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第3章 消失メモリーと挑戦状
第16話 今は、泣いてもいいんじゃない?
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俺が指さすと、里見さんの表情が驚愕に染まる。
「わ、私ですのん? 私は犯人じゃないですのん!」
また語尾が変わっている……いや、もうツッコむのはよそう。
「まず一番怪しいのは里見さんだ。鍵を開けたとき、誰もいなければ犯行は可能だったんだからな」
「そ、そんな! 梶原部長だって同じことが言えるですのん! 私が部室を退室した後で犯行に及んだかもしれないですのん! 私はトイレに行って約十五分もいなかったですのんよ? それだけの時間があれば、梶原部長にも犯行は可能ですのん!」
「仮に『十五分』もあればの話だけどな」
「え? そ、それってどういう……」
「たしかに実際、十五分間、梶原部長は部室に一人でいた。でも、それは偶然だ。里見さんは『トイレに行く』と言って退室したんだよな? だとしたら、梶原先輩はせいぜい五分後には里見さんが戻ってくると思っただろう。五分という時間でデータを消し、写真を破り、脅迫文を用意する……里見さんが帰ってくる前に全部できるか? どれだけ甘く見積もっても、俺は無理だと思うね」
「で、できるかもしれないですのん!」
「里美さんは共有PCの電源を入れていない。つまり、PCの電源を入れるところからスタートするんだぞ? 本当に五分でできるか?」
「あっ……で、でも! 私はやってないですのん!」
「そうだな。里見さんは無実だ」
そう告げたとき、里見さんはほっと胸をなでおろした。
「う、疑われていると思ったですのん……」
「ごめん、先に無実だって言ってから推理すればよかったね。どうして無実だと思ったのか、今から説明するよ」
そもそもだな、と推理を続ける。
「里見さんは昨日のインタビューの件を知らないんだ。それなのに、今回の事件を引き起こせると思う?」
「……実は知っていた、とか?」
綾が鋭い意見を横から放り投げてきた。
「その可能性は限りなく低い。何故なら心愛が『部長にしか言っていない』と発言している。しかも、言ったのは昨日の夕方以降だ。里見さんがインタビューの件を知っているとすれば、心愛と梶原先輩の会話を偶然盗み聞きしていたってことだぞ?」
「でも、可能性はゼロではないわよね?」
「どうかな。彼女は昨日、歯医者に行ったじゃないか。学校にはいないぞ?」
「治療後、学校に戻ったかもしれないわ」
深く追求してくる綾。どうやら彼女は里見さんを疑っているようだ。
「その可能性もない。里見さん、歯医者の領収書を貸してくれない?」
「は、はいですのん」
里見さんは先ほどの領収書を俺に手渡した。
「見ろよ綾。領収書に会計した時間が記載されている。時間は十七時十分だ」
「私たちがインタビューを終えて帰った少し後ね」
「それにこの医院の住所を見てみろ。学校の最寄り駅から五駅も離れているぞ? 会計後に病院から学校に戻ったら、電車の来る時間によっては十八時くらいになるかもな。取材を終えた心愛は部室に『直行した』と証言していることから、その時間にはすでに部室で作業中のはず。とっくに梶原先輩とは別れているだろう。時間的に、里見さんが心愛たちの会話を盗み聞き、今回の事件を知っているとは思えない」
「それもそうね……里見さん。疑ってごめんなさい」
「うう、心臓に悪いですのん。早く犯人を教えてほしいですのん……」
里見さんは泣きそうな顔をしてそう言ったが、突然何かに気づいたらしく、手をぽんと叩いた。
「部長はインタビューの件を知っていた……それなら、消去法で犯人は部長ですのん?」
「さっきの推理を聞いていただろ? 普通に考えて、五分しか時間がないのに、犯行に踏み切ろうとは思わないはずだ」
「私が来る前に、実はもう部室にいたって仮説はどうですのん?」
「ないね。大輔が鍵を管理する先生の話をしてくれただろ? 昨日、心愛が施錠したのち、部室に一番乗りだったのは里見さんだ」
「じゃあ、犯人は誰なんですのん?」
「言っただろ? 新聞部の部員の誰かだって。梶原部長と里見さんじゃない以上、彼女しかいない」
俺は犯人を指さした。
「心愛。お前がやったんだろ」
「え? ちょ、ちょっと待ってくださいっす。うちが犯人なわけないじゃないっすか。まさか自作自演だって言いたいんすか?」
心愛は「冗談きついっす。あり得ないっすよ」と手を振って否定した。
「お前こそ、冗談きついぞ。観念しろよ」
「消去法でうちが犯人って、そんなの納得できるわけないじゃないっすか。人を疑うのなら、根拠を示してくださいっす」
普段は礼儀正しい心愛だが、容疑をかけられた今は語気が強まり、不快感をあらわにしていた。
「根拠なら消去法以外にあるよ。たとえば、写真。これさ、見事に全部破られていたよ」
「……だからなんすか?」
「心愛はこの写真を机に出してすぐに『全部破れている』って言ったよな? ろくに確認もしてないのに、どうして全部の写真が破れているって断言できたんだ?」
「あのときは、うちも怖くてテンパっていたんすよ。言い間違いくらい、誰にでもあるっすよね?」
「あくまでシラを切るのか……まぁいい。じゃあ次。お前の行動で不自然な点がある」
