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第二章 【破】愛の真実
第28話 ᕷ˖ 流れた歳月と二人のピアノ
しおりを挟む話題を変えようと部屋を見回す深優人。何気にピアノに目がいった。
「ねえ、あの頃、アップライトだったけど……」
「うん、夜は近所迷惑になるから最近電子ピアノに買い替えて」
「そうだ、まだ、あの曲弾ける?」
「クス、深優人くん、好きだったもんね。うん。弾けるよ」
それはよく深優人からリクエストされた二人にとっての定番だ。映画『ピアノレッスン』の作中曲で、『Big my secret』という超が付くほどロマンティックなもの。
3分も無い小品だが、子供ながらにマセていた二人には丁度良く、深優人《みゆと》は特にお気に入りで、百合愛は得意気に弾いてはウットリする深優人の瞳を見て満足していた。
「俺ってホントに今でもベタだよな。やっぱ格好悪いかな」
「ううん。それでいいの。いや、そこがいいの」
後ろ頭に手をやり、「なんか、照れる」とはにかむ深優人。
「じゃあ、弾いてもらっていいかな?」
目を細め微笑で見つめていた百合愛は「モチロン」と腕捲り。 実は会えなかった期間も過去を思い出して度々弾いていたのだ。上達もしている。
―――ひと呼吸おいて、情感を込めて響かせる最初の一音。
▼Youtube Big My Secret
https://youtu.be/f1KERgeRAHo?si=cJO8Hll6nuaBiFGt
続けて淀みなく紡ぎ出されてゆくそれは、まるで砂糖に蜂蜜を掛けたくらいに甘い調べ。秘密の恋を奏でるこの曲の濃蜜な甘美さと二人の思い出の詰まったメロディーが、この二人のロマンチストを溶かしてゆく。
……あの頃、深優人くんを虜にしたくて……そう、たくさん練習したっけ……
と、そんな事を思い出しながらありったけの想いを載せて曲は進んでゆく。
順調に進み行く恋の始まりを思わせる旋律が、一切の淀みもなく滔々と流れてそれに酔いしれる。
みるみるうちに距離を縮めていく二つの想いに節度をもって抗うも甘美な恋に落ちて仕舞えば歯止めがきくはずも無く。
それでもいたわり合う気持ちが勝ればそれに身を委ねるのも心地よいと言うもの
時に腫れ物に触るが如く優しさに満ちたピアニッシモでハートをそっと包みこみ
切々と奏で続けて育った愛は、やがて熱いトキメキへと変わり
遂には勢いづいて止まらなくなってしまったその熱情は雄弁に絶頂を謳い上げ
―――そして熱を帯びたまま果てた。
余韻を味わい、二人は顔を見合わせた。
「はぁ~………… もう何か、演奏良すぎてため息出て来た」
笑みながら、褒めすぎ、と言つつも、最上級の称賛に百合愛も至極上機嫌だった。
その後も部屋での寛ぎデートは色々な話しに花が咲き、話しが切れたタイミングで手作りケーキが供されて気持ちは高まるばかり。
「私、またこうして一緒に過ごせてとても嬉しい。ねえ、折角だから何か記念に残る事をしたいな」
百合愛としては何気なく言ってみたその言葉は二人っきりのこの部屋では捉え方によっては意味深だったと気付く。だが時すでに遅く、「え……」と固まっている深優人。
「ああ、っご、ごめんね、そ―ゆーの催促して言ったのではないの」
アセアセと取り消す百合愛。だが少し考えて訂正した。
「あ、いや、私単純だから言ってしまうと、ホントは期待しているの。もっともっと親密でいられたら……って。でも、深優人くんはいつも私に気を使ってくれるから、多分順序とか色々あるのかなって。
だったら何か二人の気持ちが盛り上がった時に、って事にしたら先に進めるかなって……。ささやかでもいいから記念になる事でもあれば、もっと近くに行けるかと言ってみただけなの。だって深優人くんて、昔からロマンチストだしオレ様タイプじゃないから急接近とかないかな、なんて」
「ハハ……うん、まあ、確かに」
「だからそうした何かささやかな記念イベントとかで、もし凄く盛り上がれたら、あのお別れの日の続きとかも取り返せるかなって」
二人が引き裂かれた日。その別れの間際に『絶対に忘れないよ』 『私も』―――そう言って二人は涙ながらのキスをした。 これが二人にとってのファーストキスだった。
物陰から見てしまった澄美怜は如何にこの二人が好き合っていて、そして離れたくないかを子供心に悟った。
1才しか違わないのに凄く年上のお兄さんお姉さんに見えていた。
深優人は、《別れの日の続き》 と言われてその思い当たる事に少し動揺しつつも、
「う~ん、記念になる事といってもアドリブですぐに出てこないな。ハードル高っ」
「あっごめんね、そんなに大層な事でなくてもいいの。例えばまだ私の知らない深優人くんを発見とか。そう言うチョットしたお話とかでも」
「この3年の間に色々あったけど……あ、そうだ! その間に知った曲で、もしまた逢えたら何時かこれをキミと一緒に……って思ってたのがあるんだけど、コレ知ってるかな? スクリャービンのピアノソナタ2番。この第1楽章がとにかく大好きで」
