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三章・長い夜へ
たった一つの光(1)
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長い時間、自分の足下を見つめていた気がする。何かをしていたはずなのに、何をしていたのか思い出せない。暗闇の中でふと我に返る瞬間まで、しばらくかかってしまった。
アイズは、ようやく思い出す。
「私は……ここはどこだ? アリスはどうなった……?」
周囲を見回しても誰もいないし何も無い。あるのは、ただただ無限に続く暗闇だけ。
いや、ここは本当に闇の中なのか? 両手に色がついて見える。つまり光がある。なのに自分の他には漆黒の空間しか見えない。
アリスと戦っていたはず。でも体内に恐ろしい何かが流れ込み、普段より遥かに大きな力を発揮し始めた瞬間から記憶が曖昧になっている。彼女との決着はついたのか?
「いいえ、まだ」
「!」
誰もいないと思っていた空間に女が一人出現した。黒いドレスを着た長い黒髪の女。周囲の闇に半分以上溶け込んで見える。
けれど闇の中に浮かぶ白い顔は、間違いなく――
「私……?」
「違う、私はアルトル。そして、お前はアイズ」
「同じじゃないのか?」
「同じになってもらっては困る。そのために私は自分を再封印した。お前には私の願いを、復讐を果たしてもらいたい。でも私が私のままでは、同じ過ちを繰り返す」
「過ち?」
次の瞬間、脳裏にいくつかの記憶が閃く。封印された記憶の中から必要な情報だけを抜き出して与えられたらしい。
「あなたも……」
「そう、私も殺した。最愛の者をこの手にかけた。人間のせいで、奴等が愚かにも敵の口車に乗せられ我々を裏切ったせいで」
彼女に仕えた四十九人の天士。やはり人間から神に近い存在となった者達。
天士の中には人と恋に落ちた者もいる。元は人間だったのだから、それはなんら不自然な話ではない。けれど一人だけ、自分の主と想いを通じ合わせた者もいた。アルトルもまた彼を愛した。
「歴史の真実を知りなさいアイズ。我々は勝ってなどいない。負けたの。異界からの侵略者に敗れ、奴の好きなように事実を改竄された。本物の三柱の名は隠され、我々がその代理に。創造主の名誉を汚し、我々の忠誠を貶め、偽りを後の世の人間達に刷り込み、今もこの世界を好き勝手に弄んでいる。あの怪物を絶対に許してはならない」
彼女は人類を憎んでいる。想い人をこの手で殺す羽目になり彼女自身も討たれた。肉体の大半は削ぎ落され、今や元の肉体は眼球のみ。そんな惨めな姿で千年耐えて、今ようやく復活を果たした。復讐の機会を得られた。
でも倒すべきは人間ではない。憎んではいるがどうでもいい。人類などいつでも滅ぼせる矮小な存在。そして、それでも消し去れば彼女の主は悲しむだろう。
だから人間に対し、この怒りを向けるつもりは無い。
「あなたが捜しているのは……」
「それは、まだ教えられない。教えるかどうかは、この後のお前の選択次第」
「選択?」
眉をひそめた途端、アルトルと自分の間に新たに二人の人物が現れた。ただし今度は色が無い。
アリスと自分の幻像。互いに剣を向け合い、心臓を貫こうとしている。
「これは……」
「今この瞬間の現実の光景。ここは精神世界だから時間は限りなく引き伸ばせる。じっくり時間をかけて選ぶことができる」
アルトルがそう言った途端、さらに多くの幻像が周囲に出現する。そして、それぞれは光の線で繋がっていた。
「未来……」
「そう、お前の未来。お前の選択によって分岐する様々な可能性。知っているでしょう、私の眼は過去と現在、そして未来を見通す。お前が力を求め、私が限界以上のそれを与えた。だから、この一瞬だけは本来の私のように遠い先まで予測できる」
彼女の言うように現在から未来へ到る流れは、遥か彼方まで続いている。
けれど――
「これが、こんなものが……私の未来なのか……?」
「仕方がない。お前は力を求め、私が与えた。対価を払わずに得られるものは無い。ノーラ、お前が支払ったのは『平穏』よ。強大な力を手に入れたのと引き換えに、それに見合う責任を課されてしまう。人並みの幸せなんて得られるはずがない」
「そんな……」
どの未来の自分も虚ろな目で歩み続けている。ガナン大陸のどこかで、あるいは海を越えた別の大陸で、ただひたすらに復讐の対象を探し求めるだけ。
『……奴を、奴を見つけないと』
『殺してやる、絶対に殺してやる……』
『リリティア……すまない……』
『邪魔だ、お前らになど用は無い。私は、あの男を殺すんだ!』
『失せろノウブル! 私はもう天士ではない!』
時には天遣騎士団の仲間達とも対立する。誰も信用できないようだ。人も、人から天士になった者達も信じられない。誰が狡猾な『敵』に操られているかわかったものではない。
現在のこの一瞬から分岐して、夜空に瞬く星々のように様々な可能性が生まれる。なのに、そのどれ一つとして素晴らしい未来は存在していない。全てが疑念と怨嗟、怒りと後悔に満ちた贖罪の道。償うためだけに生き続ける。
リリティアを、そしてアリスを殺してしまった自分が許せない。だから辛くても悲しくても進み続ける。
役割を果たす、その時まで。
アイズは膝をつき、アルトルに問うた。
「こんなことのために……こんな未来を歩ませるために私を作ったのか……」
復讐したいなら、彼女が自らそれを成せば良い。なのに、わざわざ記憶を封じて別の人格を形成した。いったいどうして?
