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秘密

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 二、三日もすると、キッペーはレイの一番のお気に入りになっていた。
 当時、筋金入りの飛行機少年だったレイは、相手を選ばず飛行機の話をする面倒くさい奴だと学校の連中に嫌われていた。それはレイ自身もよく自覚していて、かといって飛行機以外の、たとえばみんなが好きな野球だとかガールフレンドの話はちっとも面白くなく、そんなものに付き合わされるぐらいならと、一人で飛行機の本を紐解いていることの方が多かった。さもなければ、腐れ縁同然の近所の悪ガキに請われて近場のグループを荒らしに行くか。
 そんなレイにとって、どんな話でも喜んでつき合ってくれるキッペーは、まさにお誂え向きの相棒といえた。
 学校から帰ると、二人はそのままレイかキッペーの部屋に直行し、一緒に飛行機関連の本を広げた。そうして、どちらかの家の窓から夕飯の呼び声がかかるまで(マカベ一家の部屋はレイの家の隣にあって、窓越しにもすぐに声が届いた)この飛行機がカッコイイだの強いだのと益体もないことを語り合った。
 ある日レイは、キッペーに特別な宝物を見せてやった。
 それは、レイが写真を見ながら半年かけて作り上げた渾身の飛行機模型で、案の定、キッペーは目を輝かせてこれを眺めまわした。
「すごい……これ、本当に一人で作ったの?」
「まぁな」
 本当は父にもずいぶん手伝ってもらったのだけど、キッペーの手前そんなことはおくびにも出せないレイは、素知らぬ顔で鼻を高くした。と――
「じゃあさ、作り方を教えてよ」
「……は?」
 思いがけない反応にレイは焦った。最初は、てっきり自分を試すためにそんなことを言っているのだと疑いさえした。が、キッペーの黒い眸はわくわくと何かを期待するようにレイを見つめていて、そうでなくても、キッペーがそういう意地悪のできない人間だということをレイはここ数日の付き合いで身に沁みて分かっていた。
 だが、期待されたところで、単純な組み立てや、皺を作らず紙を貼りつけるコツぐらいなら教えてやれるが、パーツの削り出しともなるとほとんどお手上げだ。
 困ったレイは、仕方なく模型作りの本を棚から取り出すと、それをキッペーの手に押しつけた。
「俺に訊くよりも、多分、本を見た方が分かりやすいぜ。うん」
 拍子抜けというようなキッペーの顔を見るのが何となく後ろめたくて、その日は、本を押しつけてさっさと家に帰した。
 それから一か月後。
 細かい作業の嫌いなレイが早々に模型作りに飽きてしまい、また本のこともすっかり忘れてしまった頃、キッペーが、見せたいものがあると言ってレイを部屋に招いた。
 行ってみてレイは驚いた。彼の部屋の机に、レイが作ったものより数段立派な複葉式の飛行機模型が堂々と羽根を休めていたからだ。
 大きさは、レイが作ったものとさほど変わらない。ただ、パーツごとの細かな造り込みや仕上げの丁寧さにかけては、とてもじゃないがレイのそれとは較べようもなかった。
「これ……誰が作ったんだ?」
 どうせパパにでも頼んだんだろうと思って問えば、
「僕だよ」
「は? でも、さすがに一人ってわけじゃ……」
「一人だよ。どうして?」
 いとも素直に答えるキッペーに、レイは、なぜかひどく自尊心を傷つけられた気がした。
 どうして。飛行機のことなら俺の方がうんと詳しいのに。それに、憧れだって俺の方がずっと強いんだ。なのに、飛行機のことを何も知らないお前が、どうして……
 だから、つい、こんな意地悪を言いたくなった。
「飛行機って言うぐらいだからさ、飛べなきゃ意味ないよな?」
 瞬間、キッペーが不安そうに顔を曇らせたのがレイには心地よかった。
「あ……うん、そうだね」
「よし、そうと決まったらさっそく飛行テストだっ!」
 そして、ほとんど奪うようにして模型をひったくると、わけがわからず戸惑うキッペーを従えて近所の空き地に繰り出したのだった。
 その空き地は、元は鉄道車両の整備基地があった場所で、今は線路が取り払われて何もない更地になっている。片隅に建築資材らしき丸太が山積みにされているのは、近々ここに建物でも立てる予定でいるのだろう。その山積みにされた丸太に、模型を片手に器用によじ登ると、レイは下で待つキッペーに大声で実験開始を告げた。
「よーし、始めるぞ!」
 相変わらずキッペーは、物言いたげな、でもやっぱり言い出せないという顔で不安そうにレイを見上げている。止めて欲しいなら欲しいとはっきりそう言えばいいのに、とレイは軽く鼻で笑うと、今一度、手元の模型を眺めた。
 見れば見るほど、それは見事な造りだった。細部の作り込みはもちろん、ボディ自体も繊細な印象のわりにしなやかで、こうして持っているだけで今にも風を孕んで飛び立ってしまいそうだ。
 ちくしょう、何で……
 レイは大きく腕をふりかぶると、不吉に燃える夕焼け空めがけて模型を投げつけた。
 模型は、ゆるやかな向かい風に乗ってふわり揚力を得ると、みるみる上昇し、そのままどこまでもまっすぐに飛びつづけた。多分、機体の重量バランスがいいのだろう。あるいは骨組みのしなりが良いのかもしれない。いずれ、それはキッペーの模型作りのセンスの高さを示すもので、レイとしては決して愉快な話ではなかった。
 墜ちろ。――気づくとレイはそう念じていた。できるだけぶざまに墜ちろ。そして、修理できないぐらいぐしゃぐしゃに壊れてしまえ……!
