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第一部(幼少編)
4話 兄に土下座をいたしまして2
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ここに私の味方はいない。
なぜなら、以前の小蝶は、側室から生まれた兄弟姉妹達は蔑み、気にかけてくれた乳母も、諫めてくれた側仕えの侍女も、我儘を言って辞めさせてしまったから。
おろおろと室外で見守っている野次馬の大人たちは、きっと、我儘で扱いづらい姫よりも、大事な嫡男の兄の味方をするだろう。
たったひとり味方になってくれていた少女は、謂れのない叱責で傷つけてしまった。
私は、自分で自分の退路を断ったのだ。
兄がこんなに怒るのは、私が以前に口汚く罵ったから。
(兄ではなく私を見て欲しかったから。)
兄がこんな行動に出たのは、私が以前に同じように兄の髪をひっぱたことがあったから。
(母や侍女の誰かに、誰でもいいからかまって欲しかったから。)
ここで、私がやり返してはダメだ。
自分ひとりでなにもできないくせに、ただわめくのは要領が悪すぎるよ、小蝶。
墨の染み込んだ空気を、思い切り吸い込んで肺に入れる。
目の前にあった畳の等間隔な筋が、ぐんにゃりと歪んだような気がした。
「私は、悪口を言われても罵られても仕方ありません。悪いのは私です!だから、知りもしないで、鈴加を悪く言わないでください!鈴加は……鈴加は本当にいい子で、っ……う、うええ~~~~ん……」
頼れる人が誰もいないというのは、9歳児のメンタルにはかなりキツかったらしい。
涙が畳に沁みないように顔を上げると、ギョッとした兄の顔があった。
「な、泣くのは卑怯だぞ。父上に言いつけても、悪いのはお前なんだからな!」
明らかに狼狽しながら、兄達は部屋を出て行ってしまった。見守っていた侍女や先生方も、それに続く。
どうやら、小蝶は人前で大泣きするのは初めてだったらしい。
9歳なんだしもっと泣く機会もあってよかっただろうに。我儘を通すために虚勢を張って、強がって
我慢していたのだろう。
おかげで、一度あふれた水分が止まらない。
「姫様、こちらを」
鈴加が手拭いを渡してくれる。
これ、さっき墨汁拭いたやつだから、ちょっとくさいし、こんなので拭いたら顔が黒くなるってば。鈴加も相当あわててるな。
「うっ……ひっ、ごめんなさいすずか、私のせいで、嫌な思いさせて……」
「い、いいえ」
ぽこぽこ出てくる涙の粒を、鼻水と一緒にすすり上げてみる。鼻が痛い。
鈴加はやはり目を丸くしていて、無表情な中にもおろおろしているのが見てわかった。
障子や襖に隠れるようにして残っていた女中達も、いつもと違う喧嘩の結末に、明らかに落ち着かない。
受け取った手拭いの綺麗なところを選んでずびび、と鼻をかむ。ようやく呼吸が落ち着いてきた。
「あのね、鈴加。さっきはああ言ったけど、本当に嫌なら私の側係を代わってくれてかまわないのよ?私、もう着がえも髪も自分で結えるわ。一人でちゃんと起きれるし……」
「姫様……。ですから、今朝はご自分で準備をなさったんですね」
え?いや、そんな意味はなかったけど……まあ身支度くらいはひとりでできる。前世の記憶持ちだもん。前世、社会人だもん。
もう鈴加にも他の皆にも、私のせいで嫌な思いをさせたくない。
怯えた顔や泣きそうな目を向けられるのは、もう嫌だ。
「今までごめんなさい。私、あなたや父上の気を引きたかっただけなの」
鈴加達に我儘や意地悪をしていたのは、父の気を引きたかったから。
母や兄をわざと怒らせていたのは、母に、兄ではなく私を見てほしかったから。
全部裏目に出て、城の中で孤立してしまった小さな女の子は、それでずっともがいて、暴れてた。
あ、そっか。思い出した。
「私ね、頭を打って寝てた時に、夢を見たの」
「夢、ですか?」
