝福の声が、波のように押し寄せてくる。
私はマティアスと手を取り合い、笑顔で手を振った。
けれど、心の奥では──あの声の正体が、ずっと引っかかっていた。
スタジアムの芝生に、子どもたちが一列に並んで現れた。小さな体を揃えて、こちらに一礼する。
私は思わず微笑み、そっと会釈を返した。
キックオフの笛が鳴る。
まだ練習を始めて2ヶ月ほど。ボールは思うように弾まず、動きもぎこちない。けれど、子どもたちは一生懸命だった。転びながらも、声を掛け合い、走り続ける。
「凄いわ……」
「みんな、よく頑張ってるね。君の夢──戦争でなく、スポーツの勝敗で解決っていうのも、いつか叶うといいね」
「ありがとう」
「新婚旅行の代わりがサッカーの観戦なんて、君らしいよ」
「だって、私たち、お互い忙しくて城から出られないじゃない。でも、結婚式の日にサッカーを見たとなれば話題になるし、新聞にも載る。普及が早まる」
「そうだね。策士の奥さん」
「ねえ、見て。上手いわ、あの子」
「本当だ」
マティアスが立ち上がり、前へ1歩出た──その瞬間。
**パシュン**
「ぐっ……」
「どうしたの──ひっ!」
振り向いた私の声が震えた。マティアスの胸に、1本の矢が突き刺さっていた。
「医者を早く!」「陛下が打たれた! 犯人を追え!」「陛下、矢を抜いて止血します! 横にしますよ──1、2、3!」
護衛たちが叫び、動き、混乱が広がる。地面に横たわったマティアスの顔は、青ざめていた。
「……ま、マティアス! マティアス……!」
どうして? どうして、こんなことに?
「マティアス……マティアス!!」
私は彼の名を呼び続けた。何もできない。何もわからない。
「妃陛下、危険ですので馬車にお戻りください!」
「で、でも……マティアスを、ここに置いていくなんて……!」
「馬車に兵がおりますので、早く!」
護衛の腕が私の肩を抱き、強引に引き離す。私は振り返りながら、必死にマティアスを見つめた。
「マティアス……!」
叫びは風にかき消され、私はひとり、馬車に押し込まれた。
扉が閉まり、車輪が動き出す。
王宮へと戻る道のり、私はただ、震える手を握りしめていた。
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