君の好きなもの

秋谷イル

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弟子

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「先生。おはようございます」
「ああ、うん。おはよう。いらっしゃい」
 午前十時、そろそろ仕事でもしようかなと思っていたタイミングで来られて私の方が不機嫌になった。
 もちろん顔には出さない。家賃三割引きの報酬がある以上、これもお仕事と自分に言い聞かせる。
 彼の親御さんが大家をしているこのアパートの部屋の間取りはリビング、ダイニング、キッチン、そして洋室が一つのいわゆる1LDKだ。当然家賃もさほど高くない。だから最近、三割でも安かったんじゃないかと思い始めたものの笑顔を崩さず対応する。
「座って」
「はい」
 文一くんとはいつも仕事場を兼ねたリビングで話をする。私は机の前の椅子。彼は彼専用に私が買ってきた安物の丸椅子。ソファでもあった方がいいかなと思わないでもないのだが、しかし他にこの部屋を訪れるのは年一で顔を出すかどうかの姉と姪っ子くらいなので躊躇せざるをえない。
「で、書き直してきたの?」
「はい、おねがいします」
 文一くんはタブレットを差し出してきた。彼が執筆に使っているツールだ。データならメールなりクラウドなりで共有してくれたらそれでいい話なのだが、毎回こうしてタブレットごと持って来る。まあ、彼ら一家もこのアパートに住んでいるわけだし、それなのにネット越しにやりとりするのが味気無いと思う気持ちもわかる。
 ただ、締め切りが近いんだよなあ……。

 まあいいかと気を取り直して読み始める。
 あっ、説明の必要は無いだろうが、一応しておこう。私なんかに弟子入りを希望した彼は、当然ながら小説家志望である。ついでに言うと不登校児で中一の夏から学校には通っていない。
 小説を書き始めたのは去年の冬。ネットの投稿サイトでライトノベルを読むことにハマって、書くことにも興味を持ったそうな。そして今年の春先に将来は小説家になりたいと言い始めた。
 両親は「そんなことより学校に行け」と言いたかっただろう。というか多分言ったのだ。ちょうどその頃に階下から口論する声がしょっちゅう聞こえていたため、割と激しい攻防があったと推察できる。
 そして結局は両親の方が折れた。彼にやりたいことをやらせてみようと結論付けて。少なくとも、何もせず黙って部屋に引きこもられるよりはマシと考えた。
 その時、私にとっては迷惑なことに二階に住んでいるロクに部屋から出てこない社会不適合者っぽい店子の職業が都合の良いことに小説家だと思い出したらしい。それで四月のあの訪問となったわけだ。
 小一時間かけて、ざっと三分の一ほどに目を通した私は批評を行う。

文章は・・・、前より良くなったね」

 まるで嫌味を言っているかのように傍点を振ったが、別にそんなことはない。文字通りの高評価だ。しっかり成長を感じられる。二ヶ月前の本当にただの中学生らしいはちゃめちゃな文章に比べたら雲泥の出来。子供は成長が早いと実感させられる。
 しかし、やはり文一くんは言葉通りに捉えてくれなかった。

「話は、つまらないですか?」
「ん~……」
 困ったな。たしかにつまらない。しかし、これは彼の好みが私の好みと全く一致してないだけの話である。こういう話を好む人たちもいるだろう。むしろ最近の流行にはマッチしている。
 私はなんというか、今どきの流行りの作風からはほど遠い作品を書く作家だ。だから正直、あんまり売れてない。そこそこの稼ぎにはなっているけれど、専業ではやっていくのは難しい。実を言うと最初の数年は親の遺産を食い潰しながら作家をやっている状態だった。いくらか投資に回したら、そっちで運良く大儲けできたので、今はその時の利益をすり減らしつつ書いている。
 このままヒット作が出なければ、数年後にはバイトでもして稼がなければ生活さえままならなくなるだろう。そういう状態だから家賃三割引きの報酬につられた。
 今後もできれば長期間この割引を維持したい。だから唯一の弟子に嫌われるようなことは言いたくないのだが、かといって創作に関わることで嘘を付けないのも私だ。結局は正直に答えた。

「面白くはない」
「……」
 ああ、もう剣呑な目付きになって唇を尖らせている。待って待って、釈明させてくれ。
「前にも言ったけど、私の好みには合ってない。それだけの話だよ。流行りの要素は取り入れてるんだから、後は文章力や構成力を磨いていけばいい」
「オレは……」
 文一くんは、こういう時に決まって同じことを言う。私にとっては心にグサリと突き刺さる一言を。
「オレは、先生の作品も好きですけど……」
「それはうん。嬉しいんだけどね」
 珍しいことに彼は最近流行りの作風から大きく外れた私の作品でも面白いと思ってくれているらしい。お世辞を言えるような性格ではないので本心だろう。本当にありがたい読者だ。
 でも、だからと言って「私も君の作品が好きだよ」などと言ってやることはできない。それは嘘だ。不誠実だ。師匠として、さらには人として恥ずべき行為だと思う。
 少し考えてから補足する。

