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いきなり胸ぐら掴まれる
しおりを挟む夜の帳が静かに降り、アストリア公爵邸は深い静寂に包まれていた。
寝室の窓辺には、薄紫のカーテンが風に揺れ、月の光が床に淡い模様を描いている。
私は鏡台の前に座り、侍女のクラリッサに紫の髪を梳かれていた。
「明日は晴れるといいですね、ヴァイオレット様。
お庭の薔薇も、そろそろ見頃かと」
クラリッサの穏やかな声に、私は小さく頷いた。
その時──
外から、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
足音が廊下を駆け、使用人たちの制止する声が混じる。
「お待ちください、王子殿下!」
バンッ!
重厚な扉が乱暴に開かれた。
赤髪が炎のように揺れ、鋭い紅の瞳が私を射抜く。
カイザー・ド・ルヴァン第1王子──私の婚約者が、怒りに燃えた顔で部屋に踏み込んできた。
「お前がやったのか?! そうだろう? 吐け! 自白しろ!」
言葉の意味を理解する前に、彼の手が私の胸元を掴んでいた。
何が起きているのか、まるでわからない。
苦しい、怖い……。
「やめろ!」
低く鋭い声が響いた。
義兄のヴィクトルが飛び込んできて、カイザーを引き剥がした。
「大丈夫か、ヴィオ?」
濃紺の瞳が心配そうに、こちらを覗き込む。同色の長めの髪が、私の頬をくすぐる。
平均より一回り大きいヴィクトルに抱き締められ、私はその胸にしがみついた。
「何のつもりだ、人の家に勝手に入ってきて!
いくら王子でも許されることではない。厳罰を求めて抗議する!」
ヴィクトルがカイザーを睨んで吠えた時──
慌てたように駆け込んできたのは、カイザーの側近ビクター・クロウ侯爵令息。
元々痩せ型で顔色が優れない彼だが、もう今は血の気を失っている。
「も、申し訳ありません!」
青い髪を振り乱して、ビクターが頭を下げる。
「謝って済むか。なぜ止めなかった?」
「……当方の力不足です。謹慎いたします」
義兄の怒気を孕んだ声に、ビクターは顔を伏せた。
私はまだ、胸の鼓動が収まらない。
何が起きたの……?
「どういうことなんだ、説明しろ」
「……クロワゼル男爵令嬢が、亡くなりまして」
ビクターの答えに、ひゅっと息が喉に詰まった。
あの、ジャネットが……?
ジャネットは元々平民として暮らしていたが、父である男爵に引き取られた昨年、貴族学園に編入してきた。
そこで私の婚約者カイザーと、恋仲になったのだが──
「なっ、急に……どこで、何故?」
義兄の声が震える。
ビクターは言葉を濁したまま、視線を逸らした。
カイザーは何も言わず、踵を返して部屋を出ていった。
「あ、この! 謝りもしないで!」
「こ、この件は陛下に報告しますので、今は気をお沈めください」
カイザーの代わりに、ビクターが必死で謝る。
「報告するなど当たり前だろう!」
「義兄様、話の続きを聞きましょう」
私はヴィクトルの腕の中から顔を上げ、静かにそう告げた。
3歳上の彼は養子だが、再従兄であり血縁なので、私を本物の妹のように思ってくれてるようだ。
私のために怒ってくれるのは、ありがたいが話が進まない。
「その……クロワゼル男爵令嬢は先刻、王宮の1室で変死しているのが見つかりました。
死因は、毒と窒息によるものと見られています」
ビクターの声は、かすかに震えていた。
「……誰が、そんなことを」
自分の声が遠く聞こえた。
まるで他人の言葉のように、感情が追いつかない。
「そんなことより、何故その女が王宮にいる?」
義兄の声が鋭くなる。
その問いにビクターは一瞬、言葉を選ぶように沈黙した。
「実は……クロワゼル男爵令嬢は、カイザー殿下のお子を身籠もってまして……」
「「は?」」
私と義兄の声が重なった。
……信じられない。
堂々と人目も憚らずにカイザーと交際していたのは分かっていたが、まさか貴族令嬢が婚姻前に純潔を失うなんて……。
そして、安易に王族の子を孕むことが、どういうことか……。
「数日前から、密かに王宮で暮らしておりました」
「っバカな! 王家は戦争したいのか!」
ヴィクトルの怒声が部屋を震わせた。
カイザーは一応、私の婚約者なのだ。
しかも結婚式まで2週間。
これは我がアストリア公爵家への宣戦布告である。
ビクターは慌てて首を振る。
「い、いいえ! まさか! この件については、陛下からお話があると思いますので……つまり、クロワゼル男爵令嬢の身辺警備は厳重だったのです」
その言葉に、私は背筋が凍るのを感じた。
警備が厳重だったということは──
つまり、外部の者が入り込む余地はなかったということ。
王族が、彼女を……ということだ。
「そこまで分かってるなら、あいつは何故ヴィオに食ってかかった?」
義兄の声が低く唸る。
ビクターは青い目を伏せ、苦しげに答えた。
「事実より感情を優先した結果……そう思い込まないと、自分を保てないのでしょう」
「ふざけやがって! 殺してやる!」
義兄の怒りが爆発した。
私は咄嗟に彼の腕を掴み、必死に叫んだ。
「義兄様! ダメ!
今のは、聞かなかったことにしてちょうだい!」
必死にビクターを振り返ると──
「こちらの落ち度ですので……」
彼は深く一礼した。
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