「なんすか?」
「インタビューの編集の件さ。お前、どうして自分のPCじゃなくて、共有PCで作業していたんだ?」
「別によくないっすか?」
「普通、編集するのは自分のPCを使うんじゃないのか? 少なくとも、梶原先輩の証言を聞く限り、先輩は普段、自分のPCで作業するそうだが……聞いたほうが早いか。ねぇ梶原先輩。普段、心愛は映像や新聞記事を編集するとき、共有PCを使うんですか?」
尋ねると、梶原先輩はしばらく考え、やがて首を左右に振った。
「いや、いつも自分のPCを使っていたはず。そ、そう言われてみれば変だ……」
「だ、そうだ。心愛。何か反論は?」
「……そんなの気分っすよ。うちがどのPCを使おうが勝手っす」
「いーや、気分なんかじゃない。必然だよ。心愛が犯人だと仮定すると、辻褄が合うのさ」
「辻褄? どういうことっすか?」
「お前のPCでこの事件と同じ犯行を再現しようとすれば、犯人はすぐにお前だってバレる。何故か。それはPCに設定されているパスワードを解除できるのは本人――つまり、心愛しかいないからだ」
「そ、それは……」
「部員なら誰でも使える共有PCで編集することで、容疑を他の部員に仕向ける狙いがあった……だから心愛は共有PCを使ったんだろ?」
「な、何言ってるんすか? というか、それも証拠じゃないっすよね? うちを犯人にしたいなら、決定的な証拠を突きつけてほしいっす!」
心愛の口調がとうとう荒くなる。証拠を出せだなんて、いかにも追い詰められた犯人が言いそうなセリフだ。
「頼む。もう認めてくれよ、心愛」
認めてくれないと、俺は。
「――でないと、お前の秘密まで話さないといけなくなるだろ」
「秘密……?」
心愛の眉がひくひくと動く。
この反応……やはりビンゴだったか。
俺は一枚の半分に裂かれた写真を拾い上げ、心愛に見せた。
「写真だよ。お前、この写真を見たから犯行を――」
「それはだめぇ!」
怒声が響くと同時に、心愛が俺に飛びかかる。体当たりされた衝撃で、俺は写真を手放してしまった。
ひらひらと舞う一枚の写真は、綾の足下に落ちた。綾は写真を拾うと、驚いたように目を見開いた。
「これ、大輔くんがインタビューを受けている写真……彼の背後の窓に里中さんが映っているけど、まさか……!」
「綾も気づいたか。ああ、そうだ。きっと心愛は恋をしていた」
写真の中で笑う、楽しそうな里中。
その裂かれた写真には写っていないけど……本来、彼女の隣にはあの人がいた。
「心愛。お前、笠原先生のことが好きなんだろ?」
最初、心愛は梶原先輩のことが好きなのかと思っていたが、そうではなかった。静香が心愛の理想の彼氏像として挙げた人物こそ、心愛の想い人だったのだ。
心愛は力なく笑った。
「……あはは。すごい推理っすね。たしかにうちは部室に来る前に『笠原先生みたいな人が同年代にいたら恋しちゃうかも』と言いましたっす。いいっすよ。仮にうちが先生に恋心を抱いているとするっす。でも、それがどうして今回の事件に繋がるんすかね?」
「笠原先生を守りたかった……そうだろ?」
「……何でもお見通しなんすね。ははっ。もう降参するっす」
心愛は自嘲気味にそう言って、肩をすくめた。
「あの、全然話が見えないんだけど……」
静香が俺と心愛の顔を交互に見た。
「いいか、静香。もしもこの写真やインタビューが、文化祭で流れたらどうなると思う?」
「里中さんと笠原先生の会話している場面が流れるってことは……あっ、そうか!」
静香と同様に、みんなも同じように真実を悟ったのだろう。新聞部部員は呆気にとられたのか目を丸くしていて、軽音楽部部員は目を伏せていた。
「おそらく、事件の真相はこうだ。心愛は昨日、インタビューの編集中に里中と笠原先生が仲良く話している映像を見つける……が、それ以上に大変なことに気づいたんだ」
その大変なことのヒントは、この写真の中にある。
俺たちが最初に里中たちを見たとき、こう思った――里中は飯田くんと別れて、笠原先生と付き合っているのかと。
「この写真、もしくは映像が流れて、笠原先生が里中と付き合っているという噂が広まれば、笠原先生はもうこの学校にはいられなくなる。生徒と教師が交際することは、一般的に認められないからだ。心愛は笠原先生が学校を去るのが嫌で、データを消去したんだ。でも、データを消去しただけでは不十分だった……何故なら、俺たちにデータを消去した理由を説明できないから」
せっかく証拠を隠滅したのに、この爆弾ニュースを自ら他人に広める愚行はしないだろう。だから、心愛は俺たちにデータを消去した理由を隠して、事件をでっち上げたんだ。
「データを消去した理由は俺たちに説明できない。だったら、誰かがデータを消去したことにしよう……心愛はそう思ったんだ。具体的に言えば、軽音楽部に恨みのあるヤツの犯行に見せかけたのさ。写真を現像して引き裂いたのも、脅迫文を用意したのも、俺たちに偽りの犯人像を植えつけるフェイクだ。共有PCにデータがあるように見せかけたのも、他の部員に罪を着せるためのギミック」
そして、心愛はさらに容疑を向けようとした。
「なぁ心愛。あえて早朝を指定したのは、早朝一番に来る人物――里見さんに罪を被せようとしたからだろ?」
最初から面倒くさいと思っていたんだ……どうして早朝に映像データを見る必要がある?
