ワールド・スイーパー

秋谷イル

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一章【災禍操るポンコツ娘】

思い出(2)

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 怪塵被害は絶えず強い風の吹く土地では発生しにくい。塵が一ヵ所に留まらないからだ。そのため人々は千年前の大災害以降、そういう土地を探して移り住んで来た。
 エツァルサウティリ王国、王都ワンガニ。ここは「牙の都」とも呼ばれる。天を突く牙のように鋭い峻険な岩山を利用して築かれた街であることが由来。そして現在では大陸を守る「牙」の住処にもなっている。
 今日は特に風が強い。家々の間を吹き抜け耳障りな音を立てるそれを聴きつつグレンは黙々と瞑想を続ける。寝室の床にあぐらをかき、無表情で沈黙を保つ彼の周囲では時間が停止したかのように空気が張り詰めていた。全く微動だにせず、呼吸を行っているかさえ定かではない。
 彼の屋敷は無数に連なる「牙」の中でも二番目に高いそれの頂上にある。この王国では権力者ほど安全な高地に住みたがるのだ。彼の場合、別にそれを望んではいない。しかし大陸各地に最も迅速に駆け付けられるこの都を拠点にすると決めた時、当時の国王が厚意で屋敷を建ててくれた。
 もっとも、実際にはこの国を優先的に守って欲しいという下心からのご機嫌取りであり、そのくせ元漁民より下に見られることは許せなかったようで王宮よりも低い位置。民は王のそんな虚栄心を嘲笑ったものだ。
 建てられた経緯はともかく屋敷自体は立派なもの。白亜を用い見事な彫刻を施した外観は王宮と比べても見劣りしない。
 だがグレンの寝室だけは質素な造りになっている。彫刻は無く、調度品も一切置かない。彼は贅沢が嫌いなのだ。だから毎日眠るこの部屋だけは強引に要望を通し、落ち着く内装にしてもらった。
 服装もいつも通り地味。袖無しの上着に膝丈のズボン。動きやすさ、即ち実用性を重視した結果のデザイン。色は周囲の要望で白一色に統一。対照的に肌は浅黒く、髪は銀。床を茫洋とした眼差しで見つめる瞳の色は青。粗食を好み、頬は常に痩せこけている。体型も細い。だが極限まで鍛え抜かれた体だ。彼の得た祝福は身体能力を強化するようなものではない。だから肉体的には普通の人間。鍛えなければ怪物アンティとは戦えない。

 神の子──そう呼ばれる男は、不意に瞑想を終えて立ち上がった。

 気配が近付いて来る。直後にドアが叩かれた。広い屋敷を維持するため使用人を何人か雇っている。規則正しい足音でその中の誰なのかもわかっていた。
「おはよう、クメル」
『おはようございます。瞑想中でしょうか? 申し訳ございません、至急報告すべき用件なので伺いました。タルミナから救援要請が届いております』
「わかった」
 前回からさほど時間が経っていない。訝りつつもドアを開く。室外へ出るためではなく、中へ招き入れるため。
 長い黒髪で細面。切れ長の両目に左右色違いの瞳を収めた珍しい身体的特徴を持つ侍女クメル・スプリーナは一礼した後、招かれるまま部屋へ入って来た。そして何も言われずとも寝台のシーツをはぎ取り、枕を抱えて持って来た籠に放り込む。
「お帰りはいつ頃に?」
「昼には戻って来るだろう。いつも通り昼食を用意してくれ」
「畏まりました」
「では、留守中のことは頼む。なるべく早く戻る」
 言いつつ窓へ近付くグレン。クメルは洗濯籠を一旦床に置き、代わりにいつも携帯している二本のナイフを両手で持った。
 そして打ち合わす。勝利を願う昔からの儀式。そのための特殊な構造の刃が共鳴し合い、長々と涼やかな音を響かせる。
「ご武運を」
「負けやしないさ、あの男以外には──」

 次の瞬間グレンの姿は消えた。窓を開けてすらいないのに忽然と。きっと今頃は声すら届かない場所まで移動している。

 この世界には「怪塵」と呼ばれる物質が散在する。それはあらゆる空間に潜み、拡散し、風や水に運ばれて時に集積してしまう。
 そうなると大変だ。一定以上の量の怪塵は怪物を形作り、人々に害を為す。その強さは一体で一国を滅ぼしたことさえあるほど。怪物に襲われることは本来、国や多くの人間の死を意味する。
 たとえ怪物の発生まで至らなかったとしても、大量の怪塵を吸い込んだ虫や獣は正気を失い狂暴化する。これも普通の人間にとっては十分な脅威。
 後者はともかく前者は滅多に起こらない。頻度はせいぜい数ヶ月に一度、長ければ数年に一度。すでに仕組みを知っている人々は、なるべく怪塵が一つところに留まらないよう警戒し対処を行う。人類は脅威に順応し、昔より格段に生存率が高くなった。
 けれど、それでも全ては防ぎ切れない。タルミナは渓谷が多く入り組んだ地形で怪塵による災禍が特に発生しやすい土地。そのため今や住む者はおらず、少数の兵士だけが常駐して監視を行っている。
 第一大陸の人々は、むしろこれを利用した。タルミナに災禍が集中してくれれば他では平穏が保たれる。やはり完全に防ぎ切れるわけではないものの、少なくとも被害を減らすことは可能。
 常に監視を続けていれば対処も早くなる。報告し、あとは人知を超えた力を持つ者達に任せればいい。アイムか、あるいはグレンのような「超人」に。

