心音重ねて

黒月禊

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対極で歪

【3】

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朝は最悪だった
どこか現実味がなくて
頭が働かない

俺は昨日………うぅ

嫌な思考を頭を振って払う
頭がシェイクされ記憶も感情もグチュグチャだ


リビングに行くと母が洗い物をしていた
「おはよう善人。珍しいわね朝ごはんに遅れるなんて、あら顔色悪いわね具合悪いの?」
皿の泡を流していた母がこちらを見て少し驚いた様子で
さっと泡を流し手を拭いてこちらに向かってこようとしていた

「大丈夫だよお母さん。少し寝不足なだけだと思う」

「そうなの?学校始まったばかりだから疲れちゃったのかしら。大丈夫ならいいですけど、ご飯食べれそう?」
食卓にはいつも自分が座る席の前に
目玉焼きとベーコン、サラダとパンとヨーグルト
それにコーヒー用のカップが置いてある

キッチンからも見えるテレビには朝のニュースが流れていて
今日の天気は曇りだと告げる
ニュースキャスターが大企業の社長のスキャンダルに笑みを浮かべながら語っていた
それに名前しか知らない芸人がよくわからないネタらしきものを話しテレビの中の人たちが愉快そうに笑っている

気持ち悪い


「善人?時間なくなっちゃうわよ。食べれそうなら食べてね」

「……うん。いただきます」
同じはずなのに重く感じる木の椅子を引いて座り
手を合わせ食事を始めた
いつもなら正面に座っていて同じく食事をする父がいるはずだが少し寝坊した俺とすれ違って先に出社したみたいだ
窓から見える空は灰色で
こんな空模様ではあの屋上で夕焼けを見ることは出来ないだろうなと思った
彼はこんな日でもあそこに行くのかな
日が出ていないから昨日より寒いかもしれない

「善人、善人ったら!大丈夫?パンだけ食べちゃって。おかわりする?」

考えに夢中でおかずに箸をつけずパンだけ齧っていたみたいだ
口の中が水分を吸われ苦しかった
冷めたコーヒーを流し込むいつもより苦味しか感じなかったが潤すことはできたみたいだ
「大丈夫だよ!」
残りを急いで胃に流し込む
その様子に訝しむ様子の母だったけど何も言わなかった
俺は少し咳き込みながら食べ終え咀嚼し、食器を母に手渡した
「ごちそうさまです」
きっと俺の胃に収まった朝食は浮かばれないな
なんて変な考えがよぎった
その時テレビから時報が鳴った
テレビを見てみると確かにギリギリの通学時間だ
「行ってきます!」
足元に置いた学生鞄をとり足早に玄関に向かった
「焦って走らないようにね!いってらっしゃい」
俺はふと思い出し踵を返し、リビングに戻った
母は何も言わず窺っている

テレビの前のテーブルに移動され鎮座しているカゴから目的の物を取り出した
「これ、持っていっていいかな?」

「え?あぁいいわよ。気に入ったの?」

俺は母の声を背に受けながら玄関に向かった
「行ってきます!」

重かった体が外に出た時は軽くなった気がした
やっぱり空は灰色だ

ポケットの中には飴玉が二つ入っている









「席つけー、出席確認するぞ。……今日は山田と田中、っと風切か。山田と田中は連絡があって風邪だそうだみんなも気をつけて生活するように」

風切くんは学校には来なかった
担任は欠席理由も話さない
その事に誰も気にしない
俺も昨日まではそうだった
隣の空席に寂しさを感じる
………


「委員長!」

ッ!
「なに?」

「あれ?なんか機嫌悪い感じ?」

「そんな事ないよ。ちょっと考えてただけだから気にしないで。何か用?」

「あっそう。今日の五時限目の課題研究手伝ってくんない?担当の山田休んじまったし一人じゃ終わらないんだよ。あとはレポートに入力して提出するだけだから頼むよ」

「あーわかったよ。計測値の入出力のグラフだよね昼休まみまでに終わらせようか」
内心とは全く違う事が勝手に出る口だ
時に便利だけど自分でも苛立つ
人に心配されるなんて、いやされてなんかいないな
していたら一週間の期間があった課題を当日に人任せにできないはずだ

