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一章・天士と少女
反転攻勢(1)
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「これは……」
──家具職人の一家が襲われた日から四日後の夜、アイズはついに決定的な手がかりを発見した。これまでの魔獣被害の現場を遡って順に再調査していたところ、最初の事件が起きた場所にそれは落ちていた。
「どうしました副長?」
「この虫を見ろ」
「虫?」
しゃがんで手を伸ばす彼女。その後ろから覗き込むエアーズ。アイズがつまんで拾ったそれは、なるほど虫の死骸。死んでからかなり時間が経っているらしく完全に干からびており、彼にはなんの変哲も無いように見える。このあたりではよく見る種類。
「ラニカ虫と言いましたか。危険を感じると悪臭を放つやつですね」
昨年の帝都への侵攻時にも何度か出くわし、連合軍の兵士達に教えてもらった。非常に環境適応力の高い生物で大陸のどこへ行っても生息していると言う。最北のカーネライズにもだ。越冬するため冬の間は人家に入り込むらしい。
「ああ」
アイズも見たことがある。だからこそ違和感を覚えた。
「見た目はそうだ。だが中は違う」
「えっ?」
「構造が微妙に異なっている。ラニカ虫にそっくり外見だが中身は別物のようだ。むしろあれに近い」
イリアムが作り出した食人昆虫。多くの人間を苦しめた羽虫。あれを、ありふれた虫に擬態させたような生物に見える。
しかも体内に石を抱えている。銀色の小さな結晶。歪みの無い球体で人工物を思わせる造形。
「そうか……もしかすると」
閃いた。突然いるはずのない場所に魔獣が発生する、そのからくりを解き明かせたかもしれない。アイズは静かに立ち上がって周囲に目を凝らす。幸い、それらしき兆候は今は皆無。
だからこそ急ぐ必要がある。今なら次の被害が生まれる前に対処できる。
踵を返す彼女。クラリオに呼び戻されてから一ヶ月。ナルガルでの戦いから八ヶ月以上が経過して、ようやく尻尾を掴めた。もう逃がしはしない。
「城へ戻るぞ。団長への報告と確認作業を行う」
「お待ちください! まだ早すぎます!」
「副長!」
看護師とエアーズに制止されたが、アイズは一切待たなかった。許可など取らず勝手に病院の中を進み、目的の部屋の前で立ち止まる。
そして命じた。
「鍵を開けろ」
「できません。先生からは、もうしばらく安静にさせるようにと」
「四日経った、十分だろう」
「たった四日です」
首を横に振る看護師。どうしても鍵を開けるつもりは無いらしい。ならばとアイズは剣の柄に手をかける。
「副長!?」
「ひっ──」
抜き放ち、エアーズが止めるより早く一閃。看護師を避けて走った刃は病室の扉の錠の部分のみを切断した。速度だけでなく剣筋の正確さも並外れている。
「どけ」
蒼白になって固まったままの看護師を押し退け、扉を開いて中へ入る彼女。気配に気が付き、例の少女が振り返った。窓から外を眺めていたらしい。
「アイズ様!」
相変わらず人懐っこい笑みを浮かべ子犬のように駆け寄って来る。対するアイズは表情一つ変えず、そんな少女の眼前に小瓶を突きつけた。中身はさっき見つけた虫の死骸。
「これに見覚えはあるか?」
「!」
少女は大きく目を見開き、足を止める。笑顔が一転、凍り付いた。そしてその場で頭を抱え、膝をついて叫び出す。
「い、いや……! お父さん、お母さん……! やだっ、やだやだやだっ! いやああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「リリティアちゃん!?」
事件後に目を覚まして以来初めて見せる激しい感情。絶望と恐怖、そして嘆き。記憶を封じていた扉が強引にこじ開けられた。急いで駆け寄り抱きしめる看護師。
「む、虫、虫が……集まって……」
