9 / 11
あっという間の結婚
夜の応接室は、重厚なカーテンに包まれ、暖炉の火が静かに揺れていた。
俺は深く腰を下ろし、目の前の男の言葉を待っていた。
ローズハント公爵は、グラスに琥珀色の酒を注ぎながら、低く口を開いた。
「……陛下が、娘と再婚したがっているというのは、聞いているか?」
俺は頷いた。
「はい。しかし、公の場で私が“恋人”だと宣言しました。
今さら無理に召し上げようとすれば、貴族たちが反発します」
「その通りだ。だから、相手は出方を変えてきた」
俺は眉をひそめた。
「と、言いますと?」
公爵はグラスを置き、まっすぐに俺を見た。
「スフィアを、閨係にと」
その言葉を聞いた瞬間、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「っバカな!」
「もちろん、あり得ない。
だが、スフィアが隣国で平民と結婚していたことは、本国では知られていない。
だから、隠したままでいいと、数年前から打診が続いている。
そろそろ断りきれない」
握った拳が震えた。
「そもそも、浮気して婚約を破談させたのは、向こうでしょう!」
公爵は静かに頷いた。
「それなんだがな……。陛下は、浮気相手と結婚するつもりはなかったらしい。
あの女──元男爵令嬢が妊娠を公表してしまって、後に引けなくなった。
結果、即位と同時に離婚。今は“自由”というわけだ」
俺は額に手を当て、深く息を吐いた。
「……どうすれば……」
公爵は立ち上がり、俺の肩に手を置いた。
「1つ、方法がある」
「……何でしょう?」
「協力してくれるか?」
「ええ、もちろん」
迷いはなかった。
公爵は満足げに微笑むと、背を向けて扉へ向かう。
「では、寝支度をして、寝室で待っていてくれ」
その言葉を残し、静かに部屋を出ていった。
しばらくその背中を見送っていたが、やがて小さく首を傾げた。
「……寝室?」
その意味を理解しきれぬまま、とりあえず立ち上がった。
湯浴みを終え、寝室に戻った俺は、静かに椅子に腰を下ろしていた。
公爵の言葉が、まだ胸の奥でくすぶっている。
“寝支度をして、寝室で待っていてくれ”──あれは、どういう意味だったのか。
扉が、そっと開いた。
スフィアだった。
彼女は、いつものように整った姿ではなかった。
頬は紅潮し、呼吸は浅く、目がどこか焦点を結んでいない。
「どうしたんだ?」
俺が立ち上がろうとした瞬間、彼女が一歩踏み込んできた。
言葉を発する間もなく、唇が重なった。
驚いた俺は次の瞬間、ベッドに押し倒されていた。
「ま、待ってくれ。何してるんだ? 本気か? 正気か?」
スフィアの瞳が、熱に潤んでいた。
「……媚薬を飲んだの」
「なんだって?!」
思わず息を呑む。
彼女は、俺の胸に額を押し当てながら、震える声で続けた。
「私が妊娠して、それを公表すれば……陛下は、私を閨の相手にできない」
その言葉に、俺の中で何かが軋んだ。
「……それは、確かに理屈としては正しい。
でも、そんな……そんな横暴なやり方は……」
言いかけた言葉は、彼女の熱に押し流された。
俺の中の理性と感情が、せめぎ合う。
もし、スフィアとそうなるなら──
もっと穏やかに、もっとロマンチックに、互いの気持ちを高め合ってからだと、そう思っていた。
けれど、今の彼女は、まるで何かに追い詰められたように、俺を求めていた。
その姿は、獣のように激しく、同時にどこか脆くて、痛々しかった。
俺はただ、彼女を受け止めることしかできなかった。
──なんだ、これ。
思っていたのとは、まるで違う。
でも…………悪くない。
彼女が俺を選んでくれたことだけは、確かだった。
翌朝、目が覚めると、隣にいたはずのスフィアの姿がなかった。
代わりに、シーツの温もりだけが残っていた。
しばらくしても戻ってこない。
気配を辿ると、浴室の扉の向こうから、かすかに水音が聞こえた。
……まさか、溺れたんじゃないだろうな。
心配になって扉をノックし、声をかける。
「スフィア、大丈夫か?」
返事はなかった。
「入るぞ」
そっと扉を開けた瞬間──
ばしゃっ。
冷たい水が、容赦なく顔面に飛んできた。
「……っつめぇ!」
タオルで顔を拭いながら見上げると、スフィアが真っ赤な顔で立っていた。
湯気の中、彼女は唇を噛みしめて、目を逸らしている。
「……出てって」
その一言に、俺は素直に引き下がった。
まあ、無理もない。
薬が切れて、昨夜のことを思い出したんだろう。
