君の好きなもの

秋谷イル

文字の大きさ
2 / 7

弟子

しおりを挟む
「先生。おはようございます」
「ああ、うん。おはよう。いらっしゃい」
 午前十時、そろそろ仕事でもしようかなと思っていたタイミングで来られて私の方が不機嫌になった。
 もちろん顔には出さない。家賃三割引きの報酬がある以上、これもお仕事と自分に言い聞かせる。
 彼の親御さんが大家をしているこのアパートの部屋の間取りはリビング、ダイニング、キッチン、そして洋室が一つのいわゆる1LDKだ。当然家賃もさほど高くない。だから最近、三割でも安かったんじゃないかと思い始めたものの笑顔を崩さず対応する。
「座って」
「はい」
 文一くんとはいつも仕事場を兼ねたリビングで話をする。私は机の前の椅子。彼は彼専用に私が買ってきた安物の丸椅子。ソファでもあった方がいいかなと思わないでもないのだが、しかし他にこの部屋を訪れるのは年一で顔を出すかどうかの姉と姪っ子くらいなので躊躇せざるをえない。
「で、書き直してきたの?」
「はい、おねがいします」
 文一くんはタブレットを差し出してきた。彼が執筆に使っているツールだ。データならメールなりクラウドなりで共有してくれたらそれでいい話なのだが、毎回こうしてタブレットごと持って来る。まあ、彼ら一家もこのアパートに住んでいるわけだし、それなのにネット越しにやりとりするのが味気無いと思う気持ちもわかる。
 ただ、締め切りが近いんだよなあ……。

 まあいいかと気を取り直して読み始める。
 あっ、説明の必要は無いだろうが、一応しておこう。私なんかに弟子入りを希望した彼は、当然ながら小説家志望である。ついでに言うと不登校児で中一の夏から学校には通っていない。
 小説を書き始めたのは去年の冬。ネットの投稿サイトでライトノベルを読むことにハマって、書くことにも興味を持ったそうな。そして今年の春先に将来は小説家になりたいと言い始めた。
 両親は「そんなことより学校に行け」と言いたかっただろう。というか多分言ったのだ。ちょうどその頃に階下から口論する声がしょっちゅう聞こえていたため、割と激しい攻防があったと推察できる。
 そして結局は両親の方が折れた。彼にやりたいことをやらせてみようと結論付けて。少なくとも、何もせず黙って部屋に引きこもられるよりはマシと考えた。
 その時、私にとっては迷惑なことに二階に住んでいるロクに部屋から出てこない社会不適合者っぽい店子の職業が都合の良いことに小説家だと思い出したらしい。それで四月のあの訪問となったわけだ。
 小一時間かけて、ざっと三分の一ほどに目を通した私は批評を行う。

文章は・・・、前より良くなったね」

 まるで嫌味を言っているかのように傍点を振ったが、別にそんなことはない。文字通りの高評価だ。しっかり成長を感じられる。二ヶ月前の本当にただの中学生らしいはちゃめちゃな文章に比べたら雲泥の出来。子供は成長が早いと実感させられる。
 しかし、やはり文一くんは言葉通りに捉えてくれなかった。

「話は、つまらないですか?」
「ん~……」
 困ったな。たしかにつまらない。しかし、これは彼の好みが私の好みと全く一致してないだけの話である。こういう話を好む人たちもいるだろう。むしろ最近の流行にはマッチしている。
 私はなんというか、今どきの流行りの作風からはほど遠い作品を書く作家だ。だから正直、あんまり売れてない。そこそこの稼ぎにはなっているけれど、専業ではやっていくのは難しい。実を言うと最初の数年は親の遺産を食い潰しながら作家をやっている状態だった。いくらか投資に回したら、そっちで運良く大儲けできたので、今はその時の利益をすり減らしつつ書いている。
 このままヒット作が出なければ、数年後にはバイトでもして稼がなければ生活さえままならなくなるだろう。そういう状態だから家賃三割引きの報酬につられた。
 今後もできれば長期間この割引を維持したい。だから唯一の弟子に嫌われるようなことは言いたくないのだが、かといって創作に関わることで嘘を付けないのも私だ。結局は正直に答えた。

「面白くはない」
「……」
 ああ、もう剣呑な目付きになって唇を尖らせている。待って待って、釈明させてくれ。
「前にも言ったけど、私の好みには合ってない。それだけの話だよ。流行りの要素は取り入れてるんだから、後は文章力や構成力を磨いていけばいい」
「オレは……」
 文一くんは、こういう時に決まって同じことを言う。私にとっては心にグサリと突き刺さる一言を。
「オレは、先生の作品も好きですけど……」
「それはうん。嬉しいんだけどね」
 珍しいことに彼は最近流行りの作風から大きく外れた私の作品でも面白いと思ってくれているらしい。お世辞を言えるような性格ではないので本心だろう。本当にありがたい読者だ。
 でも、だからと言って「私も君の作品が好きだよ」などと言ってやることはできない。それは嘘だ。不誠実だ。師匠として、さらには人として恥ずべき行為だと思う。
 少し考えてから補足する。