「大丈夫、大丈夫よ。ここには怖いものはいない。安心して」
アイズはそんな二人の様子を観察しつつ耳を傾ける。
「虫……! 虫が、集まって……! 私が、噛まれ……っ、お母さんと、お父さんも……首から血が……! あっ……ああっ……あああ……っ」
「リリティアちゃん、ゆっくり呼吸して」
「わた、私のせいっ! わたし、が──」
「リリティアちゃん!? まずい、誰か! 先生を呼んで!」
「副長!」
激昂したエアーズが彼女を外へ連れ出す。入れ替わりに駆け付け、中へ入って行く医師。ちょうど近くにいたらしい。
その時にはもう少女は静かになっていた。先日と同じように虚ろな眼差しで床を見つめ、涙や涎を垂れ流している。また記憶を閉ざすのかもしれない。あるいは完全に心が壊れてしまったか。
構わない、必要なことは聞けた。
「やはりか」
「何がです!? あんな目に遭わせてまで、何を聞き出したかったんですか!?」
「ここでは言えん。団長のところまで行くぞ、そこで説明する」
「くっ……」
怒りに拳を震わせ、それでもまだ冷静さを残した部分でそうすべきと判断するエアーズ。アイズをこの場所に留まらせるべきではない。人間と天士、どちらにとっても良い結果を生まない。
病室の中に視線を戻すと、医師と二人の看護師が凄まじい目付きでこちらを睨んでいた。さっさと失せろと言いたいらしい。言葉にせずとも伝わって来る。
不甲斐ない。アイズだけでなく自分も悪い。少女があれほど深刻な反応を示すとは予想できなかった。わかっていればもっと強く上官を止めたのに。
己もまた人の心に対する理解が浅い。ブレイブ以外、天士は皆そうである。
気が付くとアイズは歩き出していた。エアーズは逡巡したが、やはり追いかける。少女の無事を祈り、後悔しながらその場を去った。
同時刻、ブレイブはいつもの執務室にいた。ここはある意味、城で最も守りの堅い場所。街全体を見渡せる塔の最上階にあり、一日の大半の時間は彼が在室している。不在時には必ず施錠するし、頑丈な鉄扉は複製の難しい特殊な鍵を使わない限り開けられない。高価なガラス越しに四方の景色を眺められるが、全ての窓には鉄格子が嵌まっており、まるで囚人の部屋。
実際に昔、高貴な人物を幽閉していたと聞いた。たしか婚約者の死で正気を失った皇子だったか? なんにせよ窓から侵入することも困難。階段を使わずにここまで登ってくること自体が人間には不可能に近い。
最強の天士が守り、そして忍び込むのも難しい空間。だからイリアムの研究資料は全てここに運び込まれた。以来、彼が内容を精査し続けている。今もそう。椅子に座って大量の紙束を一枚一枚読み返す作業の繰り返し。
本当なら燃やしてしまいたい。だが禁忌の知識とは別の有用な情報も記されているかもしれない。そういう建前で残してある。
部屋の半分を埋め尽くす紙の山。全て一度は目を通した。しかし、見落としなど何一つ無いと断言することはできない。暗号の解読を間違えた可能性もある。むしろ見落としていた情報があってくれとさえ願う。
「ん……?」
魔獣被害を止める手立てかアイリスを見つけ出す手がかりが欲しい。そう考えて再読を進めていた彼だったが、ふと気配を察して顔を上げた。同時にノックの音が響く。
『団長、アイズだ』
「入れ」
不便なので在室時には鍵をかけない。許可を出した途端、アイズとエアーズが入室して来た。この二人ということは魔獣関連の話だろう。何か掴んだか、それともまた犠牲者が出てしまったか。
前者だった。単刀直入に切り出すアイズ。
「魔獣を市街地に発生させる方法がわかった」
「話せ」
「おそらくは、この虫だ」
机の上に例の小瓶を置くアイズ。ブレイブは眉をひそめる。
「ラニカ虫か?」
「見た目はそうだ、だが中身は違う。これはありふれた昆虫に擬態しているだけの小型の魔獣だ」
「魔獣だと?」
驚いて改めて観察する。しかし外見からは全く違いがわからない。