それからしばらくして、ふたりで支度を整え、教会へ向かった。
公爵が事前に話を通してくれていたらしく、手続きは驚くほどスムーズだった。
俺は、ロキア・ローズハントになった。
婿入りだ。
弟には事後報告になるが……まあ、公爵相手に文句は言えないだろう。
教会を出たところで、公爵が用意していた結婚指輪を手渡された。
その場でスフィアが、俺の手を取って言った。
「ロキア・ローズハント。あなたを婿として、一生大切にします」
……プロポーズされた。
俺は、どうやらこの物語のヒロインだったらしい。
もし、いつかスフィアが望んでくれたら──
夜景の見えるレストランを貸し切って、花を用意して、指輪を差し出して……。
そんなプロポーズをしようと、密かに思っていた。
けれど、現実は道端。
教会の石畳の上で、彼女に先を越された。
……まあ、悪くない。
むしろ、これがローズハント家の人間らしい。
俺は、彼女の手を取り、そっと指輪をはめた。
そして、笑った。
これが俺たちの始まりなら、それでいい。
でも、なんというか……心が追いついていない。
そんな俺をよそに、公爵とスフィアは「さあ行くぞ」とばかりに俺を引っ張って、王宮へ向かった。
あなたにおすすめの小説
「10歳の頃の想いなど熱病と同じ」と婚約者は言いました──さようなら【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王太子フリードリヒの婚約者として、幼い頃から王妃教育を受けてきたアメリア・エレファウント公爵令嬢。
誰もが羨む未来を約束された彼女の世界は、ある日突然1人の少女の登場によって揺らぎ始める。
無邪気な笑顔で距離を(意図的に)間違える編入生ベルティーユは、男爵の庶子で平民出身。
ベルティーユに出会ってから、悪い方へ変わっていくフリードリヒ。
「ベルが可哀想だろ」「たかがダンスくらい」と話が通じない。
アメリアの積み上げてきた7年の努力と誇りが崩れていく。
そしてフリードリヒを見限り、婚約解消を口にするが話は進まず、学園の卒業パーティーで断罪されてしまう……?!
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています
冷遇夫がお探しの私は、隣にいます
終日ひもの干す紐
恋愛
愛人がいるなら、さっさと言ってくれればいいのに!
妻に駆け落ちされた、傷心の辺境伯ロシェのもとへ嫁いでほしい。
シャノンが王命を受け、嫁いでから一年……とんでもない場面に立ち会ってしまう。
「サフィール……またそんなふうに僕を見つめて、かわいいね」
シャノンには冷たいの夫の、甘ったるい囁き。
扉の向こうの、不貞行為。
これまでの我慢も苦労も全て無駄になり、沸々と湧き上がる怒りを、ロシェの愛猫『アンブル』に愚痴った。
まさかそれが、こんなことになるなんて!
目が覚めると『アンブル』になっていたシャノン。
猫の姿に向けられる夫からの愛情。
夫ロシェの“本当の姿”を垣間見たシャノンは……?
* * *
他のサイトにも投稿しています。
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
一年だけの夫婦でも私は幸せでした。
クロユキ
恋愛
騎士のブライドと結婚をしたフローズンは夫がまだ婚約者だった姉を今でも想っている事を知っていた。
フローズンとブライドは政略結婚で結婚式当日にブライドの婚約者だった姉が姿を消してしまった。
フローズンは姉が戻るまでの一年の夫婦の生活が始まった。
更新が不定期です。誤字脱字がありますが宜しくお願いします。
彼女の離縁とその波紋
豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。
※子どもに関するセンシティブな内容があります。
愛される日は来ないので
豆狸
恋愛
だけど体調を崩して寝込んだ途端、女主人の部屋から物置部屋へ移され、満足に食事ももらえずに死んでいったとき、私は悟ったのです。
──なにをどんなに頑張ろうと、私がラミレス様に愛される日は来ないのだと。
[完結]本当にバカね
シマ
恋愛
私には幼い頃から婚約者がいる。
この国の子供は貴族、平民問わず試験に合格すれば通えるサラタル学園がある。
貴族は落ちたら恥とまで言われる学園で出会った平民と恋に落ちた婚約者。
入婿の貴方が私を見下すとは良い度胸ね。
私を敵に回したら、どうなるか分からせてあげる。