もしも犯人が心愛だとすれば、早朝一番に来る里見さんに罪を着せる意味があると解釈できる。早朝ならば、犯行時間は極端に絞られるうえに、アリバイのない人物――つまり早朝、一人で作業する里見さんが疑われると思ったんだ。
「結果的にアリバイのない人物が二人になってしまったが、心愛の作戦は概ね成功した。失敗だったのは、真実をねじ曲げて軽音楽部に喧嘩を売り、この俺を敵に回したことだな……心愛。これが真実だ」
推理を終えた俺は、心愛の言葉は待った。時間的には数秒だったが、重たい沈黙はその何倍にも感じられた。
しばらくして、心愛は口を開いた。
「あーあ。完璧だと思ったのになぁ……上手くいかないものっすね。あはは」
「嘘ですのん!」
心愛の乾いた笑いをかき消す声。里見さんは目に涙をためて怒鳴った。
「心愛先輩。今の話、嘘って言ってほしいですのん!」
「蘭子ちゃん……後輩に罪を着せるような、最低な先輩でごめんっす……!」
心愛は今にも泣きそうな顔で、里見さんに謝罪した。
「……笠原先生はいつも優しくて。うちが苦手な古文の補習に、とことん付き合ってくれて。たぶん、給料もでないのに、放課後も付き合ってくれて。いろいろ話すうちに、気づいたら好きになっていたっす」
「そう、だったのか……」
気の利いた言葉が浮かばず、俺は相づちを打って話を聞いた。
「気持ちなんて伝えられなくて。だって、生徒と先生っすからね。この恋は実らない恋……自分にそう言い聞かせていたんすけど、でも、やっぱり無理でした」
心愛の頬を一すじの涙が伝う。滑り落ちたその涙は、彼女の足下に小さな水滴を作った。
「あきらめられなくて、ずっと胸が苦しかったっす。そんな日々がだらっと続いていたんすけど……うちは昨日、里中さんと笠原先生が楽しそうに会話しているのを、映像の編集中に見つけてしまったっす……失恋したと同時に、やばいって思ったっす。この映像を流して変な噂が立てば、笠原先生がいなくなっちゃう……そう思ったら、心臓が張り裂けそうでしたっす」
失恋したにも関わらず、先生をかばいたいと思う気持ち……俺には心愛の複雑な乙女心はわからない。
でも、これだけは……真実だけは伝えたい。
「心愛。それはお前の勘違いなんだ。里中と笠原先生は別に付き合っているわけじゃ――」
「しょうがなかったんすよッ!」
俺の声を遮る悲鳴。心愛は誰に言うでもなく、濡れた瞳で虚空を睨みつけた。
「みんなに迷惑をかけることはわかっていたっす! この計画を思いついた瞬間、罪悪感で死にそうでしたっす! トイレで吐くほど気分が悪くなったっすよ! でも……それ以上に、先生がいなくなることが嫌で! だけどもう、先生の隣にはいられなくて! 実らない恋なのに、どうして自分は先生のために頑張っているんだろうって思って! ぐるぐると思考はめぐるけど、答えなんて出なくて! 気づけば、現像した写真を破って、脅迫状を書いていたっす……しょうがなかったんすよ! 頭の中、先生のことでいっぱいなんすもん! 大好きなんすもん! 好きな人のこと考えると、わけわかんなくなるじゃないっすか! だから――」
「もういいッ!」
綾が心愛の声を奪うように強く抱きしめた。
「もういいの、心愛さん。辛かったわね」
「好きなんすよぅ……どうしたらいいか、わかんないんすよぅ……」
綾は泣きじゃくる心愛の頭を優しく撫でた。
本当は俺が伝えるつもりだったけど……ここは綾に任せた方がよさそうだ。乙女心は俺にはわからないし、綾の言葉のほうが、俺の言葉よりもずっと響く。だって、綾はうちのボーカル――言葉に想いを込めるスペシャリストなのだから。
「泣き虫な心愛さんに、少しだけ元気の出ることを教えてあげる」
「……元気の出ることってなんすか?」
「笠原先生ね、里中さんと付き合っているわけじゃないの」
「えっ……ど、どういうことっすか? 映像だと、すごく仲良さそうにじゃれ合って……」
「あの二人、従妹同士だそうよ。だから、付き合う理由がないわ」
「従妹……じゃ、じゃあ……」
「ええ、そうよ。心愛さんの、その気持ちはね。自分を見失ってわけわかんなくなるくらい、純粋な恋心はね。まだ大事に抱きしめていてもいいんじゃない?」
「で、でもっ、生徒と先生の関係なんて認められるわけ――」
「他人に認められるかどうかで、恋する相手を選んじゃだめ。傷つかないで誰かを好きになろうだなんて、そんな薄っぺらい気持ちで恋してないでしょ? 好きなら本気でぶつかりなさい。それでもだめだったとき、初めて失恋するんでしょ? つまり、心愛さんはまだ失恋していない。だから、あきらめる必要はないの」
「綾、さん……」
「でも、どうしようもなく辛いときだってあると思う。そういうときは、弱音を吐いてもいいんじゃないかしら。本当に辛いときだけ、自分の弱さを忘れるように言い訳して、子どもみたいに涙を流す……そういう逃げ道を用意するの。頑張りすぎている自分が、パンクしちゃわないようにね」
