ワールド・スイーパー

秋谷イル

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四章【赤い波を越えて】

遠い空の向こうへ

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 しばらくして、どうにかズウラを落ち着かせることができた。彼としてもそういう精神状態ではなかったため求婚に対する答えは再度保留ということにしてもらう。
「あ、あの、ちゃんと考えておきますから……」
「お願いします……」
 互いに相手の顔をマトモに見られない。でも、こんな別れ方は嫌だと思ったのでニャーンは勇気を出してズウラの手を握った。彼の心臓も跳ね上がる。
 もじもじ、それでも目は合わせられない。
「か、必ず、次は必ず……!」
「はい……! お、お待ちしております……!」
「もどかしい……」
「似た者同士ではありますね」
 渋い顔のスワレと逆に楽しそうなナナサン。口元がニヤついている。この先の楽しみが増えたと思っている顔だ。
 ついでに言えば、この年下の能力者とも仲良くなれそうだと確信する。
 やがてニャーンはキュートが変形した船に乗り込んだ。今回もまた二人乗りで人間の姿のアイムが同乗する。
 いくら彼の足が速いと言っても、宇宙の中心まで普通に走って行っては到着までに何十万年もの時間が必要らしい。だからキュートに運んでもらうしかない。乗り物好きなので本人は結構喜んでいる。その証拠にワクワク顔でせっついて来た。
「ほれ、行くぞ」
「そういやアイムじいちゃん達、どのくらいで宇宙の中心に着くの?」
 訊ねたのはヌール。第二大陸からザンバと共にナンジャロの船に乗って見送りに来てくれた。
【私の空間跳躍機能を用いれば半年で辿り着きます】
「それでも半年はかかるんだ」
 驚いた。ザンバもヒゲを撫でつけながらため息をつく。
「宇宙ってな広いんだなあ。海の何倍あるんだ?」
「比較するのも馬鹿らしいほどよ」
 回遊魚の面々も数人来ている。次の攻撃まで怪塵に怯える必要は無いため、一族を代表して若者ばかり派遣された。
「ニャーンさん、ニィグラお婆様も、旅の無事をお祈りすると」
「ありがとうございます」
 あの人にもまた会いたいな、優しい老婦人の顔を思い出して安らぐニャーン。そこへ第一大陸のビサックも声をかける。
「気を付けてな、無理はせんように」
「ビサックさん! 大丈夫です、疲れたらこの杖に支えてもらいますから」

 おお……どよめく人々。いつもニャーンが持っている杖の贈り主は彼だったのかと一斉に中年男の顔を見る。
 ビサックは照れ臭そうに頭をかいた。

「たはは、ここで言うのは勘弁してほしかった……」
「す、すみません!」
「でもまあ、そういうことだ。大変な時にゃ素直に周りを頼れ。人間なんて誰かに頼りにされりゃ結局は嬉しいもんさ。オイラもな、その杖が少しでも嬢ちゃんの助けになってくれんなら嬉しいし、もう周りから期待されることを辛いと思ったりもしねえよ」

 人は助け合って生きる、それが当たり前。彼はこの歳でようやく理解できた。苦しかったら弱音を吐けばいい。森に隠れるのではなく身近な人達に。頼って欲しいと願っている親しい者達にまで背を向けて意地を張ることはない。
 幸い、ニャーンにはそんな相手がたくさんいる。これからもっと増えていくだろう。
 彼女なら宇宙でも大勢に愛される。それは間違いないから。

「オイラでもいいぞ。どうにか手段を見つけて、どこにだって駆けつけてやる!」
「はい! 頼りにしてます!」
「へへっ、そうか」
 嬉しすぎてそわそわするビサック。帰ったら元妻にこのことを自慢しようと決めた。お前の前の旦那は女神様に頼りにされてんだぞと。

 ――この場には来られなかった者達もいる。被害の大きかった第一大陸の他の者達は復興作業に忙しく、グレンすらも来ていない。
 ワンガニの象徴だった『牙』は崩壊し、多くの死傷者が出たという。ドルカは崩れ落ちて来た岩からナラカを守って生涯を終えた。クメルは生きていたものの左目を失明。グレンはそんな彼女の傍にいてやりたいという理由で見送りへの不参加を決めた。