「その通り。けれど選択肢は用意した」
「選択肢……?」
「よく目を凝らしなさい。お前にはまだ見えていない未来がある。それが唯一の救済。お前がその未来を選ぶと言うなら仕方ない、お前の意志を尊重する」
アルトルはアイズで、アイズはアルトル。だから伝わって来た、一切裏は無いと。本当に純粋な思いやりで提案されている。
だって彼女も最愛の人を殺したから。シスとノーラの祖先、ブレイブの前任者を。
正確には二人の先祖の、その兄だが。
「アイズ、ここよ」
「ノーラ……」
いつの間にか現在の幻像の傍に彼女が立っている。ノーラはゆっくり近付いて来てアイズの手を取り、立ち上がらせた。そしてそのまま、さっき自分が立っていた場所へ連れて行く。
「ノーラ」
「いいでしょうアルトル、このくらいの手助けはしても。私も貴女達の一部よ」
叱責したアルトルに言い返すノーラ。女神は嘆息して黙認する。
ノーラは手で現在の幻像のすぐ近くを示した。
「ほら、あれを見て」
「……ああ」
そうか、あまりに現在から近すぎるせいで隠れて見えなかったのだ。たった一つ、他とは異なる未来への分岐がある。
そして、それはすぐに途切れている。
「そういうことか……」
「ええ、でもこの未来を選択した場合、貴女は別の罪を重ねる」
「彼女達を苦しめることになるでしょう」
「恨まれるかもしれない」
「そうなって当然」
「だとしても」
アイズは決断する。他の未来はあまりにも彼女にとって受け入れ難い。これだけが自分に選べる唯一の選択肢。
「すまないノーラ、アルトル」
「……構わない」
「本当なら私がやるべきことだった。でも、私ではきっと彼を殺せない。だから記憶を封じて逃げたの。そのせいで貴女に重荷を押し付けた。そんな風に逃げるのは、もうやめる。これは私達全員の責任で共通の選択」
だから大丈夫よとノーラは微笑む。
「後は兄さん達が、きっとなんとかしてくれる。皆、死んでなんかいないわ」
「え……?」
「彼女の言う通り。天士となった者は、そう簡単に死ねない。全員、損傷が大きくて一時的に休眠しているだけ。十分な時が経てば目覚める。そう、お前達の兄と、そしてあの男に力を与えたのは私がかけた保険。彼等ならきっとやってくれる」
ノーラの予測をアルトルが保証してくれて、ようやくアイズも安心できた。
「そうか」
仲間達が死んでいないなら大丈夫だ。アルトルの願いも果たされる。彼女はそう信じる。
自分は自分の最後の役割を果たそう。その結果、最愛の少女に恨まれるとしても。
「いってらっしゃい」
ノーラが背中を押してくれた。振り返るとアルトルも穏やかに笑っている。彼女の復讐はこれで終わり。自分の眼で見届けることはできない。だとしても、それでいいのだろう。
自分とは違う結末を見たい。それもまた彼女の願いだった。だからこそ他に選択肢があることを教えてくれた。
「さようなら」
アイズは現在の幻像に近付く。全身を漆黒に染め、刃を突き出す幻に精神体を重ねる。
そして思いっ切り、腕を引いた。
アイズは、ようやく思い出す。
「私は……ここはどこだ? アリスはどうなった……?」
周囲を見回しても誰もいないし何も無い。あるのは、ただただ無限に続く暗闇だけ。
いや、ここは本当に闇の中なのか? 両手に色がついて見える。つまり光がある。なのに自分の他には漆黒の空間しか見えない。
アリスと戦っていたはず。でも体内に恐ろしい何かが流れ込み、普段より遥かに大きな力を発揮し始めた瞬間から記憶が曖昧になっている。彼女との決着はついたのか?