「ううん、まだ知らないけど凄く聴きたくなった!」
……いつか私と? だって可能性がほぼ断たれてたのに!……
もう死ぬ程嬉しくて。―――ただそれだけで泣きそうになった百合愛。
「じゃあ、スマホに入ってるから、このブルートゥーススピーカーに繋げて聴こうか」
辛うじて涙を隠し、うん、と小さく頷いた。
「あ、でもまたロマンティックな曲だけどいい?」
「私もそ―ゆーのに目がない。フフ。それで深優人くん的にどんな曲なの?」
ブルートゥースを設定しながら答える。
「俺のイメージとしては、夜の海の水面に反射してきらめく月光、的な」
「それはまたロマンティックだね。私も曲を聞くうちに情景とか物語とか見えて来ちゃう事ある。同じ光景が見えるかな。見えたらいいな……」
「キミは君の想う光景でいいんだよ。でも何か見えたなら、あとでどんなものかを教えて」
じゃ、いくよ、とそう言ってスマホのプレイリストをタップした。
――――その曲はスクリャービン作曲、
ピアノソナタ2番 別名 「幻想ソナタ」
この第1楽章をいつか恋人として二人きりで聴けたら……。そんな深優人の夢が叶えられてゆく。
************************************************
■スクリャービン ピアノ・ソナタ2番
『幻想ソナタ』 第1楽章
▼Youtube
https://youtu.be/bNgyOdkPTVw?si=RAUmqwADJa6Nmdbe
第一楽章は、0~7分13秒まで。
(第一楽章のあと直ぐに第二楽章が急き立てるように続けられるのでご注意を)
……深優人くんと同じ世界に入って、同じものを見たい! いや、絶対に観る!
……夜、海、月、反射……それを意識しとこう、と百合愛は健気にも集中する。
そして最初の1音の響きがガラリと部屋の空気を変えた刹那、一瞬でその世界にいざなわれた百合愛。ただひた向きにその曲想をトレースし始めた。
: + ゜゜ +: 。 .。: + ゜ ゜゜
ああ、峻厳な音色から始まった……
一音で判かるそれは夜の闇
この世界に満ちる闇への畏怖
ああそうだ きっとこれは夜の海
そこを渡る孤独な小舟の中にいる
自分の未来を案ずる不安な旅路
たどるべき航路を探して彷徨う憂いの世界
やがてその闇を抜け、雲間から厳かな月の光が
虚ろで傷だらけになってしまった私の心に
揺蕩いながら綿雪の様に降り始める
穏やかな癒やしを伴って
ただ舞い降りてくる灯りの粒を眺めながら
息をひそめて光とささやき合う優しい世界
次第に心に灯るものに気がつけば
あたり一面に歌と喜びが溢れ出した
夜の海へ降った光の粒が波に揺れはじめ
戯れる水面でキラキラと照り返す
漆黒にゆらめき 舞うその反射に
ただ心囚われ、呼吸も忘れて想う
夢幻に浸りそれが現かさえ知れず
その優しさに抱かれる至福
ただそれだけでいい
その優しさに抱いてもらえるなら……
夢が覚め、不意に何かに気づく
あなたはもう去ったのかも知れないとざわめく
自分が変わり再び闇に包まれ分からなくなる
でも既にこの想いは燃え出してしまった
気付けば緋色に焦がれ焦がされて
後戻りさえ赦されず
でももしこれ以上踏み込めば
再び全てを失うかも知れない
行くも戻るもできなくなって
只おののいて立ち尽くす……
ああ、ならば神よ! あと一度だけでいい
せめてもう一度あの優しさを……
気付くと闇夜の海にただ独り舟の上
脱け殻となって漂う心に
無音の光の粒が降り始める
優しく寄り添うように 囁くが如く
そこに再び雲の隙間から一条の月光の粒が
ただ語るでもなく朧げに降り続く
ただそれを眺めるしかなくこの手をかざし
それでも降り続く癒しを受け続ければ
傷つく事を恐れ拒んだ心でさえ
いつの間にかその光に包まれてゆく
やがて闇夜を切り拓くように射し込めば
癒やされゆくほど気付いてしまう
結局この優しさに絆されて
誘われるしか無い掟めだと
それでいいと漸く分かった
出逢ってしまったその時から
逃れる事など出来なかったのだと
こんなに優しくされ人生が豊かに謳い出す
水面に照り返す月光の熱にうかされ
その煌めきに身を委ねて
世界が闇だらけだとしてもその小舟に乗って
光の照らす道へと進んでゆく
もうあの悲しみを恐れない
その聲を訊きながら共に進めるなら
この闇の向こう
どこまでも行けるから……
そして夜の帳は二人を載せた小舟を
やさしく闇に匿ってゆく……
: + ゜゜ +: 。 .。: + ゜ ゜゜
震える細い肩。―――その最後の響きの余韻が消える前から、百合愛は涙を流していた。
何故なら百合愛の中の曲想はまるで今の自分の境遇そのものを表している様に思えたから。
だからこそ激しい喜びの感情に襲われた。
――――その理由。
「私にも……見えた……月夜、海、水面の煌めき……深優人《みゆと》くんと同じように……」
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