 第三大陸でも大勢が命を落とした。けれど生き残った人々は今もあの砂だらけの大地で助け合いながら生きていて、そんな日々の合間にアイムを讃えて太鼓を叩き、舞い踊っている。ニャーンを讃える祭も作ると言っていた。次に訪れた時にはいっそう熱烈な歓迎を受けるだろう。

 第五大陸が砕け、第六大陸は壊滅状態。第七大陸は元から無人。まともに暮らせるのは第一から第四大陸までの四つの大陸だけになってしまったため、第二大陸の船の大半は第一第三第四を巡る航路に集まって来ている。元から陸地への愛着が薄いので、このままこっちの地方の一員になってしまうかもしれんなとナンジャロが冗談めかして言った。

 心配していた月の消失による重力変動の影響はほとんど無い。どうやら母星を取り巻く怪塵の輪が代わりの重力源となって均衡を保ってくれているようだ。もしかしたらユニはこのためにもあの輪を作り出したのかもしれない。
 だとしても夜空に輝く月が無くなったことで、人々は夜が来るたび思い出す。あの戦いで生じた数々の悲しい記憶を。

 けれど歴史が続き、世代が重なり続ければ、やがてそんな記憶も忘れ去られ月の無い夜空を穏やかな気持ちで見上げるようになるのだろう。いつかは必ず、そんな時代がやって来る。
 そうするために、歴史を未来に繋ぐためにアイムとニャーンは旅立つ。キュートと共に。あの空の向こう側、遥か彼方にある神の領域を目指して。

「じゃあ、そろそろ、いってきます!」
 手を振って別れを済ませ、開いていた出入口を閉ざす。卵型の宇宙船となったキュートが最後の意思確認。
【出発してもいいですか?】
「……うん」
「このままじゃいつまで経っても離れられん。思い切って行け」
【はい】
 ニャーンとアイム、両者の了承を得たキュートは浮上して行く。どんどん高度を上げ続け地上で見送る人々の姿が完全に見えなくなったところで別方向への加速を始めた。
「あっ、アイム、第三大陸ですよ」
「あの騒がしい連中ともしばらくお別れか」
「でも、眠って行くから私達にとってはちょっとの時間に感じられるんですよね?」
【はい。無補給で最短航路を進むため、お二人には時間遅延状態で眠ってもらいます。認識上では数時間程度の旅でしょう】
「時間の流れを遅らせるとかいうやつか。そんなことまで出来たとはな」
【時空への干渉には本来、盾神テムガモシリの許可が必要です。しかし今回の場合、神々から招待を受けて赴くので問題にはならないでしょう】
 そもそもキュートの場合、もう守界七柱の定めた規則には縛られていない。必要ならいくらでも使い放題だ。彼の機能ではアイムやニャーンのような巨大な運命の重力の持ち主に対し効果を発揮させようとする場合、当人の許可は必須になるが。でなければ深度が足りず弾かれてしまう。
 母星の姿も見る間に遠ざかっていく。覚悟はして来たけれど、それでもやはり耐え難い寂しさと不安に襲われるニャーン。
 心細くなって振り返る。気を利かせて後方を見えるようにしてくれるキュート。
 すると二つの光が追いかけて来た。驚いた彼女とアイムの前で彼等はしばし宇宙船に並走する。
「グレンさん!」
【クメルにちゃんと見送りに行けと叱られてな……旅の安全と無事の帰還を祈る】
 そう言ってから、少しばかり迷う様子を見せて言葉を続ける彼。
【ワンガニではすまなかった。本心から認めよう、ニャーン。君は絶対に呪われた娘などではない。むしろ誰よりも人を幸せにできる人間だ。必ず帰って来てくれ、クメルもまた君に会いたいと強く願っている】
「はい! 必ず会いに行きます! クメルさんにもお伝えください!」
【ああ。では失礼する、今は出来る限り彼女の傍にいてやりたいんだ】
「そうせい。次の攻撃からも守り抜けよ」
【言われるまでもない】
 最後にアイムに向かって拳を突き出す。アイムもそれに合わせるように手を持ち上げた。師弟であり友人でもある彼等はさほど言葉を交わすこともなく、それで別れを済ませる。
 グレンが去った後、もう一つの光も話しかけて来た。黄金時計の塔でオクノケセラに仕えていた『地球』の星獣イカロスだ。
【アイム、あの方の最後の言葉は、もう聞きましたか?】
「ああ」
 ユニとの戦いが終わった後でニャーンとスワレから教えられた。オクノケセラは最後に彼に対し遺言を残したのだと。
 それも実に彼女らしい一言を。