「いいえ、まだ」
「!」
誰もいないと思っていた空間に女が一人出現した。黒いドレスを着た長い黒髪の女。周囲の闇に半分以上溶け込んで見える。
けれど闇の中に浮かぶ白い顔は、間違いなく――
「私……?」
「違う、私はアルトル。そして、お前はアイズ」
「同じじゃないのか?」
「同じになってもらっては困る。そのために私は自分を再封印した。お前には私の願いを、復讐を果たしてもらいたい。でも私が私のままでは、同じ過ちを繰り返す」
「過ち?」
次の瞬間、脳裏にいくつかの記憶が閃く。封印された記憶の中から必要な情報だけを抜き出して与えられたらしい。
「あなたも……」
「そう、私も殺した。最愛の者をこの手にかけた。人間のせいで、奴等が愚かにも敵の口車に乗せられ我々を裏切ったせいで」
彼女に仕えた四十九人の天士。やはり人間から神に近い存在となった者達。
天士の中には人と恋に落ちた者もいる。元は人間だったのだから、それはなんら不自然な話ではない。けれど一人だけ、自分の主と想いを通じ合わせた者もいた。アルトルもまた彼を愛した。
「歴史の真実を知りなさいアイズ。我々は勝ってなどいない。負けたの。異界からの侵略者に敗れ、奴の好きなように事実を改竄された。本物の三柱の名は隠され、我々がその代理に。創造主の名誉を汚し、我々の忠誠を貶め、偽りを後の世の人間達に刷り込み、今もこの世界を好き勝手に弄んでいる。あの怪物を絶対に許してはならない」
彼女は人類を憎んでいる。想い人をこの手で殺す羽目になり彼女自身も討たれた。肉体の大半は削ぎ落され、今や元の肉体は眼球のみ。そんな惨めな姿で千年耐えて、今ようやく復活を果たした。復讐の機会を得られた。
でも倒すべきは人間ではない。憎んではいるがどうでもいい。人類などいつでも滅ぼせる矮小な存在。そして、それでも消し去れば彼女の主は悲しむだろう。
だから人間に対し、この怒りを向けるつもりは無い。
「あなたが捜しているのは……」
「それは、まだ教えられない。教えるかどうかは、この後のお前の選択次第」
「選択?」
眉をひそめた途端、アルトルと自分の間に新たに二人の人物が現れた。ただし今度は色が無い。
アリスと自分の幻像。互いに剣を向け合い、心臓を貫こうとしている。
「これは……」
「今この瞬間の現実の光景。ここは精神世界だから時間は限りなく引き伸ばせる。じっくり時間をかけて選ぶことができる」
アルトルがそう言った途端、さらに多くの幻像が周囲に出現する。そして、それぞれは光の線で繋がっていた。
「未来……」
「そう、お前の未来。お前の選択によって分岐する様々な可能性。知っているでしょう、私の眼は過去と現在、そして未来を見通す。お前が力を求め、私が限界以上のそれを与えた。だから、この一瞬だけは本来の私のように遠い先まで予測できる」
彼女の言うように現在から未来へ到る流れは、遥か彼方まで続いている。
けれど――
「これが、こんなものが……私の未来なのか……?」
「仕方がない。お前は力を求め、私が与えた。対価を払わずに得られるものは無い。ノーラ、お前が支払ったのは『平穏』よ。強大な力を手に入れたのと引き換えに、それに見合う責任を課されてしまう。人並みの幸せなんて得られるはずがない」
「そんな……」
どの未来の自分も虚ろな目で歩み続けている。ガナン大陸のどこかで、あるいは海を越えた別の大陸で、ただひたすらに復讐の対象を探し求めるだけ。
『……奴を、奴を見つけないと』
『殺してやる、絶対に殺してやる……』
『リリティア……すまない……』
『邪魔だ、お前らになど用は無い。私は、あの男を殺すんだ!』
『失せろノウブル! 私はもう天士ではない!』
時には天遣騎士団の仲間達とも対立する。誰も信用できないようだ。人も、人から天士になった者達も信じられない。誰が狡猾な『敵』に操られているかわかったものではない。
現在のこの一瞬から分岐して、夜空に瞬く星々のように様々な可能性が生まれる。なのに、そのどれ一つとして素晴らしい未来は存在していない。全てが疑念と怨嗟、怒りと後悔に満ちた贖罪の道。償うためだけに生き続ける。
リリティアを、そしてアリスを殺してしまった自分が許せない。だから辛くても悲しくても進み続ける。
役割を果たす、その時まで。
アイズは膝をつき、アルトルに問うた。
「こんなことのために……こんな未来を歩ませるために私を作ったのか……」
復讐したいなら、彼女が自らそれを成せば良い。なのに、わざわざ記憶を封じて別の人格を形成した。いったいどうして?