 その時だ。
 レイの願いが通じたのだろう、それまで悠然と空を泳いでいた模型に突然横殴りの突風が吹きつけ、バランスを失った模型は機首を下にくるくると回転しながら落下していった。
 そして、レイが望んだとおり、ぐしゃりとぶざまな音を立てて墜落した。
「……あ……」
 さっそくキッペーが機体に駆け寄り、しゃがみこんで残骸を拾いはじめる。一方、墜落を望んだ本人であるはずのレイは、その場から動けずに呆然と立ち尽くしていた。
 まさか、俺が望んだから? 
 墜ちてしまえ壊れてしまえと。だから……?
 ――と。不安定な足場の上で気を抜いたせいだろう。レイは丸太の一つを踏み誤ると、滑るように丸太の山から転がり落ちてしまった。
「大丈夫!?」
 キッペーが、それまで拾い集めていた残骸をかなぐり捨ててレイに駆け寄る。そんなキッペーの姿を目にした途端、胸の奥で何かが決壊して堪えきれなくなったレイは、その何かをぶちまけるように声を上げて泣いた。
 赤ん坊のように、ぶざまに泣きじゃくった。
「イタイノイタイノトンデケー」
 気づくと、キッペーが擦りむいたレイの足をさすりながら、何やら呪文のようなものをくりかえし唱えている。
「……何それ」
「痛いのを治すおまじない。ママに教わったんだ」
 なおもキッペーは真剣な顔でおまじないを繰り返す。
 悔しくないのか? せっかく自分が作った模型を目の前で壊されて……
「怒らないのか」
「怒る?」
 怪訝そうにキッペーは眸を瞬かせた。
「だって……お前が作った飛行機、あんなにしちまって」
「仕方ないよ。防げるわけないじゃない。あんなすごい風」
 そうじゃない。本当は、俺は……
「……ごめん」
 気づくと、そう声を絞り出していた。
「本当は、お前の飛行機がすごすぎて、それで何ていうか、つい……羨ましくなって」
 ぎゅっと下唇を噛みしめる。軽蔑するならしろ。嫌うなら嫌ってくれ。どのみち俺は、こういう最低で卑怯な人間なんだ……
「でも、飛行機は空に飛ばすもの――でしょ?」
 言って、キッペーはニッといたずらっぽく笑った。
「飛行機なんだもの。後生大事に飾ってても意味ないよ。きっと、あの飛行機もレイに飛ばしてもらって嬉しかったんだと思うよ」
 柘榴色の唇から白い歯をこぼすキッペーに、レイは黙って頷くことしかできなかった。
 キッペーにレイの真意が通じたのかどうか、それはレイには分からない。が、どちらにしてもキッペーは、同じようにレイを慰めただろう――そして赦しを与えただろう。
 多分、そういう奴なんだ。こいつは。
 アパートへの帰り道は、キッペーの肩を松葉杖代わりに歩いた。
「俺さ、将来は飛行機のパイロットになるんだ」
「パイロット? 飛行機の?」
「ああ」
 それは、今まで誰にも明かしたことのない夢だった。
 州立病院に医師として務める父親が、一人息子にも同じ医師の道に進んでほしいと密かに願っているのをレイは薄々察していた。ただ、レイの性格は理知的な父のそれでなく勝ち気な母親似で、何より、机に向かうのが大嫌いだったレイは、自分は絶対に医者にはなれないと子供ながらに割り切っていた。
 かといって、あからさまにそんなことを口にすれば大好きな父を失望させてしまうかもしれず、結局、家族には一度も明かせずにいたのだ。
 だから、こうして改めて自分の夢を口にすると、ふとレイは、やっぱり自分はパイロットになるんだと、それまで漠としていた自分の将来がはっきり像を結ぶのを感じた。
「あ、でも、うちの親父には内緒だぞ。絶対に反対されるからな」
「わかった。じゃ、僕たちだけの秘密だね」
「秘密……か」
 キッペーの口にした〝秘密〟という言葉は、ひどく甘酸っぱい気分をレイに誘った。
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