「どうした?」

「いや、何でもないよ」
無感情で出来上がった笑みを携えて
俺は教科書を取り出す手元を見ながら言った
自分の薄っぺらさが今日は何故か腹に立つ








なんとか五時限目に間に合った
そのお陰で今日は休み時間がなく
良かったことは課題の手伝いに専念していたから
声をかけられても労せず断る事ができた





「いいんちょー!これどこだっけ?」

東が今日使った教材を抱えている

「それは第一物理室だよ。てかそれ俺も運ぶから」
急いで荷物を半分持つ

「おっ、サンキューわるいねいいんちょー」

「いやこれ運ぶの俺もだからね二人でって言われたよ」

「そだっけ?半分寝てたかもしんねーなはは」
学校の二階にある物理室に教材を運ぶ

「重かっただろ?よく運ぼうとしたね」

「んー?確かにやべーって思ったせんせーなりの重いお仕置きじゃね?なんて思ってたわー」
快活に笑っていう
これが本当の笑みだろうそんて思っ

「それなら誰かに頼んだりすればよかったのに」

「まーね。でもめんどーだし誰もやりたがらねーじゃん?なら俺だけでやったほうが楽っつーか」
なんて事ない風にいう
何というか東なら軽く近くの誰かを呼んで手伝わせそうなのに
飄々としているけど意外と色々と考えて過ごしているのかもしれないな
胸元のシャツの第二ボタンまで開けて襟を立たせている東も悩んだりするのか
偏見かな

「そもそもちゃんと聞いてれば二人作業だとわかってたはずなんだけど」

「なははそれいっちゃう?」
ニカっと笑う
何が楽しいのか笑顔で歩く東
そんな彼を見て俺も憂鬱な気持ちが晴れた気がした


放課後職員室に呼ばれ配布する紙をホッチキスで留める作業を頼まれてさらにそれを生徒会室に運びなぜか三十分も拘束されてから生徒会に勧誘された
これ以上仕事を増やされたくないのでずっとお茶を飲んでいた

校舎を出るとすっかり暗く、曇りだったから夜の光景になっていたあと少し時が経てば部活動の生徒も帰るだろうな
そういえば、部活紹介のイベントもまだだからまだ詳しくは知らないけど
高校では何の部活をしようか
中学の時はボランティア部とテニス部を掛け持ちしていた
なぜか部活加入届けに名前が書かれていた
書いた記憶はないんだけどな

街灯がつき道が照らされて明るくなる
静かな帰り道に落ち着く
何かしら放課後も声をかけられて用事があるからと
断るがしつこくてとても疲れた
そうだ家に帰る前に参考書と新刊の小説を買って帰ろう
少し気分が良くなり足が軽くなる
このまま真っ直ぐ歩けば自宅だけど手前の道を曲がって本屋のある駅前まで向かう



駅前は人が多い
反対側から向かってくる人々を避けて目的地へ向かう
こうやって大勢の中に混ざっているのに誰も知らない人で
集団の中に絶妙な距離間が安心感を感じさせた
一人なのに一人じゃないみたいな
自分を知ってる人間がいないだけで開放感がすごい
ほんのちょっぴりスキップしたりなんかして

目的地の本屋に着いた
昔からある本屋で駅裏にある
四年前に改装してから綺麗で気に入っている所だった
店内は静かでレジにいた壮年の店の人がいらっしゃいませと言ってレジの操作に戻ったのがうかがえる
入り口から入ってすぐに雑誌コーナーで春の散策シーズンパートfiveと表紙に書かれている本やメンズのファッション誌コーナーを通り過ぎて店内の真ん中にある小説の陳列棚へ向かった
….あった!
九龍先生の『彩光』シリーズの新刊!
一年ぶりの続編で楽しみにしていた
手に取り表紙を見る
青、赤、黄、緑、紫、白そして黒
水彩画のようなタッチで光が描かれていて
それに伸ばされた中性的な手が描かれている
内容も主人公が日常の中で自分の過去と現在そして未来について独特な表現と繊細な心理描写が特徴で読み手がそれぞれ感じ方が違い様々なファン層に定評がある
帰ったらゆっくり読もう
内心浮き立つ
そのあと店内を好きに見回ってみる
新刊コーナーの隣に人気ギャグラブコメコミックのアニメ化!と書かれた台に
東がロッカーを隠し本棚にリフォームされた棚に収納されていた漫画本が並んでいた
クラスのクールで美人な女子に一目惚れした主人公が
ライバルと暴走しながら周りを巻き込みトラブルに遭いながらもちょっぴりエッチで甘酸っぱい恋愛をしていくそんな話だと長々と語っていた
漫画はあれば読むが特に買って揃えるほどハマったことはない
お試しはこちらをどうぞ!と書かれた冊子を手に取り
何となくパラパラと捲る
初っ端からクールで美人設定の女の子がスカート捲りあげ主人公が転けて女の子の服を脱がし胸を掴んでいた
確かに思春期の子は好きそうだな
ギャグならありなのかな?恋愛小説もほとんど読んだこともないのでわからないけど俺だったらアクションがミステリーホラーの方が好みだな