「そうだね……じゃあ、もう少し辛口で評価すると、まずチグハグな内容になってしまっている。これは多分、私の好みに寄せようとした結果だろう? でも、それはすべきじゃないんだ。君がこの作品で書きたいことを決めるように二回目の授業の時に言ったよね。三回目で君は『主人公が自分を陥れた連中に徹底的にやり返す爽快な復讐物にしたい』と答えた」

 いかにも今の子が好みそうなテーマである。私なら、この復讐対象を改心させて和解に持ち込む。そもそも、これほど悪辣なキャラクターは滅多に書かない。彼の作品は主人公以外ほとんどが陰湿で陰険極まりない悪党だが。
 なんというか、彼が不登校になった理由が透けて見えるような描写ばかりだ。それもまた気が滅入る。
 とはいえ、ここ最近は若干マイルドになった。明らかに私を基準にして改稿を行った結果。
 正直、それが一番気に入らない。

「いいかい? 私から見て面白いか面白くないかなんて、どうでもいいんだ。君が面白いと思うもの、書きたいものを正直に書きなさい。自分の好きを形にする。それが創作だよ」

 世に溢れる創作論を読むと、徹底的に流行を分析し、大多数の読者に合わせた作品を書くのが正解だとする意見が多い。
 それはそれでたしかに一つの正解だと思う。だが私の意見は異なる。今しがた言ったように、自分の好きなものを書いて世に送り出したい。そうでなければ無意味に感じる。それが私だ。
 そんな私の弟子になった以上、この考えに逆らうことは許さない。どうしても嫌なら破門する。
 もちろん、できれば引き止めたい。家賃の割引のために。

「さっきも言ったけど文章力は上がってるよ。話の組み立て方も悪くない。もう少し練り直した方がいいとは思うけど、書き始めたばかりなのを思えば上出来だ。成長してる。それは認めてるんだから、無理に私に合わせなくていい。絶対に守って欲しいルールは一つだけ。自分の好きなものを書く。わかった?」
「……」

 う~ん、難しいな。うちの姪っ子よりずっと気難しい。ますます口がへの字に曲がってしまった。いったい何がそんなに気に入らないんだ? ちゃんと褒めているのに。
 何度も言うが、つまらないというのも私個人の評価に過ぎない。これを面白いと思う人たちはいるはずなのだ。それも、すでに出版済みの私の作品のファンより遥かに多く存在する。
 彼に教えるために、今どきの作品もいくつか読んでみた。やはり何が面白いのか私にはわからなかったが、物凄い数の好意的な感想が寄せられていたし、私が何年か前に投稿した長編作品の数千倍のPVとブックマークを一日で稼いでいた。
 彼も、そうなれるかもしれない。絶対にとは言えないが、流行のツボは押さえていて何度叩かれてもすぐにまた書き直して持って来るガッツがある。これでなんで不登校しているのかわからないくらいのど根性。
 だったら正直に書きたいものを書けばいい。彼の場合はそれで成功確率が大幅に上がる。そう説得を重ねてみたものの、やはり通じなかった。やがて勢い良く立ち上がって言い放つ。

「また書き直します」
「あ、うん」
 まだ時間は残っているけれど、これは言っても無駄だろうなと思った私は素直に見送ることにした。
 ああ、でもと思い出して冷蔵庫から缶ジュースと二個入りの安いショートケーキを取り出し、袋に入れて彼に持たせる。
「今日出すつもりだったのに忘れてたよ。ごめんね。お母さんと食べて」
「ありがとうございます。また来ます」
「うん、また来なさい」
 自分の書きたいものを書くんだよ、と言いかけてグッと言葉を飲み込んだ。ここで癇癪を起こされたりしても敵わない。
 少年が階段を下りていく。一応、廊下に出てその背中も見送り、見えなくなってから室内へ戻った。
 そして椅子に座り、本業の方を始めようとして時間を思い出す。もう昼だと。

「はあ~」
 ため息をつきながらカップ麺に湯を注いだ。できあがるまで三分、考えて時間を潰すとしよう。
 どうやったらあのへそ曲がりな中学生を納得させられる?
「教育って難しいな」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

マグカップ

高本 顕杜
大衆娯楽
マグカップが割れた――それは、亡くなった妻からのプレゼントだった 。 龍造は、マグカップを床に落として割ってしまった。そのマグカップは、病気で亡くなった妻の倫子が、いつかのプレゼントでくれた物だった。しかし、伸ばされた手は破片に触れることなく止まった。  ――いや、もういいか……捨てよう。

先生の秘密はワインレッド

伊咲 汐恩
恋愛
大学4年生のみのりは高校の同窓会に参加した。目的は、想いを寄せていた担任の久保田先生に会う為。当時はフラれてしまったが、恋心は未だにあの時のまま。だが、ふとしたきっかけで先生の想いを知ってしまい…。 教師と生徒のドラマチックラブストーリー。 執筆開始 2025/5/28 完結 2025/5/30

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

処理中です...