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最終章【鳥と獣と箒の女神】
星に願いを
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彼女は法廷の中央に立ち、傍聴席に詰めかけた者達に注目されている。彼等は彼女にとって本来なら理解不能な言語を用い、ひそひそと囁き合う。
『あれが奇妙な力を使う怪物……』
『下層民をそそのかした悪魔よ』
『恐ろしい姿だね。見たことのない生き物だ』
『言葉を理解しているというが本当なのか?』
『だから裁判にかけられてるのよ。動物なら殺処分するだけでしょ』
『まったく、公正なお話だな。さっさと殺してしまえばいいものを。異星からの侵略者にまで機会を与えるとは』
彼等こそ彼女から見たら異形の一団なのだが、ここではあちらが正しい。彼女は異星から訪れた不気味な姿の異種生物に過ぎない。
彼女から見て前方の左右に三人ずつ弁護士と検察官が並んでいた。正面には裁判長。
彼女を弁護する側には全くやる気が無く、検察側ばかりが淡々と主張を述べてスムーズに判決が言い渡された。
『被告、ニャーン・アクラタカを無期懲役とする』
「はい」
ニャーンは異を唱えなかった。実際に悪いことをしてしまったと思っているからだ。傍聴人達は大罪人に対する温情に満ちた裁定に不服を抱き、口々に抗議を始める。彼女は騒がしくなった法廷から急いで連れ出され、そのまま監獄へ移送された。
そして彼女は檻の中。ただし刑務所ではなく、実際には研究所へ収容された。この惑星の人々は見たこともない生物の生態と不思議な力を解明したいようだ。
四方を強化ガラスに囲われた部屋。プライバシーなど存在しない。手足には枷がかけられており、行動も大幅に制限されている。外そうとすれば即座に電気が流れる仕掛け。死にはしないが意識は飛ぶと、実際に試したからもう知っている。
服だって簡素な布一枚だけ。彼等からしたら動物同然の存在に衣類を与えるだけ優しい行いなのかもしれない。とはいえ、それでもやはりこの格好で外へ出るのは恥ずかしい。どうにかして僧服を取り戻せないだろうか?
外からは何人もの研究者が観察して来る。彼等の間では活発に議論が交わされていた。これからこの貴重なサンプルをどう調べるべきか相談し合っている。外の声は聞こえなくともわかる。怪塵を通して伝わって来る。彼等の言葉を理解できるのもキュートが翻訳してくれるおかげ。
彼は今その大部分を拡散させ、ごく一部のみニャーンの体内に潜ませ一体化している。
【彼等は貴女を解剖したいようです】
「みんな?」
【一部は反対しています。唯一の生体をいたずらに傷付け疲弊させるべきではないと】
「そう……」
【状況が変化。貴女から母星の位置を聞き出せば良いという意見が出ました。そうすれば、もっと同種の生体を確保できるはずだと言っています。解剖に反対していた者達も賛同】
「あそこまで行けるの?」
【彼等の技術力なら不可能ではありません】
「……そっか」
なら、それをさせるわけにはいかない。どのみち解剖されたりするつもりは無かったけれど予定より早く立ち上がった。そして驚く研究者達の前ですんなり枷を外す。勝手に外れたように見えたであろうそれは音を立てて床に落ちた。
『なっ、なんだ!?』
『拘束具が外れたぞ! おいっ、麻酔を!』
素早く判断して隔離室にガスを送り込む彼等。けれど、そのガスと一緒に怪塵も大量に室内への侵入を果たす。
白い塵は素早く集まって来て全身を包む膜となった。ニャーンはその膜に包まれたまま透明な壁に近付いて手を当てる。
「このガス、あの人達にとっては」
【無害です。眠るだけで済むのでご安心を】
「良かった」
次の瞬間、赤い雷がガラスの表面を走ってバラバラに切り裂いた。中から溢れ出したガスが顔を引きつらせた研究員達と騒ぎを聞きつけてやって来た警備員をことごとく無力化する。
『ク、クソ……ッ!!』
眠る直前、破れかぶれで発砲した者もいた。けれどニャーンではなく彼等の仲間に当たりそうになったその弾丸をキュートが盾になって受け止める。
あっという間に場を制圧したニャーンは、やがて誰一人傷付けることなく外へ出た。そして翼を羽ばたかせ空へ。
【杖と僧服も確保してあります】
「ありがとう」