「そう。手を伸ばす夢。私、ずっと誰かに助けてほしかったの。助けてほしくて、手を伸ばしてた。……そっか、きっとあれは私自身だったのね」
「姫様……ですか?」
「うん」
夢を見た。誰かが炎の中で手を伸ばす夢。
女性か男性か、大人か子供かも覚えていなかったけれど、あれは、変わりたいと願った小蝶自身だったのかもしれない。
だから、前世の記憶を思い出した。
自分自身を変えるために、私はここに来た。
「私、兄上達にもう負けない。勉強も運動も、ぜったい負かしてやる。いじわるはしないで、正々堂々と。もう、二度とあなたを悪く言わせない!」
さっきから驚くことばかりだったのか、鈴加はその黒目がちな目を澄ませて、私を見ていた。
瞳の中の光がくるんと回って、私を映す。
結んでいた唇が解けてふわりと笑みの形に綻んだ。
私は、彼女が笑った顔を、9年一緒にいてこのとき初めて見た。
「ありがとうございます、小蝶様」
あまりの綺麗さに、また目の端から水粒がぽろんと落ちた。
鈴加は、こんなに素敵な顔で笑う娘だったのだ。
「私の家族が、ごめんね」
「いいえ。さすがは、蝮と渾名されるだけあります」
……?マムシ?って蛇?なんだそりゃ。
私たちもしかして外でそんな風に呼ばれてるの?嫌すぎ。
「それに、先ほどは良く堪えられました。墨をかけられたのに……」
「あ、着物!汚しちゃったわ。畳に染みていない?」
「大丈夫ですよ。墨は米粒で落とせますし」
「え!?お米で落ちるの?すごい!やりかた教えて!」
それから、鈴加が止めるのも聞かずその場で汚れた着物を脱いで洗濯処へ持っていき、女中達に交じって着物を洗った。
顛末を聞いた洗濯係のおばさま方に目を丸くされたが、着物は米粒で本当にきれいになった。
もし前世に戻ることがあったなら、ライフハックとして皆に伝えたい。
それにしても、スルーしてしまった「マムシ」というあだ名を、もう少し真面目にとらえてほしかったものだが、鈴加の友好度がマイナスからプラス1くらいになったと思われるので、良しとすることにする。
なぜなら、以前の小蝶は、側室から生まれた兄弟姉妹達は蔑み、気にかけてくれた乳母も、諫めてくれた側仕えの侍女も、我儘を言って辞めさせてしまったから。
おろおろと室外で見守っている野次馬の大人たちは、きっと、我儘で扱いづらい姫よりも、大事な嫡男の兄の味方をするだろう。
たったひとり味方になってくれていた少女は、謂れのない叱責で傷つけてしまった。
私は、自分で自分の退路を断ったのだ。
兄がこんなに怒るのは、私が以前に口汚く罵ったから。
(兄ではなく私を見て欲しかったから。)
兄がこんな行動に出たのは、私が以前に同じように兄の髪をひっぱたことがあったから。
(母や侍女の誰かに、誰でもいいからかまって欲しかったから。)
ここで、私がやり返してはダメだ。
自分ひとりでなにもできないくせに、ただわめくのは要領が悪すぎるよ、小蝶。
墨の染み込んだ空気を、思い切り吸い込んで肺に入れる。
目の前にあった畳の等間隔な筋が、ぐんにゃりと歪んだような気がした。
「私は、悪口を言われても罵られても仕方ありません。悪いのは私です!だから、知りもしないで、鈴加を悪く言わないでください!鈴加は……鈴加は本当にいい子で、っ……う、うええ~~~~ん……」
頼れる人が誰もいないというのは、9歳児のメンタルにはかなりキツかったらしい。
涙が畳に沁みないように顔を上げると、ギョッとした兄の顔があった。
「な、泣くのは卑怯だぞ。父上に言いつけても、悪いのはお前なんだからな!」
明らかに狼狽しながら、兄達は部屋を出て行ってしまった。見守っていた侍女や先生方も、それに続く。
どうやら、小蝶は人前で大泣きするのは初めてだったらしい。
9歳なんだしもっと泣く機会もあってよかっただろうに。我儘を通すために虚勢を張って、強がって
我慢していたのだろう。
おかげで、一度あふれた水分が止まらない。