だから、と綾は心愛の顔を自分の中に埋めた。
「今は、泣いてもいいんじゃない?」
「う、あっ……ぁぁぁぁっ!」
まるで迷子の子どものような幼い泣き声だった。心愛は泣いた。今はただ何も考えずに、わけがわからなくなるまで溜め込んだ想いを、涙とともに洗い流すように。
好きって気持ちは、想うだけでは届かない。それはときに、言葉にしても伝わらないこともある。
でも、きっと心愛はその気持ちを想い人に届けるだろう。
あの涙は想いの証。叶わぬ恋だとしても、大好きな人を必死に守ろうとした心愛が、簡単にあきらめるわけがない。またどこかで涙を流しても、心愛はきっと想いを届ける。その頃にはきっと、強くて誠実な人になっていると思うから。
ふと綾と目が合うと、彼女はぱちっとウインクを寄こした。心愛は私に任せろという合図だろう。
壁にかかった時計を見る。もうそろそろチャイムが鳴る頃だ。
「さて……俺たちはHRに行こうか」
綾と心愛を残して、俺たちは教室を出た。
◆
放課後の練習を終え、俺たちは家路を歩いている。
大輔と静香とは一つ前の交差点で別れ、今は綾と二人きり。練習で疲れた足を引きずりながら、緩やかな坂を下っている。
ここは坂の上だから、遠くまで見通せる。この街をオレンジ色に染めている夕焼けがまぶしい。すごく綺麗だ。
「そういえば、心愛はもう大丈夫そうか?」
隣を歩く綾に尋ねる。「ひとまずはね。泣いてスッキリしたって。でも、みんなにお詫びしたいって言ってたわよ」と返され、おもわず苦笑する。やっぱり根は真面目なヤツだな。もう誰も気にしてないだろうけど、軽音楽部に脅迫状を出したことを、新聞部の仲間には犯人に仕向けたことを、それぞれ謝りたいのかもしれない。
「まぁ元気になってくれたならよかった」
「あら、心配しているのね? 優しいじゃない。見直したわ」
「は、はぁ? 俺は別に……これで安心してライブができるから安心したんだよ」
「ふふっ、照れているの? 可愛いところもあるのね。ただの推理オタクかと思っていたわ。そうでなければ……音楽ばか?」
「うっせ。俺はロックンローラーなの! 推理オタクでも馬鹿でもねぇんだよ!」
抗議すると、「はいはい」と綾が笑う。なんだその顔は。「大丈夫、照れ隠ししなくても、私は全部わかっているから」みたいな顔をするんじゃない。
「ちっ……お礼を言おうと思ったのに。言うのやめようかな」
「え? 私にお礼?」
「ああ。今朝、心愛を助けてくれた件だよ。乙女心なんてわからない俺じゃあ、推理するだけで、心愛に何もしてあげられなかったよ。ただ心愛が喚いているのを眺めていただけだと思う……その、綾がいてくれて心強かった。ありがとな」
頬がかあっと熱くなる。
ああ、もう。あらためって礼を言うのって、なんか恥ずかしいんだよな。
「え、あ、うん……どういたしまして」
綾は顔を赤くしたのち、そっぽを向いた。よく見ると、耳まで赤い。いやお前も照れるのかよ。恥ずかしいから、何か言ってくれよ。
どうしようかと逡巡していると、先に綾が話題を振った。
「そ、そうだ! お礼してよ。言葉じゃなくてさ」
図々しいお願いだなと思ったが、この微妙な空気の中、二人並んで帰るよりかはマシだ。ひとまず俺はその話題に乗っかることにした。
「お礼って何すればいいんだ? なんか嫌な予感がするんだけど……」
尋ねると、綾は俺の前に立ち、くるっと振り返った。長い黒髪が遠心力で弧を描くように宙を舞う。
「喫茶店へ行きましょうよ。私の家の近くに新しくできたの。もちろん、貴志くんの奢りでね」
悪戯っぽく笑う綾。夕陽を背に笑うその姿は、漫画のヒロインみたいだった。
「……貴志くん? どうかしたの?」
「へ? あ、いや、いいよ」
見惚れていた、なんて言えない。俺は慌てて首肯する。
「やった! ふふっ、それじゃあ行きましょう?」
「はぁ……言っておくが、そんなに金ないからな?」
「シフォンケーキにカフェラテ、それから……」
「おい! 話を聞けよ!」
くそ。今日は綾に振り回されっぱなしだ。なんかムカつくわ。
今月の俺の財布事情がいかに寂しいのかを綾に熱弁しつつ、俺たちは喫茶店に向かった。
「わ、私ですのん? 私は犯人じゃないですのん!」
また語尾が変わっている……いや、もうツッコむのはよそう。
「まず一番怪しいのは里見さんだ。鍵を開けたとき、誰もいなければ犯行は可能だったんだからな」
「そ、そんな! 梶原部長だって同じことが言えるですのん! 私が部室を退室した後で犯行に及んだかもしれないですのん! 私はトイレに行って約十五分もいなかったですのんよ? それだけの時間があれば、梶原部長にも犯行は可能ですのん!」
「仮に『十五分』もあればの話だけどな」
「え? そ、それってどういう……」