キュートから渡されたそれを受け取って一安心。どちらも、もう随分ボロボロになってしまったけれど、まだ手放したくはない。
そして空を飛びながら地上を見下ろし、涙した。
「ごめんなさい……」
【貴女のせいではありません】
「でも……でも……!」
地上の都市の半数は壊滅してしまった。今飛び出してきた研究所の周りとて無傷ではない。
少し前に戦争が起きたからだ。この星は地表の上層と地下の下層に分かれている。事情をロクに知りもしないニャーンが下層の民を地上へと連れ出したことにより起きた戦い。その生々しい傷跡が否が応にも目に飛び込んで来る。
【上層の民は彼等を虐げていました。それが事実です。下層の民は遺伝子の変異によって太陽光を浴びると凶暴な怪物になってしまう。それも事実です。貴女はどちらの事情も知らなかった。知る機会すら無かった。そのせいで下層民に騙され彼等を地上に解き放った。やはり事実です】
だからこそ受け入れて前に進めとキュートは言う。自分を傷付けて罰するようなやり方ではなく、失われた命の分まで多くの命を救えと。
【このままでは、いずれ彼等も脅威と判定されるでしょう。そうなった場合、免疫システムが容赦しないことはご存じのはず】
『そういうこと。泣いてる暇なんか無いわ』
親友の声も頭の中に響く。彼女もやっぱり厳しい。いつまでも落ち込んだままでなんていさせてくれない。
『アンタは今も試されている。この星と同じよ、わかってるわね』
「うん……」
涙を拭うニャーン。そうだ、まだ諦められない。きっと、ユニ・オーリもこんな気持ちだったのだろう。罪を犯していると自覚しながら、それでもどうしても手放せない想いに動かされていた。
諦めるか? 遠くからそう呼びかけられている気がする。
いいえと答え、地上の凄惨な光景をまっすぐに見据えた。
立ち止まることなどできない。誰が許したとしても自分自身がそれを許せない。転んでも、また立ち上がって前へ進む。そうしたいからそうする。
「ごめんなさい! でも、まだ終わってません! 終わらせませんから! 貴方達の星も、私達の星も! 彼の命も! 絶対に終わらせたりしません!」
この星は自分達の星と同じ宇宙の脅威と判定されかけている。高度に発達した文明とその進歩の過程で醸成された濃厚な悪意によって。
彼女はその悪意を祓わなければならない。それは可能なのだと示すために。
ここは今なお法廷の中。ただし人の世のものとは違う。
神々が裁く、神の定めた司法の場だ。
――それから、またしばらくしてニャーンは考える。人とは何なのだろう?
虫も魚も動物も、ただ生きるために生きている。人から見て残酷に思える所業を彼等が行ったとしても、それは単に生存のための戦略でしかない。長い歴史を経て培われた本能、種を存続させる上での最適解。
彼等はそんな、すでにある答えに従って生きればいい。そこに正義や悪という概念は存在しない。
なのに人は本能に逆らう。まるで、それこそが人という種の宿命であるかのごとく。時に自らの生存の権利まで手放し、時に種全体を危険に晒してまで他人から見れば非合理的で不条理な何かを追い求めてしまう。
神々が言う『悪意』の正体とは、きっとそれではないだろうか? 人は生存のためだけに生きる種ではない。本能と欲望、その二つがぶつかり合って生まれる矛盾が宇宙全体を脅かし彼等を震撼させてしまう。
「私達は、消えた方がいいのかな?」
夜空を見上げて問いかける。けれど答えは帰って来ない。プラスタにもキュートにもわからない。だから何も答えられない。
それでも彼女は考える。諦めず答えを探し求める。
死なせたくない。もう誰も、これ以上悲しんでほしくない。結局、彼女はそれを可能とする答え以外は認められない。これもまた神々に言わせれば『悪意』なのかもしれない。
「ふふっ」
なんだか無性におかしくなってきて久しぶりに笑った。世界で一番自由な心の持ち主は、きっと『悪意』の塊だと思う。だってその人は本能にも責任にも一切縛られることなく自分の意志を貫き通すだろうから。
「いいなあ……私も、そんな風になりたい」
空を見上げ続ける。荒涼とした大地で、人の悪意が破壊してしまった星の上で彼女は流れ落ちる星を見つけた。
たった一人、掠れた思い出を振り返りながら、その流れ星に願う。
どうか教えてください。私達はどうしたらいいのでしょう?
