前世の記憶を思い出したのは浮気王子と結婚してしまった後でした

星森 永羽(ほしもりとわ)

文字の大きさ
3 / 7

自分の人生を

しおりを挟む



 まぶたの裏に、白い光が差し込んでいた。  

 遠くで誰かの声がする。  

 水の底から浮かび上がるように、私はゆっくりと意識を取り戻した。

「お嬢様! 目を覚まされたんですね!?」

 クラリッサの声が耳元で弾けた。  
 そのすぐ後ろで、誰かが駆け出す音がする。

「急いで医師を呼んできます!」

 視界がぼやけていた。  
 天井の模様が、ゆらゆらと揺れている。  

 私はかすかに首を動かし、声を絞り出した。

「……クラリッサ……?」

「良かった、お嬢様! 丸1日、目覚めなかったんですよ」

「……そんなに……私……」

 言葉が喉で途切れた。  
 体が重い。頭が痛い。  

 何か、大事なことを忘れている気がする。

「結婚式が終わったあと、階段から落ちたのです」

 私はハッと息を呑んだ。  

 その瞬間、脳裏に走馬灯のように記憶が流れ込んでくる。

 教会、青空、ライスシャワー。  
 カイザーの舌打ち。  
 「誓います」と言った自分の声。  
 ──乙女ゲーム。  
 そして、階段から落ちた瞬間の、あの浮遊感。

「うう……」

 頭を抱えると、クラリッサが慌てて私の手を取った。

「安静にしてないと。まだ動いちゃいけません」

 そのとき、医師が部屋に入ってきた。  
 白髪混じりの髪を後ろに撫でつけた老医師が、私の顔を覗き込む。

「気が付いたのですね。どれ……」

 彼は手際よく脈を取り、瞳孔を確認し額に手を当てた。

「全身打撲と、左足の骨折。それに後頭部を強く打っています。
 全治3~4ヵ月はかかるでしょう。しばらくは絶対安静です」



 温かいスープを数口飲み、柔らかなパンを少しかじる。  

 薬を飲み終えると体を清めてもらい、髪を梳かれる頃には、まぶたが重くなっていた。  

 本当は、頭の中を整理したかった。  
 けれど、眠気がそれを許してくれなかった。

 深い眠りに落ち、目覚めてはまた眠る。  
 そんな日々が続いた。



 ──そして、3日後。  

 ようやく視界がはっきりし、思考も霧が晴れたように冴えてきた。

 馴れない天蓋付きのベッドの中で、静かに天井を見つめた。  

 ここは、乙女ゲームの世界。  
 私は、その中で“悪役令嬢”として設定された存在。

 本来の物語では、ヒロイン・ジャネットが攻略対象カイザーと恋を育み、結婚して終了。  
 ──これがハッピーエンド。

 バッドエンドでは、悪役令嬢である私とカイザーが結婚するが、教会のシーンはなくナレーションで語られるのみ。

 ヒロインが死亡するルートなんて存在しなかった。

 ……おそらく、物語は途中まではハッピーエンドに向かっていた。  

 でも、私が前世の性格を引き継ぎヒロインに嫌がらせしなかったため、婚約破棄のイベントが発生しなかった。  

 その結果、物語がバグを起こし、ヒロインが“消された”のだろうか。

 それとも単に"現実"が勝ったのか。

 普通に考えて、男爵庶子が王太子と結婚できるはずない。

 まして「王子の婚約者である公爵令嬢が、浮気相手の男爵令嬢を虐めた」という理由で、婚約破棄できるはずない。

 王子の婚姻は国家政策なのだ。

 よくわからない。  
 これはハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。  

 ただ、ひとつだけ確かなのは──

 私は、もうカイザーと結婚してしまったということ。

 幸い(?)新婚早々、私は寝たきりになったため初夜をしなくて済んだ。

 そこだけは正直、ラッキーだった。  

 できれば、結婚する前に前世の記憶を思い出しておきたかったけれど。


 扉が静かに開き、濃紺の髪が見えた。  
 ヴィクトルが見舞いに来たのだ。

「意識がない時も付き添ったんだが、侍女たちに追い出されて……。
 まあ……とにかく、命に別状がなくてよかった」

 彼はベッドの傍らに腰を下ろし、私の顔を覗き込んだ。  
 本当の兄妹ではないのに、またこんなに顔を近づけて……。

 しかし、濃紺の瞳に浮かぶ安堵の色が、心を和らげてくれた。

「ご心配おかけしました」

 義兄の声が低くなる。

「あいつがエスコートもしないくせに、ヴィオを急かしたせいで落ちたんだ。来場者は、みんな見てたよ。
 あれは、もう廃嫡して鉱山送りにするしかないな」

 そうそう。
 結婚式でカイザーは、エスコートを拒否した。

 だから私は両手でブーケを持っていて、落ちるとき受け身を取るのが遅れてしまった。

 なんせウェディングドレスも重いし、頭にはヴェールとティアラで、動きにくかったのだ。

 しかし、私は小さく首を振った。

「私も、不注意でした」

「いいや、あいつが悪い」

 ヴィクトルは、きっぱりと言い切り深くため息をついた。

「……ただな、これだけ(エスコートしなかった)では離婚理由には弱い。
 ジャネットの死は、隠されてるしな」

 表向き、“ジャネットは家庭の事情で、他国に働きに行った”ことになっている。  

 卒業の1週間前に、急に学園を辞めるなど、どう考えても不自然だが……。

 つまり──あの夜、カイザーが私の部屋に乗り込んできた件も、伏せなければならない。

「……医者を抱き込んで『階段から落ちたせいで子供が産めなくなった』って診断して貰えば、婚姻無効にできるかも」

 ぽつりと、そんな言葉が口をついて出た。  
 自分でも驚くほど、冷静な声だった。

「えっ」

 ヴィクトルが目を見開く。  
 私ははっとして、慌てて言い添えた。

「あ、良くなかった? いけないわよね……」

「いや、ヴィオの口から“離婚”なんて言葉が出てくるとは思わなかった。
 てっきり、義父上の言いなりかと」

「……ああ。死に目にあって、考えが変わったのよ」

 親の決めた結婚をするのは当然。  
 そう思い込んでいた。  

 でも、前世の記憶を取り戻してからは「どうして、自分の人生を親に決められなければならないのか」と、疑問が湧いた。

 私は、私の人生を生きたい。  
 誰かの駒としてではなく──




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

処理中です...