「わからんな。これが魔獣だとして、どうやって別の魔獣を生み出す?」
「生み出すのではなく、変わるんだ。ナルガルで私が見た光景を報告しただろう。あの時、魔獣化した人間達の一部がどうなったかを」
──家具職人の一家が襲われた日から四日後の夜、アイズはついに決定的な手がかりを発見した。これまでの魔獣被害の現場を遡って順に再調査していたところ、最初の事件が起きた場所にそれは落ちていた。
「どうしました副長?」
「この虫を見ろ」
「虫?」
しゃがんで手を伸ばす彼女。その後ろから覗き込むエアーズ。アイズがつまんで拾ったそれは、なるほど虫の死骸。死んでからかなり時間が経っているらしく完全に干からびており、彼にはなんの変哲も無いように見える。このあたりではよく見る種類。
「ラニカ虫と言いましたか。危険を感じると悪臭を放つやつですね」
昨年の帝都への侵攻時にも何度か出くわし、連合軍の兵士達に教えてもらった。非常に環境適応力の高い生物で大陸のどこへ行っても生息していると言う。最北のカーネライズにもだ。越冬するため冬の間は人家に入り込むらしい。
「ああ」
アイズも見たことがある。だからこそ違和感を覚えた。
「見た目はそうだ。だが中は違う」
「えっ?」
「構造が微妙に異なっている。ラニカ虫にそっくり外見だが中身は別物のようだ。むしろあれに近い」
イリアムが作り出した食人昆虫。多くの人間を苦しめた羽虫。あれを、ありふれた虫に擬態させたような生物に見える。
しかも体内に石を抱えている。銀色の小さな結晶。歪みの無い球体で人工物を思わせる造形。
「そうか……もしかすると」
閃いた。突然いるはずのない場所に魔獣が発生する、そのからくりを解き明かせたかもしれない。アイズは静かに立ち上がって周囲に目を凝らす。幸い、それらしき兆候は今は皆無。
だからこそ急ぐ必要がある。今なら次の被害が生まれる前に対処できる。
踵を返す彼女。クラリオに呼び戻されてから一ヶ月。ナルガルでの戦いから八ヶ月以上が経過して、ようやく尻尾を掴めた。もう逃がしはしない。
「城へ戻るぞ。団長への報告と確認作業を行う」
「お待ちください! まだ早すぎます!」
「副長!」
看護師とエアーズに制止されたが、アイズは一切待たなかった。許可など取らず勝手に病院の中を進み、目的の部屋の前で立ち止まる。
そして命じた。
「鍵を開けろ」
「できません。先生からは、もうしばらく安静にさせるようにと」
「四日経った、十分だろう」
「たった四日です」
首を横に振る看護師。どうしても鍵を開けるつもりは無いらしい。ならばとアイズは剣の柄に手をかける。
「副長!?」
「ひっ──」
抜き放ち、エアーズが止めるより早く一閃。看護師を避けて走った刃は病室の扉の錠の部分のみを切断した。速度だけでなく剣筋の正確さも並外れている。
「どけ」
蒼白になって固まったままの看護師を押し退け、扉を開いて中へ入る彼女。気配に気が付き、例の少女が振り返った。窓から外を眺めていたらしい。
「アイズ様!」
相変わらず人懐っこい笑みを浮かべ子犬のように駆け寄って来る。対するアイズは表情一つ変えず、そんな少女の眼前に小瓶を突きつけた。中身はさっき見つけた虫の死骸。
「これに見覚えはあるか?」
「!」
少女は大きく目を見開き、足を止める。笑顔が一転、凍り付いた。そしてその場で頭を抱え、膝をついて叫び出す。
「い、いや……! お父さん、お母さん……! やだっ、やだやだやだっ! いやああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「リリティアちゃん!?」
事件後に目を覚まして以来初めて見せる激しい感情。絶望と恐怖、そして嘆き。記憶を封じていた扉が強引にこじ開けられた。急いで駆け寄り抱きしめる看護師。
「む、虫、虫が……集まって……」
「大丈夫、大丈夫よ。ここには怖いものはいない。安心して」
アイズはそんな二人の様子を観察しつつ耳を傾ける。
