前世の記憶を思い出したのは浮気王子と結婚してしまった後でした

星森 永羽(ほしもりとわ)

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結婚式終わりに階段から落ちる

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 義兄とビクターが部屋を出ていくと、ようやく静けさを取り戻した。  

 けれど、私の胸のざわめきは収まらない。  
 心臓が、まだ早鐘のように打ち続けていた。

「お嬢様……着替えましょう。
 このネグリジェは、もう……捨ててしまいましょう。
 見ると、怒りがこみ上げてきます」

 クラリッサが拳を握る。  
 その後ろで、他の侍女たちも頷いている。  

 私は何も言わず、よろよろと立ち上がった。  
 足元がふらつく。けれど、誰かの手が支えてくれる。  
 そのまま、彼女たちに身を預けた。

 柔らかな布が肌を撫で、冷えた体を包み込む。  

 新しいナイトドレスは、白い絹で仕立てられていた。  
 けれど、どんなに美しい布でも、心のざわめきは隠せない。


 やがて、香り高いハーブティーが運ばれてきた。  
 湯気が立ちのぼり、カモミールの香りが部屋に広がる。  

 私は椅子に腰を下ろし、頭を抱えた。  
 指先がこめかみに触れる。
 冷たい。
 自分の体温が、どこかへ逃げていくようだった。

「ジャネットとかいう略奪女より、カイザー王子が死ねば良かったのに……お可哀想に、お嬢様」

 クラリッサの声が、震えて落ちた。  
 他の侍女たちも、無言で頷いている。

 いつもなら「そんなこと言ってはいけない」と、窘めていた。  
 けれど今は──その気力すら、どこかへ消えていた。  



 その夜、思考はまるで霧の中をさまよっていた。  
 何を考えても、すぐに霧散してしまう。  
 ただ、胸の奥に残るのは、焼けつくような怒りと、冷たい恐怖だけだった。

 けれど、いつの間にか意識は遠のいていた。  
 クラリッサが淹れてくれたハーブティーに、きっと睡眠薬が混ぜられていたのだろう。  

 気づけば、朝の光がカーテン越しに差し込んでいた。

 私はゆっくりと身を起こし、深く息を吸った。  
 まだ冷たい空気が肺に満ちる。  

 昨夜の出来事を、頭の中でひとつずつ並べて整理しようとしたときだった。

「ヴィオ!」

 扉が勢いよく開かれ、ヴィクトルが飛び込んできた。

「まだ、お着替えが終わってません!」

 クラリッサが慌てて制止する。

「固いこと言うな。義妹は不安なんだ」

 義兄は私の前に膝をつき、真剣な眼差しで覗き込んできた。  
 男らしくも、どこか甘い端正な顔が間近に迫る。
 この人は、自分の色気に無自覚なんだろうか?
 カイザーから受けたショックとは、別の動悸がする。

「大丈夫か? 医者を呼ぼうか? 精神安定剤をもらった方がいいだろう」

「お兄様、落ち着いてください。平気です」

 そう口にした自分の声が、驚くほど冷静だった。  

 平気なわけがない。  
 けれど、私は8年に及ぶ王妃教育の中で、平静を装う訓練を受けてきた。
  
 心を殺し、感情を隠し、ただ微笑む──それが、私の生き方だった。

 義兄は大きく息を吐き、立ち上がった。

「これから義父上と王宮に抗議に行く。婚約も破棄だ」

「義兄様!」

 私は思わず声を上げた。

「お父様が、そんなことお許しになるはずないわ」

 アストリア公爵は、王家に与するタイプの典型である。
 抗議はしても、婚約を取り止めはしない。
 むしろ義兄が悪目立ちして貴族籍から抜かれたら、そっちの方が大変だ。

「いや、反対するなら親族を巻き込んで、当主を交代してもらう!」

 濃紺の瞳が燃えていた。  

「……結婚式まで、あと2週間なのよ。間に合うはずないわ。招待状だって、もう……」

 平民の結婚式とは違う。  
 この婚姻には国内の要人は勿論、国外からも貴賓が参列する。  
 今さら中止など、できるはずがない。

 義兄は唇を噛み、拳を握りしめた。  
 私は微笑んでみせた。

「私は大丈夫よ」

 もちろん、大丈夫なはずがなかった。  
 けれど、私が我慢すれば済むこと。
  
 そもそも、当主の決めたことには逆らえない。  
 私だけじゃない。
 貴族の子女は、皆そうやって生きている。





 鐘の音が高らかに響き、教会のステンドグラスに朝の光が差し込んでいた。  

 白い花々が並ぶバージンロードの先、私はカイザーと並んで立っていた。  

 純白のドレスが風に揺れ、胸元のレースが微かに震える。  
 紫の髪はゆるく巻かれ、ティアラの下で光を受けてきらめいていた。

「カイザー・ド・ルヴァン。
 あなたはこの者を妻とし、愛し、守ることを誓いますか?」

 牧師の問いに、カイザーは舌打ちをして、面倒そうに頷いた。

「……ああ」

 その態度に、参列者がざわつく。  
 けれど、誰も止めることはできない。  

 私は静かに息を吸い、同じ質問に答える。

「はい、誓います」

 指輪が指に滑り込む。  
 冷たい金属の感触が、やけに現実的だった。  

 誓いのキスは──なかった。  
 カイザーが拒んだのだ。


 教会の扉が開き、外の光が差し込む。  

 青空の下、ライスシャワーが舞い、拍手が響く。  

 私はカイザーと並んで階段を降りようとした。

 ──あれ?

 この光景、どこかで見たことがある。  
 青空、拍手、ライスシャワー、そして……階段。

 何だっけ……?

 頭がズキズキと痛む。  
 視界が揺れ、記憶の奥から何かが浮かび上がってくる。

 ……これは、以前ハマってた乙女ゲームのエンディング場面に、そっくりだ。

 乙女ゲーム……そうだ。  
 私は──日本人だった。  
 ここは、ゲームの中。

 カイザー・ド・ルヴァン第1王子。  
 彼のルートのハッピーエンドは、確かにこの結婚式だった。  
 教会を出て階段を降りるところで、画面がフェードアウトして終わる。

 でも──  
 本来、攻略対象の隣はヒロインのジャネット。  
 ジャネットは、もう……死んでいる。

 え……ヒロイン死亡なんて、あり得るの?  

 死亡エンドなんて、ゲームにあった?

「おい! 聴こえてるのか?」

 カイザーの声が、現実に引き戻す。

「え?」

「いつまで、そこにいる? 行くぞ」

「あ、え、待って──」

 足元が、ふっと消えた。  
 視界が傾き、世界がぐるりと回る。 

 私は、白い階段を踏み外し、そのまま──落ちた。




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