 クメルは主が飛び立った北の空を窓越しに見つめ、今日もまた思う。なんと危うい均衡なのかと。
「勝ってください……グレン様」
 大陸の平和、彼女達の生存権は、たった一人の男に委ねられている。



 ほとんど間を置かず、グレンはタルミナに到着した。第四大陸の超巨大クレーター同様、千年前の大災害により大地に刻まれた無数の傷。それが複雑に入り組んだ渓谷の正体。
 谷間を吹き抜ける風と谷底を流れる川は怪塵を逃さず、やがて中心部に広がる湖へ辿り着く。報告通りそれはそこにいた。

 赤い巨人。

「人型……か、珍しいな」
 湖にはいくつもの巨岩が落ちていて、水面から上に一部を突き出している。その一つに降り立ち、見たままを言う彼。人型だの魚類型だのと分類があるわけではない。そもそも分類すること自体が無意味だ。怪物に決まった姿など無い。
 湖は周囲を絶壁に囲まれており、敵はそれをよじ登っていた。幸運である。他の何かに姿を変え、谷に入って移動する可能性もあった。そうなるとまずタルミナの外に出るまで捕捉自体が難しくなる。彼にはアイム・ユニティのような感知能力は無い。
 こちらの存在に気付いているのかいないのか、一心不乱に崖登りを続ける巨人。すぐにグレンは呼びかけた。左手の平を向けながら。
「降りて来い」
 次の瞬間、一条の光線が放たれる。それは敵の背中に当たると小爆発を起こした。赤い塵が煙のように空気に漂い、顔はこちらへ向く。

【攻撃対象、発見】

 頭に直接響く声。怪物は吠えない。代わりに精神波を放射して周囲の生物全てに同時に語りかける。言葉でなくイメージで伝わって来る。
 いつも向けられるのは、なんの感情も無い無機質な殺意。あれらに意志など無い。ただ命令に従い、この星の生命を駆逐しようとする人形なのだ。

【脅威度を測定。Dランク。優先攻撃対象と認定。抹消開始】
「やってみろ」

 体よく注意を引けた。これで自分を倒すまで、あの怪物がこの場から動くことはない。
 跳躍するグレン。敵も同時に崖から飛び降り、大波を起こして湖へ降り立つ。その波が動き出すより早く彼の姿は怪物の眼前にあった。
「フッ!」
 拳で打ち据え、同時に光線を放つ。鉱山で鉱員達を救助した時と同じように敵の顔面に風穴が空いた。
 だが、彼はすぐにその場から離脱する。目にも留まらぬスピードでさっきとは別の岩の上に着地。直後に一瞬前までいた空間を薙ぐ蛇の頭。敵の姿は人型から全く異質なものへ変貌していく。だから分類に意味は無い。怪物は状況に合わせて自在に姿形を変える。
 移動した彼を見つけ出し、再び蛇の頭が襲いかかって来た。当然避ける。ところが彼の体が空中にあるうちにさらに無数の蛇が触手のように襲いかかる。

【予測を上回る破壊力を検知。脅威度を引き上げ】
「遅い」

 瞬時に姿を消し、数多の蛇が繋がっている付け根の部分を攻撃。ところが球体と化したそれは二つに分かれて光線を避けた。そして左右が両方とも大量の触手を吐き出し、編み込んで、湖の上をドーム状に覆い尽くす。
 退路を塞いだ。さらにドームの内側で無数の矢を形成し狙いをつける。全方位攻撃なら回避は不可能と判断。だからといって勝利を確信し油断するなどということはなく即座に発射する怪物。
 しかしグレンの狙いもそれだった。怪物が己を構成する怪塵を薄く大きく広げた今こそが勝機。高速機動はこの一手を引き出すための布石。

「弾け散れ!」
【脅威度を更新。さらに引き上──】

 彼を中心に白光が溢れ出し膨れ上がる。それは怪塵で形作られたドームを内側から押し破り、文字通り破裂させた。さらに渦を巻いて粉々に破砕する。
 湖に繋がる無数の渓谷。そこから吹いて来た風はぶつかり合い、上昇気流を生み出している。粉砕されてまた塵に戻った怪塵はその風に運ばれ空の彼方へ消えて行った。
 見送るグレンの顔に喜びは無い。

「消えない……やはり消せない」

 怪塵は消滅しない。どれだけ強い光を放っても、高熱で焼き尽くそうとしても消し去ることはできない。粒子にまで分解するのが限界。だからまたいつかどこかで集積して怪物を形作ってしまう。あるいは虫や獣が取り込み、正気を失う。
 怪塵が無くならない限り、その被害も発生し続ける。なのに、いつまで経っても誰にもその方法は発見できない。

 もしかすると不可能なのか?
 だったら、自分は──

「俺は、いつまで戦い続ければいいんだ……メレテ」

 波立ち、その波がぶつかり合い、耳障りな音を立てる湖。岩の上に立ち尽くす彼の姿にいつもの鋭さは無く、ただの疲れた老人のようだった。
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