「そうだね……じゃあ、もう少し辛口で評価すると、まずチグハグな内容になってしまっている。これは多分、私の好みに寄せようとした結果だろう? でも、それはすべきじゃないんだ。君がこの作品で書きたいことを決めるように二回目の授業の時に言ったよね。三回目で君は『主人公が自分を陥れた連中に徹底的にやり返す爽快な復讐物にしたい』と答えた」

 いかにも今の子が好みそうなテーマである。私なら、この復讐対象を改心させて和解に持ち込む。そもそも、これほど悪辣なキャラクターは滅多に書かない。彼の作品は主人公以外ほとんどが陰湿で陰険極まりない悪党だが。
 なんというか、彼が不登校になった理由が透けて見えるような描写ばかりだ。それもまた気が滅入る。
 とはいえ、ここ最近は若干マイルドになった。明らかに私を基準にして改稿を行った結果。
 正直、それが一番気に入らない。

「いいかい? 私から見て面白いか面白くないかなんて、どうでもいいんだ。君が面白いと思うもの、書きたいものを正直に書きなさい。自分の好きを形にする。それが創作だよ」

 世に溢れる創作論を読むと、徹底的に流行を分析し、大多数の読者に合わせた作品を書くのが正解だとする意見が多い。
 それはそれでたしかに一つの正解だと思う。だが私の意見は異なる。今しがた言ったように、自分の好きなものを書いて世に送り出したい。そうでなければ無意味に感じる。それが私だ。
 そんな私の弟子になった以上、この考えに逆らうことは許さない。どうしても嫌なら破門する。
 もちろん、できれば引き止めたい。家賃の割引のために。

「さっきも言ったけど文章力は上がってるよ。話の組み立て方も悪くない。もう少し練り直した方がいいとは思うけど、書き始めたばかりなのを思えば上出来だ。成長してる。それは認めてるんだから、無理に私に合わせなくていい。絶対に守って欲しいルールは一つだけ。自分の好きなものを書く。わかった?」
「……」

 う~ん、難しいな。うちの姪っ子よりずっと気難しい。ますます口がへの字に曲がってしまった。いったい何がそんなに気に入らないんだ? ちゃんと褒めているのに。
 何度も言うが、つまらないというのも私個人の評価に過ぎない。これを面白いと思う人たちはいるはずなのだ。それも、すでに出版済みの私の作品のファンより遥かに多く存在する。
 彼に教えるために、今どきの作品もいくつか読んでみた。やはり何が面白いのか私にはわからなかったが、物凄い数の好意的な感想が寄せられていたし、私が何年か前に投稿した長編作品の数千倍のPVとブックマークを一日で稼いでいた。
 彼も、そうなれるかもしれない。絶対にとは言えないが、流行のツボは押さえていて何度叩かれてもすぐにまた書き直して持って来るガッツがある。これでなんで不登校しているのかわからないくらいのど根性。
 だったら正直に書きたいものを書けばいい。彼の場合はそれで成功確率が大幅に上がる。そう説得を重ねてみたものの、やはり通じなかった。やがて勢い良く立ち上がって言い放つ。

「また書き直します」
「あ、うん」
 まだ時間は残っているけれど、これは言っても無駄だろうなと思った私は素直に見送ることにした。
 ああ、でもと思い出して冷蔵庫から缶ジュースと二個入りの安いショートケーキを取り出し、袋に入れて彼に持たせる。
「今日出すつもりだったのに忘れてたよ。ごめんね。お母さんと食べて」
「ありがとうございます。また来ます」
「うん、また来なさい」
 自分の書きたいものを書くんだよ、と言いかけてグッと言葉を飲み込んだ。ここで癇癪を起こされたりしても敵わない。
 少年が階段を下りていく。一応、廊下に出てその背中も見送り、見えなくなってから室内へ戻った。
 そして椅子に座り、本業の方を始めようとして時間を思い出す。もう昼だと。

「はあ~」
 ため息をつきながらカップ麺に湯を注いだ。できあがるまで三分、考えて時間を潰すとしよう。
 どうやったらあのへそ曲がりな中学生を納得させられる?
「教育って難しいな」
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