「たしかに実際、十五分間、梶原部長は部室に一人でいた。でも、それは偶然だ。里見さんは『トイレに行く』と言って退室したんだよな? だとしたら、梶原先輩はせいぜい五分後には里見さんが戻ってくると思っただろう。五分という時間でデータを消し、写真を破り、脅迫文を用意する……里見さんが帰ってくる前に全部できるか? どれだけ甘く見積もっても、俺は無理だと思うね」
「で、できるかもしれないですのん!」
「里美さんは共有PCの電源を入れていない。つまり、PCの電源を入れるところからスタートするんだぞ? 本当に五分でできるか?」
「あっ……で、でも! 私はやってないですのん!」
「そうだな。里見さんは無実だ」
そう告げたとき、里見さんはほっと胸をなでおろした。
「う、疑われていると思ったですのん……」
「ごめん、先に無実だって言ってから推理すればよかったね。どうして無実だと思ったのか、今から説明するよ」
そもそもだな、と推理を続ける。
「里見さんは昨日のインタビューの件を知らないんだ。それなのに、今回の事件を引き起こせると思う?」
「……実は知っていた、とか?」
綾が鋭い意見を横から放り投げてきた。
「その可能性は限りなく低い。何故なら心愛が『部長にしか言っていない』と発言している。しかも、言ったのは昨日の夕方以降だ。里見さんがインタビューの件を知っているとすれば、心愛と梶原先輩の会話を偶然盗み聞きしていたってことだぞ?」
「でも、可能性はゼロではないわよね?」
「どうかな。彼女は昨日、歯医者に行ったじゃないか。学校にはいないぞ?」
「治療後、学校に戻ったかもしれないわ」
深く追求してくる綾。どうやら彼女は里見さんを疑っているようだ。
「その可能性もない。里見さん、歯医者の領収書を貸してくれない?」
「は、はいですのん」
里見さんは先ほどの領収書を俺に手渡した。
「見ろよ綾。領収書に会計した時間が記載されている。時間は十七時十分だ」
「私たちがインタビューを終えて帰った少し後ね」
「それにこの医院の住所を見てみろ。学校の最寄り駅から五駅も離れているぞ? 会計後に病院から学校に戻ったら、電車の来る時間によっては十八時くらいになるかもな。取材を終えた心愛は部室に『直行した』と証言していることから、その時間にはすでに部室で作業中のはず。とっくに梶原先輩とは別れているだろう。時間的に、里見さんが心愛たちの会話を盗み聞き、今回の事件を知っているとは思えない」
「それもそうね……里見さん。疑ってごめんなさい」
「うう、心臓に悪いですのん。早く犯人を教えてほしいですのん……」
里見さんは泣きそうな顔をしてそう言ったが、突然何かに気づいたらしく、手をぽんと叩いた。
「部長はインタビューの件を知っていた……それなら、消去法で犯人は部長ですのん?」
「さっきの推理を聞いていただろ? 普通に考えて、五分しか時間がないのに、犯行に踏み切ろうとは思わないはずだ」
「私が来る前に、実はもう部室にいたって仮説はどうですのん?」
「ないね。大輔が鍵を管理する先生の話をしてくれただろ? 昨日、心愛が施錠したのち、部室に一番乗りだったのは里見さんだ」
「じゃあ、犯人は誰なんですのん?」
「言っただろ? 新聞部の部員の誰かだって。梶原部長と里見さんじゃない以上、彼女しかいない」
俺は犯人を指さした。
「心愛。お前がやったんだろ」
「え? ちょ、ちょっと待ってくださいっす。うちが犯人なわけないじゃないっすか。まさか自作自演だって言いたいんすか?」
心愛は「冗談きついっす。あり得ないっすよ」と手を振って否定した。
「お前こそ、冗談きついぞ。観念しろよ」
「消去法でうちが犯人って、そんなの納得できるわけないじゃないっすか。人を疑うのなら、根拠を示してくださいっす」
普段は礼儀正しい心愛だが、容疑をかけられた今は語気が強まり、不快感をあらわにしていた。
「根拠なら消去法以外にあるよ。たとえば、写真。これさ、見事に全部破られていたよ」
「……だからなんすか?」
「心愛はこの写真を机に出してすぐに『全部破れている』って言ったよな? ろくに確認もしてないのに、どうして全部の写真が破れているって断言できたんだ?」
「あのときは、うちも怖くてテンパっていたんすよ。言い間違いくらい、誰にでもあるっすよね?」
「あくまでシラを切るのか……まぁいい。じゃあ次。お前の行動で不自然な点がある」
「なんすか?」
「インタビューの編集の件さ。お前、どうして自分のPCじゃなくて、共有PCで作業していたんだ?」
「別によくないっすか?」
「普通、編集するのは自分のPCを使うんじゃないのか? 少なくとも、梶原先輩の証言を聞く限り、先輩は普段、自分のPCで作業するそうだが……聞いたほうが早いか。ねぇ梶原先輩。普段、心愛は映像や新聞記事を編集するとき、共有PCを使うんですか?」
