二人で癒す孤独

路地裏乃猫

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 五日ぶりに見る屋敷は、気のせいか、もう何年も足を向けていないかのように健吾には感じられた。
 玄関で靴を脱ぎ捨て、敦が眠っているという部屋へまっすぐに向かう。敦の部屋は西棟二階の、その北側の先端――コの字で言えば下の横棒の左端に当たる。
 そこは、屋敷のほかの部屋が襖や引き戸で仕切られる中、唯一、洋式のドアで区切る造りになっている。もともとそういう造りだったのか、それとも、後で改装したのかは分からないが、特殊であることは確かだ。
 そのドアの前に、健吾の声を聞きつけて迎えに出たらしい新藤が、剥製のようにひっそりと立っていた。
「敦は!?」
 健吾の問いに、新藤は痛ましげな顔をそっと俯けた。
「はい……相変わらず、目を覚まされるご様子はなく……」
「どけ!」
 その肩を脇にどけると、健吾はノックの間も惜しむように勢いよくドアを開いた。
「敦ぃッッ!」
 そこにいたのは。
 ベッド脇の椅子に腰を下ろす白衣姿の医者と、そして――
「……敦」
 ベッドの中で、人形のように静かに横たわる敦だった。
「い……いつ……」
「五日前。田沢さまがここを出て行かれた直後でございます」
 答えたのは、健吾に続いて部屋に入ってきた新藤だった。気のせいか、その声色には責めるような色が滲んでいる。
 医者の肩越しに、病床の敦をそっと覗き込む。首筋に残る帯状の青痣が、ただでさえ白い肌の上でひどく禍々しい印象を与える。
 が――だとしても何故。
 むしろ厄介者が消えてせいせいしたのではなかったのか? 健吾さえ消えれば、あとは、より穏やかで従順な〝代わり〟を見つけて自分を慰めさせることも可能だったはずだ――いや、是非そうすべきだった。少なくとも首を縊るよりは良かった。
「な、何でだよ……そもそも何で、こいつは……」
「わかりません。……と、申しますよりは、私のような者に、敦さまのお気持ちを安易にお察しすることはかないません。……しかし、」
 そこで新藤は、ぐっと言葉を区切った。
「田沢さまの存在がなくなった途端、敦さまが首を縊られた。それだけは事実です」
「それは……偶々、俺が出て行った後に首を縊ったってェだけで……」
「いいえ。偶然などではございません」
「……」
 ぴしゃり撥ねつけるような新藤の言葉に、健吾は返す言葉をなくしてしまう。事実はどうあれ、その点について新藤が揺るぎない確信を抱いていることは確からしかった。
「田沢さま」
 不意に新藤は健吾に向き直ると、深々と、健吾に向かって頭を下げた。
「どうか、もう一度敦さまを……わたくしどもの旦那さまをお救いください。どうか……どうか、お願いいたします」
 そして医者と、後から入ってきた次郎をさりげなく促しながら、滑るような足取りで部屋を出て行った。
 そして部屋には、健吾と、いまだ目覚める様子のない敦の二人だけが残された。
 が、いざ二人きりにされたところで、健吾にはかける言葉がない。
 哀しかったのか。苦しかったのか。愛する人を喪って寂しかったのか。だから、その後を追ったのか――が、そのどれもが今の健吾にはそぐわない。
 ただの慰めなど口にしたくない。そんなものは健吾の言葉ではない。
 では……何と声をかければ。
 否。どうすれば声を届けられる?
「なに……考えてんだよ」
 結局、口をついて出たのはそんな言葉だった。
「おいてめぇ! なに勝手に死のうとしてんだよ! てめぇが死んだら、ここにいる爺さんや次郎はどうなっちまうんだ、えぇ!? あんなにテメェのこと想ってくれてる連中を残して、なに勝手に死のうとしてんだ馬鹿野郎!」
 大股でベッドに歩み寄り、浴衣の胸倉を掴む。ほとんど力任せに引き起こすと、その躰を乱暴に揺さぶった。――が、抜け殻のような敦の躰が虚しく揺れるばかりで、結局、敦の瞼が開く気配は微塵も見えなかった。
「おい、何とか言えよ敦ッッ!」
 ベッドに馬乗りになり、さらに激しく胸倉を揺する。それでも、端整な敦の顔は文字通り蝋人形のようにぴくりともしなかった。
 伝わらないのか。俺の声は……
「……おい、頼むよ」
 その細い背中に腕を回し、強く、強く抱き寄せる。
「いい加減、目ぇ覚ましてくれよ馬鹿野郎……なんで……死に急ごうとするんだよ……どうせ、人間なんてみんないつか死んじまうんだ……だったら……もう少し、ゆっくりしていってもいいだろ……死に急ぐんじゃねぇよ……」
 腕の中で息づく命が愛おしかった。ぬくもりが、僅かに感じられる心臓の鼓動が愛おしく、その分だけ哀しみが健吾の胸に募った。
「……そんなに寂しけりゃよ……俺が、一緒に生きてやるからよ……」 
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