初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)

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あっという間の結婚



 夜の応接室は、重厚なカーテンに包まれ、暖炉の火が静かに揺れていた。  
 俺は深く腰を下ろし、目の前の男の言葉を待っていた。

 ローズハント公爵は、グラスに琥珀色の酒を注ぎながら、低く口を開いた。

「……陛下が、娘と再婚したがっているというのは、聞いているか?」

 俺は頷いた。

「はい。しかし、公の場で私が“恋人”だと宣言しました。  
 今さら無理に召し上げようとすれば、貴族たちが反発します」

「その通りだ。だから、相手は出方を変えてきた」

 俺は眉をひそめた。

「と、言いますと?」

 公爵はグラスを置き、まっすぐに俺を見た。

「スフィアを、閨係にと」

 その言葉を聞いた瞬間、椅子を蹴るようにして立ち上がった。

「っバカな!」

「もちろん、あり得ない。
 だが、スフィアが隣国で平民と結婚していたことは、本国では知られていない。  
 だから、隠したままでいいと、数年前から打診が続いている。
 そろそろ断りきれない」

 握った拳が震えた。

「そもそも、浮気して婚約を破談させたのは、向こうでしょう!」

 公爵は静かに頷いた。

「それなんだがな……。陛下は、浮気相手と結婚するつもりはなかったらしい。  
 あの女──元男爵令嬢が妊娠を公表してしまって、後に引けなくなった。  
 結果、即位と同時に離婚。今は“自由”というわけだ」

 俺は額に手を当て、深く息を吐いた。

「……どうすれば……」

 公爵は立ち上がり、俺の肩に手を置いた。

「1つ、方法がある」

「……何でしょう?」

「協力してくれるか?」

「ええ、もちろん」

 迷いはなかった。  
 公爵は満足げに微笑むと、背を向けて扉へ向かう。

「では、寝支度をして、寝室で待っていてくれ」

 その言葉を残し、静かに部屋を出ていった。

 しばらくその背中を見送っていたが、やがて小さく首を傾げた。

「……寝室?」

 その意味を理解しきれぬまま、とりあえず立ち上がった。




 湯浴みを終え、寝室に戻った俺は、静かに椅子に腰を下ろしていた。  
 公爵の言葉が、まだ胸の奥でくすぶっている。  
 “寝支度をして、寝室で待っていてくれ”──あれは、どういう意味だったのか。

 扉が、そっと開いた。

 スフィアだった。

 彼女は、いつものように整った姿ではなかった。  
 頬は紅潮し、呼吸は浅く、目がどこか焦点を結んでいない。

「どうしたんだ?」

 俺が立ち上がろうとした瞬間、彼女が一歩踏み込んできた。  
 言葉を発する間もなく、唇が重なった。

 驚いた俺は次の瞬間、ベッドに押し倒されていた。

「ま、待ってくれ。何してるんだ? 本気か? 正気か?」

 スフィアの瞳が、熱に潤んでいた。

「……媚薬を飲んだの」

「なんだって?!」

 思わず息を呑む。  
 彼女は、俺の胸に額を押し当てながら、震える声で続けた。

「私が妊娠して、それを公表すれば……陛下は、私を閨の相手にできない」

 その言葉に、俺の中で何かが軋んだ。

「……それは、確かに理屈としては正しい。  
 でも、そんな……そんな横暴なやり方は……」

 言いかけた言葉は、彼女の熱に押し流された。  
 俺の中の理性と感情が、せめぎ合う。

 もし、スフィアとそうなるなら──  
 もっと穏やかに、もっとロマンチックに、互いの気持ちを高め合ってからだと、そう思っていた。

 けれど、今の彼女は、まるで何かに追い詰められたように、俺を求めていた。  
 その姿は、獣のように激しく、同時にどこか脆くて、痛々しかった。

 俺はただ、彼女を受け止めることしかできなかった。

 ──なんだ、これ。  
 思っていたのとは、まるで違う。  
 でも…………悪くない。  
 彼女が俺を選んでくれたことだけは、確かだった。



 翌朝、目が覚めると、隣にいたはずのスフィアの姿がなかった。  
 代わりに、シーツの温もりだけが残っていた。

 しばらくしても戻ってこない。  
 気配を辿ると、浴室の扉の向こうから、かすかに水音が聞こえた。

 ……まさか、溺れたんじゃないだろうな。

 心配になって扉をノックし、声をかける。

「スフィア、大丈夫か?」

 返事はなかった。

「入るぞ」

 そっと扉を開けた瞬間──

 ばしゃっ。

 冷たい水が、容赦なく顔面に飛んできた。

「……っつめぇ!」

 タオルで顔を拭いながら見上げると、スフィアが真っ赤な顔で立っていた。  
 湯気の中、彼女は唇を噛みしめて、目を逸らしている。

「……出てって」

 その一言に、俺は素直に引き下がった。  
 まあ、無理もない。  
 薬が切れて、昨夜のことを思い出したんだろう。


 それからしばらくして、ふたりで支度を整え、教会へ向かった。  
 公爵が事前に話を通してくれていたらしく、手続きは驚くほどスムーズだった。

 俺は、ロキア・ローズハントになった。  
 婿入りだ。  
 弟には事後報告になるが……まあ、公爵相手に文句は言えないだろう。

 教会を出たところで、公爵が用意していた結婚指輪を手渡された。  
 その場でスフィアが、俺の手を取って言った。

「ロキア・ローズハント。あなたを婿として、一生大切にします」

 ……プロポーズされた。

 俺は、どうやらこの物語のヒロインだったらしい。

 もし、いつかスフィアが望んでくれたら──  
 夜景の見えるレストランを貸し切って、花を用意して、指輪を差し出して……。
 そんなプロポーズをしようと、密かに思っていた。

 けれど、現実は道端。  
 教会の石畳の上で、彼女に先を越された。

 ……まあ、悪くない。  
 むしろ、これがローズハント家の人間らしい。

 俺は、彼女の手を取り、そっと指輪をはめた。  
 そして、笑った。

 これが俺たちの始まりなら、それでいい。
  
 でも、なんというか……心が追いついていない。

 そんな俺をよそに、公爵とスフィアは「さあ行くぞ」とばかりに俺を引っ張って、王宮へ向かった。


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