その愛は、何と比べて真実なのかしら?【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)

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婚約者の元婚約者




 執務室へ入ると、ラキが書類から顔を上げた。  

 金の瞳が、僕を見つめる。

「ふうむ……少しだけマシになった」

「はあ……良かった」

 胸を撫で下ろした瞬間、ラキの視線が鋭くなる。

「…………君は、本当に我が家に婿入りするのか?
 君が心底、望んでいるようには見えないが」

「ああ、いえ、その……はじめは親に強制されましたが、今は望んでいます」

 ラキは深く息を吐いた。

「わかった。下がりなさい」

 その言葉に安堵しつつも、どうしても気になっていたことを口にした。

「あの……家庭教師って、このままでしょうか?」

「なんだって?」

「いくらなんでも厳しいですよ」

 ラキは眉ひとつ動かさず答えた。

「間違わなければ殴らない。シンプルだろう」

「しかし──」

「王弟殿下が、お決めになったことだ」

 その名を聞いて、思わず言葉が詰まった。

「そもそも、どうして王弟殿下が出てくるのです?」

「親戚だからだ。
 王弟殿下の母君は、私の姉だ。
 だから我が家を、特別気にかけてくださっている」

 息が止まりそうになった。  

 知らなかった。  

 いや、考えてみれば不思議ではない。  

 リュシアンヌは、元は王太子の婚約者だった。  

 王子が浮気して婚約破棄したせいで、僕にとばっちりが来たのだ。

 ラキは書類を閉じ、静かに言った。

「君、勘違いしていないか?

 伯爵位といえば、高位貴族に分類される。
 しかも娘と婚約が決まって1年。

 実家で教育を受けるのに、充分な時間はあったはずだ。

 あまりに結果がひどいようなら、君の親に抗議しなければならない」

「そ、それは……申し訳ありません。頑張ります」

 背筋が冷たくなった。  

 親に抗議されれば、予算を止められる。  

 ノラが戻ってきた時、買い物に行けなくなる。

 それだけは困る。



 執務室から戻り、部屋で一息ついたところで、トーシハンが入ってきた。  

 執務室でのやり取りを報告する。

「ふむ。いいだろう。
 では、着替えて観劇に行け」

「えっ」

「オルフェリア公爵令嬢は、すでに支度されている。
 舞踏会に出る前に、小さい社交場から慣らしていく必要がある」

「観劇が社交場?」

「公爵令嬢といれば、多くの貴族が挨拶に来るに決まっているだろう」

 なるほど、と思った。  

 観劇は娯楽ではなく、社交の場なのだ。

「わかりました」




 観劇が終わり、ロビーに出ると、次々と貴族たちが挨拶に来た。  

 リュシアンヌは落ち着いた微笑みで応じ、僕は横で愛想笑いをして突っ立っているだけだった。

 挨拶がひと通り終わり、帰ろうとした時──  
 人の流れが、ふっと割れた。

 エドモンド・ラグナス王子と、その“真実の愛”と呼ばれるロザ・ピアット伯爵令嬢が立ち塞がった。

 リュシアンヌが、挨拶しようと一歩進む。

「私的な場なので、正式な挨拶はいらない」

 王子が、手で制す。

「さようですか」

 リュシアンヌは頭を下げた。

 王子は僕を見て、眉をわずかに動かした。

「彼が、ドレイモンド伯爵令息か」

 喉がひきつりながらも、なんとか声を出した。

「よ、よろしくお願いします」

 王子は変な顔をした。  

 何が悪かったのか分からない。

 リュシアンヌが、補足するように言った。

「今年、社交デビューする予定です()の」

 女性は15、男性は18から社交デビューする。  

 ただし婚約者がいる場合や代理の場合は、18未満でも舞踏会に出ることができる。

 ロビーのざわめきの中、突然ロザが声を張り上げた。

「ちょっと! あなたたち早く結婚しなさいよ。
 あなたたちが結婚しないと、私たちが結婚できないじゃない!」

 その瞬間、ロビーがしんとなった。 
 
 周囲の貴族たちが一斉に、こちらを見る。

 リュシアンヌは扇子で口元を隠し、静かに笑った。

「ピアット伯爵令嬢は冗談が、お好きなのですね。
 きっと明るい性格のお子が産まれますわ」

 ロザは元は平民だったが、王子と結婚するために伯爵家の養子になった。
  
 その背景を知っている貴族たちは、微妙な表情で成り行きを見守っている。

「何よ、それ! バカにしてんの?!
 あなたが側室になるのを断ったせいで、こっちは大変なんだから!」

「ロザ、やめろ!」

 王子が慌てて制止するが、ロザは引かない。

「だって──」

「ロザが失礼した。
 しかし、君の助けが必要だ」

 王子はリュシアンヌへ向き直った。  
 その声には焦りが滲んでいる。

「我が父以外にも、公爵は3名おりますわ」

 リュシアンヌは、落ち着いた声で返す。

「君が頷かないと、他も頷かない」

「私が頷いても、父は頷きませんわ。王弟殿下も」

 王子の顔が引きつった。  

 ロザは苛立ちを隠さず叫ぶ。

「何なの、その言い方! 投獄するわよ!」

 周囲がざわついた。  

 王子がロザの腕を掴み、力づくで引っ張っていく。

「すまない、失礼する!」

 2人が去っていくと、ロビーの空気が一気に緩んだ。  

 しかし、僕の背中には冷たい汗が流れていた。

 この世界は、僕が思っていたよりずっと複雑で、ずっと危険だ。

 リュシアンヌは扇子を閉じ、何事もなかったように歩き出した。  

 僕はただ、その後ろを追うしかなかった。




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