キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

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昔の話、今の話。

 まるで冷や水を掛けられたような衝撃があった。
 驚きに満ちた瞳で見つめていた悠人を確認すると、純一は店員を呼び止め会計をお願いした。
 伝票を持ってくるまでの間に悠人は我を取り戻し、唯一口に出来た言葉を放つ。
「なん、で」
「忘れないよ、あんな匂い。二度と忘れない」
「二度と……って」
 純一が何か言おうとしたところで店員がやってきた。
 伝票を渡され、その場ですぐに現金を渡した。
「話すから、帰ろう」
 静かに言って立ち上がった純一に従って、悠人も立ち上がった。
 足取りは重く、先を歩く純一の後ろをついて行く。
 先に階段を降りた純一が待っているのをみて、残り数段のところで立ち止まった。
「悠人」
 呼ばれて仕方なく降りていく。
 隣に立つと、純一は悠人の手を掴んだ。
「やっぱ酔ってる?」
「酔ってない」
「酔ってないなら、もっと嫌がって一人帰りそうなのに」
「じゃあ帰る」
「だめ」

 そう言うと軽く手を引いて歩きだした。
 確かに酔っていないなら、もっと強く拒絶しただろうと悠人自身も思った。
 だが気になってしまって手を振り払えなくなっている。
「なぁ……匂い、今もしてるって、それ」
「言葉どおり。最初からずっとしてる」
「最初から?」
「この前、店で始めて会った時から」
 ごくりと息をのんだ。
 あれは自分だけではなかったのか。
 だが、その言葉が意味することを考えると、悠人は慌てて手を振り払おうとした。
 しかし強く握った手を今更純一が離すわけもない。
「は、離せって」
「ヤダよ。逃げるでしょ? 何もかも話してあげるからついて来てよ」
 言葉を探していたが見つからず、手を振り払うことも出来ずに駅までの道を歩いて行く。

 匂いがする。
 街の匂いだ。
 いろいろな人の香水や、飲料の匂い、室外機から漏れる店の匂い。
 雑多な匂い。
 だがどうしても逃れられない匂いがある。
 甘い匂いだ。
 ずっとしている。最初ほどの強烈さはない。
 それは単純に鼻が慣れたのかもしれないし、他の要因があるのかもしれない。

「さっきさ、目的があるから頑張れたって話ししたでしょ?」
「ああ、言ってたね」
「目的、悠人を探すことだよ」
「……は?」
 思わず純一を見上げると、その気配にあわせて視線を向けられ、視線が交わった。
「驚いた?」
「わけ、わからん……て、それだけじゃ」
「そう。だからちゃんと説明してあげる」
 そう話しをしている頃にはすでに駅に近づいてた。
 今日は日曜日だが、まだまだ人出は多く構内に行くまでも混雑していた。
 ICカードはあるかと問われ、悠人はスマホを取り出して振って見せた。
「タクシーでも良かったかな。意外と人多いね」
「まぁ、乗り換えあるし。いつもこっち使わないの?」
「使わない。事務所から一駅先まで歩いてるよ。距離はちょっとあるけど、どうせ日頃座ってばっかだし。歩けない距離じゃないしね」
 ホームへ向かうが、そこも人はたんまりと居た。
 時間的にも日曜日の遅い時間なので、これほど混んでいるのは少し意外だった。
 だが悠人は考えてみれば、仕事時に電車を使うことはほとんどない。
 だからこそ日曜日の混雑具合など、完全に空想でしかなかったのだ。

 ホームの地面に書かれた線の近くで待ちながら、悠人は小さなため息をついた。
「人、多いの大丈夫?」
「え? ああ、まぁ。なんで?」
「人混み、あんま好きじゃないでしょ?」
「なんでそんなこと知ってんだよ」
「知ってるんじゃなくて、覚えてんの。昔からそうだろ? 祭りとか行くにしても、人が少ない内に行って帰るのが定番だった」
 そういえばそうだ、と思い出して悠人はまたもため息をつく。
「よく覚えてんな、そんなこと」
「当たり前だよ」
 何が当たり前なのか。
 そう思ったが口にするより前に電車が入ってくるという放送がホームに響き渡った。
 いつの間にか二人の後ろにも多くの人が並んでおり、乗り込むとなればそれなりに多そうだと覚悟を決める。
 満員電車なんて何年ぶりだろうか。普通に会社勤めをしたときは当たり前の日常ではあったが。
 始発駅であるため、反対側のホームが降車専用として先にドアが開いた。
「悠人は座りなよ」
「え?」
「酔ってるし」
「……酔ってねぇよ」
 そのあとしばらくして、悠人達が並んでいる側のドアが開く。
 多くの人がなだれ込んでくる中、純一は悠人を席に座らせると自分はその向かい側に立った。
 満員、というほどではないが、それでも少し動くと人と人の身体がぶつかる程の多さではあった。
「電車、日曜のこの時間でも結構混むんだ」
「うん。だから歩くようになったんだよね、俺も」
 なるほど、と納得して悠人はカバンを膝の上に置いて抱え、純一を見上げた。
「荷物、持とうか?」
「ありがとう、大丈夫」

 沢山の人が乗り込み、様々な会話が響く。
 二人のようにアルコールを飲んでいるのか、その呼気の臭いが漂ってくる。
 それは自分かもしれないと悠人は身体を少しにおってみたが、特に自分で感じられるものでもない。
「どうしたの?」
「いや……お酒、飲み過ぎたかなって……」
 そう呟くと純一は笑った。
 行き先の読み上げが始まり、ドアが閉まるアナウンスが響く。
「うん、酔ってるよ、お前」
 発車ベルの音が鳴り響き、ドアが閉まる。
「じゃなきゃ、多分、来てくれないでしょ」
 雑多な会話や笑い声に交じっても、小さく囁かれた声は悠人の耳にしっかりと届く。
 小さく口を斜めにして笑うと、悠人は目を閉じた。
「……そう、だろうな」
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