「その通り。けれど選択肢は用意した」
「選択肢……?」
「よく目を凝らしなさい。お前にはまだ見えていない未来がある。それが唯一の救済。お前がその未来を選ぶと言うなら仕方ない、お前の意志を尊重する」
アルトルはアイズで、アイズはアルトル。だから伝わって来た、一切裏は無いと。本当に純粋な思いやりで提案されている。
だって彼女も最愛の人を殺したから。シスとノーラの祖先、ブレイブの前任者を。
正確には二人の先祖の、その兄だが。
「アイズ、ここよ」
「ノーラ……」
いつの間にか現在の幻像の傍に彼女が立っている。ノーラはゆっくり近付いて来てアイズの手を取り、立ち上がらせた。そしてそのまま、さっき自分が立っていた場所へ連れて行く。
「ノーラ」
「いいでしょうアルトル、このくらいの手助けはしても。私も貴女達の一部よ」
叱責したアルトルに言い返すノーラ。女神は嘆息して黙認する。
ノーラは手で現在の幻像のすぐ近くを示した。
「ほら、あれを見て」
「……ああ」
そうか、あまりに現在から近すぎるせいで隠れて見えなかったのだ。たった一つ、他とは異なる未来への分岐がある。
そして、それはすぐに途切れている。
「そういうことか……」
「ええ、でもこの未来を選択した場合、貴女は別の罪を重ねる」
「彼女達を苦しめることになるでしょう」
「恨まれるかもしれない」
「そうなって当然」
「だとしても」
アイズは決断する。他の未来はあまりにも彼女にとって受け入れ難い。これだけが自分に選べる唯一の選択肢。
「すまないノーラ、アルトル」
「……構わない」
「本当なら私がやるべきことだった。でも、私ではきっと彼を殺せない。だから記憶を封じて逃げたの。そのせいで貴女に重荷を押し付けた。そんな風に逃げるのは、もうやめる。これは私達全員の責任で共通の選択」
だから大丈夫よとノーラは微笑む。
「後は兄さん達が、きっとなんとかしてくれる。皆、死んでなんかいないわ」
「え……?」
「彼女の言う通り。天士となった者は、そう簡単に死ねない。全員、損傷が大きくて一時的に休眠しているだけ。十分な時が経てば目覚める。そう、お前達の兄と、そしてあの男に力を与えたのは私がかけた保険。彼等ならきっとやってくれる」
ノーラの予測をアルトルが保証してくれて、ようやくアイズも安心できた。
「そうか」
仲間達が死んでいないなら大丈夫だ。アルトルの願いも果たされる。彼女はそう信じる。
自分は自分の最後の役割を果たそう。その結果、最愛の少女に恨まれるとしても。
「いってらっしゃい」
ノーラが背中を押してくれた。振り返るとアルトルも穏やかに笑っている。彼女の復讐はこれで終わり。自分の眼で見届けることはできない。だとしても、それでいいのだろう。
自分とは違う結末を見たい。それもまた彼女の願いだった。だからこそ他に選択肢があることを教えてくれた。
「さようなら」
アイズは現在の幻像に近付く。全身を漆黒に染め、刃を突き出す幻に精神体を重ねる。
そして思いっ切り、腕を引いた。
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