「少しは成長したか子犬、だと? 死ぬ時までワシをガキ扱いしおって」

 もっと色々あっただろう、グレンのように旅の無事を祈るだとか、一人前に成長した立派な姿を直接見たかったとか、ロクに顔を出さずにこの親不孝者めとか。
 なんでも言いたいことはあったはずなのだ。
 それでも彼女は、その言葉を選んだ。

【アイム、あの方は】
「わかっとる。己の使命に殉じろと言うのだろう」

 彼女は試練を課す神だった。つまり成長を促す存在。だからこそ最後までそんな己であることを選んだ。
 息子として自分もそうするつもりである。血の繋がりは無くとも彼女の精神は受け継いだと自負している。
「ワシも同じじゃ、星獣として星を守る。そのために、この娘も守る」
【わかっているならそれでいい。私も君達の無事を祈ります、どうかご無事で。戻ってきたら塔の最上階に顔を出してください。遺体はありませんが、それでも彼女の墓を建てました】
「ほうか、ありがとな」

 必ず墓参しよう。アイムはそう決意した。
 いい加減、顔を見せてやらねば。

 イカロスも離れて行き、流石にもう見送りは無いと確信したキュートが許可を求める。
【お二人が眠り次第、時間遅延処置を行います。よろしいですね?】
「構わん」
「お願いします」
 了承して二人とも瞼を閉じる。
 そして祈った。辿り着くまでに半年、帰るのにも恐らく同じだけの時間がかかる。神々を無事に説得できれば帰りの期間の心配はいらないが、成功するとは限らないし説得にどれだけ時間が必要かもわからない。
 その間、故郷とそこで生きる人々が無事でありますようにと祈る。ユニもグレンもズウラもいる以上、戦力は十分なはず。だとしても絶対だとは確定していない。
「アイム」
「ん?」
 目は閉じたまま会話する二人。緊張と興奮でなかなか眠くならない。
「私、ずるいでしょうか? ズウラさんにちゃんとお返事できませんでした」
「たかが一年ちょっとだ、そのくらい待たせておいて構わんじゃろ」
「長くないですか?」
「人間の感覚ならそうかもしれん。気が咎めるなら急いで帰りゃいい。さっさとアルトゥール達を説き伏せてな」
「そうですね」
 頷くニャーン。そんなに上手くいけばいいが、きっとそうはならないだろう。だとしても最善の未来を目指すことは大切だと思う。目標は出来る限り高く設定すべきと心の中のプラスタも言っているし。
「長旅だぞ、寝ながら答えを考えておけ」
「そんな器用なことできるかな……?」
 その一言からほどなくしてニャーンは寝息を立て始めた。相変わらず妙なところで神経の太い娘だと呆れるアイム。
 起こさないよう小声でキュートに対し囁く。
「何があっても必ず、こやつだけは無事に帰らせてやれ。頼んだぞ」
【約束します】
 自分はどうなってもいい。きっと守界七柱はニャーンのことはそれほど危険視していないはずだ。まして彼女は空位となったオクノケセラの席を埋められる稀有な存在。ユニとて彼女の心に触れて悪意を失い、自我もほとんど喪失している。あれにも大した危険性は無いはず。
 ならば今、神々が最も危険視しているのは――

「……ワシが、ワシだけがいなくなれば、それで丸く収まる。多分そういうことじゃ」

 それでいい。それで済むならニャーンもすぐに帰らせてやれる。もう彼はニャーンの幸せと故郷の無事以外のことは何も望まない。墓参りには魂だけになってでも行くつもりだが。
(いや、あの世で会った方が手っ取り早いかもしれんな)
 そんなことを考え、心から楽しそうに笑って眠りにつく。ゆっくり眠れるのはきっとこれが最後だろう。じっくり堪能したい。
 そして船は飛び続ける。時折、必要なエネルギーが貯まり次第に空間を跳躍して移動時間を短縮しながら遥か彼方の深宇宙へ。
 たった二つの、けれどこの宇宙の命運を左右する大きな宿命を生まれ持った特異点を運びながら静かに飛行を続ける。

 その先の未来はまだ、何一つ確定していない。
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