尋ねると、梶原先輩はしばらく考え、やがて首を左右に振った。
「いや、いつも自分のPCを使っていたはず。そ、そう言われてみれば変だ……」
「だ、そうだ。心愛。何か反論は?」
「……そんなの気分っすよ。うちがどのPCを使おうが勝手っす」
「いーや、気分なんかじゃない。必然だよ。心愛が犯人だと仮定すると、辻褄が合うのさ」
「辻褄? どういうことっすか?」
「お前のPCでこの事件と同じ犯行を再現しようとすれば、犯人はすぐにお前だってバレる。何故か。それはPCに設定されているパスワードを解除できるのは本人――つまり、心愛しかいないからだ」
「そ、それは……」
「部員なら誰でも使える共有PCで編集することで、容疑を他の部員に仕向ける狙いがあった……だから心愛は共有PCを使ったんだろ?」
「な、何言ってるんすか? というか、それも証拠じゃないっすよね? うちを犯人にしたいなら、決定的な証拠を突きつけてほしいっす!」
心愛の口調がとうとう荒くなる。証拠を出せだなんて、いかにも追い詰められた犯人が言いそうなセリフだ。
「頼む。もう認めてくれよ、心愛」
認めてくれないと、俺は。
「――でないと、お前の秘密まで話さないといけなくなるだろ」
「秘密……?」
心愛の眉がひくひくと動く。
この反応……やはりビンゴだったか。
俺は一枚の半分に裂かれた写真を拾い上げ、心愛に見せた。
「写真だよ。お前、この写真を見たから犯行を――」
「それはだめぇ!」
怒声が響くと同時に、心愛が俺に飛びかかる。体当たりされた衝撃で、俺は写真を手放してしまった。
ひらひらと舞う一枚の写真は、綾の足下に落ちた。綾は写真を拾うと、驚いたように目を見開いた。
「これ、大輔くんがインタビューを受けている写真……彼の背後の窓に里中さんが映っているけど、まさか……!」
「綾も気づいたか。ああ、そうだ。きっと心愛は恋をしていた」
写真の中で笑う、楽しそうな里中。
その裂かれた写真には写っていないけど……本来、彼女の隣にはあの人がいた。
「心愛。お前、笠原先生のことが好きなんだろ?」
最初、心愛は梶原先輩のことが好きなのかと思っていたが、そうではなかった。静香が心愛の理想の彼氏像として挙げた人物こそ、心愛の想い人だったのだ。
心愛は力なく笑った。
「……あはは。すごい推理っすね。たしかにうちは部室に来る前に『笠原先生みたいな人が同年代にいたら恋しちゃうかも』と言いましたっす。いいっすよ。仮にうちが先生に恋心を抱いているとするっす。でも、それがどうして今回の事件に繋がるんすかね?」
「笠原先生を守りたかった……そうだろ?」
「……何でもお見通しなんすね。ははっ。もう降参するっす」
心愛は自嘲気味にそう言って、肩をすくめた。
「あの、全然話が見えないんだけど……」
静香が俺と心愛の顔を交互に見た。
「いいか、静香。もしもこの写真やインタビューが、文化祭で流れたらどうなると思う?」
「里中さんと笠原先生の会話している場面が流れるってことは……あっ、そうか!」
静香と同様に、みんなも同じように真実を悟ったのだろう。新聞部部員は呆気にとられたのか目を丸くしていて、軽音楽部部員は目を伏せていた。
「おそらく、事件の真相はこうだ。心愛は昨日、インタビューの編集中に里中と笠原先生が仲良く話している映像を見つける……が、それ以上に大変なことに気づいたんだ」
その大変なことのヒントは、この写真の中にある。
俺たちが最初に里中たちを見たとき、こう思った――里中は飯田くんと別れて、笠原先生と付き合っているのかと。
「この写真、もしくは映像が流れて、笠原先生が里中と付き合っているという噂が広まれば、笠原先生はもうこの学校にはいられなくなる。生徒と教師が交際することは、一般的に認められないからだ。心愛は笠原先生が学校を去るのが嫌で、データを消去したんだ。でも、データを消去しただけでは不十分だった……何故なら、俺たちにデータを消去した理由を説明できないから」
せっかく証拠を隠滅したのに、この爆弾ニュースを自ら他人に広める愚行はしないだろう。だから、心愛は俺たちにデータを消去した理由を隠して、事件をでっち上げたんだ。
「データを消去した理由は俺たちに説明できない。だったら、誰かがデータを消去したことにしよう……心愛はそう思ったんだ。具体的に言えば、軽音楽部に恨みのあるヤツの犯行に見せかけたのさ。写真を現像して引き裂いたのも、脅迫文を用意したのも、俺たちに偽りの犯人像を植えつけるフェイクだ。共有PCにデータがあるように見せかけたのも、他の部員に罪を着せるためのギミック」
そして、心愛はさらに容疑を向けようとした。
「なぁ心愛。あえて早朝を指定したのは、早朝一番に来る人物――里見さんに罪を被せようとしたからだろ?」
最初から面倒くさいと思っていたんだ……どうして早朝に映像データを見る必要がある?
