アイムホーム~あなたの家になりたい

路地裏乃猫

文字の大きさ
15 / 18

独りの日々

しおりを挟む
「あれ? 今日は愛妻弁当じゃねぇの?」
  優人の背後から、中村がひょいと顔を覗かせる。その中村が覗き込んでいるのは、今、優人が手にしている安物のコンビニ弁当だ。
 「何だ? ひょっとして彼女に逃げられた?」
  言いながら、肘で頭を小突いてくる中村はなぜか楽しげで、追従のつもりで優人も笑みを浮かべてみたが、なぜかうまくは笑えなかった。
  もともと笑うのは苦手な方だ。が、とくに今日は、顔が凍りついたように笑えない。
 「どうした?」
  ふと中村の顔が曇る。
 「なんか今日は調子悪そうだな」
 「えっ……?」 
  取りたててその自覚はないが、悪いと言われると確かに悪いような気もしてくる。――いや実際、良いとは言えないだろう。それが証拠に今も、この無駄に色鮮やかな弁当が気持ち悪くてたまらない。自分で選んで買った弁当のはずなのに。
 「これ……食べます?」
 「は?」
 「はい。なんか……調子悪くて。ちょっと食欲ないっていうか」
 「お、おう。別にいいけど……」
  戸惑い、遠慮しながらも中村はしっかり弁当を受け取ると、済まなさそうにそそくさと席に戻っていった。
  ――彼女に逃げられた?
  彼女ではない。ただ、逃げられたのは確かだ。
  あの日から一週間。あれきり朝比奈はアパートから完全に姿を消した。
  あの時は、てっきり拗ねて別の部屋に籠ったものと思っていた。翌朝になって、朝食が準備されていないことに気づいて初めて妙だと思った優人は、部屋の隅々まで、それこそ押入れの中や流しの下の収納まで捜した。が――
  結局は見つからなかった。
  出て行った? ……いや、〝部屋〟である朝比奈が、そもそもアパートから出られるはずもない。では一体、なぜ……。
  懐でスマホが震えて、見ると、またあの女からの電話だ。
  つくづく空気の読めない女だと思う。よりにもよってこんな時に。いっそ二度と電話をくれるなと怒鳴りつけてやろうか。どのみち相手は、優人のことなど体のいい使用人ぐらいにしか思っていないのだろうし。
  いっそ拒否登録してやるろうか――
  が、たとえ母親一人の番号を拒否登録したところで、今度は実家の番号でかけてくるに違いない。ならば実家の番号も拒否登録すればいいのだろうが、そうなると今度は、会社の電話にかけてこないとも限らなかった。いくら何でも、社会人である以上は家庭の問題で会社に迷惑をかけるのも憚られる。
  要するにあの連中は、いくら逃げても追いすがってくるゾンビのようなものだ。
  確かに、人として生まれた以上は自分たちの幸福を守る権利は誰にもある。母親にも、その夫にも、自分たちの家庭を守る権利はある。――が同時に、優人にもその権利は認められてしかるべきなのだ。優人自身の幸せを求め、守る権利が。
  そして、それを阻む者には相手が誰であれ抗う権利はある――たとえそれが、血の繋がった母親であっても。
 「くそっ」
  吐き捨てると、優人は着信拒否のボタンを押した。
 

 アパートに帰ると、相変わらず部屋の中は死んだような静けさに包まれていた。
  まぁ元々は、この状態こそがスタンダートだったのだと自分に言い聞かせながら電気をつける。実際、引っ越した当初はこんなふうに誰もいない真っ暗な部屋に帰宅していたわけで、今更、不自然に思うことでもないだろう。
  そもそも、あんな得体の知れない存在と狭い2DKで暮らしていたことのほうがよっぽど不自然だったわけで、消えた今となってはむしろ部屋が広く感じられてせいせいする。いちいち風呂を自分で沸かさなければいけないのは面倒だが、それさえ我慢すれば、とくに綺麗好きでもない優人は週に一度でも掃除すれば事足りるし、食事にしても、コンビニやスーパーで惣菜を買えば問題はない。
  朝比奈の助けなど借りなくとも、何の問題もなく生活は続いている。
  パソコンに電源を入れ、ネットに繋ぐ。BGM代わりに流す動画を探すが、適当なものが見つからず、面倒くさくなった優人はパソコンを離れて風呂場に向かった。
  風呂といっても、お湯を張るのは面倒なので近頃はほとんどシャワーで済ませている。暑い時期でもあるし、わざわざお湯に浸からなくても何の問題もないわけだが、空っぽの湯船がひどく目障りに感じられてしまうのは否めない。
  どうせ使わないものなら、いっそ片付けてしまえればいいのにと思うのだが、部屋の付属品ならそうもいかない。
  風呂だけではない。独りで暮らすにはこの部屋には余計なものが多すぎる。ほとんど炊事をしない優人にとって、あの大きなキッチンは不要だし、強いて言えば邪魔だ。入れるもののない押入れも、無駄に大きな窓も、布団以外は置くもののない寝室も――
  無駄だ。何もかも無駄ばかりだ。
  風呂から上がり、スマホをチェックすると、相変わらず母からの着信履歴が恐ろしいことになっていた。この一晩だけで二十回。ここまでくると、さすがの優人も母の執念が空恐ろしくなる。自分たちだけの幸福を、何としてでも守ろうとする母の執念、いや怨念に。
 「母は強し……か」
  もっともそれは、〝愛する〟我が子を守る場合に限っての強さではあるけれども。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中  二日に一度を目安に更新しております

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

処理中です...