「これさぁ突然スカート下ろされておっぱい掴まれてから恋に発展するなんて、ありえないよね。でもギャグならありなのかな定番物によくあることだし…理解に苦しむけどさ」


「需要があるから読者に人気なんじゃないかな」

あれ?誰と喋ったんだ
俺は横から聞こえた声に反射的に返答していて
その人物を確認した


風切くんだった


驚きすぎて声が出なかった
…か、風切くんとこんなところで会えるなんて
え?幻?

「真咲くん、奇遇だね」

「う、うん。奇遇だね!」
心臓がバクバクと動いているのがわかる
今日会うのは諦めていたので唐突な出来事に興奮した
風切くんは学生服の中に水色のパーカーを着ていた
今日は欠席のはずだったのに学生服を着ているんだな
艶のある黒髪がまつ毛に乗っている
店内の明かりで影ができていて肌の白さが際立つ
横から見る風切くんの瞳はガラス玉のようでまた愚かしくも魅入ってしまう

「意外」


「意外?」
意外って、…なにが?
本屋にいること?別に本屋くらい誰でも行くと思うけど

「こういったコミック読むんだなーって、この子がタイプ?」

タイプ?
俺は手に持った試読の本を見て思い出された
開いたページには女の子を床に押し倒しパンツ一丁にさせ
胸を揉んだ男女のページだった

!?!?


「ち、違う!違うから!!たまたま手に取ったらこのページだっただけだから!」
俺は素早く元にあった場所に戻し
手振り身振りで言い訳を述べる


「そうなの?ふーん。結構面白いよこれ」
風切くんはさっき置いた試読の本を手に取りパラパラと捲る
その指先が細く紙を握っている部分が圧でピンク色になっているのがなぜか気に留まった

「読んだことあるんだね。なんか意外だな」
声が震えないよう意識する
何でこんな緊張するんだろう俺

「知り合いの家にあったんだ。暇だったから読んでみた」
本をまた同じ場所に戻しこちらを真っ直ぐみて薄く笑いこっちを見る
つい目線を目から下に下げる
唇を見てしまい薄く桃色の唇が昨日のことを思い出させ
頬が熱くなる

「そうなんだ。あまりそういったの好みじゃなさそうって思った」

「色々読むよ?漫画も小説も。…それもね読んだよ」

「え?」
指差しされたものを見る
それは俺が脇に挟んでいた買うつもりの小説だった

「風切くんも『彩光』読んだことあるの?」
つい声が大きくなった
ちょっとした共通点に嬉しくなる
知り合いに本を読む人はいるけど
九龍先生の本を読んだことがある人は身近にはいなかった

「まぁね。主人公が過去と向き合うシーンは描写が残酷でそれでも親友が拒絶されても追いかけるところが良かったな。お前が何者でも俺が見てきたお前は変わらない。だから俺が知っているお前を見捨てたりしない…だっけ」

「そうそう!主人公が過去の記憶を取り戻すたびに不安定になって次第に周囲に壁を作るけど周りもそれぞれ悩んで答えを見つけ出し主人公と共に向き合うシーンだ。感動したよ!」