もしも犯人が心愛だとすれば、早朝一番に来る里見さんに罪を着せる意味があると解釈できる。早朝ならば、犯行時間は極端に絞られるうえに、アリバイのない人物――つまり早朝、一人で作業する里見さんが疑われると思ったんだ。
「結果的にアリバイのない人物が二人になってしまったが、心愛の作戦は概ね成功した。失敗だったのは、真実をねじ曲げて軽音楽部に喧嘩を売り、この俺を敵に回したことだな……心愛。これが真実だ」
推理を終えた俺は、心愛の言葉は待った。時間的には数秒だったが、重たい沈黙はその何倍にも感じられた。
しばらくして、心愛は口を開いた。
「あーあ。完璧だと思ったのになぁ……上手くいかないものっすね。あはは」
「嘘ですのん!」
心愛の乾いた笑いをかき消す声。里見さんは目に涙をためて怒鳴った。
「心愛先輩。今の話、嘘って言ってほしいですのん!」
「蘭子ちゃん……後輩に罪を着せるような、最低な先輩でごめんっす……!」
心愛は今にも泣きそうな顔で、里見さんに謝罪した。
「……笠原先生はいつも優しくて。うちが苦手な古文の補習に、とことん付き合ってくれて。たぶん、給料もでないのに、放課後も付き合ってくれて。いろいろ話すうちに、気づいたら好きになっていたっす」
「そう、だったのか……」
気の利いた言葉が浮かばず、俺は相づちを打って話を聞いた。
「気持ちなんて伝えられなくて。だって、生徒と先生っすからね。この恋は実らない恋……自分にそう言い聞かせていたんすけど、でも、やっぱり無理でした」
心愛の頬を一すじの涙が伝う。滑り落ちたその涙は、彼女の足下に小さな水滴を作った。
「あきらめられなくて、ずっと胸が苦しかったっす。そんな日々がだらっと続いていたんすけど……うちは昨日、里中さんと笠原先生が楽しそうに会話しているのを、映像の編集中に見つけてしまったっす……失恋したと同時に、やばいって思ったっす。この映像を流して変な噂が立てば、笠原先生がいなくなっちゃう……そう思ったら、心臓が張り裂けそうでしたっす」
失恋したにも関わらず、先生をかばいたいと思う気持ち……俺には心愛の複雑な乙女心はわからない。
でも、これだけは……真実だけは伝えたい。
「心愛。それはお前の勘違いなんだ。里中と笠原先生は別に付き合っているわけじゃ――」
「しょうがなかったんすよッ!」
俺の声を遮る悲鳴。心愛は誰に言うでもなく、濡れた瞳で虚空を睨みつけた。
「みんなに迷惑をかけることはわかっていたっす! この計画を思いついた瞬間、罪悪感で死にそうでしたっす! トイレで吐くほど気分が悪くなったっすよ! でも……それ以上に、先生がいなくなることが嫌で! だけどもう、先生の隣にはいられなくて! 実らない恋なのに、どうして自分は先生のために頑張っているんだろうって思って! ぐるぐると思考はめぐるけど、答えなんて出なくて! 気づけば、現像した写真を破って、脅迫状を書いていたっす……しょうがなかったんすよ! 頭の中、先生のことでいっぱいなんすもん! 大好きなんすもん! 好きな人のこと考えると、わけわかんなくなるじゃないっすか! だから――」
「もういいッ!」
綾が心愛の声を奪うように強く抱きしめた。
「もういいの、心愛さん。辛かったわね」
「好きなんすよぅ……どうしたらいいか、わかんないんすよぅ……」
綾は泣きじゃくる心愛の頭を優しく撫でた。
本当は俺が伝えるつもりだったけど……ここは綾に任せた方がよさそうだ。乙女心は俺にはわからないし、綾の言葉のほうが、俺の言葉よりもずっと響く。だって、綾はうちのボーカル――言葉に想いを込めるスペシャリストなのだから。
「泣き虫な心愛さんに、少しだけ元気の出ることを教えてあげる」
「……元気の出ることってなんすか?」
「笠原先生ね、里中さんと付き合っているわけじゃないの」
「えっ……ど、どういうことっすか? 映像だと、すごく仲良さそうにじゃれ合って……」
「あの二人、従妹同士だそうよ。だから、付き合う理由がないわ」
「従妹……じゃ、じゃあ……」
「ええ、そうよ。心愛さんの、その気持ちはね。自分を見失ってわけわかんなくなるくらい、純粋な恋心はね。まだ大事に抱きしめていてもいいんじゃない?」
「で、でもっ、生徒と先生の関係なんて認められるわけ――」
「他人に認められるかどうかで、恋する相手を選んじゃだめ。傷つかないで誰かを好きになろうだなんて、そんな薄っぺらい気持ちで恋してないでしょ? 好きなら本気でぶつかりなさい。それでもだめだったとき、初めて失恋するんでしょ? つまり、心愛さんはまだ失恋していない。だから、あきらめる必要はないの」