「虫……! 虫が、集まって……! 私が、噛まれ……っ、お母さんと、お父さんも……首から血が……! あっ……ああっ……あああ……っ」
「リリティアちゃん、ゆっくり呼吸して」
「わた、私のせいっ! わたし、が──」
「リリティアちゃん!? まずい、誰か! 先生を呼んで!」
「副長!」
激昂したエアーズが彼女を外へ連れ出す。入れ替わりに駆け付け、中へ入って行く医師。ちょうど近くにいたらしい。
その時にはもう少女は静かになっていた。先日と同じように虚ろな眼差しで床を見つめ、涙や涎を垂れ流している。また記憶を閉ざすのかもしれない。あるいは完全に心が壊れてしまったか。
構わない、必要なことは聞けた。
「やはりか」
「何がです!? あんな目に遭わせてまで、何を聞き出したかったんですか!?」
「ここでは言えん。団長のところまで行くぞ、そこで説明する」
「くっ……」
怒りに拳を震わせ、それでもまだ冷静さを残した部分でそうすべきと判断するエアーズ。アイズをこの場所に留まらせるべきではない。人間と天士、どちらにとっても良い結果を生まない。
病室の中に視線を戻すと、医師と二人の看護師が凄まじい目付きでこちらを睨んでいた。さっさと失せろと言いたいらしい。言葉にせずとも伝わって来る。
不甲斐ない。アイズだけでなく自分も悪い。少女があれほど深刻な反応を示すとは予想できなかった。わかっていればもっと強く上官を止めたのに。
己もまた人の心に対する理解が浅い。ブレイブ以外、天士は皆そうである。
気が付くとアイズは歩き出していた。エアーズは逡巡したが、やはり追いかける。少女の無事を祈り、後悔しながらその場を去った。
同時刻、ブレイブはいつもの執務室にいた。ここはある意味、城で最も守りの堅い場所。街全体を見渡せる塔の最上階にあり、一日の大半の時間は彼が在室している。不在時には必ず施錠するし、頑丈な鉄扉は複製の難しい特殊な鍵を使わない限り開けられない。高価なガラス越しに四方の景色を眺められるが、全ての窓には鉄格子が嵌まっており、まるで囚人の部屋。
実際に昔、高貴な人物を幽閉していたと聞いた。たしか婚約者の死で正気を失った皇子だったか? なんにせよ窓から侵入することも困難。階段を使わずにここまで登ってくること自体が人間には不可能に近い。
最強の天士が守り、そして忍び込むのも難しい空間。だからイリアムの研究資料は全てここに運び込まれた。以来、彼が内容を精査し続けている。今もそう。椅子に座って大量の紙束を一枚一枚読み返す作業の繰り返し。
本当なら燃やしてしまいたい。だが禁忌の知識とは別の有用な情報も記されているかもしれない。そういう建前で残してある。
部屋の半分を埋め尽くす紙の山。全て一度は目を通した。しかし、見落としなど何一つ無いと断言することはできない。暗号の解読を間違えた可能性もある。むしろ見落としていた情報があってくれとさえ願う。
「ん……?」
魔獣被害を止める手立てかアイリスを見つけ出す手がかりが欲しい。そう考えて再読を進めていた彼だったが、ふと気配を察して顔を上げた。同時にノックの音が響く。
『団長、アイズだ』
「入れ」
不便なので在室時には鍵をかけない。許可を出した途端、アイズとエアーズが入室して来た。この二人ということは魔獣関連の話だろう。何か掴んだか、それともまた犠牲者が出てしまったか。
前者だった。単刀直入に切り出すアイズ。
「魔獣を市街地に発生させる方法がわかった」
「話せ」
「おそらくは、この虫だ」
机の上に例の小瓶を置くアイズ。ブレイブは眉をひそめる。
「ラニカ虫か?」
「見た目はそうだ、だが中身は違う。これはありふれた昆虫に擬態しているだけの小型の魔獣だ」
「魔獣だと?」
驚いて改めて観察する。しかし外見からは全く違いがわからない。
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