gimmick-天遣騎士団-

秋谷イル

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三章・長い夜へ

代償(3)

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 何かを得たなら何かを失う、それが世の理。
 ウォールアクスは天士の力を捨て、人の身となることでフィノアと結ばれようとしていた。ザラトス将軍は祖国を壊滅させた帝国の一部だった土地に住まい、そこから採掘される陽光石を再興の資金に充てようとしている。
 何も支払わずに得られるものなど無い。それは神との契約も同じである。
 ノーラの記憶を取り戻したことにより、アイズは自分が仲間達から何を奪ったか知った。それは彼等の人生そのもの。

『アルトル様、候補者四十九人が揃いました』

 三柱教の総本山であるオルトランドの大聖堂、その地下に隠された施設。床も天井も壁も全てが真っ白な広い部屋で、ソファに横たわっていた彼女は初めて彼等と対面した。

『なんだ、何が始まるんだ?』
『誰だ、あの女』
『……』

 困惑している者ばかり。大半は何も教えられぬまま連行され、あの場に連れて来られたのだから仕方ない。
 多くは罪人か復讐者。罪を犯して牢獄に繋がれていた者か、帝国に何かを奪われ復讐の機会と力を求めていた者。ウォールアクスは後者。妻子を喪い憎悪を煮え滾らせた屈強な兵士。あの恵体と豊富な戦闘経験に目を付けられ秘密裏に勧誘された。
 クラッシュは様々な物に釘を刺し、本来の機能を損なわせ破壊した状態にこそ美があると訴える異端の芸術家。神をも恐れぬ彼は教会に大量の釘を打って飾り付け、投獄された。その異常な感性が強力な能力を開花させるかもしれないという理由で抜擢。
 同じように才能や精神性に着目され、罪をでっち上げられた者達もいる。例えばライジングサンとミストムーンの兄弟。彼等はただの善良な大道芸人。なのに三柱教は二人が芸で呼び集めた客に怪しげな薬を売りさばいていると事実無根のデマをバラ撒き、観客の中に麻薬を所持するサクラを紛れ込ませて罠にかけた。
 ノーラにその身を差し出させることで女神の復活は成ったが、矮小な人間が器では彼女も本来の能力は発揮できない。だから替えの利く駒を集め、彼等を『天士』にすることで魔獣に対抗できる戦力を編成する。そのために三柱教はなりふり構わず優秀な素体をかき集めたのである。
 この時すでに帝国軍は目と鼻の先まで侵攻して来ており、彼等もまた必死だった。聖都への攻撃を許せば醜い獣達に聖地が蹂躙され、数え切れない死者を出し、三柱教と彼等の崇める神の権威も失墜する。それだけは絶対に許してはならない。
 黒いドレスに身を包み、気だるげに寝そべっていた彼女は、ゆっくり立ち上がると裸足で男達に近付いて行った。ノーラは髪を伸ばしていたため、この時には彼女もまだ長髪で、それを結わずに下ろしてあった。そのため髪と服が一体化しているかのような姿。
 顔と体型は完全に変わっている。表情は冷淡だが、見たこともない絶世の美女を前に大半は都合の良い妄想を思い描き、生唾を飲んだ。
 けれど、彼等に待っていたのは死に等しい処遇。女はまず列の左端の男の顔に触れる。そして彼が頬を紅潮させた瞬間に告げた。

『配下に加えます』
『あああああああああああああっ!?』
『お、おい!?』
『どうした、なんで苦しんでるんだ!』

 最初の一人が白目を剥いて倒れ、苦しみ始めたことで彼等はようやく慄いた。目の前の女が何をしているのかは、まだわからなかったが。
 女は次々に男達の頬に触れ、ただ一言『配下に加えます』とだけ告げる。すると何故か誰も彼も、屈強で恐れ知らずの戦士ですら泣き喚いて苦しみ出すのだ。
 それが列の半ばあたりまで進み、また変化が訪れる。最初の一人が急に静かになったかと思うと、何事も無かったようにすくっと立ち上がった。
 髪が金色になり、瞳は青に。さらに顔の造作も大きく変わった。
 最初の彼だけではない。女に触れられた順に同様の変化を遂げる。必ず金髪碧眼になり、そして顔の形が変わる。さらに人形のように静かで無機質な気配。変わってしまった男達はそんな自分の変化に何の疑問も抱かず、一言だって発しはしない。

『な、なんなんだ……なんなんだよこれは!? 誰だアンタ!』
『……』

 男達の一人が叫ぶと、彼の頬に触れようとしていた女は、その直前で動きを止めた。彼女もまた人形のように虚ろな表情だったのだが、突然眉根を寄せて困惑し始める。

『わた、し……わたし、は……だれ……?』
『えっ?』
『わたし、は……そう、止めたい。彼を……彼を、止めなきゃ……』

 ぶつぶつとうわごとのように呟き続ける彼女を、まだ変化していない男達は訝る。
 けれど、列の最後に立っている男が彼女へ声をかけた。それによってまた状況が変わる。

『そうだノーラ、お前はそのために身を捧げた。さあ、あと半分で終わる。もう少しだけ頑張れ』
『……うん』

 女は彼を見て頷き、また男達の頬に触れていく。

『やめてやめてやめてやめ――』
『待ってくれ、家族がいるんだ! お願いだから帰らせてくれ!』
『俺だけにしろ! 弟には手を出すな!』
『早くしてくれ! もう、どうなってもいい! 復讐できればそれでいいんだ!』
『貴女は、まさか……』

 それぞれが様々なことを言ったが、彼女の耳には一切届かなかった。
 ついにあと二人。そこでまた変化が生じる。

『おや……?』

 人形のようだった表情が一変し、面白そうに目の前の巨漢を見上げる彼女。つい最近大陸南部の海岸で密入国の罪で逮捕された男だ。その後、何故か聖都へ移送され、この列に並ばされた。