星は何も答えず、ただ静かに頭上を通り過ぎて行く。強い風が吹いて砂埃で少女の姿を隠した。
彼女の試練は、まだ終わらない。
『あれが奇妙な力を使う怪物……』
『下層民をそそのかした悪魔よ』
『恐ろしい姿だね。見たことのない生き物だ』
『言葉を理解しているというが本当なのか?』
『だから裁判にかけられてるのよ。動物なら殺処分するだけでしょ』
『まったく、公正なお話だな。さっさと殺してしまえばいいものを。異星からの侵略者にまで機会を与えるとは』
彼等こそ彼女から見たら異形の一団なのだが、ここではあちらが正しい。彼女は異星から訪れた不気味な姿の異種生物に過ぎない。
彼女から見て前方の左右に三人ずつ弁護士と検察官が並んでいた。正面には裁判長。
彼女を弁護する側には全くやる気が無く、検察側ばかりが淡々と主張を述べてスムーズに判決が言い渡された。
『被告、ニャーン・アクラタカを無期懲役とする』
「はい」
ニャーンは異を唱えなかった。実際に悪いことをしてしまったと思っているからだ。傍聴人達は大罪人に対する温情に満ちた裁定に不服を抱き、口々に抗議を始める。彼女は騒がしくなった法廷から急いで連れ出され、そのまま監獄へ移送された。
そして彼女は檻の中。ただし刑務所ではなく、実際には研究所へ収容された。この惑星の人々は見たこともない生物の生態と不思議な力を解明したいようだ。
四方を強化ガラスに囲われた部屋。プライバシーなど存在しない。手足には枷がかけられており、行動も大幅に制限されている。外そうとすれば即座に電気が流れる仕掛け。死にはしないが意識は飛ぶと、実際に試したからもう知っている。
服だって簡素な布一枚だけ。彼等からしたら動物同然の存在に衣類を与えるだけ優しい行いなのかもしれない。とはいえ、それでもやはりこの格好で外へ出るのは恥ずかしい。どうにかして僧服を取り戻せないだろうか?
外からは何人もの研究者が観察して来る。彼等の間では活発に議論が交わされていた。これからこの貴重なサンプルをどう調べるべきか相談し合っている。外の声は聞こえなくともわかる。怪塵を通して伝わって来る。彼等の言葉を理解できるのもキュートが翻訳してくれるおかげ。
彼は今その大部分を拡散させ、ごく一部のみニャーンの体内に潜ませ一体化している。
【彼等は貴女を解剖したいようです】
「みんな?」
【一部は反対しています。唯一の生体をいたずらに傷付け疲弊させるべきではないと】
「そう……」
【状況が変化。貴女から母星の位置を聞き出せば良いという意見が出ました。そうすれば、もっと同種の生体を確保できるはずだと言っています。解剖に反対していた者達も賛同】
「あそこまで行けるの?」
【彼等の技術力なら不可能ではありません】
「……そっか」
なら、それをさせるわけにはいかない。どのみち解剖されたりするつもりは無かったけれど予定より早く立ち上がった。そして驚く研究者達の前ですんなり枷を外す。勝手に外れたように見えたであろうそれは音を立てて床に落ちた。
『なっ、なんだ!?』
『拘束具が外れたぞ! おいっ、麻酔を!』
素早く判断して隔離室にガスを送り込む彼等。けれど、そのガスと一緒に怪塵も大量に室内への侵入を果たす。
白い塵は素早く集まって来て全身を包む膜となった。ニャーンはその膜に包まれたまま透明な壁に近付いて手を当てる。
「このガス、あの人達にとっては」
【無害です。眠るだけで済むのでご安心を】
「良かった」
次の瞬間、赤い雷がガラスの表面を走ってバラバラに切り裂いた。中から溢れ出したガスが顔を引きつらせた研究員達と騒ぎを聞きつけてやって来た警備員をことごとく無力化する。
『ク、クソ……ッ!!』
眠る直前、破れかぶれで発砲した者もいた。けれどニャーンではなく彼等の仲間に当たりそうになったその弾丸をキュートが盾になって受け止める。
あっという間に場を制圧したニャーンは、やがて誰一人傷付けることなく外へ出た。そして翼を羽ばたかせ空へ。
【杖と僧服も確保してあります】
「ありがとう」
キュートから渡されたそれを受け取って一安心。どちらも、もう随分ボロボロになってしまったけれど、まだ手放したくはない。
そして空を飛びながら地上を見下ろし、涙した。
「ごめんなさい……」
【貴女のせいではありません】
「でも……でも……!」