つい熱くなり風切くんの手を掴んで声を出す
風切くんは一瞬驚き目を大きく開いてよりガラス玉のような瞳を見せてくれた
風切くんの手は柔らかく冷たかった

「あ、ごめんね」
急いで手を離す
手汗かいてたかな恥ずかしい
風切くんは表情を戻しなんてことないような表情をしている

「大丈夫、レジ空いてるよ」

「あ、うん」
俺あって言い過ぎかな
確かにレジは空いていて先ほどいた店員さんは後ろの方で
段ボールを下ろしていた

「それじゃ、じゃあね」
俺の前を通って出口にスタスタと向かっていった
離れていってしまう




「…?」

咄嗟に駆け寄って腕を掴んでしまった
風切くんは顔だけこちらに向けている

「なに?」


えっと


「この後、俺とお茶しない?」


昔ながらのナンパセリフで定番みたいセリフが口から出ていた







そのあとなんと風切くんはこちらを見つめたまま頷き
じゃ外で待ってると言って出ていった
自分でした行為が処理しきれぬままレジに本を持っていって会計をしてもらった
本が無漂白の紙袋に包まれるのを黙って見ていた
壮年の店員さんが何か言っているがとりあえずはいと言って返事をしていた
すでに頭の中はこれからのことでいっぱいだった




お、おまたせ
なんて言って店の前の電柱に背を預けて待っていてくれた風切くんに足早に近づく

「ん。じゃ行こうか」

彼の後ろをついて歩く
俺より低い背の風切くんのつむじが見える
夜の街を二人で歩くなんて現実感がない
不思議な気持ちだ
嫌じゃない
むしろ嬉しいと思う

人通りが減り薄暗い夜道を歩く
さっきすれ違った手を繋いでいたカップルが最後だった
俺たちもそう見えたりなんて思ったりして
馬鹿馬鹿しいなでも繋いでないし恋人でもない
そもそも男同士だ
男同士で手を繋ぐなんて
そう思って前を歩く風切くんの白い手を見る
あの細い指に絡め柔らかい冷たい手の感触を思いだした

「着いたよ。ここでいい?」

「あ、うん。ここ?」

そこは細い道の先にあった喫茶店だった
黒い看板にチョークでcafe白雨と書かれている


ベルがついた扉を開けて入る
中はクラシックが流れていて間接照明が照らしていた
壁には本棚が設置されインテリアが置いてある
艶のある皮のソファの席とカウンター席がある
人を目で探すとカウンター内にシャツに黒いベストを着ている細身で若い男性がみつかった
「…いらっしゃいませ」

「奥の席いい?」

「ご自由にどうぞ」
店員さんは抑揚なく声を発した
クールだな
俺と目があって軽く頭を下げてくれた
俺も慌てて返す

「真咲くん座ろ」
着いてって奥のソファ席に座る
座り心地は良く暗めの店内に艶のあるソファがオシャレだった

「はいこれ」
メニューを手渡された
カウンター席にあったやつを勝手に取ってきたらしい
結構自由人なのかな
それはなんとなくわかる気がする

「ありがとう」
黒革のメニューを開く
定番メニューから店特有のアレンジメニューまである

「ここの珈琲人気だよ。軽食も人気、デザートも美味しいよ」

選んでる俺を見ながら教えてくれる
見つめられると緊張してしまう

「そうなんだ。じゃ本日のコーヒーとチーズケーキにしようかな」

「いいね。てか無難?ふふ」

つまらない男と思われたかな
もっと羽振りのいいものなんて選べばよかったかな
でも喫茶店でそんなのわからない
パフェとか?難易度が高いのが自分でもわかる

風切くんがアイコンタクトで店員さんを呼ぶ
慣れてるのかな

静かにやってきた店員さんは俺たちの前に氷の入った水を置いてくれた

「ご注文はお決まりですか?」

「本日のコーヒーとチーズケーキ、僕はカプチーノにタルトタタンね。お客さん連れてきたから安くしてよ」

「ご注文は本日のコーヒーのブレンドコーヒーとチーズケーキ、カプチーノにタルトタタンですね。サボり魔に値引きするものはないよ。そちらのお客さんにはコーヒーゼリーのサービスしますね」

風切くんには無表情でいう
風切くんは不服そうな顔をした
初めて見る表情だった
そのあと俺を見て優しく微笑んでくれた
俺はお礼を言って会釈した
何故か居心地が悪かった