『面白いものが混じっている』
『俺を知っているのか?』
『お前自身は知らない。でも、お前の祖先は知己』
『そうなのか』

 男は無感動に頷く。その様を見て女は気付いた。

『記憶を失くした?』
『ああ、気がついたら全部忘れて砂浜に倒れていた。漂流したらしい。流れついた国では誰も俺のことを知らなかったし、遠いどこかから来たんだろう』
『でしょうとも』
 女は彼について何かを知っているようだ。なのに、それ以上は教えてやらなかった。彼も記憶を失っているせいか、それとも生来の性格なのか特に訊ねようとはしない。今ここで答えを聞いても意味は無いと直感的に悟った可能性もある。彼はそういう勘が利く。
 女は少し首を傾げた。困ったように。
『力が欲しい?』
『欲しくないと言えば嘘になる』
『戦いたい?』
『困っていると聞いた。どこぞの国が化け物の軍隊を作って暴れていると』
『困っていたら放っておけない?』
『見捨てるのは性に合わん』
『ふふっ』

 心底楽しそうに笑う。彼女が復活して以来、初めて見せる表情。

『彼と同じ。いいわ、力をあげる。契約ではお前達の記憶を対価として受け取ることになっているけれど、久しぶりに愉快だから不足分には目を瞑る。今の私に与えられる程度の力、そのうち必要無くなるでしょうが、それまでの繋ぎとして使いなさい』
『どういう意味だ?』
『お前には元々、より強大な力が宿っているということよ。ただ、今はそれを使えない。再び自在に使えるようになるまでは、これで我慢するしかない』

 頬に手を触れると、男はただ不快そうに眉をしかめた。他の男達が激しく泣き叫び狂乱したのと同じ苦痛を味わっているはずなのに、その程度で済むらしい。

『なんなんだ、こいつは……』

 最後の一人、つまりシスは謎の巨漢を見上げつつ、変わり果てた妹へ訊ねる。ノーラが変じた女は同じく男から視線を外さず端的に答えた。

『盾を継ぐ者』
『何?』
『最初からお前達とは格が違う、それだけ知っておけば良い。くれぐれも扱いを間違えないようにしなさい。この男を怒らせたら魔獣など比較にならない災いとなる』
『あんたより危険だとでも?』
『そこまでではない』

 女は二歩だけ歩いてシスの正面に立つ。人間は嫌いだが、この男には借りがある。だから今一度確認してやろう。

『本当にいいの? 苦しいわよ』
『覚悟の上だ』
『妹の遺志を継ぎたいのね』
『俺自身もイリアムは止めたい。それに……ノーラは死んじゃいない』
『その通り、この体の中で生きている。ただし二度と元には戻れない。お前達は私から借りた力を返せば人の身には戻れる。けれど彼女は別。この器が砕けない限り永遠に私のもの。復讐のための道具。お前もそうでしょう人間、隠していてもわかる。だから力が欲しいの』
『……』
『お前からは、すでに十分な対価を貰っている。だから記憶は奪わない。罪の意識を持ち続ける方が性にも合っているでしょう。先達として、せいぜい何も知らない無垢な存在となった彼等を導き助けてやりなさい。上手く躾ければ真の願いの手助けにもなるはず』

 それにと言葉を続け、手を伸ばす彼女。今までは右手だけだったのに今回は何故か両手。有無を言わせず頭を掴み、引き寄せて口付けした。予想外の行動にシスは目を見開く。
 彼にとっては妹との口付けだ。沸々と怒りも湧いて来た。

『何を……!』
『お前もね、少し特別な血を引いてるの。妹が私の器になれたのもそのおかげ。自分の命より大切な存在を捧げた以上、それに見合った力を与えなくては。喜びなさい、お前は今から最強の天士になれる』
『ぐっ!? ああああああああああああああああああああああああああああああああっ!』
『まあ、その分だけ苦痛も大きいのだけれど』

 覚悟していたとはいえ、己の肉体を別のものに変えられる痛みは想像を絶していた。やはり他の男達と同じように泡を吹いて苦しみ始めるシス。
 けれど彼には記憶が残った。だからこそアルトルの言うように、苦痛は救いでもある。
 妹を巻き込むつもりはなかった。なのにラウラガとノーラの接触を許してしまった。家族の言う通りに南へ避難していれば良かった。せめて妹と母だけでも逃がしておくべきだった。
 不甲斐ない兄のせいで妹はこんな計画に身を捧げ、女神の器に。だったらもう、他にしてやれることは無い。彼女に仕える天士となり、最も近くで守り続ける。そのために再び戦場に立つ。

(すまない、ノーラ……本当にすまない……!)

 彼等はこうして天士になった。三柱教とアルトルの間でどんな契約が交わされたかはシスですら知らない。だが人類を憎む彼女が、どういうわけか再び力を貸してくれたことは確かである。
 天士となった者達はブレイブを除いて全員が全てを忘れた。自分が何者で、どんな人生を歩んで来たのかを。天の遣いとして振る舞わなければならない以上、元の記憶は邪魔になる。だから彼等の記憶が対価なのだ。三柱教がそう頼み、女神も受け入れた。その結果の凶行。
 後にアルトルは自らの記憶にも封印を施し『アイズ』となった。そして身分を偽り、天士の一人として天遣騎士団に属すことに。
 ノーラの意識は、その間ずっと眠っていた。けれど肉体は同一。だから覚えている。自分の選択が仲間達の人生を奪ったことも、やはり天士となってすぐ傍で見守ってくれていた兄の苦悩と葛藤も全て記憶している。
 だから今この瞬間、彼女は――
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