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新妻は愛人の生活費を要求する
しおりを挟む寝室の扉が閉まる音が、やけに重く響いた。
天蓋付きのベッドに腰かけた新婦ビアンカは、黒曜石のような髪を背に流し、冷ややかな灰色の瞳でこちらを見ていた。
切れ長の目元と高い鼻筋、氷の彫像のような美貌。
だがその美しさは、手を伸ばせば切り裂かれそうな鋭さを孕んでいる。
俺は、隣に立つエイミーの手を取った。
彼女は赤毛をくるんと巻いた小柄な令嬢で、翡翠色の瞳がくるくるとよく動く。
八重歯をのぞかせて笑う顔は、どこまでも表情豊かで、見ていて飽きない。
「お前を愛することはない。俺には愛する人がいる。このエイミーだ」
言い切ってから、ビアンカの反応をうかがう。
だが彼女は眉ひとつ動かさず、こちらを見ていた。
「3年したら"子供ができない"という理由で、エイミーを側室に召し上げる。
お前は、お飾りの妻だ」
「そうですか。
では、私の愛人の生活費も、お願いします」
……は?
「愛人だと? 不貞ではないか!
婚約者のある身で、不貞していたということだ!」
「いやいやいやいや、棚上げが凄い。まあいいや」
そう言って、彼女は机の引き出しから紙束を取り出した。
契約書と──離婚届?
「サインを」
紙を突き出され、思わず受け取ってしまう。
書類に目を通すと俺の月給の半分を、妻とその愛人の生活費として要求されている。
「はあああ?! なぜ俺がお前の愛人の生活費を、こんなに払わないといけないのだ?!」
「夫が妻を養うのは当然でしょう? 愛人も私の一部です」
「何を言ってるのかわからない」
「はあ。もういいです。
陛下と話しますんで、あなたは出てってください」
「そうやって、すぐ父上に言いつけるな!
そのせいで俺は、お前と婚約破棄できなかったんだぞ?」
「婚約を決めるのは当主同士なのに、何故あなたに破棄する権限があるのですか?
だから馬鹿は嫌いなんです」
「何だと?!」
「はいはい、そこまで」
部屋の隅から、銀髪の男が現れた。
琥珀色の瞳に優しげな光を宿し、中性的な顔立ちはまるで絵画から抜け出したよう。
白い肌に黒の礼装が映え、まるで夜会の王子だ。
「ウィリアム……お前! 護衛騎士!」
ビアンカ専属の護衛騎士だ。
2年前に入った新人だ。
「私の愛人よ」
ビアンカがそう言って、彼にキスをした。
「おおおいいい!」
「悔しかったら、あなたも愛人としなさいよね」
「はあ? 人前でするか」
「「キースキース」」
不倫カップルが囃し立ててくる。
「くそっ!」
俺は部屋を飛び出した。
──なんなんだ、あいつら!
夫が妻の愛人の生活費払うなんて、聞いたことない。
バカにしやがって! くそ、くそ!
朝の陽光がステンドグラスを透かして、食堂の白い大理石の床に七色の光を落としていた。
長いテーブルの上には、銀の食器と湯気の立つスープ、焼きたてのパン、香ばしい肉料理が並んでいる。
俺はその中央に座り、隣にいるエイミーと静かに朝食をとっていた。
彼女は赤毛をふわりと巻き、翡翠色の瞳を潤ませながら俺の腕に寄り添っている。
今日のドレスは薄桃色のレースがあしらわれたもので、彼女の白い肌をいっそう引き立てていた。
「一昨日まで、私が王子宮の女主人だったのに……妻の部屋からも追い出されて……ぐすん」
「すぐ元に戻るさ。
あんな不倫女、父王が許すはずない」
俯く恋人に、そう囁いた瞬間、食堂の扉が勢いよく開いた。
現れたのは──ビアンカだった。
目を引いたのは、その首筋。
鎖骨から肩にかけて、赤い痕がいくつも散っていた。
しかも、彼女は歩いていない。
銀髪の男──ウィリアムが、まるで姫を抱くように、彼女を軽々と抱きかかえている。
そのまま俺たちの向かいに来ると、ビアンカはウィリアムの膝の上にちょこんと腰を下ろし、ナイフとフォークを手に取った。
「っ! おい、愛人を食卓に連れてくるな!」
「ブーメラン、くすくす」
ビアンカは笑いながら、パンをちぎって口に運ぶ。
「愛人が何故、王子夫婦の食堂にいるの?」
「それは、こちらの台詞だ!」
俺が声を荒げると、エイミーが不安げに俺の袖をつかんだ。
「ザコット、怖いわ」
「大丈夫だ、俺がいる」
俺は彼女の手を握り返しながら、ビアンカを睨みつけた。
「彼は護衛騎士だし、陛下に交際を認められてるのよ。
あなたの愛人が後宮に入るには、私の承認が必要。
まして後宮にも入れてない人間が、ここにいるのは許されないわ」
「食堂に入れる入れないは、俺が決める!」
「ならば陛下に頼んで、離宮に引っ越してもらいましょう。
ご機嫌よう。お達者で。おほほほほ」
ビアンカはウィリアムに身を預けたまま、勝ち誇ったように笑った。
ウィリアムは彼女を抱いたまま、静かに立ち上がる。
「続きは、寝室で食べよう」
「うふふ、そんなこと言って、変なことするんでしょ」
「食べ終わるまで待つよ」
「おい! まさか夫婦の寝室で、そういうことをするんじゃないだろうな?!」
俺が怒鳴ると、2人は顔を見合わせ、にやりと笑った。
「他に、どこでいちゃつけと?」
ビアンカが取り澄まして言う。
お前にデリカシーは無いのか?!
「デリカシーないにもほどがあるぞ! 夫婦の寝室に愛人を連れ込むなんて!」
「「……」」
無言のまま、2人は俺を無視して食堂を後にした。
「おい!」
俺の声は、扉の向こうに吸い込まれていった。
ビアンカは実家の公爵邸で、どんな躾をされてきたんだ?
今度、グランツェ公爵に文句を言ってやる。
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