地上の都市の半数は壊滅してしまった。今飛び出してきた研究所の周りとて無傷ではない。
少し前に戦争が起きたからだ。この星は地表の上層と地下の下層に分かれている。事情をロクに知りもしないニャーンが下層の民を地上へと連れ出したことにより起きた戦い。その生々しい傷跡が否が応にも目に飛び込んで来る。
【上層の民は彼等を虐げていました。それが事実です。下層の民は遺伝子の変異によって太陽光を浴びると凶暴な怪物になってしまう。それも事実です。貴女はどちらの事情も知らなかった。知る機会すら無かった。そのせいで下層民に騙され彼等を地上に解き放った。やはり事実です】
だからこそ受け入れて前に進めとキュートは言う。自分を傷付けて罰するようなやり方ではなく、失われた命の分まで多くの命を救えと。
【このままでは、いずれ彼等も脅威と判定されるでしょう。そうなった場合、免疫システムが容赦しないことはご存じのはず】
『そういうこと。泣いてる暇なんか無いわ』
親友の声も頭の中に響く。彼女もやっぱり厳しい。いつまでも落ち込んだままでなんていさせてくれない。
『アンタは今も試されている。この星と同じよ、わかってるわね』
「うん……」
涙を拭うニャーン。そうだ、まだ諦められない。きっと、ユニ・オーリもこんな気持ちだったのだろう。罪を犯していると自覚しながら、それでもどうしても手放せない想いに動かされていた。
諦めるか? 遠くからそう呼びかけられている気がする。
いいえと答え、地上の凄惨な光景をまっすぐに見据えた。
立ち止まることなどできない。誰が許したとしても自分自身がそれを許せない。転んでも、また立ち上がって前へ進む。そうしたいからそうする。
「ごめんなさい! でも、まだ終わってません! 終わらせませんから! 貴方達の星も、私達の星も! 彼の命も! 絶対に終わらせたりしません!」
この星は自分達の星と同じ宇宙の脅威と判定されかけている。高度に発達した文明とその進歩の過程で醸成された濃厚な悪意によって。
彼女はその悪意を祓わなければならない。それは可能なのだと示すために。
ここは今なお法廷の中。ただし人の世のものとは違う。
神々が裁く、神の定めた司法の場だ。
――それから、またしばらくしてニャーンは考える。人とは何なのだろう?
虫も魚も動物も、ただ生きるために生きている。人から見て残酷に思える所業を彼等が行ったとしても、それは単に生存のための戦略でしかない。長い歴史を経て培われた本能、種を存続させる上での最適解。
彼等はそんな、すでにある答えに従って生きればいい。そこに正義や悪という概念は存在しない。
なのに人は本能に逆らう。まるで、それこそが人という種の宿命であるかのごとく。時に自らの生存の権利まで手放し、時に種全体を危険に晒してまで他人から見れば非合理的で不条理な何かを追い求めてしまう。
神々が言う『悪意』の正体とは、きっとそれではないだろうか? 人は生存のためだけに生きる種ではない。本能と欲望、その二つがぶつかり合って生まれる矛盾が宇宙全体を脅かし彼等を震撼させてしまう。
「私達は、消えた方がいいのかな?」
夜空を見上げて問いかける。けれど答えは帰って来ない。プラスタにもキュートにもわからない。だから何も答えられない。
それでも彼女は考える。諦めず答えを探し求める。
死なせたくない。もう誰も、これ以上悲しんでほしくない。結局、彼女はそれを可能とする答え以外は認められない。これもまた神々に言わせれば『悪意』なのかもしれない。
「ふふっ」
なんだか無性におかしくなってきて久しぶりに笑った。世界で一番自由な心の持ち主は、きっと『悪意』の塊だと思う。だってその人は本能にも責任にも一切縛られることなく自分の意志を貫き通すだろうから。
「いいなあ……私も、そんな風になりたい」
空を見上げ続ける。荒涼とした大地で、人の悪意が破壊してしまった星の上で彼女は流れ落ちる星を見つけた。
たった一人、掠れた思い出を振り返りながら、その流れ星に願う。
どうか教えてください。私達はどうしたらいいのでしょう?
星は何も答えず、ただ静かに頭上を通り過ぎて行く。強い風が吹いて砂埃で少女の姿を隠した。
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