キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

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日常で始まった、非日常

 毎日決まった数を飲むことで、抑制剤はその役割を果たす。
 それでも、どうしても危ないと感じたときは一日の数を増やすことで対処すること。
 それでも異常を感じる場合はかかりつけ医に相談すること。
 抑制剤をいつもより一錠多めに飲みながら、空になった箱に書かれた注意書きを改めて眺めていた。
 ほとんど文字を追うだけで、その言葉の意味はあまり理解出来ていない。
 ため息が漏れた。
 あれから三日ほど経つが、純一に連絡などもちろん出来ていない。
 店に来るかと身構えたこともあったが、忙しくなるとそんなものは消失してしまう。
 そして特に純一の姿を見ることなく、一日が終わっていく。
 ほっとする気持ちと、どこかモヤモヤするものがある。
 胸の奥でつっかえたような、喉に何か引っかかったようなものは、言葉にするには難しい。
 冬真が言った言葉も同時に反芻される。
 匂いが、その確信の一端だとするならば、それはそうなるだろう。
 だがたかが匂いだと悠人は思う。現にそう冬真に言い返したが、冬真は首を横に振ってあきれた表情で言った。

「今まで、そんなに匂いを感じたことがないんだろ? なら、その匂いを感じてるってことは、悠人自身が何かしら感情を持ってるってことじゃないの?」
「そんなこと、あるんですかねぇ……?」
「都市伝説じみてるかもしれないけど、運命の番って見て分かる、匂いで分かるっていうじゃん? それに考えてみな? 別にαとかΩとか関係なくさ、人間ってなんか嫌いな人間の香りって嫌いにならない? 本能的っていうか、あわないなコイツ……ってなると、香りも声もだめ。存在自体が嫌だ、みたいな」
「まぁ、わからなくはないですけど」
「少なくとも俺はそうだよ。あわない奴ってのはβであろうとαであろうとΩであろうと、匂いが無理。大体そういう相手って、話してても『あー、コイツ無理だわ』ってなる。俺の鼻がイイから、っていえばソレまでかもしれないけどさぁ、これに関しては他に悠人の友達とか聞いてみたら。ほらいるじゃん、晴樹とか。晴樹ならβだしフェロモンとか関係なく、意見が聞けるんじゃない?」

 悠人はあの日の会話に出てきた宮本晴樹に連絡をするかしないか、迷いながら結局していない。
 晴樹は悠人の大学時代の友達であり、βである。
 彼は変わり者だと悠人は思っている。
 就職活動が嫌だから、就職活動の代わりに小説を書く。
 などと、意味不明な宣言をしたかと思えば、実際に卒業前にはそれが認められ賞をとり、デビューしてしまったのだ。
 フリーターをしながら小説を書き続け、今はすでに専業作家として働いている。
「アイツに連絡してもなぁ……締め切り前だと面倒だし」
 メッセージアプリの履歴をスクロールしながら悠人は呟いた。
 最後に連絡をとったのは、どうやら二週間前らしい。
 時々あっては食事をしたり、映画を見に行ったりするし、悠人の店にやってくることもある。
 その縁で冬真も晴樹のことを知っていて、顔見知りである。なにげにゲーム仲間でもあるらしい。そのあたりはよく知らない。
「気分転換したいっちゃ、したいんだけどなぁ……」
 独り言を呟いて、空になった箱をゴミ箱に押し込んだ。

 本当ならば休みの日は気分転換に出かけようとかいろいろ考えていた。
 しかし結局は家の掃除で一日は終わった。
 そこからはまた仕事であり、いつものように日常は過ぎていく。
 明日は店休だ。その次の自分のシフトの休みの日にでも、晴樹に連絡をしてみよう。
 今は身体が怠すぎて、億劫で、やりとりをする元気もなかった。
 ひたひたとフローリングの上を歩いていき、常備薬を置いてあるケースをのぞき込む。
 抑制剤のストックがあっただろうか、少し不安になった。
「……買い足すかぁ」
 小さく呟いて、スマホを掴んだままビーズクッションの上に座り込み、重力に任せて沈んでいく。
 いつも使うサイトで、いつもより少し多く抑制剤を購入する。
 明日にでもポストに届くし便利な世の中になったものだと、しみじみしながらため息をついた。
 薬の効きが少し悪くなっている気がした。
 だから量を増やしたし、それはかかりつけ医にも承諾を得ている。
 ヒートが近くなる周期にあわせて、少し量を増やす。今はその時でもある。だがいつもと違う違和感を感じてもいた。
 しかし今のところ問題はない。
 量を増やしたところで、いつもより身体をだるく感じたり、少し頭が重いな、という程度だ。
 まだ仕事に行くには時間があるので、目を閉じて少し眠りにつくことにした。
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