キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

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昔の話、今の話。

 目を閉じて電車の揺れの中で座っていると、少しだけ微睡む。
 ぐっと身体が横に落ちそうになる前に、純一の手がそれを止めて揺さぶった。
「着くよ」
 目を開けると、近くに顔があった。
 身を屈めて起こした純一をぼんやりと見て、悠人は頷いた。
 軽くうたた寝をしただけで、一気に酩酊感が襲ってきている。
 立ち上がった悠人を純一が支えるようにして横について歩きだす。
 外は生ぬるく、一気に湿度が身体を包み込む。
 夜になれば涼しくなり始めたはずだが、それでもまだ夏は終わっていないと実感させられる。
 混雑している電車から降りると、同じように酔っ払った人達が同じように支えて声を上げて笑っているのも目に入る。
 あそこまでは酔っていない。
 そう思いながら深呼吸をして、瞬きを繰り返してから純一を見た。
「自販機、ある?」
 すぐに何を言いたいか理解したのか、純一はホームにある自販機へと足を向けた。
 共に歩いて行くと「水でいい?」と言われて頷いた。
「やっぱ、空きっ腹に酒はダメだわ」
 小さく呟いた悠人の言葉に、純一は小さく笑って冷たいペットボトルを差し出す。
 キャップを回していると純一が言った。
「そこまで酔うと思わなかった、ゴメン」
「……なんでお前があやまるの?」
 水を飲んだ。
 一気に身体の中に冷たい液体が流れ込んできて心地よくなる。
 半分ほどを一息で飲んで、はぁっと息を吐いたところで純一が続けた。
「明日が休みだから今日行って、仕事上がりにすぐ一緒に飲みに行ったのも、全部狙ってたから」
「狙ってた? なんで」
「うん。じゃないと家に来てくれないと思って。そうでもしないと、俺の話はしたくないし」
 降車した人々が殆どいなくなったホームで、二人は立ち尽くし向き合ってた。
 すでに終電も近くなっている時間に、ターミナル駅ではないこの駅には電車を待つ人はいなかった。
「まぁまだ、悠人が連絡くれてたら、そこで話したかもしれないけど」
「俺の所為って言いたいの」
「ある意味、最初からね」
 小さく舌打ちをして悠人はペットボトルのキャップを閉めた。
 ここまで来たらどうとでもなれ、という気分である。それに、これほどもったいぶる話を聞かないで帰るなんてことは考えられない。
 純一は出口に続く階段を指さした。それからその手を広げて悠人へ差し出す。
「手、繋ぐ?」
 首を横に振って歩き出して、悠人は言った。
「お前がそんだけもったいぶる話聞かせろよ」
 そう言って先を歩く悠人の隣りに並んで歩きながら、純一は微笑んだ。

 駅から歩いて一〇分もしないところに、純一の住むマンションはあった。
 マンションに着くまでの間にスーパーやコンビニもあった。色々と小さな店やクリニックが建ち並ぶのは、まさに住宅街といった感じだった。
 マンションはそれなりに大きく、門構えもしっかりとしていた。
 オートロックを解除してエントランスから中へと入る。
 駅からの通りを見ていても、これほど大きなマンションはなかったので、おそらくこの辺りでは一番大きいのではないかと悠人は想像していた。
「凄いとこ住んでるね」
「あー、まぁ、仕事部屋も兼ねてるようなもんだし」
「家でも仕事すんの?!」
「むしろ、家から出たくないときは家で仕事する。自由が利くのはいいよ? 好きなこと出来るし」
 エレベーターに向かいながら悠人は小さく首を振った。
 自分には向いていない働き方だ、絶対に。
「好きなこと出来るっていっても、それで仕事できるの」
「仕事は仕事だしねぇ。仕事してれば、あとは何しててもイイって考えたら良くない?」
「いや無理だわ」
 エレベーターはすぐに来て、中に入ると純一は階数ボタンを押した。
 全部で十二階まであるるしいマンションの五階が純一の部屋のあるフロアらしい。
「デザイナー? ってそんなに稼げるの?」
「んー、まぁ、色々やってるし」
「いろいろ……」
「別に危ないことはしてないよ?」
 ぐんと重力が体を圧迫すると、エレベーターの箱は動きだした。
 上昇していく数字を見ていた悠人に純一は話しかけた。
「それも全部、理由は同じだよ」
「理由?」
 隣に並ぶ純一を見上げると、じっと見つめる双眸が強く輝いて見えた。
 あの時みた、宝石のような瞳だ。
 甘ったるい香りと夏の暑さが蘇る。

 「俺が悠人のこと好きだってこと」

 またあの香りがした。
 思考も、理性も溶かしてしまいそうな、噎せ返るほど甘いキンモクセイの香りだ。
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