「でさ、なんでお茶誘ったの?」

そりゃそうだよね
前日に少し話しただけのクラスメイトに誘われたんだ不安にも思うか….
「えっ、あぁ風切くん彩光シリーズ読んだって知ってさ。もっと話せたらって思って、学校で話せなかったし」

というか学校にすら来ていなかったけど

「そういう事ね。知り合いの人の家の本棚にあって、表紙が綺麗だったから読んでみた感じ」

「表紙のイラスト綺麗だよね!その人は本好きなんだな。俺以外に読んでいる人知ったの初めてだったよ」

「水彩画みたいなのにタッチが独特で光のように見えたり水に見えたり影に見えたりするから凄いね。俺はそれが好き」

「うん!原画集も買ったけど本当に素敵だった」

「そんなのあるんだ。へー」

「興味あるなら今度持ってこようか?」

「え」

あ、馴れ馴れしかったかな

「ご、ごめんね風切くんに馴れ馴れしかったかな」

「ふふ、そんな事ないよ。興味ある見てみたい。別に君付けしなくてもいいけど」

「そう!なら持ってくるよ学校に、都合合う時に見てほしいな。で、でもいいの?名前」

急に距離が近くなったりして慌てる
嬉しいけど慣れない

「うん、そうする。透って呼んでもいいよ?」

「えっ!?」

シー…

ごめん!

大きい声を出してしまった
小声で謝る
「騒ぐと怒られるんだ。口うるさいから気をつけないとね、善人」

名前!

「ほら、透って呼んでよ。嫌?」

「嫌じゃない!と、透…くん」

名前を改めて下の名で呼び合うなんて別に変なことでもないのに
気恥ずかしいけど嬉しい

「うん。善人っていい名前だね」

「そうかな?」

「善い人と書いて善人。シンプルでわかりやすくていいんじゃない?善人って漢字に悪い要素ないでしょ」

「それはそうだけど。安直かなって少し思うよ。と、透って名前もとても似合ってていいと思う」

「透明の透だからね」



どういう事だろうその通りだけど何かが引っかかる


「お待たせしました」

気配を感じさせずに頼んだものを配膳してくれたみたいだ
見つめあって下の名前を呼び合うなんて恥ずかしい所を見られたかもしれない
「ごゆっくり」
一礼して下がっていった

俺は目線を下げて頼んだものに口をつけた
青いコーヒーカップから芳しい珈琲の香りがした
とてもいい香りだった
家で眠気覚ましに飲むコーヒーと違って苦味だけではなく奥深さと酸味そして芳醇な香りが混ざって美味しかった


「美味しそうに飲むね。ケーキも美味しいよ」

そう言われたのでデザートスプーンでベリーソースが添えられたチーズケーキを一口食べてみた
濃厚なチーズにバニラの香りそして酸味と甘さが程よくとても美味しい!
そのままコーヒーを含み合わせ相乗効果でさらに美味しかった

「そんなに気に入ってくれた?」

風切くんもタルトタタンを器用に切り分け咀嚼している

器の違うカップに並々と注がれたカプチーノの泡が飲み口の部分だけへこんでいる



「ん」

目の前に一口分のケーキが差し出された

「………なに?」

「食べたいんでしょ?そんなに見つめて」

「いいの?」
そういうつもりで見つめているつもりはなかったんだけどな

「いいからあげてるんだよ。腕疲れるあーん」

それはいけない
「頂きます」
これって、間接キ……いやその思考はやめとく
口の中に冷たい食器の感触とケーキの食感を感じた
甘く煮込まれたリンゴのわずかなシャリっとした食感と甘酸っぱい味がタルト生地に合って美味しい

「ん……美味しい。ありがとう。あの、これ食べる?」
お返しとして俺も一口チーズケーキを切り分け差し出す
風切くんはあーんと言って口に含んだ
唇についたカケラを舌で舐めとる様子がいやらしく見えた
いけないいけない



店内で流れる曲が変わったのか
クラシックからジャズ調の曲になった
キッチンで何かを煮込んでいるのか煮沸する音がする
外から隔絶された空間に
俺らは食事をしながら会話が弾んでいた










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