「綾、さん……」
「でも、どうしようもなく辛いときだってあると思う。そういうときは、弱音を吐いてもいいんじゃないかしら。本当に辛いときだけ、自分の弱さを忘れるように言い訳して、子どもみたいに涙を流す……そういう逃げ道を用意するの。頑張りすぎている自分が、パンクしちゃわないようにね」
だから、と綾は心愛の顔を自分の中に埋めた。
「今は、泣いてもいいんじゃない?」
「う、あっ……ぁぁぁぁっ!」
まるで迷子の子どものような幼い泣き声だった。心愛は泣いた。今はただ何も考えずに、わけがわからなくなるまで溜め込んだ想いを、涙とともに洗い流すように。
好きって気持ちは、想うだけでは届かない。それはときに、言葉にしても伝わらないこともある。
でも、きっと心愛はその気持ちを想い人に届けるだろう。
あの涙は想いの証。叶わぬ恋だとしても、大好きな人を必死に守ろうとした心愛が、簡単にあきらめるわけがない。またどこかで涙を流しても、心愛はきっと想いを届ける。その頃にはきっと、強くて誠実な人になっていると思うから。
ふと綾と目が合うと、彼女はぱちっとウインクを寄こした。心愛は私に任せろという合図だろう。
壁にかかった時計を見る。もうそろそろチャイムが鳴る頃だ。
「さて……俺たちはHRに行こうか」
綾と心愛を残して、俺たちは教室を出た。
◆
放課後の練習を終え、俺たちは家路を歩いている。
大輔と静香とは一つ前の交差点で別れ、今は綾と二人きり。練習で疲れた足を引きずりながら、緩やかな坂を下っている。
ここは坂の上だから、遠くまで見通せる。この街をオレンジ色に染めている夕焼けがまぶしい。すごく綺麗だ。
「そういえば、心愛はもう大丈夫そうか?」
隣を歩く綾に尋ねる。「ひとまずはね。泣いてスッキリしたって。でも、みんなにお詫びしたいって言ってたわよ」と返され、おもわず苦笑する。やっぱり根は真面目なヤツだな。もう誰も気にしてないだろうけど、軽音楽部に脅迫状を出したことを、新聞部の仲間には犯人に仕向けたことを、それぞれ謝りたいのかもしれない。
「まぁ元気になってくれたならよかった」
「あら、心配しているのね? 優しいじゃない。見直したわ」
「は、はぁ? 俺は別に……これで安心してライブができるから安心したんだよ」
「ふふっ、照れているの? 可愛いところもあるのね。ただの推理オタクかと思っていたわ。そうでなければ……音楽ばか?」
「うっせ。俺はロックンローラーなの! 推理オタクでも馬鹿でもねぇんだよ!」
抗議すると、「はいはい」と綾が笑う。なんだその顔は。「大丈夫、照れ隠ししなくても、私は全部わかっているから」みたいな顔をするんじゃない。
「ちっ……お礼を言おうと思ったのに。言うのやめようかな」
「え? 私にお礼?」
「ああ。今朝、心愛を助けてくれた件だよ。乙女心なんてわからない俺じゃあ、推理するだけで、心愛に何もしてあげられなかったよ。ただ心愛が喚いているのを眺めていただけだと思う……その、綾がいてくれて心強かった。ありがとな」
頬がかあっと熱くなる。
ああ、もう。あらためって礼を言うのって、なんか恥ずかしいんだよな。
「え、あ、うん……どういたしまして」
綾は顔を赤くしたのち、そっぽを向いた。よく見ると、耳まで赤い。いやお前も照れるのかよ。恥ずかしいから、何か言ってくれよ。
どうしようかと逡巡していると、先に綾が話題を振った。
「そ、そうだ! お礼してよ。言葉じゃなくてさ」
図々しいお願いだなと思ったが、この微妙な空気の中、二人並んで帰るよりかはマシだ。ひとまず俺はその話題に乗っかることにした。
「お礼って何すればいいんだ? なんか嫌な予感がするんだけど……」
尋ねると、綾は俺の前に立ち、くるっと振り返った。長い黒髪が遠心力で弧を描くように宙を舞う。
「喫茶店へ行きましょうよ。私の家の近くに新しくできたの。もちろん、貴志くんの奢りでね」
悪戯っぽく笑う綾。夕陽を背に笑うその姿は、漫画のヒロインみたいだった。
「……貴志くん? どうかしたの?」
「へ? あ、いや、いいよ」
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「やった! ふふっ、それじゃあ行きましょう?」
「はぁ……言っておくが、そんなに金ないからな?」
「シフォンケーキにカフェラテ、それから……」
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