「姫様、こちらを」
鈴加が手拭いを渡してくれる。
これ、さっき墨汁拭いたやつだから、ちょっとくさいし、こんなので拭いたら顔が黒くなるってば。鈴加も相当あわててるな。
「うっ……ひっ、ごめんなさいすずか、私のせいで、嫌な思いさせて……」
「い、いいえ」
ぽこぽこ出てくる涙の粒を、鼻水と一緒にすすり上げてみる。鼻が痛い。
鈴加はやはり目を丸くしていて、無表情な中にもおろおろしているのが見てわかった。
障子や襖に隠れるようにして残っていた女中達も、いつもと違う喧嘩の結末に、明らかに落ち着かない。
受け取った手拭いの綺麗なところを選んでずびび、と鼻をかむ。ようやく呼吸が落ち着いてきた。
「あのね、鈴加。さっきはああ言ったけど、本当に嫌なら私の側係を代わってくれてかまわないのよ?私、もう着がえも髪も自分で結えるわ。一人でちゃんと起きれるし……」
「姫様……。ですから、今朝はご自分で準備をなさったんですね」
え?いや、そんな意味はなかったけど……まあ身支度くらいはひとりでできる。前世の記憶持ちだもん。前世、社会人だもん。
もう鈴加にも他の皆にも、私のせいで嫌な思いをさせたくない。
怯えた顔や泣きそうな目を向けられるのは、もう嫌だ。
「今までごめんなさい。私、あなたや父上の気を引きたかっただけなの」
鈴加達に我儘や意地悪をしていたのは、父の気を引きたかったから。
母や兄をわざと怒らせていたのは、母に、兄ではなく私を見てほしかったから。
全部裏目に出て、城の中で孤立してしまった小さな女の子は、それでずっともがいて、暴れてた。
あ、そっか。思い出した。
「私ね、頭を打って寝てた時に、夢を見たの」
「夢、ですか?」
「そう。手を伸ばす夢。私、ずっと誰かに助けてほしかったの。助けてほしくて、手を伸ばしてた。……そっか、きっとあれは私自身だったのね」
「姫様……ですか?」
「うん」
夢を見た。誰かが炎の中で手を伸ばす夢。
女性か男性か、大人か子供かも覚えていなかったけれど、あれは、変わりたいと願った小蝶自身だったのかもしれない。
だから、前世の記憶を思い出した。
自分自身を変えるために、私はここに来た。
「私、兄上達にもう負けない。勉強も運動も、ぜったい負かしてやる。いじわるはしないで、正々堂々と。もう、二度とあなたを悪く言わせない!」
さっきから驚くことばかりだったのか、鈴加はその黒目がちな目を澄ませて、私を見ていた。
瞳の中の光がくるんと回って、私を映す。
結んでいた唇が解けてふわりと笑みの形に綻んだ。
私は、彼女が笑った顔を、9年一緒にいてこのとき初めて見た。
「ありがとうございます、小蝶様」
あまりの綺麗さに、また目の端から水粒がぽろんと落ちた。
鈴加は、こんなに素敵な顔で笑う娘だったのだ。
「私の家族が、ごめんね」
「いいえ。さすがは、蝮と渾名されるだけあります」
……?マムシ?って蛇?なんだそりゃ。
私たちもしかして外でそんな風に呼ばれてるの?嫌すぎ。
「それに、先ほどは良く堪えられました。墨をかけられたのに……」
「あ、着物!汚しちゃったわ。畳に染みていない?」
「大丈夫ですよ。墨は米粒で落とせますし」
「え!?お米で落ちるの?すごい!やりかた教えて!」
それから、鈴加が止めるのも聞かずその場で汚れた着物を脱いで洗濯処へ持っていき、女中達に交じって着物を洗った。
顛末を聞いた洗濯係のおばさま方に目を丸くされたが、着物は米粒で本当にきれいになった。
もし前世に戻ることがあったなら、ライフハックとして皆に伝えたい。
それにしても、スルーしてしまった「マムシ」というあだ名を、もう少し真面目にとらえてほしかったものだが、鈴加の友好度がマイナスからプラス1くらいになったと思われるので、良しとすることにする。
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