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46 愛されたいんだ

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「――っ!?」
 弾かれたようにウェリナの上体が俺から剥がれる。手で口元を押さえながら、驚愕の顔でじっと俺を見下ろす白皙の美貌。その見開いた双眸からは、まさか、なんて心の声が聞こえてきそうだ。まさか、この流れで舌を噛むか、と。
 やがてその顔が、そういう効果みたいにじんわりと滲んできて、俺は、自分が泣いていることに気づく。視界を濡らすのは、さっきの生理的なそれとは異質な、胸の底からじんわり染み出すかのような涙。
「……アル?」
 手を口元から俺の目尻に移し、指先でそっと涙を拭いながらウェリナは囁く。その手つきの優しささえ、今の俺には痛みにしかならくて、やるせなさと哀しさに俺はまた流したくもない涙を流す。
「違うんだ。俺は――」
 言葉はしかし、自覚したばかりの感情によって阻まれる。
 ここで事実を明かせば、俺は、この世界で唯一のよすがを失ってしまう。ただでさえ味方らしい味方のいない敵地で、これまでどうにかやってこられたのは、ひとえに、こいつの助力のおかげだ。だからせめてこいつぐらいは味方としてキープしておきたくて――いや違うな、それは、理由の一つではあってもメインじゃない。
 俺はきっと、こいつに愛されていたいんだ。
 少なくとも現状、こいつはアルカディアを演じる俺を愛してくれている。俺が今の演技を続けるかぎり、こいつは……いや、だから、それは嫌だと思い知ったばかりだろう。演技を続ける限り、俺の苦しみは終わらない。むしろ、時間が経つたびにもっと、もっと苦しくなって――
 じゃあ、潔くこの熱を手放せばいいのか?
 嫌だ、と、またしても俺の心は叫ぶ。嫌だ。嫌なんだ。だとしても俺は、こいつに愛されていたい。イケメンのくせに残念で、冷静に見えてその実なかなかの暴走列車で、その気になれば勝ちまくりモテまくりなのに何故かアルカディア一筋で。
 俺に嫉妬させようと頑張って空回りしたり。俺を傷つけたくてわざと露悪的な言葉を使ったり。
 泣きそうな顔で怯えながら、それでも俺を求めてきたり。
 そういう全部が、多分、俺は愛おしくてたまらないんだろう。
 だが、そうした感情も俺がアルカディアを辞めたら意味を失ってしまう。こいつが求めているのは、あくまでもアルカディアの愛なんだから。俺のじゃない。
 だけど。
 それでも俺は、望んでいる。望んでしまう。このピーキーな馬鹿イケメンに、俺は、あくまでも俺として愛されたいんだと――
「――俺は、実は、」
 瞬間。
 窓の外で、何かがパンと鋭く弾ける。それが音ではなく光だと、一瞬遅れて脳ミソが認識する。花火に似た鮮烈な輝き。ただそれは、刹那に消える花火とは違い、膨大な光量を維持しながら輝き続ける。まるで……そう、夜に突然太陽が落ちてきたかのような。
「何だ!?」
 さすがのウェリナも振り返り、俺から離れてベッドを下りる。そのまま奴は急ぎ着衣を整えながらテラスに飛び出すと、乗り出すように手すりから庭を見下ろす。火は、早くも庭の木々を呑みはじめていて、ベッドで状況を見守っていた俺もさすがにヤバいと本能で悟る。その間もますますデカくなる炎。暗いはずの夜空は眩い光に侵され、もはや昼と遜色がない。まずい。このままじゃ輻射熱で屋敷にも火が移るぞ!
 やがてウェリナの目が、庭のある一点を射貫いて止まる。早くも炎に包まれた庭木をバックに、険しい顔で一点を睨むウェリナはやっぱ絵になるなぁと非常事態にもかかわらず俺は思う。
「ど……どうした、ウェリナ」
 俺もまたベッドを下り、着衣を整えつつウェリナを追う(つーか、めちゃくちゃケツが痛ぇんだが)。するとウェリナは、なおも庭を凝視したまま「君はここにいろ」とだけ言い残し、テラスを飛び出す。そう、文字通り飛び出したのだった。ひらり、なんて表現が似合う軽々とした挙動で、気づくともう奴の身体は手すりの向こうにあった。ここは階数としては二階だが、フロアごとの天井が高いため、前世の感覚で言えば三階ぐらいの高さがある。
「ウェリナ!?」
 てっきりそのまま重力に負けるのだと思われた。異世界とはいえ物理法則は健在。その、残酷な万有引力によって地面に叩きつけられ――そんな俺の想像は、しかし、一瞬で裏切られる。自由落下にしては明らかに緩慢な速度で、ふんわりと庭に降り立つウェリナ。その長身を、一瞬、竜巻のようなものがゴウと包むのを俺は確かに見た。彼の若草色の髪が淡く輝くのも。
 そういえば昼間、カサンドラが力を発動させたときも、その髪は燃えるように輝いていた。おそらく五侯の人間は、精霊の加護を受けるさい、あのように髪が輝く仕様らしい。にしても……昼間見たカサンドラの力も凄かったが、ウェリナもウェリナで……なんつーか、やっぱすごいな、異世界。
 って、感心してる場合じゃねえ! 不本意な形ではあったが、この屋敷にはそれなりに世話になったんだ。俺も……俺なりにできることを。などと庭を見回す俺の目がふと捉える既視感。庭の中央で、巨大なガスバーナーよろしく轟然と燃えるそれは、明らかに人間の身体――それも生きた。
 やはり……そうなるのか。
 昼間の俺に対する無関心はあくまでも演技で、本当はこの、夜の襲撃を成功させるためのブラフ、布石だった……と、そういうことなのか。
 なぁ、カサンドラさんよ。
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